まだ時間が欲しい

 瞼を開けると、部屋には朝日が差し込んでいた。

 天井に伸びている、一線の光をぼんやりと眺め、緩やかに覚醒していく。

 背伸びをして、覚醒を促す。背伸びを止め、また天井を眺めた。



(ハルメス詩歌……か)



 昨夜、寝る間際に聞かされた話が蘇り、リズタルトは左手の甲を撫でる。


 そこには生まれつきの痣があった。ただの痣にしては、紋様のようなそれは、物心ついた頃から父とルシウスに隠すように強く言われていた。


 キリランシェロならいいが、それ以外には見せるな。城の者、友人、信用できる者、信頼できる者にも絶対に見せるな。

 ルシウスならともかく、父までもが頑なにリズタルトに言い聞かせた。


 幼いながらも、この痣は不都合なものなのだ、となんとなく理解し、二人の言う通りにした。内心、今まで隠していたのにどうして今更言うんだろうな、と不思議に思っていたが、そこは口に出さなかった。


 赤子の時に負ってしまった火傷の痕が残っている、ということにして手袋で隠すことになった、この痣。



(父上は言わなかったけど、きっと『光を宿りし』というのは、この痣のことだろうな)



 風、廻れり地に光を宿りし嬰児、生まる。


 あの予言の一節だ。『光を宿りし嬰児』は自分の事で、この痣はおそらく光を表した紋様なのだろう。確証はなかったが、確信はあった。それだと辻褄が合うからだ。



(風、廻れし地……そこが僕の生まれ故郷)



 正直、どんな所か興味はある。が、帰りたいとは思わなかった。実の両親と会いたいとも思わない。自分を探していると聞いたのに、会ってみたいと思わない自分は薄情なのだろうか。



(あっちはルタポやグルーテリュス、そして父上のことを誤解している)



 ルターナ・ポニュレウスは魔王が創ったモノではない。グルーテリュスは、悪いグルーテリュスもいれば善いグルーテリュスもいる。魔王は、滅茶苦茶だが悪人ではない。


 では、誤解を解いたら実の両親の許に帰るのか。その意思は全くない。


 自分は魔界が好きだ。だから魔界全体を誤解し、嫌っている人間界を故郷とは思えない。



(もしも、父上に攫われないまま育てられていたら、僕も魔王とグルーテリュスは人に仇なす者って信じちゃっていたのかな)



 悪寒が背中を駆け上がる。そう考えると、恐ろしくて堪らない。相手の事を知らないまま、真実を知らないまま、周りの言葉を信じて相手を憎むなんて、空恐ろしく感じた。



「……起きよう」



 起床直後に考えるものではない。おそらく、もうすぐ侍従が自分を起こしに来る時間だ。着替えを済ませよう、とリズタルトは起き上がった。


 魔王の一族 (サタンとリズタルトしかいない)と官吏は、礼服以外の服は自分で着替えるのが常識だ。身体の構造的に一人で着替えるのが困難な場合が除くが、基本的にはそういうことになっている。


 皇族の紋章が背中の部分に刺繍されている羽織に腕を通し、寝室を出る。


 リズタルト、そしてサタンの部屋の構造は、執務室、自室、寝室と連なっており、執務室と自室は扉で間仕切りされているが、自室と寝室は屏風で間仕切りされている。


 隠し通路はあるが、表立った扉は執務室にしかない。


 執務室に出る。当然、誰もいない。柱時計を見ると、侍従が起こしに来る時間まで、まだ少しあった。


 侍従が起こしに来る前に部屋から出ることが出来ない。勝手に出ると、心配かけてしまうからだ。侍従が起こしに来るまでに、書類の仕事を片付けようと思ったが、明日は家庭教師が来るから、と昨日の内に全て片付けていたのを思い出す。書類の整理も終わっている。



(しょうがない。待つか)



 窓際まで向かい、空を見上げる。

 今日は快晴だった。

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