学術都市 イカネ

 ヴァレンにいた時は常に具合が悪かったカインだったが、ヴァレンから離れると徐々に元気を取り戻してきた。

 顔色がすっかり良くなり、嬉々と先頭を歩くカインの背中を眺め、一行は不思議そうに首を傾げる。



「結局、船酔いが原因だったのでしょうか~?」


「建物の中にいる時は、比較的平気そうだったが」


「潮風がダメだったりして」


「ははは。ソイツは聞いたことないから、ないだろ」



 四人が喋っている中、カインはどんどんと先に進んでいく。あんなに気持ち悪くて重かった身体が軽くなったのが嬉しくて、上機嫌で鼻歌を歌った。

 前へ前へと進んでいくと、遠くのほうで黒煙が上がっているのが見えた。何かが、激しく燃えているのだろうか。



「なぁなぁ! なんかめっちゃ燃えている!」


「あ、ほんとうだ」


「山火事か?」



 ドロシーとテトが黒煙を仰ぐ。すると、ヴェイツがぎょっと目を見開いた。



「あっちって……イカネがある方角だ!」


「えぇ!?」


「イカネに何かあったのでしょうか?」


「早く行かなきゃ!」


「そうだな!」



 ドロシーとカインがばっと駆けて行った。



「まだ遠いのに、全力疾走するんじゃねー!! 止まれ!!」



 テトが二人の背中に向けて、怒声を上げるが、二人は止まらない。聞こえていないだろう。振り返りもしなかった。



「ああ……考え無しに突っ込むのは、カインだけで十分だってのに……」


「まあまあ。とりあえず、お二人さんに追いつきましょうか」


「そうですね~」



 落胆するテトの肩をぽんと叩き、腕を引っ張る。テトはその手を振り払わず、胃を抑えながらヴェイツについていく。リコリスも微笑みを浮かべながら、その後を追った。






 学術都市イカネ。そこは、人間界の知能と知識を凝縮させた場所だ。


 イカネは正確には学院である。年齢問わず、優秀な頭脳を持つ人が集まっており、在籍している学生や博士達を世話をする使用人も数多くいる。人間界一、その門を潜るのは難関だと言われており、入試も国が認めた博士が作っているので、ここに入学できたということは、国が認めた超エリートということになる。故に、難関だと言われているが門を叩く人はかなりいるという。


 また、イカネに在籍すれば国が研究費を負担するというので、名を馳せた博士達が数多く在籍している。卒業した生徒の多くは、博士に弟子入りするという。中には博士に認められ、弟子として認められている学生がいるとか。


 そんなイカネの風貌は、要塞のように堅牢だ。それもそのはず、元は要塞だった古代遺跡で、その上からさらに増設を繰り返し、天高く聳え立つ巨大建造物になったという。


 黒煙を上げていたのは、イカネの建物からだった。中に入る為の吊り橋が下ろされて、簡単に入ることが出来た。


 酷い有様だった。建物の一部が瓦礫なっていて、あちこちで白煙が立ち上っている。同じ服を着た人たちが、騒然と駆け回っていた。おそらく生徒だろう。怪我をした生徒や警備兵であろう者たちの治療を行っているようだった。



「一体、なにがあったんだ?」


「なにかの襲撃に遭ったっぽいが……」



 入り口の有様を呆然と眺めていると、横から声が聞こえた。



「おや? こんな時にお客様ですか」



 振り返ると、男が一人立っていた。

 男は、カインと同い年か年上に見えた。紫色の髪を一つに束ね、流し目から覗く紫苑色が、カイン達を見つめる。肌が白く、目元の泣き黒子が映えている。背は高く、体型はほっそりとしていた。立ち姿と仕草がどこか女性的だった。着ているものから察するに、生徒だろう。慌てている生徒と比べて、至って冷静のように見えた。



「オタク、ここの生徒か?」


「ええ。貴方たちは、どうしてここに?」



 ねちっこい口調で、生徒は首を傾げる。



「ジャオリー先生に用があって、来たんだが……それどころじゃなさそうだな」


「おや。ジャオリー先生にお客様ですか。そうですねぇ……リズのこともありますし、ジャオリー先生もそれどころじゃないでしょうね」


「リズ?」


「ここの学生です。私と同期であり友でもあり、ジャオリー先生の愛弟子ですよ。ついさっき、フライボンの群れに襲われましてね」


「フライボン?」


「魔物の一種だよ。低飛行で飛ぶ魔物で、群れで行動するんだ」


「この時期は、鳥のように飛びますよ。だからこの塀を跳び越えられたんですよ」



 イカネの塀は、城塞のように高い。低飛行では、まず跳び越えられない。



「イカネがこうなったのも、そのフライボンの仕業ってことか?」


「えぇ。この時期は、フライボンの群れが岬の遺跡に住み着くんですよ。毎年のことで、こちらには害はなかったのですが、何故か今年はイカネを襲ってきまして……まあ、死者も出なかったことですし、研究施設と図書館は無事ですので、大きな被害はありませんが」



