白夜の薔薇19 藤堂は部下にスタンガンを手渡し、これは痴漢撃退用である、瞬時に二万ボルトの電気を発生するが、 電流値が少ないため普通の人は衝撃を感じるが、命には別状ない、しかし奈々の前頭
白夜の薔薇19
藤堂は部下にスタンガンを手渡し、これは痴漢撃退用である、瞬時に二万ボルトの電気を発生するが、
電流値が少ないため普通の人は衝撃を感じるが、命には別状ない、しかし奈々の前頭葉に埋め込まれた
マイクロチップは誤動作をおこし、立っている事すら出来ないであろうと言った。
3人の部下に奈々をマークしチャンスがあれば実行するよう指示をし、さらにもう3人には高杉の秘書を
やっている、綾乃を抹殺すれば、高杉も立ち直れないだろう、綾乃もなかなか手ごわいので注意するように
指示した。
そのころ奈々は福岡にいた、福岡は彼女の故郷である、ハードな仕事が続いたので長期休暇を取り帰って
きたのである、久しぶりに友達と会いお酒をのんでいた、なんとなく冷たい感じになった奈々を見て
友達がなにかあったのと聞いた、奈々は本当の事を言うわけにはいかず、東京にいると色々あるので性格も
変わったのかな~とお茶を濁した。
ねえ、明日私に付き合ってと友達が言うので、どこに行くのと聞くと長崎よ、奈々に長崎の歴史的な場所を
案内したいのと嬉しそうに答えた、そういえば友達はレキジョ(歴史の好きな女性の事、今年はこれが流行
するらしい)で昔はあちこち連れ回された事を思いだした。
次の日友達と特急にのり長崎へ向かった、途中、佐賀の駅へ着くと、まずここで降りるよと言うので、えっ
長崎に行くのではと言うと、ここにも歴史があるのよと楽しそうに笑っていました、駅からタクシーに乗り
佐賀城で、タクシーを降りた、ここに来ると歴史を感じるのよと言って、得意そうに説明し始めた、
幕末、佐賀鍋島藩の藩主は聡明な人で日本で最初に蒸気船をつくり、最新鋭のアームストロング砲、それまで
の大砲は砲弾は炸裂せず、イギリスのアームストロング社のみが炸裂弾を開発していた、それと同じものを
当時作ったのだからすごい、
早稲田大学を作った大隈重信、近代司法制度を作った江藤新平も佐賀の出身である、その為か日本の法曹界
には佐賀出身者が意外と多い、写真による指名手配制度を作ったのも江藤新平である、彼は相当の切れ者で
あったが、その聡明さの為か、人と協調する事がなく、次第に追い詰められ、後に佐賀の乱を引き起こし
佐賀城にたてこもった、
しかし近代武器を持つ政府軍にはかなうべきもなく、再起をはかり城を脱出し四国にのがれるが、自分の
作った指名手配の写真により捕らえられ、処刑された、ひにくなものである、当時の20代から30代の若者が
全速力で駆け抜けた時代の息吹をここに立っていると感じるの、と友達は言った、奈々は確かにここから
佐賀の町を見下ろしていると、その時代がよみがえってくるような感じがした。
佐賀鍋島藩は藩の財政は破綻寸前で、家臣の俸禄(給料)を払えなくなり、1/3に減給した、さらに藩の試験に
受からなければ、役職につけない制度を作り、大幅なコスト削減に着手した為、幕末には藩政改革(経済改革)
に成功し、蒸気船や大砲を開発する、経済力を持っていたのである、当時は厳しい身分制度により、武士の子
は武士、農民の子は農民しかなれない、時代であったが、鍋島藩は身分は問わず才覚さえあれば、出世
できたのである。
幕末に活躍した藩はいずれも、藩政改革に成功し、武器、食料を手に入れる経済力、外交折衝(朝廷工作)が
出来る、金を持っていたのである、藩政改革の起点は当時外国に唯一開かれていた長崎より起こる事となる
それは長州藩(山口)、薩摩藩(鹿児島)、土佐藩(四国)、鍋島藩(佐賀)であり、薩長土肥として、出身者は
明治維新の原動力として近代国家を作った事を広く知られている。
それでは次の歴史ロマンを尋ねて長崎に出発と友達は、はしゃいで言った、奈々は、友達に連られて段々歴史
に惹かれていく自分に不思議な感じがした、長崎は確か天領地(江戸幕府直轄)のはずだから、お城は無い
はずでしょう、何があるのと聞くと、それは行ってからのお楽しみだよ、早く行こうと急き立てて、タクシー
に乗り、佐賀駅へ戻り長崎に向かった。
やがて長崎駅に着き、お腹がすいたから何か食べようと、駅前のレストランに入った、何が美味しいのと
聞くと、それは長崎チャンポンだよと言い、店員にチャンポン二つと注文した、幕末に外国は中国を経由
して、日本に来た為、横浜、神戸、長崎の最初に開港した場所に中華街があるのよ、と自慢げに話した、
しばらくしてチャンポンが運ばれてきた、おつゆを一口すすると、さっぱりしててとても美味しい、やはり
、本場物は違うねと言うと、そうでしょう、チャンポンはやはり長崎が一番よと嬉しそうな顔をしています、
食事が終わり、駅前からタクシーにのり、小高い丘で降りた、そこの看板に亀山社中と書いてある
どこかで聞いた名前だねと言うと、ここはあの有名な坂本竜馬が幕末に亀山社中と言う、今でいえば
貿易商社を日本で始めて作った場所なの、後に海援隊と名前を変えここの隊員の出身者の、陸奥宗光は
後に外務大臣として外交に手腕を発揮する、又彼の部下であった小村寿太郎は後に日本全権大使として
アメリカのポーッマスで日露戦争の終結にルーズベルト大統領の協力により成功する、彼は宮崎の日南出身
であり、アメリカに留学し、ルーズベルトとはハーバードの同窓生であったの、
坂本竜馬もここから長崎の町を眺め、海の向こうの外国に胸を躍らせたのよ、しかし彼のお墓はここには
ないのよと言うので、どこにあるのと聞くと、幕末に、こころざし半ばで殺されてしまった、ので彼が
活躍した京都の東山の高台寺(豊臣秀吉の妻ねねの菩提寺)の京都市外を一望出きる裏山に、眠っているの
また傑物の一人高杉晋作もここから上海に密航(当時は鎖国の為外国に行く事は禁止されていた)した
当時アメリカは南北戦争が終わり、大量に余った武器が上海に運ばれていた、それの買い付けに坂本竜馬の
船で行ったのである、しかし彼も明治を見る事なく、労咳(肺結核)でこの世を去った。
歴史が人を呼び、歴史が人を抹殺するから不思議だねと友達は感慨ぶかげに長崎の街をみおろしていたのです。
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