―紀伊 熊野駅―
紀州総督府の軍勢は示し合わせの通り、熊野駅から街道を進撃して尾鷲、続いて紀伊長島へ侵攻する事となり、軍勢を集結させつつあった。
時に午前4時を過ぎたばかり。
既に進軍を開始したと云う大内山兵1千を先鋒とする大河内御所勢凡そ1万8000騎は荷坂峠付近で赤羽御所側 赤岩又八の軍勢に襲い掛かる暴徒を鎮圧、赤岩勢と合流して梅ケ谷に陣を張っている。
霧山御所軍は大内山軍と後続の高松・愛洲・与力諸部隊総勢1万数千余の背後に在り、大内山軍が梅ケ谷から一気に長島まで攻め掛かるのを待っていた。智謀の将である多気武衛こと六田右衛門佐義成は「日本人」殺しの第一手を大内山、強いては大河内御所にやらせて先鋒の名誉をくれてやると共に、時と場合によっての「工作材料」にしようとしていた。復古北畠氏の親類衆の二枚看板である両家はここでも争っていた。
対して、紀州総督府は天変地異後も相変わらぬ伊勢の様子を見、赤羽谷での暴動が報らされると直ちに介入を通知し、霧山の御社家よりかは親しい関係にある大河内御所を「道義的」に支援するべく、大軍を寄越して来たのである。
暴徒と化していると云う「日本人」は僅かな数である。偶然、この地に気の荒い「よそ者の日本人」等が居た事もあって「敷島人」の住民と対立、「本来の紀北町民」が「よそ者」に巻き込まれてバリケード封鎖や暴力での商店占拠等を行うようになったが、赤羽御所軍の展開により膠着状態に追い込まれていた。赤羽側は生命の保障を条件に、住民の退去を命じる「交渉」を行ったが、当然反発の内に一蹴され、投石や放火等の戦術で抵抗を繰り返した。これを「懸念した」周辺諸勢力が我先にと軍勢を差し向けて来たのである。
紀州軍は2万近くの兵が熊野に集結しつつある。新宮に設けられた空軍基地には対地攻撃装備を施した航空戦力が出撃の時を待っているとの連絡を受けていた。
共和国誕生以後、極度に軍事体制が整えられた敷島でも、特に紀州や伊勢、そして北関東には軍事施設が多く、それに関係する産業で地方経営を成り立たせていた為、軍事動員や徴発は―強いられる人民の意思は兎も角―極めて容易である。こうして日もまだ登らぬ頃から軍隊が市内駅周辺にひしめいていても、「公的には」何の問題もないのだ。
日高方面から兵を率いて熊野に配置させられていた鹿瀬鎮堯は咥え煙草で簡易な休憩所扱いの駅舎のベンチに腰掛けながら、兵の集結を待っていた。
政庁 和歌山城下から
次に到着したのが武藤雲平景宣の騎兵衆で、これが2時。
続いて
「下間はもう間もなく来るそうだ」
喫煙中の鹿瀬に後背から話しかけて来たのは大崎玄蕃景行である。
精悍な美青年、と思わせる逞しく引き締まった肉体に若干深めに彫りの入った顔をしたこの男は、しかし、その左手に大太刀を握って、使い古した感のある装甲具を着込んでおり、既に只者ではないと周囲に思わせる気配を漂わせていた。元居た世界では「アッティラの鎚」だとか「アラーへの反逆者」だとか「主の敵」などと言われ、必要以上に(と敵からは見える程)敵兵を殺めて首を晒した事で「人喰魔」とさえ言われた。そんな風評の立つ男ゆえに、せっかくの端正な顔立ちも却って危険さを感じさせてしまっていた。
「そうか。他の奴らも知っているのか?」
「ああ。知っている。こっちにも来るだろう。武藤など、早く切り結びたくて堪らんようだからな」
「勇んでくるだろうな」
短くなった煙草を足元に落とし、ベンチから立ち上がるついでに踏み潰した鹿瀬は黒の軍用コートのポケットに両手を突っ込み、大崎の傍らを過ぎて駅の入口近くの張り紙を見詰めた。
