出生の秘密
「で、どういうことなんですか?」
眠気がすっかり去っていき、リズタルトは布団の上で正座して、同じく布団の上で胡座を掻いているサタンと向き合った。当のサタンは、悪びれる様子は全くない。
リズタルトの目を見つめながら、サタンは淡々と答えた。
「ハルメス詩歌については、もう習ったな?」
「はい。人間たちが血眼になって探している予言書ですよね?」
ハルメス詩歌は、六百年前にサイファー・ユーズリシアという、王族の一人が書き上げた本だ。その本は戦乱が原因でバラバラになり、世界中に散らばったのだという。
現在、作者であるサイファー・ユーズリシアを教祖としたモイラ教が散らばったハルメス詩歌を一つにまとめようと捜索しているらしい。
世界中に散らばって六百年。徐々に発見されているが、未だに全てを発見出来ていない。そして、中身の公開もされていない。ただ、予言に書かれた内容から外れたことが一回もないとだけ発表されている。
「ああ。事の発端は、十年前……お前が生まれた年に発見された、一枚の予言だ」
そう言って、サタンは背後からフリップを取り出した。いつの間に用意していたんだ、とか、さっきまでなかったですよね、と問いだしたかったが、訊くだけ無駄だと思い、突っ込まずフリップを見た。
祝いの花、垂る時、礎王、玉座を戴けり
其は、憂き世を祓ふ、導とならん
黎明存らふ時、藍の天に流るる一縷の輝き
暁に聳ゆる影は彼の人を隠ろふ
風、廻れり地に光を宿りし嬰児、生まる
其は深淵の王を喰らふ者なり
リズタルトは首を傾げる。
書かれているのは、予言の一節なのだろう。だが、難しい言葉が並び、意味を理解することができなかった。
「これは人間界の王家が唯一、国民の公開した予言の一節だ」
「それだけ公開している……? 余計な混乱を避けるためですか?」
予言書は未来のことが書かれたもの。それは今まで外れたことがないという。
予言書は比喩的に、しかも古典的に書かれているので、解釈が色々と生まれる。
様々な解釈が複雑に絡み合い、やがて争い事が起きる。最悪、戦争が起きるかもしれない。
「それもあるだろう。だが、あくまで表向きだろうな」
「つまり、予言書を政治目的として使っている、と?」
サタンが頷く。
「ああ。今回が良い例だ」
「予言で国民をまとめあげようとしているのですか?」
「そういうことだ。実際に王家が解釈した内容は、王家にとって都合の良いものばかりだ」
「と、いうと?」
「簡潔に言うと、王家はこの予言を、今の王が良い革命を起こし、さらに魔王を倒す者が現れる、と解釈したわけだが」
「え? どうして父上が討伐されなければならないのですか?」
サタンは人間界に赴き、人間界を視察しているが、魔王として悪さはしていないはずだ。何食わぬ顔をして事態を掻き回しているだろう。が、悪いことはしていない、と思う。
グルーテリュス……人間からは魔族と呼ばれている者達からの信頼も厚い。いや、あれは、魔王様だから仕方ない、と呆れ半分と諦め半分に思われているのかもしれない。だが、なんだかんだで父を信じているから、父はずっと王でいられているのだ。
それなのに、どうして討伐されなければならないだろう。
「人間の王は、魔界の生き物が大嫌いなんだ」
「どうしてですか?」
「さあな。王族の考えていることは分からん。おそらく、自分と同等かそれ以上の力を持つ者が気に入らんのだろうな。本当に危ないのは、己の足下だというのに」
