大神官ガディウス

 ハンティス観光を楽しんだ翌朝、朝日が昇ったと同時に宿を出た一行は、サイファー神殿に赴いた。


 神官たちの朝は早い。朝日が昇る時刻に朝礼をし、各自修行や神官としての仕事をやり始める。

 早朝なら空いているということなので、この時間に会うことになったのだ。


 サイファー神殿に着き、紹介状を渡した門守神官と話し、グランベ岩山へ続く扉を開けてもらった。階級ごとに移動できる範囲が異なり、その目印となるのが各所の神殿なのだという。グランベ岩山の入り口から次の神殿……一の神殿までは、入り口の神殿にいる神官は通れるが、一の神殿から二の神殿までの道に続く扉を潜る権利はない。上の神殿にいる神官が下の神殿に行くことは可能なので、階級が高ければ高いほど、行動範囲が広い。つまり頂上に近い順番に、階級が定められているということだ。


 モイラ教で二番目に位が高い大神官ガディウスがいる神殿は、二番目に高い神殿にいるという。今回は特別に、大神官の付き人であるホルストが一緒であることを条件に、その神殿までの立ち入りを許された。


 神殿へと続く道は狭く、足場も悪い。手すりもないため、足を踏み外したら落下してしまう恐れがある。足を踏み外さないよう慎重に進み、ガディウスがいる神殿の前まで着くことができた。



「山登ったことがなかったから知らなかったが、平らのところを歩く時と山を登る時とじゃ筋肉の入れ方が違うな……」



 息を切らしながら、テトが呟く。



「同じ距離を歩くのと、坂道登ったほうが筋肉使うっていうしな」


「ヴェイツ、すげぇな……全然平気そう……」



 元気と体力が取り柄のカインも、さすがにバテてしまった上に、標高が高いため空気が薄い。深呼吸しても、息苦しかった。二人とは反対に、ヴェイツは息切れしていなく、汗も掻いていない。



「鍛えているからな」



 しれっと返されて、カインは自分の二の腕を見た。ヴェイツくらいの筋肉があれば、いくら歩いても平気になれるのだろうか。ヴェイツと比べて貧相な二の腕を見て、いつかムキムキになることを誓った。



「少し休んでから、ガディウス様と面会しましょうか」



 ホルストが微笑ましそうに目元を緩ませながら、三人に提案した。



「すいません。お言葉に甘えさせていただきます」


「いえいえ。私も今は平気ですが、昔はよくこうなったものです」



 朗らかに笑んだホルストの体型は、ヴェイツと比べて華奢に見える。歳も四十代に見える。それでもヴェイツと同様、息切れもしていなければ汗も掻いていない。



「筋肉の問題じゃないのかな……」


「そういえばカイン」



 呼吸が落ち着いてきたテトがカインに話しかけてきた。



「なんだ?」


「テメェ、大神官様にはちゃんと敬語使えよ。絶対にだ」


「分かっているって! でも」


「でも?」


「ちゃんと敬語使えるかわかんねぇ!」


「胸張って言うな! はぁ……必要最低限のこと以外は喋るな。いいな?」


「おう!」


「マジで頼むぞ……」


 テトは愁然と頭を垂れる。その様子を見ていた、ホルストとヴェイツが和やかに言葉を交わした。


「まるで兄弟みたいですねぇ」


「同い年のはずなんですけどねぇ」


「それにしても、すっげぇ景色だな! ハンティスが全部見える!」


「もう復活している……」


「元気だねぇ。ま、たしかに絶景だな」



 ヴェイツもカインと同じように、眼下に広がる景色を眺めた。


 ハンティスが玩具の街に見えるほど、ここは高い場所まで登ったのだと、達成感が込み上げてくる。ハンティスではなく、大陸を広く見渡せることができて、カインは胸を弾ませた。視線を少しずらすと、海が見える。初めて見る海をしばらく眺めた。



「カンデレラ、見えるかな?」


「位置的に無理でしょうな。裏側に行けば、見えるかもしれませんが」



 ホルストが答える。


 残念だった。遠くても故郷を見たかったが、裏側ということは道がないということだ。こんな足場の悪い場所で、道無き道を歩いたら、落ちるに決まっている。それに迷惑にもある。