大崎は鹿瀬の右ポケットの膨らみに視線をやった。左に対して、大きく膨らむ右は鹿瀬自慢の装甲具である鉄腕が収められているのである。鹿瀬はこの鉄腕で何人もの強化装甲付きの兵士を殴り殺し、どれだけ多くの人間の首を容易くへし折り、頭を砕いて来たであろうか。素より尋常ならざる握力で計測器を幼少の頃から壊して来たこの怪物は、アフリカでの戦いにおいて、世界で何より嫌う北ドイツ人、特にプロイセン人の首を素手でも鉄腕でも握り潰して来た。ましてこの鉄腕は「砂の城を壊す様に装甲を砕く」と言われ、事実そのような事をして来た。手を挙げれば済むものを
大崎は正直言って「日本人」よりもこの鹿瀬と戦いたかった。無類の戦闘愛好者であるこの狂戦士には、近くの―魅力的な程に強い男である―味方の指揮官の方がよっぽど夢中になれる相手だった。
詰まらなそうに張り紙を読む鹿瀬は新しく貼り直された列車ダイヤの表を眺めながら、自分の指示通りにダイヤを改めて組み直させようと考えていた。
紀州においては、軍政は民政に優越する。民生用である幹線道路も鉄道さえも、総督府の番頭格の承諾がなければ一切の決定権など得られない。新ダイヤは総督府役方が認可した物だったが、鹿瀬はそれによって決まった内容が気に入らなかった。彼は総督府では穏健で知られていたが、世間一般では充分強硬派であり、真反対のリベラル派からは軍国主義者やら武断政治信奉者やらと散々に罵られていた。だが、罵るだけでは何も変わらないのを皆が知っているのが幕府とその構成細胞のあくどさである。
暫しの時が過ぎて、新内甲斐守と武藤雲平が駅舎に入って来た。紀州の闘将として知られる新内と、鬼と呼ばれた武藤が少し強張った顔でやって来たのを見て、大崎は時が来たと感じた。
「下間の旗印が見えてきています。出陣は如何に?」
猛り甲斐こと新内義斯が先鋒にして事実上の総大将である鹿瀬に問う。鹿瀬は視線すら動かさず、相も変わらずダイヤ表に目を遣り、脈が二つほど打ってから答えを出した。
「武藤雲平が第二陣、新内甲斐は第三陣、大崎玄蕃が第四陣。そして我が鉄狼が先手を務める。異存無かろう?」
呼び捨てに、抑揚もない声で、鉄狼の頭は同輩達に問うた。
総大将 鹿瀬の問いに、誰も何も言わなかった。異存なし。無言のままに意は示された。
「各隊に速やかに下知せよ。これより直ちに発向し、長島へ攻め入る。焼討、刈田狼藉の類は各々の判断に任せる。好きにやって構わん。以上だ」
応っ!そう相槌を打って3名は兵の元に戻った。
駅舎から慌ただしく3騎の足が出て行き、そこに居るのは鹿瀬だけとなっていた。
鹿瀬はダイヤ表から目を離し、駅舎の入口へ向き直った。
「鬼浦。兵共に報せろ。『食事の時間だ』と」
「承知!」
鉄狼衆の副将 鬼浦十内堯家 騎兵惣目付は駅舎の入口で待っていたが、漸く出陣の時を得て内心喜んでいた。野晒しで駅前にたむろしているのを嫌っていたからである。朝飯を敢えて喰わさずに出陣させた事で兵達は内心空腹を満たしたくてうずうずしていた。なお、赤羽は今無政府状態に近い状態である。早く行って、早く殺し尽くせば、その分喰えるだろう。鹿瀬はそれを考えた上で、自身も飲まず喰わずで出張って来たのだ。
法螺貝の音が四つ聞こえた。鹿瀬は両の手をポケットに突っ込んだまま、駅舎を出た。まだ暗く、夜が明けるまでは時間があった。夜が明け、人々が朝の営みを始める頃には、粗方の始末は付けられる。鹿瀬はそう思っている。
紀州の兵は「日本人」を殺しに、熊野古道を進んで行く。もうすぐ、愉快に朝食を楽しめるだろう。
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