水面に浮かぶ街 ヴァレン

 ヴァレンに行くには、岸に停まっている小舟に乗らないといけない。岸には常備している船乗りがおり、その船乗りに金を渡し、ヴァレンまで乗せてもらった。


 水面に浮かぶ街ヴァレン。水上にある、ハンティスに匹敵するほどの巨大な街だ。それ故か、水上都市とも云われている。馬車が通れないほど狭いので、移動手段はゴンドラを使う。


 ゴンドリエーラが操る、ゴンドラに揺られながら一行は宿を目指した。

 ハンティスは眩しい街並みだったが、ヴァレンは煉瓦造りの建物が建ち並び、とても落ち着いた色で覆われていた。

 そんなヴァレンの街並みを、ドロシーは目と口を大きく開き、興味津々にきょろきょろと見回していた。その目はきらきらと輝いており、興奮気味になりながら、周りの景色を吸い込んでいった。。



「ねぇ! なんであそこ塔が傾いているの!?」


「ああ、あれはですね……」



 ゴンドリエーラは嫌がることなく、むしろ微笑ましそうに、しきりに質問するドロシーに答える。

 喜悦の表情を浮かべながら頷くドロシーを眺め、テトが呟く。



「アイツ、一応あんな顔できるんだな」



 威張っているか、誇らしげに笑うか、怒っているか。今まで見てきた表情はそればかりだった。だが、今は年相応の無邪気さが全面的に出され、周りのことを忘れているようだった。



「まあ、初めての街だからはしゃぐのも無理もないか」


「初めて? ああ、王族だからか」


「それもありますが、ドロシー様は四歳の時に、神殿にお上がりになりましたから、街に出たことがないんです」


「神殿に上がったら、門守神官を除いて滅多なことでは下山できない、でしたっけ?」


「そうです。テトさんはよく知っていますね~」


「そんなことはないですよ」



 テトは照れ臭そうに頬を掻いた。



「宿屋まではあとどれくらいですか~?」


「あともうちょっとです」


「だとよ。頑張れ」


「……」



 ゴンドラの真ん中で仰向けになり、死人のような目で虚空を見つめるカインに話しかけるが、呻き声すら立てず、ただ小さく頷いた。どうやら声を出すどころか、腕を上げることすら億劫らしい。