 カインは早々に諦めて、話を続けた。



「ここってほんと、高いよな。地上よりも雲の方がちけーもん」


「だからこそ、ここは聖地なのですよ。貴方を勇者として選んだ空の神がいらっしゃるのは雲の上。そこに一番近い場所ですからね」



 カインは空を見上げる。頂上に行ったら、空の神とやらに会えるのだろうか。そもそも会ってくれるだろうか。一般人には姿を見せないだろう。神とはそういうものだと、エルザが言っていたような気がする。


 だが、その神に選ばれた自分であれば、或いは。

 期待で胸を膨らませていると、ヴェイツが二人に言葉を投げた。



「さて、と。もう大丈夫だな? そろそろ行くか」


「おう!」


「あ~……胃が痛くなってきた……」


「では、少々お待ち下さい」



 ホルストが頷き、神殿の中へ入っていく。ガディウスがいる神殿の名は、『天つ風の宮』といい、他の神殿とは違い番号で呼ばれていない。天つ風の宮の上にある神殿は『雲の根の宮』といい、モイラ教の頂点に立つ聖女が住んでいる。

 最も文字通り雲の上の人で今回は会うことはないだろう、とヴェイツが言っていた。



「お待たせしました。中へどうぞ」



 ホルストが顔を出し、一行を促す。神殿の中に入ると、不思議な香りがした。上品で甘い匂いだ。周りを見ると、燭台のような所から煙が上がっていた。そこから匂いが漂っているようだった。

 カインが匂いを嗅いでいることに気付いたホルストが、振り返りながら微笑した。



「ああ、お香を焚いているんですよ」


「お香?」


「ええ。ガディウス様は、お香がお好きでして。魔除けの効果もあるので、好んでよく焚いていらっしゃるのですよ」



 改めて天つ風の宮の中を見回す。


 これまで通ってきた神殿は、中も白く、像が立ち並んでいて、明るかった。上の神殿ほど規模は大きくなり、華美ではないが細かい装飾が施されていた。だが、天つ風の宮は違っていた。立ち並ぶ像も装飾もない。あるのは垂れ幕くらいだった。そしてここは薄暗く、奥に進むにつれて明るくなっていく造りになっているようだった。規模は他の神殿と比べると大きいように感じた。


 長い廊下を進み、両開きの扉の前に行き着く。



「ガディウス様、勇者様御一行がいらっしゃいました」


「入れ」



 厳かな声が聞こえた。ホルストは扉を開ける。



「失礼いたします。皆様、どうぞ」



 カインはホルストに一礼して、ガディウスがいる部屋に足を踏み入れた。



「失礼しまーす……」



 声を潜め、カインは前を見る。広い部屋だった。その奥に、カインの身長の倍はある女性像に背を向けて、こちらを見据える男がいた。

 男は五十代に見えた。逞しい身体をしており、顔が厳つい。目元も厳しい印象を与え、睨まれていると感じてしまう。神官というよりも騎士や戦士と紹介されたほうがしっくり来る風貌だった。



「大丈夫だ、睨んでないから」



 ヴェイツが耳元で囁く。



「あの顔がいつも通りだから、気にしなくていい」



 そういえば大神官と知り合いと言っていたな、とカインは思い出した。小さく頷いて、奥に進む。



「貴殿が勇者か?」



 ガディウスが口を開いた。表情を動かず、抑揚の無い声で問うてきた。



「は、はい! は、はじめまして、カイン・ベルターといいます!」



 睨んでいないと分かったとはいえ、纏う空気そのものがおっかなく、緊張感が拭えなかった。裏返った声色で返してしまったが、それを気にすることなく、ガディウスはカインの背後に視線を移す。