サタンはくっくっと、喉の奥で笑声をあげた。
「それはさておき、王族が俺様達を嫌っている。その証拠が、人間達の認識だな」
「認識?」
「人間達は、グルーテリュスを凶暴で残虐な生き物だと思っている。俺様はグルーテリュス以上に冷酷な王だと思われているぞ。不快を通り越して愉快だろ?」
「そんな心底愉快そうに……」
愉快、というより面白がっているようだった。
魔界を統一した際、父は帝王と名乗っていたが、人間が魔王と呼ぶのを面白がって魔王と名乗るようになったらしいから、今更なのかもしれない。
サタンはニヤニヤと口の端を吊り上げて、言葉を紡ぐ。
「しかも、だ。王家はルタポのことを魔物と呼び、俺様が創り出した生物兵器だと吹き込んでいる。これは、悪意しかないだろ?」
リズタルトは眉を顰めた。
ルタポ。正式名称、ルターナ・ポニュレウスは、この魔界でも跋扈している。農作物を荒らし、小さな村を襲っている。
今の所、被害はさほどない。だが、数の多さに手を焼いていた。ルターナ・ポニュレウスは食用にもなるが、それはそれである。
「えぇ~……あれ、父上の趣味じゃないのに……」
「さすが俺様の息子。よく分かっている」
「いや、全国民がそう思っていますよ」
それを聞いた国民は、あまりにも見当違いに笑い飛ばすに違いない。
「で、王家は、父上がルタポを創っているという証拠を掴んでいるんですか?」
掴んでいたと言うのであれば、ただの捏造か言いがかりである。何故なら、ルターナ・ポニュレウスを創っているのは、魔王ではないから。
「いや、証拠はない。魔物による被害がいっぱいあるぞ、人間界に非をもたらすのは魔王以外他にいない、魔王は人間界を侵略しようとしているのだ、という流れらしいぞ」
「なんか馬鹿らしいですね」
人間に害をもたらす者が、必ずしも人外であるわけがない。その理論で行くのなら、争い事は起こらない。
「王家はどうしても、我々と戦いたいらしい。こじつけだろうがお構いなくな」
「あちらに勝機はあるのですか?」
「それがこの予言、ということだな」
サタンはフリップを叩く。
「政治目的に繋がる、というわけですね」
「その通りだ。だが、この予言を知っている者たちは、似たような解釈をしている」
「魔界の住人も、ですか?」
「ああ」
「おじさんも?」
おじさん、とはサタンの右腕であり、魔王補佐官であるルシウス・セル・メシュリアのことで、リズタルトの幼なじみであるキリランシェロの父親でもある。
有能な男で、周りからは冷徹だと評価されている。リズタルトにとっては、世話好きでリズタルトのことも可愛がってくれる小言の多い優しい保護者の一人だ。
「そうだな。お前を攫って育てると言った時は、かなり反対されたな」
「処分すべきだと言われましたか?」
「ああ。ま、今はああだから気にするな」
サタンは片目を眇めて、笑ってみせた。釣られて、リズタルトも笑う。
「なんで父上は、僕を攫ったんですか?」
予言を阻止するため攫ったのであれば、ルシウスの言うとおり、誘拐した時点でリズタルトを亡き者にすればよかったのだ。赤子なので、殺すのも容易いことだ。いくら父が弱き者は守る主義でも、自分を倒す予定の赤子を育てようとは思わないだろう。
赤子から育てたら、自分を殺すことに躊躇うから? こちら側の味方に引き込もうとしたのか?
