勇者

 カインが両親から、自分が勇者だと告げられたのは、十歳の誕生日だった。


 予言に記された子で、いずれは人に危害を加えている魔物の親玉、魔王を倒すというのだ。

 生まれた時は、左手の甲に光の意味を持った紋章があったらしいが、魔王の目を欺くためにその紋章は隠れてしまったのだという。


 紋章が再び現れた時は、魔王を討つ旅に出なければならない。


 その日の夜、カインは目が冴えて、なかなか寝付けなかった。


 勇者。その言葉が頭に過ぎるだけで、胸が高鳴り、ベッドの上で転げ回った。


 王族でも貴族でもない。風車の修理と建築が仕事である父と製粉の手伝いをしている母を持った、普通の村人の自分が勇者。皆の英雄になれる。


 そして、外に広がる世界を想像した。村の周辺を探索したことはあるが、他の村や街に行った事がない。その事が彼の想像力を掻き立てた。


 他の村はどんな風景だろう。なにが美味しいのだろう。街にはどんな人が住んでいるのだろう。きっと頭が良い人が沢山住んでいるんだ。


 翼を広げるように、まだ先のことになるだろう、冒険譚に思い馳せた。

 その日から、カインは朝目覚めては左手の甲を確かめることが日課になった。


 だが、それから五年が経っても、紋章が現れる兆しはなかった。



「おいちゃーん」



 養鶏所に着いて、養鶏所の主を呼ぶ。


 養鶏所と言っても、規模は小さい。風車の隣に鶏を放すための囲いと、村では珍しい木造建ての小さな鶏小屋があるだけだ。素人が作ったそこは、かなりお粗末に見えるが、作りはしっかりしている。

 養鶏所の主は、囲いの所にいた。腰が曲がりかけた、初老が囲いの掃除をしていた。


 カインに気付くとおいちゃんこと、テンベがゆっくりと顔を上げて、カインを見た。



「卵を取りにきたんか?」


「うん。これ、野菜」


「あいよ。中に置いて、好きなだけ取っていきな」


「ん。ありがと」



 小屋の中に入り、野菜を机の上に置く。鶏小屋の中は、鶏の寝床と作業をするための小部屋に分かれている。


 寝床に入ると、鶏が餌箱に食いついていた。そろりそろりと移動し、屈んで藁をのけると、さっそく三つ並んだ卵を見つけた。鶏の卵は糞がついている。ぱっと見た感じだと分からないが、よく見ると白い糞がついている。それが手に付かないよう気を付けながら、持ってきた籠の中に入れていく。


 その卵の傍に、殻がなく膜だけの卵が落ちていた。たまに膜だけの卵が産まれることがある。卵自体は食べられるが、交換するほどの価値はない。だから膜だけの卵はオマケ扱いになる。見つけたら持って行け、ということだ。


 膜だけの卵はゆで卵にすると、殻がないのでつるんっと簡単に剥ける。が、黄身が固くなりすぎてあまり美味しくない。茹でる時間の問題かもしれないが、試したことがないのでカインには分からない。



「カイン、なんかあったんか?」



 外からテンベが静かに問うてきた。

 膜だけの卵を取りながら、カインは逆に問う。



「どうしてだ?」


「朝から元気な奴が元気じゃなかったら、そりゃなにかあったと思うわ」



 テンベは心配してくれたらしい。

 一旦卵を取るのを止め、カインは立ち上がる。



「……なぁ、おいちゃん。どうして、オレの紋章は消えちゃったんだろう」


「……なんだ。餓鬼共になんか言われたんか」



 カインは押し黙る。どっこらせ、という声と共に、ドカッという音が聞こえた。外にある椅子に座ったのだろう。



「みーんなが言っておるやろ。魔王を欺くためやって」


「それは知っているけど、紋章が隠れたからって魔王を騙せると思うか? みんな、俺が勇者だって知っているし」


「それは仕方のないことだ。こんな狭い村じゃ、噂は早く広まる。それに場所は予言に詠まれていたらしいし、まあたしかに、隠しても無駄だろうて。だが、時間稼ぎくらいにはなる」


「ほら、やっぱり無駄じゃんか」


「神の考えていることは、人間の自分たちには分からんわい」



 カインは盛大な溜め息をつく。そして、己の左手の甲を見た。



「オレ……ほんとに勇者なのかな」


「……父ちゃんや母ちゃん、村長たちの言葉が信じられんか?」


「そういうわけじゃない、けど……」



 最後は消え入りそうな声になり、続く言葉が思い浮かばす、カインは俯く。



「…………自分はな、お前さんの紋章を見ておらんから、本当のことかどうか断定はできん」



 重々しげにテンベが紡ぐ。



「だが、周りがお前さんを勇者と呼ぶのなら、勇者になるしかない」


「まぁ……勇者だもんな、オレ」


「お前さんは、どうしても勇者になりたいんか?」


「もちろん! だって、皆の英雄になれるんだし、旅に出ることもワクワクしているし、魔王を倒すことも怖くない。だってオレ、勇者だから、本当の勇者になりたい」


「……そうかい。なら、それでいいじゃないか」



 テンベが息を吐き捨てる。



「ほら、鶏が餌を食べ終わる前に拾え」


「はいはい」



 再び屈もうとしたその時、外から聞き慣れた声が聞こえた。



「おいちゃーん! カイン、まだいるか!?」


「おるけど、どうした?」



 テトの声だ。囲いに出る扉から顔を覗かせると、息切れしたテトがいた。猪の肉を届けに来た、という雰囲気ではない。



「カイン! 村長が至急、家に来いってよ!」


「あ、卵取ってからでいい?」


「自分が取って家まで届けるから、はやく行ってこい」


「そう? ありがとな、おいちゃん!」



 寝床から出て、机の上に籠を置く。小屋から出ると、テトに急かされた。



「早く!」


「おう!」



 二人は並んで、村長の家へと駆けて行った。

 遠くなっていく二人。テンベはカインの背中を眉間に皺を寄せて、見つめた。まるで、重い何かを耐えるように。その重さから逃れようとするように、吐露した。



「…………勇者になりたくないって思ってくれたほうが、楽だったのになぁ……」

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