 岸に着いた頃から、具合が悪そうだった。ヴァレンへ行く船に乗ると、顔色が悪くなり、街に着いたら速攻で宿を取り、カインを休ませることにしたのだ。



「船酔いか?」



 海がない田舎で育ち、村から出たことがなかったのだ。船に乗ったことなど、当然ない。



「おれは平気だが」


「体質にもよりますからね~」


「すいません。ゴンドラに乗るしか宿に行けないんですよ」


「お構いなく~。楽に運べてラッキーって思っているくらいですよ~」



 ゴンドリエーラが申し訳なさそうに言った台詞に、リコリスが朗らかに笑って返す。

 テトは落ち着かない様子でカインを見るが、カインはテトと目を合わせようとはしなかった。





 宿で部屋を取った後、カインを部屋に運んだ。

 ヴェイツに担がれても、ベッドに転がされても、何も言わず死体のようにぴくりとも動かないカインに、テトは心配げに眉を顰めた。



「これ、相当参っているな」


「ここまで弱っているカインを見たの、初めてだ……」


「元気の塊みたいな奴だからなぁ」


「ちょっと、大丈夫なの?」



 先ほどまではしゃいでいたドロシーだったが、カインの様子に戸惑い、離れた場所からカインを見据える。



「なに。しばらく休めば、回復するだろ」


「しばらく一人にさせておきましょうか」


「あ、おれは心配だからここにいます」


「分かった」


「では、わたしたちは観光しに行きましょうか」


「いやよ! 病人を置いたら、思いっきり楽しむことができないじゃない!」


「いいから行けよ。どうせ、この街に寄ることになるんだ。おれとカインは、その時に楽しませてもらうよ」



 イカネの後はどこに行くか分からないが、どっちにしろヴァレンを経由しなければ、他の大陸に行けない。



「うぅ~……」



 納得したが、それでも煮えきれないらしい。



「テトさんのお言葉に甘えましょうよ、ドロシー様。ほら、今日はいっぱい観光して、また後日、お二人を御案内しましょう?」


「そ、そうね。わかったわ」


「ここには何度か仕事で来たことがある。今日は俺が案内しよう」


「では、お願いします。では、参りましょうか。ああ、まずは荷物を置きに、わたしたちの部屋に行きましょう。ではテトさん、よろしくお願いしますね」



 ドロシーの背中を押して、リコリスが出て行く。



「じゃ、行ってくるわ」


「ヴェイツ、女の買い物は気をつけろ」


「もちろん。きっちり見張っているさ」



 片目を眇めて、ヴェイツも出て行く。



 扉が閉まる。テトは机の前にある椅子を持ち上げて、カインが寝そべっているベッドの横に置いた。



「……テ……ト」



 カインが街に入って、初めて口を開いた。顔を向ける。カインは俯せになっていて顔は見えなかった。



「カイン、大丈夫か?」


「う~ん……宿に入ってからだいぶよくなった」


「さっき、起きて喋ればよかったのに」


「そこまで、回復してなかったんだよ~」



 テトは、やれやれと安堵の溜め息をつく。

 とりあえず、安心した。このまま回復に向かえばいいが。



「窓開けるか?」



 風を通したら、幾分かマシになるかもしれない。気遣って提案したのだが、カインは先程のか細い声が嘘のように、硬く強い声で言い放った。



「窓開けたらダメだ」



 即答され、テトは軽く目を見張る。



「なんでだ?」


「そっちのほうが、気分、悪くなりそう」


「なんだ、それ」



 訳が分からず、首を傾げる。



「ま、テメェがそう言うんなら」


「わりぃ」


「気にするな」


「あ~……海、間近で見たかった~」



 岸に着いた時点で、具合が悪そうだった。ヴァネンは海に面しているので、あの岸も海だったが、海を見る余裕はなかったのだろう。


 サイファー神殿から見た海も、大分離れていた。ハンティスは海辺間近だが、海辺に面してはいない。だから、海を間近で見られるチャンスは初めてだったのだ。



「立てれるか?」


「なんとか」


「だったら、部屋の中から見たらどうだ? 窓越しだったら平気か?」



 幸い、この宿は海に面しており、窓から水平線が見える。窓を開けたら具合が悪くなるのなら、窓を閉めた状態のままで見たら問題ないだろう。



「おう……」



 おもむろに上半身を起こし、カインは立ち上がる。よたよたした足取りで窓に向かい、途中、テトに支えられながら窓辺まで移動した。



「おお……!」



 外の景色を見て、カインの顔色がぱっと明るくなった。

 晴れ渡っている空。燦々と輝く太陽は、海面を照らし、星のように煌めいている。まるで青空に星が散りばめられたようだ。

 初めて見る水平線は、見ているだけで心に風が吹き渡り、胸が躍った。



「すっげー! 水平線って、すげーな! なんかこう、地平線とはまた違うよな!」


「復活するのはえー……」


「なんかさ、この景色見ると遠く来たなって思わね?」



 周りが山ばかりで、海が見えなかった故郷。海というものは、本の中に描かれていた絵でしか見ることがなかった。その海が今、目の前にある。現実だというのに、不思議と現実味があまりなかった。



「……これくらいで遠くに来たって言っていたら、後はどうなることやら」


「あ、そうだよな。いつかは海の向こうの魔界に行かなくちゃいけないもんな」



 境界の峡谷を越える方法はまだ見つかっていないが、いずれは魔王を倒すために魔界に旅立つ日が来るだろう。



「魔界ってさ、どういう所なんだろうな」



 魔界は謎だらけだ。魔界には魔王と魔物以外に、魔族というものがいて、魔物以上に凶暴で残虐なのだという。その魔族を束ねる魔王は、魔族以上に冷酷らしい。


 遙か昔、まだ境界の峡谷がなかったほど昔のことだ。人間と魔族の間に戦争が勃発したという。その時の記録が残っていて、魔王と魔族はそういう生き物だと書かれていたらしい。


 だからカインも、魔王と魔族はそういう生き物なのだと思う。そんな生き物が跋扈する魔界という世界。一体、どんな恐ろしい世界なのだろうか。



「さーな。魔族と魔物がうじゃうじゃいるんじゃないか?」


「暗い感じなんかな? いかにも暗黒の世界! って感じの」


「……行ってみたら分かるんじゃないか?」


「そうだよな!」



 不謹慎だが、魔界に行くのが少しだけ楽しみになってきた。

 カインはテトを一瞥して、きょとんとした。


 テトは眉間に皺を寄せて、俯いていた。まるで、圧し潰されそうになっているのに痛みを我慢しているような、苦しい表情を浮かべている。。



「テト~? どうした?」



 声を掛けると、はっとなって顔を上げた。



「え、いや……テ、テメェのことだから、魔界に行くの楽しみになってきたとか思っているんだろうなと思うとだな……こう、お気楽すぎてこっちの胃が痛くなるというか……」


「うっ! 否定できねぇ……」


「マジで考えていたのか……テメェ、もう少し緊迫感を持てよ。だいたい、テメェは」


「わかっているって! 小言と説教はごめんだよ!」


「だったら、もう少しおれの言葉に耳を傾きやがれ! どうしてテメェは」



 ガミガミと続いてしまった小言に、一応病人なのに、と思いながら、小言を右から左へ流す。

 とりあえず、いつものテトに戻ったみたいでカインは安心した。


 だが、どうしてあんな顔をしたのか。胃が痛くなったから、という理由を聞いても、疑問は拭えなかった。

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