その日の夜
その夜、カインは眠れなかった。何十回も寝返りし、目を瞑っても眠気は襲ってこず、むしろ冴えるばかりだった。
自分が勇者だと知ったあの日とは違う。あの時は、期待と希望が胸中に広がっていた。だが今は、胸の中で渦巻く不安が眠りを妨げている。
カインは上半身を起こし、深く溜め息をつく。このままだと、眠れないまま夜が明けてしまう。
視界に壁に掛けてある剣が入り、そっとベッドから抜け出す。
柄を持ち、手に馴染んだ感触にほっと息を吐き捨てた。
「素振りしたら、眠たくなるかな……」
不安が渦巻いても、疲れ果てていたら眠気が襲ってくるもの。なら、疲れるまで動こうか。
思い立ったら、行動だ。カインは剣を抱え、机の前にある窓から外に出た。玄関からだと、両親に気付かれてしまう恐れがある。二人を起こしたくなかった。
幸いにも今夜は満月で、月光だけでも周りがよく見えた。
周りに誰もいないことを確認して、カインは素振りを開始した。
――紋章はなぜ、出てこないんだ
カインは、疑問をぶつけるように振るう。
――皆の期待に応えたいのに
勇者だと告げられたあの日から、大人達に言われ続けた。お前は勇者なのだから皆のために頑張りなさい、いずれ勇者になって魔王を倒してくれ、と。
皆が自分に期待している。それはとてつもない負担だったが、それと同等に誇りでもあった。
最初は不安を振り払うように。回数を重ねる度に不安は消え、やがて夢中に剣を振った。
息も上がり、額に汗が滲み出る。それに気付いて、汗を拭こうと剣を下ろした。
「精が出てるねぇ」
男の声が聞こえ振り向くと、ヴェイツが口の端を吊り上げて、歩み寄ってきていた。
「えーと、ヴェイツ……さん、だっけ? どうしてここに?」
「夜の散歩。昼間は風車の音が煩かったが、夜だと静かだな」
「ヴェイツ、さんは、ここに来たの初めてか?」
「そうだな」
「だったら煩く感じるよな。オレや村の人たちはそう思わないけど、余所から来た人は大体、風車の音が煩いって言うよ」
「風景はいいが、音がなければなぁ」
「その内慣れるって。そういえば、いつまでいる予定なんだ?」
「あー……そういえば言ってなかったか」
ヴェイツは頭を掻く。
「俺は大神官から、伝言以外にオタクらの護衛も頼まれたんだよ」
「傭兵のあんたに? モイラ教って戦える人いねーの?」
「僧兵がいるが、勇者の護衛に最適な人物がいないらしい。腕の立つ奴はいるが、ものすごく気難しい奴みたいで」
「気難しい奴、か~」
それなら納得だ。仲良くなれる気がしない。
「どうして大神官は、あんたに頼んだんだ?」
「大神官とは一応知り合いでね。その縁で俺が選ばれたわけ」
「へぇ。大神官って偉い人なんだろ? その人と知り合いなんて、あんた、すごいんだな」
「それほどでもないさ」
ヴェイツは軽く笑い、少し離れた場所にある岩に腰を掛けた。
「少し、オタクの素振りを見たいんだが」
「どうしてだ? さっき見たじゃん」
「じっくりと見たいんだよ。長い付き合いになりそうだからな。オタクの剣術を把握しておきたんだ」
「把握してどうするんだ?」
「いざ本番っていう時、力量を知っているのと知らないとじゃ、全然違うからさ」
「ふーん」
そういうものなのだろうか。狩りの時、いつも組んでいるのは、互いの実力を知っているテトだ。だからか、あまりピンッと来ない。
だが、実戦を重ねてきたヴェイツの言う事だ。それは間違いないだろう。
「あまりボロクソ言うなよ」
「ああ」
カインはヴェイツから視線を逸らし、素振りを再開した。
上段、中段、下段。一通り構えを取り、剣を下ろす。
ヴェイツは感心したのか、ひゅー、と口笛を吹いた。
「筋は良いな。誰から教わったんだ?」
「村長。元々は城の兵だったんだってさ」
「へぇ。あのじいさんが。しかも城の兵ねぇ」
「意外だろ? 村に帰ってからは、村の人たちに剣と弓を教えてきたんだってさ。男はみんな、村長に武器の使い方を教わっているよ」
「なるほどねぇ。つまり、村の男共は村長の門弟ってことか」
「あ。剣といえばさ、あんたの武器見たことないけど、なんて武器?」
今、ヴェイツの背には武器がない。いかにも重量がある武器を散歩に持ち出すほど、ここは治安は悪くない。だから持っていないのは納得できた。
「あれはグレイヴっていう槍だ」
「槍!? 斧じゃなくてか!?」
「そうだぞー。槍だぞー」
「ほへー……あれ、重くないか?」
「最初は重かったな。けど、十年以上使っていればコツも掴めて、今はそれほどでも」
「十年以上も使っていれば、筋肉もつくよな。あんた、けっこう筋肉モリモリだし」
「いんや、俺はまだまだだ。都に行けば、俺以上にモリモリな奴らがたくさんいるぞ」
「マジかよ! 都ってスゲーな!」
村の男達以上に筋肉がある、ヴェイツ以上の筋肉がある男達。きっと、身体は自分よりも倍の大きいに違いない。
「なぁなぁ! 明日手合わせしてくれよ!」
「別にいいけど、準備とかいいのか?」
「いいのいいの! じゃ、また明日な!」
「なんだ、寝るのか?」
ヴェイツが腰を上げる。カインは笑顔で頷いた。
「おう! おやすみ!」
「おやすみ」
踵を返し、掌をひらひらさせながらヴェイツが去っていく。
カインはその背中を見送らず、さっさと自分の部屋に戻った。
身体を動かしたからか。ヴェイツと話して気が紛れたのか。眠れなかったことが嘘のように、目を閉じるとすぐ夢の中に落ちていった。
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