第2話 ユーコの話

『ユーコ』こと高橋優子の変わり果てた、見るも無残な姿を最初に見つけたのは他ならぬ僕だった。

 それはある冬の日の登校中のことだった。

「おはよー、おはよー、マサ」無惨な姿をしている当の本人が得意げな顔で僕を呼び掛けた。「……おーい、聞いてる?」

 太陽の光が反射して、ユーコの髪が金色に光る。前の週には黒色だったのにも関わらず、だ。金髪がここまで似合わないのも珍しいだろう。見るも無残な……いや、無様な姿だった。


 ユーコはにやにやと顔を緩ませ、手袋を着けた手を僕の目の前で振った。普段は口が悪い癖に、たまに子供っぽい振舞いをするものだからどうにも調子が狂う。

 だが、やはりどうにも金髪は目立つ。目立つことは好きでないし、悪目立ちとなれば尚更のことだった。

「ねー、聞いてますかー?」

 僕は何も答えず、別人のふりをして通り過ぎようとした。

 ユーコはやれやれという風に肩を竦めて、「それはちょっと冗談キツイんじゃない?」と言いながら僕の肩に手を置いた。それでも無視しようとすると、ユーコは先回りして前に立ちはだかり、僕の頭に手刀を振り下ろした。

「いてっ」

「こらっ、無視するな!」

「なんだ、ユーコか。不良少女にからまれたのかと思った」

 僕はユーコから少し距離を置き、周囲に注意を向けながら白々しくそう言った。

「その言い方むかつく。ほんと、死ねばいいのに」

 いつものように半分笑いながら、冗談を言うようにユーコはそう言い放った


 ユーコは僕のことを「マサ」とあだ名で呼び、僕はユーコのことを「ユーコ」と下の名前で呼ぶ。別に好意や親密さの表れではなかった。それは初対面の時からそうだった。

 理由は至って単純だ。僕の旧姓が「高橋」で、その頃の感覚が抜けないでいるからだった。それが自分を指しているわけではないとわかっていても、自分の名前を呼ぶのはいつだって奇妙な感覚、何かが間違っているような感覚を伴う。だからユーコのことを「ユーコさん」と呼んでいたのだが、「ユーコでいいよ」と本人が言うものだからそう呼ぶようになったのだった。

 初めは事情を知らないクラスメイトから奇異な目を向けられていたが、しかし半年もするとみんな慣れてしまったようで、今ではクラスの男子にもすっかり「ユーコ」呼びが定着してしまった。


「その髪の毛、どうしたの?」

 そわそわと周りの視線を気にしながら指先で弄るその髪の毛を、見なかったことにするわけにもいかない。僕は仕方なくそう聞いた。

「ああ、これ? いやさ、姉貴が似合いそうって言うから染めてみたんだ」

 よほど自慢の姉のようで、ユーコは口を開けばいつだって「姉貴が、姉貴が」と二言目には姉の話をする。彼氏でも出来れば変わるかと思っていたが、どうやらそうはならなかったらしい。もっとも、その彼氏というのも姉が引き合わせたものらしく、恋愛感情があるのかは定かではないが。

 さて、その姉の助言のおかげで、ユーコはまるで着せ替え人形だ。「ライダースーツってあるじゃん」とか言って上下同色同柄のパジャマみたいなオシャレをしたり、ピアスをつけようとしたり、変な化粧したり、あるいは最近の流行だと言って刈り上げてみたりと枚挙に暇がない。そしてそのどれもが絶望的に似合っていないのだった。


「正直どうよ?」

「先生に怒られるよ?」

 我が高校は旧弊的な自称進学校で、校則違反に対しては小うるさいのだった。

「そんなのどうだっていいじゃん!」

「なんで怒ってんのさ」

「別に怒ってるつもりはないんだけどさ……でも、校則なんて時代から外れた無意味な伝統なのに、無理やり従わされるのって、腹が立たない?」

 やっぱり怒っているらしい。

「お姉さんにそうやって唆されたの?」

「…………うっ」

 どうやら図星だったようで、「そ、唆されたってわけじゃないけれど」とユーコは曖昧に答えた。髪の毛がよほど気になるのか、指先でくるくると巻いては解くのを繰り返していた。

 僕が元気なユーコと話をしたのはこの時が最後だった。


 僕らもまるっきりの子供というわけではなかったから、不気味な出来事が起こり始めているのをみな肌で感じ取っていた。

 ちょうど数カ月前だろうか、隣県の駅で使用期限の切れたコインロッカーから赤ん坊の死体が発見された。コインロッカーベイビー。一昔も二昔も前の社会問題で、僕らには馴染みのない現象だった。だが、それから堰を切ったようにそれが多発し始める。二週間ほどに一度、時には二度のペースでコインロッカーから赤ん坊の死体が発見されていた。しかも範囲が同心円状にどんどんと拡大していて、次は僕らの生活圏で発見されてもおかしくない状態だ。否応なしに身近にある恐怖として感じざるを得ない。これは本当に社会現象なのか? あるいは何か宗教団体かテロ組織の工作なのではないか?