いや、父の性格からして、そんな回りくどいことはしないだろう。
殺さないのなら、こちら側に引き込む気がないのなら、最初から攫う、という話になってくる。
気が変わったから、という可能性もあるが、そうではない気がする。
「この予言には思うところがあってだな」
「思うところ、ですか?」
「追々語ろう。確証がないしな」
サタンが真顔で言った。その目はリズタルトを見ておらず、どこか遠いところを見ているように感じた。
「どうしてその話を、今したんですか?」
「うむ」
サタンは姿勢を正し、再びリズタルトを見据える。
「お前を攫った後、お前の生みの親を影に頼んで観察していたのだが」
影、とは密偵のことだ。一応秘密の護衛でもあるが、サタンが強すぎて守る必要がないため、主に調査が仕事である。男なのか女なのか、リズタルトは知らない。
「監視ではなくて?」
「観察だ。どうやらお前を攫った直後、別の赤子を育て始めたらしい」
「別の?」
「双子じゃないぞ。血の繋がりもない赤の他人だ。その子が同じ村の出身なのか、また別の場所の出身なのか分からんが、お前の生みの親はお前じゃない赤子を育てることにした。裏でお前を探しながらな」
「ムラ?」
「里みたいなものだ。村を治めているのが村長」
「……知りながら、どうして」
「お前の母親の言動だな」
リズタルトの言葉を遮り、サタンは言葉を募る。
「お前を心配している、というより、名誉を気にしているように思えたのだ。父親のほうはそうでもないようだが。他の村人も同様だ。お前自身を心配、というより王家の怒りが怖い、という感じだったな」
「……勇者の母親という肩書きに、固執していたと?」
「そんな感じだったな」
サタンは肯定する。
「そして、お前が十歳の誕生日の時、その子も十歳を迎えた」
「僕と同じ誕生日だったんですか?」
「本当に同じ日に生まれたのか分からん。その日、お前の両親はその子に、お前は勇者だ、と嘘を告げた」
「え」
息が止まった。
それはつまり。
「その子はお前の身代わりに仕立て上げられた。しかも村ぐるみで、だ。さすがに村の子供達や余所から来た村人には秘密にしているが」
「両親だけではなく、村の大人たちがその子を騙している、というわけですね」
「もちろん、その事に反対している大人はいるだろう。が、村長夫婦が率先的にその子を騙そうとしているから、反対派の大人たちは何も言えんのだろうな」
「どうして、そんなことを」
「予言にはお前が生まれてくることが詠まれていた。正確な場所、季節もな。まだ生まれていないと引き延ばすには無理があった。王家としては忌々しき魔王を倒してくれる存在だ。まだ生まれんのか、とせがまれたと聞く」
一拍置いて、さらに言い紡ぐ。
「お前を生まれた直後、村長は王家に報告した。王家は期待を込めて、カンデレラに補助金を送った。その補助金は定期的に送られている。補助金が惜しかったのだろうな。王家はこう考える。勇者が村にいないのなら、補助金を勇者捜索に回したほうがいい、と。それだと、村が損する」
「でも、それだと王家を騙すことに」
「ああ。バレたら村はただでは済まないな。村長も苦渋の決断だっただろう」
リズタルトは、膝の上に置いていた拳を強く握りしめた。
「その子が勇者に対してどう思っているのか知らんが、それでも我らグルーテリュスに対しての認識は刷り込まれているだろう。残酷極まりない人に仇をなす存在、だとな」
「……」
何も言わないリズタルトをしばらく眺め、サタンが小さく笑みを繕った。
「……今日は、大分喋ったな。そろそろ寝ないと、明日起きられなくなるぞ」
サタンが布団から降りる。そして、リズタルトを優しく寝かせた。
されるがままリズタルトは横になり、掛けられた布団を握る。
「父上」
「ん?」
「どうして今その話をしたのか、理由をまだ聞いていません」
なんだかんだで答えを聞いていなくて、もう一度問う。
「お前は聡い子だ。今日話さなくても、自力でこの真実に気付く日が来ただろうな」
サタンがリズタルトの頭を撫でた。
「お前の両親が身代わりの子を騙すのであれば、俺様はお前に真実を話そうと思った。このことはさすがに俺様の口から伝えないといけなかった。ただ、それだけだ」
さらさら、と髪を優しくとかされて、リズタルトは瞼が重くなった。
「この真実をどう思うか、それはお前の自由だ。受け入れるか、抗うか。はたまたそれ以外か。お前が決めることだ。お前がどんな答えを出そうが、俺様は否定しない。その答えはお前のモノだからな」
優しくて力強い言葉が、身体の芯に染み込む。言葉から、手のひらから、父の思いが心に広がり、リズタルトは目頭が熱くなった。
暖かい手に誘われるように、あっという間に意識が遠のいていった。
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