第3話 僕の話

 夜の散歩が僕の密かな日課だった。なにしろ夜は、まだ誰も見つけてないようなものが見つかりやすい。手軽に好奇心を満たすにはちょうどいい。

 静かな夜の街は、僕に色んな事を思い出させてくれる。光の眩しさだとか、人の存在感だとか、そんな些細なことまで。そして些細なことをいちいち再確認した後、妹のことだとか、解けなかった数学の問題のことだとか、種々雑多なことを次から次に思い出しては足を止め、また歩き出すのだ。


 僕は懐中電灯の光を左右に揺らして足元を照らし出しながら、今まで通ったことの無い道を探して歩き続ける。

 そうしていると進路を立ち塞ぐ人影が現れた。ふと顔を上げると、そこには見知った顔があった。鹿島だった。

「あのね、ユーコが見つからないの!」

 鹿島は泣きそうな顔でそう言うと、僕の隣を歩きつつ矢継ぎ早に捲し立てた。

 ユーコがあの日以来家に帰ってないこと、警察に届けを出して探してもらっていること、心配で心配でたまらないこと、ひょんなところで見つかりやしないかと色々探し回っていること、そしてそのどれもが徒労に終わったこと。

 僕は足を止めることなく鹿島の話を聞いていた。

 不安を吐き出して少しすっきりしたようだ、鹿島は我に返ったように周りを見回した。

「ところで、どこに向かってるの?」

「さあ?」

 僕は両手を広げ、首を傾げた。ただいつも通り気ままに歩いているだけだった。

「でも、だったらどうして駅の方に向かっているの?」

「どうしてだろうね? こんな電車も動いていないような時間だからね、駅に用事があるわけではないんだけど」

 確かに、気ままに歩いている割には、僕の足取りは確信に満ちていた。

 入り口を示す案内板がぐんぐんと近づいて行き、そのまま躊躇うことなく駅の構内へ足を踏み入れた。

「ど、どうかしたの……? 一体どこに向かっているの?」

 気味悪がる鹿島の声が聞こえたけれど、僕の足は止まらなかった。タイル張りの床に足音を響かせながら、誰もいない改札口の前を通り過ぎ、シャッターの閉まった売店の前を通り過ぎ、そして灰色のロッカーが立ち並ぶロッカールームに足を踏み入れた。

 僕は直感に従って、開けるロッカーを片っ端から開けていった。開けたロッカーには、当然ながら何も入ってなかった。ということはつまり、中に何かが入っているのは鍵のかかったロッカーだという事だ。極めて当然な結論だが、大切なことだった。

 僕は鍵のかかったロッカーの開口部一つ一つに鼻を押し当て、ガチャガチャと扉を揺らしながら臭いを嗅いでみた。ツンとした錆びた鉄の臭いが鼻についた。

「ね、ねえ? ……一体何をしてるの? ちょっと変よ」

 鹿島の怯える声には構わずに、鼻を押し当て扉を揺らし続けた。そしてその中で最も大型のロッカーに鼻を押し当てた時、僕は呟いた。


「これか」


 不自然なまでに強い鉄分の臭いと、その中に紛れた微かな腐臭。喉を圧迫する、あの臭い。

「な、何が……?」

「あのさ、今すぐ帰ってくれない?」

 鹿島を不快な思いにさせたくなかったし、知人と一緒に死体を発見したいとは思わなかった。

 しかし、その言葉が逆効果だったらしい。鹿島の顔がサッと強張った。

「ま、マサくん、何か、ちょっと怖いよ……」

「いいから帰って」

「こ、怖くて動けない……」

「いいから早く!」

「だ、だって、今背を向けたら、後ろから襲われそうだし……」

 鹿島は後ずさるように僕から少しずつ離れていった。それはロッカールームの出口とは反対方向で、しばらくもしない内に背中を小型ロッカーの列にぶつけた。

「今から襲おうとする人間が、帰ってなんて言わない」

「そ、そうなんだけど……でも、だって、何があるかわかんないし……」

 その鹿島の言葉は支離滅裂だった。僕は溜め息を吐いた。

 しかし、鹿島の気持ちもわからないではなかった。ただでさえ、夜道は危険が付き纏うのだ。出来れば一人で歩きたくないものだし、『気の狂った友達が襲いかかって来るかも』という妄想が夜道の恐怖を倍増させるのは理解できる。

「どうなっても知らないよ」

 僕はポケットからスマホを取り出すと、警察に通報した。応対に出たのは渋い声の男性だった。宿直で疲れているのか、どこか声にハリが無かった。僕はロッカーから漂う異臭について少々口早に説明し、もしかすると最近多発しているコインロッカーベイビーなのではないかという疑問を投げかけた。

 それから十数分して制服を着た二人の男性がやってきた。

 若手で長身の警官とベテランで中肉中背の警官の二人組だった。

 僕が事情を説明し二人は代わる代わる異臭を確かめると、すぐさま管理会社に連絡を入れた。


 さて、管理会社の人がやって来たのはそれから十分ほどした頃だった。

 小太りのおじさんが鍵の束をじゃらじゃらと鳴らしながら小走りで駆け寄る。それから慌ててロッカーの前に立つと、該当する鍵をこれでもないこれでもないと探し出し、鍵穴へ乱暴に差し込んだ。

 僕と鹿島、警官二人が見守る中、ロッカーの扉が開けられた。

 その瞬間、管理会社のおじさんはウッと声を詰まらせ、扉を掴んでいた手を瞬時に口へ当てた。

 中に入っていた物体は扉で支えられていたようで、その支えを失った今、独りでに倒れてロッカーの中から姿を現した。

 げぇぇぇ、という野太い声が聞こえた。びちゃびちゃ、と床に液体の垂れる音も。それは他でもない、鹿島の嘔吐音だった。

 その物体は人の形をしていた。膝を折り曲げて、仰向けに倒れた人間の形だ。

 全身の殆どがブルーシートで覆われていた。しかし、ロッカーへ雑に押し込まれたのだろう、首から上に関しては倒れた時の衝撃で完全に捲れ上がっていた。

 何かを強く打ちつけられたように、額が真ん中で窪んでいた。幾筋もの血痕が額から顎にかけて線を引き、まるでそこだけ皮膚を引き剥がされたようだった。眼は白目や瞼の裏側まで、鼻は穴の中まで、口は唇の内側や歯まで、赤紫に染まっていた。

 そして、赤く染まった前髪の中にちらほらと、金色の毛が混じっていた。

 僕はハッとしてその顔面をまじまじと見つめた。血で見るも無残に汚された、その顔面を。

 そこにはいつもの見慣れた顔、高橋優子の面影があった。

「どうして……」

 鹿島は小さく呟いて、そしてまた吐き出した。


 翌朝の学校は、今までにない事態に直面して大騒ぎになっていた。僕はその喧騒から逃れるようにして校舎を出た。足は自然と庭園の方に向いていた。そしてユーコの居た洞窟へ――そこには既に先客が居た。鹿島だった。鹿島は虚ろな目で奥にある大きめの石を見つめていた。そこにはうっすらと血痕が残っていた。

 推理するまでもなかった。「私だけの場所だったのに」そのただ一言を思い出すだけで十分だった。

 鹿島は縋るような目で僕の方を見た。

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