 生徒が溜め息をついた。



「大きな被害がないって、すげぇ燃えているけど」


「ああ、あそこは偉い博士たちの住宅スペースですから。今、水魔法で消火活動が行われているので、そのうち鎮火するでしょう」


「自分の部屋がないって、すげぇ不便じゃねぇの?」


「あそこに住んでいる博士たちは皆、自分の研究室に閉じ籠もっていますから、実質無人なんですよ。勿体ないですよね?」


「お、おお」



 なんと答えていいか分からず、とりあえず頷いた。



「また襲ってくる可能性もあるということで、先程リズが様子を見に岬の遺跡に向かったんです」


「一人でか!?」


「正確には一人と一匹ですが……そうですね、実質一人です」



 さらり、と言いのけた言葉に、カインが突っかかった。



「どうして一人で行かせたんだよ!」


「私はリズに、ここの警備を任されたんですよ」



 生徒はわざとらしく、肩をすくめてみせた。



「見ての通り、警備兵が倒れているので、今のイカネは守備が手薄なんですよ。これでも私、闇魔法が得意でしてね」


「……」



 これでもって、いかにも闇魔法が得意そうな風貌をしているのだが。

 カインも他の者も突っ込まず、沈黙した。



「リズは剣の腕が優れていますし、魔法もお見事です。警備兵を差し置いてイカネの中で一番強いのはリズだと言われているくらい、とても強いんですよ。もし何かあっても、リズなら大丈夫です」


「なるほどな。つまり、そのリズとやらを信用して、一人で行かせたんだな」


「ええ。ですが、リズが無事に帰ってくると思っていても、心配で仕方ない人がいるわけです」


「それがジャオリー先生、というわけですね~」


「そうです。このタイミングで貴方たちが来たのも、運命なのでしょう。そこで、貴方たちにお願いがあるのですが、リズの手伝いをしてくれませんか? お礼として、ジャオリー先生とすぐに面会ができるよう、手配しますので」


「おう! 任せろ!」


「任せなさい!」



 カインとドロシーが即答する。テトは盛大に溜め息をついた。



「またそうやって、すぐ承諾しやがって……」


「いいじゃないですか~。わたしたちにとっても、悪い話じゃありませんし」


「そうですよ。ジャオリー先生は、御高齢ということもあり、あまり人前に出てこないんですよ。最近は体調が優れないようでして、面会は難しいですから」


「御高齢って、いったい何歳なんだ?」


「たしか……今年で九十歳でしたね」


「九十! 九十で現役ってすごいな」


「ええ。いつポッキリ逝ってもおかしくないですよね。ふふふふ」


「笑い事じゃねーよ……」


「では、旅の方。リズのことをお願いしますね」


「おう! 任せろ!」


「おやおや。頼もしいですねぇ」



 生徒がクスクスと笑う。



「あ、申し遅れました。私、ノエル・ノルヴェーといいます。戻ってこられましたら、受付にて私の名前を言ってください。話は通しておきますので、場所を教えてくれるでしょう。フライボンが根城にしている岬の遺跡は、ここから北東の場所にあります。どうか、お気を付けて。では」



 ノエルは一礼して、去って行った。軽い足取りで、慌てふためく人の群れを華麗にすり抜けていく後ろ姿を見送りながら、カインは呟いた。



「なんか、胡散臭いヤツだったな」


「あれは胡散臭いというより……」


「妖しい、だな」



 あやしい……怪しい、という意味だろうか。だが、胡散臭いとどう違うのだろうか。カインには分からなかった。



「ねぇ、早くそのリズっていう人を助けに行きましょう!」



 ドロシーが居ても立ってもいられないというばかりに、ぴょんっと跳ねた。



「だな! 北東にある岬の遺跡っていうところに向かえばいいんだっけ?」


「さっさと行って、ジャオリー先生と面会するか」

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