旅立ち

 先ほど寝たばかりと思ったが、目が覚めると朝の日差しがカインの顔を照らしていた。


 眩しい。唸りながら寝返りを打って、朝日から逃れたところで、瞼をゆっくりと開ける。

 やけに頭がすっきりしている。緊張で眠れないと思っていたのに、熟睡したようだ。


 いつもの習慣で、左手を見る。どうせ紋章は出ていないだろうな、と諦め半分で見て、息を呑んだ。

 変わっていない、と思っていた。だが、昨日とは明らかに違う変化があった。


 手の甲に、文様が浮かび上がっていたのだ。それは間違いなく昨日までなかったもので。これが左手に刻まれていたのよ、と母が本を見せてくれた紋章と全く同じもので。



「うそ……」



 間違いない。それはこの六年間、待ち望んでいた、隠れた紋章。

 光を表している紋章であり、勇者の証だと告げられている、光の紋章。それが、左手の甲にあった。

 己の目を疑い、しばしその紋章を凝視する。震える手で片方の手で、その紋章に触れる。指先が熱い。その熱量が、夢ではないことを教えてくれた。


 念のため、頬を抓ってみた。痛い。夢ではない!


 着替えることも忘れ、起床する。

 慌ただしく台所に向かい、朝食を作っている母と、食卓に座っている父に向かって、喚声を上げた。



「父さん! 母さん!」


「どうしたの? そんなに大声出して」


「こ、こ、これ!!」



 左手の甲を二人に見えるように、突き立てる。

 カインの左手の甲を見たハンナは、目元を柔らかくし、お玉をまな板の上に置いた。そして、カインの両肩に手を添えた。



「ね? ちゃーんと出たでしょ?」


「おう!」


「返事は、はい、でしょ。良かったわね」



 強く頷く。ハンナもまた笑顔を浮かべた。

 嬉しくて嬉しくて、母に抱きつく。ハンナはそれを受け止めて、優しく頭を撫でてくれた。

 昨日まで渦巻いていた不安が、呆気なく吹き飛んでいく。やっと、勇者としての自信を持てたような気がした。





 ハンナが作ってくれた服を着て、身を引き締める。そして荷物を持って、両親と共に村の入り口に向かった。

 入り口には既に、テトとヴェイツ、村長とエルザ、クーリィとアリシア、そしてサシとエレン。他にも数人村人がいたが、村人全員がいるわけではなかった。少なくても、ナヤの家族とその取り巻きの家族はいないようだ。



「おお、来たか!」


「じっちゃん、ばっちゃん、はよ!」


「おはよう。なんだかとっても晴れやかな笑顔ね」


「へへへ~! 実はな、これ!」



 左手の紋章を見せると、村長が感慨極まった声を上げた。



「おお! それは、正しく光の紋章! ついに現れたか!」



 村人達がざわめく。そして、拍手の音を鳴らしてきた。

 おめでとう、よかったね、という言葉を次々と掛けられて、カインは胸がいっぱいになった。



「良かったじゃないか。紋章が出て」


「ありがとな!」



 ヴェイツが軽く笑む。



「やったね、カインお兄ちゃん!」


「カインお兄ちゃん、よかったね」


「ありがとな!」



 駆け寄ってきたアリシアとエレンの頭を撫でた。その時、違和感を覚える。

 いつもなら、真っ先に祝ってくれるテトが何も言ってこないのだ。

 二人から視線を逸らし、テトを見る。そして首を傾げた。

 テトの表情は硬く、複雑そうに顔を歪ませていた。



「テト?」



 話しかけると、我に返ったテトがぎこちなく表情を繕う。



「あ、ああ。良かったじゃねーか」


「どうかしたか?」



 訊ねると、テトはしどろもどろに答えた。



「いや、その、こうもあっさりと、紋章が出るとは思わなくて」


「だよなー。拍子抜けだよな」



 ハンナが言っていた、ピンチの時に現れる、というのを実は密かに期待していたので、少しだけ残念だったりするので、カインは同意した。



「カインよ」



 村長がカインの傍らに寄り、カインの顔を仰ぐ。



「すっかり大きくなったのう。この前まで、わしよりも背が低かったというのに」


「悪戯ばかりしていた子が、よくこんなに立派になったものね」



 エルザが感慨深そうに呟く。村長がヴェイツのほうを振り向いて、頭を下げた。



「ヴェイツ殿、カインとテトのことをよろしくお願いします」


「了解した」



 ヴェイツが頷く。



「テト、カイン君。怪我はするな、とは言わない。だが、生きて帰ってきてほしい」



 凛とした佇まいで、クーリィが言う。



「がんばって魔王を倒して! 帰ったらお話、いっぱい聞かせてね!」


「ぼくも、聞きたいな」


「おう! 絶対に帰ってくるからな!」


「……ちゃんと、母さんを助けろよ」


「わかっているよ! お兄ちゃんも、カインお兄ちゃんを助けてね、お兄ちゃんも無理はしないでね」


「わーっているって」



 わしゃわしゃとテトがアリシアの頭を掻き混ぜる。痛い、とアリシアは訴えていたが、少し涙声だった。



「カイン」



 ゼイロがカインを呼ぶ。



「成人の儀式には、家族と葡萄酒を呑むのが習わしだ」


「え、おう」



 突然成人の儀式のことを言われ、訳が分からないまま返答する。



「旅は長く、厳しい旅になる。魔王を倒す旅であれば、なおさらだ。けど、どうか成人になるまでに帰ってくれ。一緒に、葡萄酒を呑もう」


「! おう! とっておきの葡萄酒、用意してくれよ!」


「あははは。ちゃっかりしているなぁ。もちろん、用意するさ」



 ゼイロは、和やかに笑った。



「カイン、テト。名残惜しいだろうが、そろそろ」



 ヴェイツが二人に声を掛ける。

 これ以上いたら、離れがたくなってしまう。カインは頷いた。



「おう。じゃ、行ってくるよ!」


「行って、きます」


「気を付けていってらっしゃい!」



 ハンナが浮ついた声色で手を振ってくる。



「いってらっしゃーい!」


「き、気を付けてね!」


「無事を祈っとるよー」



 アリシア、エレン、サシの後にも村人たちが各に二人に向けて、激励の言葉を投げる。

 カインは村人たちが見えなくなるまで、手を振り続けた。


 ヴェイツはその様子を生暖かい目で見ていたが、ふとテトをほうを見やると、手を振らず前だけを見ていた。

 それだけならいい。だが、その顔が煩悶に満ちていて、ヴェイツは怪訝そうに眉を顰めた。

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