「ヴェイツ、ここまでご苦労だった。これからも頼む」


「仕事ですので、きっちりやらせていただきますよ」


「うむ」



 次にガディウスはテトに視線を向ける。



「貴殿はヨランスの狩人か?」


「はい。お初にお目にかかります、テト・ギルティアといいます。お会い出来て光栄です」


「うむ」



 ガディウスが頷く。



「さて、本当はじっくりと話したいが、私は忙しい身だ。あまり時間は取れん。簡単にこれからのことを話す」



 あまり長いこと一緒にいない。それを聞いて、心の中で安堵する。



「正直、我らモイラ教も王族も魔王と魔界のことは分かっていない。何せ海の向こうにいる上に、我らがいる人間界と魔界の間には、『境界の峡谷』がある。故に我らが魔界に侵入することはできん」



 境界の峡谷とは、人間界と魔界の境界線であり、二つの世界を遮っている海の谷だ。深海の底まで続いているといわれているほどその谷は深く、魔界の海は見えるものの、距離がとてもあり、魔界の領域に踏み入れることは不可能だ。



「我がモイラ教は、予言書ハルメス詩歌を所持しているが、その昔、ハルメス詩歌がある事件を切っ掛けにバラバラに散らばったことは知っているな?」


「はい」


「ハルメス詩歌は、まだ全部揃っていない。十六年前、花祝いの後に勇者が生まれることを予言したものが発見され、それ以降も何枚か発見されたが、魔王討伐に関する予言は未だ発見されていない」


「なるほど。つまり、魔王を倒す方法が書かれている予言書を見つけてこい、ということですね」


「そういうことだ」



 ヴェイツの言葉に、ガディウスが大きく頷く。



「我らも予言書探しに全力を挙げているが、様々な事情で大っぴらに出来ん。そこで、勇者御一行にお願いしたい」


「分かりました! 絶対に見つけてみせます!」



 カインは元気良く返事をした。



「あ、あの、手掛かりはないのですか?」



 テトがおそるおそると、ガディウスに問う。ガディウスは目を伏せて、頭を振った。



「残念ながら手掛かりはない。発見された場所には共通点がない」


「だったら、どうやって探せというんですか? 闇雲に探せって言われても困りますよ」


「まあ待て。手掛かりはないが、心当たりはある。ハルメス詩歌に関して研究している方がいる。その方を訪ねたら、道が開けるかもしれん」


「その方というのは?」


「ジャオリー先生という歴史研究家だ。ここから北にある、学術都市イカネにいらっしゃる。一度お会いしたことがあるが、聡明で穏やかな人だ。きっと力になってくれるだろう」


「イカネのジャオリー先生ですね。分かりました」



 ヴェイツが頷く。

 これで話が終わったかと思った。が、ガディウスはわざとらしく咳払いし、改めた様子でカイン達に告げた。



「実はもう一つ、頼みがある」


「頼み? なんですか?」



 軽く目を見開き、ヴェイツはガディウスに訊ねる。

 ガディウスは眉間に皺を寄せながら、後ろの女性像の裏側を覗き込む。



「さぁ、こちらへ」



 ガディウスが誰を促した。すると、女性像の後ろから大小二つの影が現れた。


 一人は四十代の女性だった。ほっそりとした体型で、美しい顔立ちをしていた。髪は橙色で、白の衣装によく映えていた。


 もう一人は、カインと同い年くらいの少女だ。桃色の髪を二つの団子頭にして、高く括っている。

 四つの青い瞳が、カインを見つめる。カインはガディウスに視線を移した。



「あの、この人たちは?」


「こちらは聖女、フィリア様だ。そして横にいらっしゃるのは、次期聖女候補のドロシー様」


「え」



 びしり、と三人の顔が固まった。

 聖女。それはモイラ教最高権力者で、下界には決して降りない、民間人の間では本当に生きているのかと怪しまれるほどの、幻の存在。

 いくら勇者とはいえ、簡単にお目通りは出来ない、と説明されたほどの高い身分の者。

 それが、ひょっこりと出てきた。



「さらに言うと」



 ガディウスが言葉を募る。



「ハルメス詩歌によれば、ドロシー様は勇者の花嫁になるらしい」


「………………は」


『はああああああああああああああああああああああ!?』



 カインだけではなく、テト、ヴェイツの叫び声が見事にハマり、天つ風の宮中に轟いた。

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