 誰もが実害のない不審な事件に言いようのない不安を抱えていたのだった。


 さて、ユーコの様子がおかしくなったのが二日後のことだった。いつも通りに登校してきた彼女は、しかし「気分悪い」と言ってどこかに行ったっきり、一限たりとも授業に出席することはなかった。

 ちょうどその日、彼氏に逃げられたという噂が広まっていたのもあり、それが原因かと思われていた。

 しかしそれはその日だけのことではなかった。次の日も、その次の日も、ユーコはどこかに行ってしまって授業に出席することはなかった。


「ユーコのお姉さん、妊娠が発覚して活動休止だってさ」

 昼休み、そんな噂話がクラス中で囁かれていた。

 ユーコの姉はとある事務所に所属している人気読者モデルで、それがユーコの自慢の種であった。しかし彼女の妊娠四カ月であることが今朝発覚し、SNSで大炎上しているということだった。

「事務所どうなっちゃうんだろうね、流石に辞めるのかな?」

「どうなんだろうね、そもそも周りはもっと早くに気づけなかったのかな?」

 邪推に次ぐ邪推が教室のあちこちで盛り上がりを見せ、目に余るものがあった。

 ユーコの友人である鹿島美衣はその雰囲気に心底辟易していたのだろう。露骨に顔を歪ませながら教室を出ていったが、しかししばらくして慌てた様子で教室へ戻って来た。

「ねぇ、誰かユーコの居場所しらない!?」

 鹿島は教室の入り口に立つと、よく通る声でクラスメイト達にそう投げかけた。

「ユーコ、保健室にもいないし、どこにもいないんだけど!? 誰か心当たりない!?」

 実は僕には一つ心当たりがあった。きっとユーコはそこにいるのだろう、そんな予感があったのだ。ユーコはいつだって姉という行動原理に従って動いているのだから。


 僕は鹿島を引き連れて学校の庭園に出向いた。

 我が高校はちょっとした山の、麓と中腹の境目にあるような立地であるため、全体的に自然に囲まれている。庭園はその最たるもので、庭と謳っているが実質小山である。小山の中腹に周囲をぐるっと回れるよう道が整備され、外側に猪除けか転落防止の柵がある、そんな感じのちょっとした山道だ。運動部がよくランニングコースとして利用している。

 ユーコはその道から外れ、柵を乗り越え、そしてその真下あたりの斜面に開いた、小さな洞窟の中にいた。


 なぜ僕がここのことを知っていたかと言うと、前に興味本位で柵を乗り越えた時、偶然ユーコに出会ったからだった。その場所はユーコのお気に入りの場所――ではなく、ユーコの姉が在学中の頃に利用していたお気に入り場所で、授業をさぼるのによく利用していたらしい。

 意外と真面目なユーコ自身が授業をさぼることは殆どなかったが、昼休みは大抵ここで過ごしていたようだ。

「鞄放置したまま外に出ようとしてもさ、守衛に見つかるから面倒なんだってさ。まあ別にここに居たって雑誌読んだり寝たりするくらいしかやることないけどさ、嫌なヤツの顔を見たり声を聞いたりすることがないから断然マシなんだよね」

 ユーコがそう言っていたのは記憶に新しい。


「ユーコ、ここに居たのね」

 鹿島は洞窟の中に居るユーコへ声を掛ける。ユーコは姉が表紙の雑誌を握りしめ、壁に凭れかかっていた。

「えっ、なんで……?」ユーコは驚いたように鹿島の顔を見つめた後、隣にいる僕を一瞥して溜め息を吐いた。「ああ、片坂君はそういや知ってるんだっけ……迂闊だったな。私だけの場所だったのに……」

「余計なお世話かもしれないけどさ……」鹿島は慎重に言葉を選びつつ、正論を吐き出す。「気分悪いならさ、こんなところじゃなくて病院いくなり家に変えるなりした方がいいし、中途半端はよくないよ? 別に授業受けろって言いたいわけじゃないんだけど……」

「……あのさ、みんななんて言ってる?」

「別に、ユーコのことは、特に何も」

「違う、姉貴のこと」

「……まあ、多少話題に上がりはするけれど」

「じゃあ、戻らない」

 鹿島は溜め息を吐いた。まるで駄々っ子に言い聞かせるかのように、膝をついてユーコの肩を両の手で掴んだ。

「そうじゃないでしょ、ユーコ。そのさ、ただの口実なんじゃなくてさ……本当に体調が悪いんでしょ? だから一応学校に来るし、それでも耐えられなくなって抜けだしてる、そうでしょ? だったらさ、先延ばしにしないでちゃんと病院行こうよ、ね?」

「……ちがう」

「だって、ユーコ、妊娠してるんでしょ!?」

「ちがう!」

 ユーコは髪の毛をぐしゃりと握り潰すと、引っこ抜くようにして何度も何度も引っ張った。

「でもね、わたしにはわかるのよ、ユーコの体型がちょっと変わったこととか。お姉さんの話があがるまで、確信までは持てなかったけど……」

「ちがうちがうちがう……」

 ユーコの瞳にみるみる涙が溜まっていく。ユーコはそれを否定するかのように顔を歪ませて強く目を閉じたけれど、それでも止まることはなく、閉じた瞼の隙間から滲み出て、そして流れた。

「おかしいなぁ……おかしいなぁ……」ユーコは嗚咽に喉を詰まらせ、鼻を啜りながら、それでも自己言った。「言われた通り……ちゃんとピル……飲んだんだけどなぁ……」

「それさ……」鹿島は言いにくそうに唇を歪めた。「騙されてるよ、多分」

「……だよね」

 ユーコはぐぅという唸り声を上げたかと思うと、突然拳を握りしめた。

「くそっくそっくそっくそっ!」

 涙声ながらにそう叫び、腹に向けて拳を振るう――振ろうとして、その手が左腿に逸れる。くそっくそっ、と叫びながら何度も左腿を殴りつける。ユーコは痺れた腿を庇うように身体を傾けると、今度は頭を殴りつける。「このっ、頭が悪いんだっ! くそっ!」脳震盪を起こしたかのように頭をグラつかせながら、何度も何度も。僕らはそれをただ黙って見ているだけだった。やり場のない怒りを自分に向けている人に対して、言葉を差し挟める余地があるはずもなかった。


 次の日、ユーコは学校にすら来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る