―伊勢 大河内御所―
目の前に偉容を誇る巨人は微動だにせず、きっとこれからもこのままであろう。自律歩行と駆動戦闘を行えるこの「巨人」はしかし、人の腕を以てせねば何一つ動きを起こせぬ「無用の長物」となってしまう。これを操る事も生の「役割」とされて来た姫小松繭子にとってはこの状況、何一つ面白き事はない。天変地異以来、電力事情の問題でこのACSを用いる事ができなくなった敷島軍は早急に電力供給体制を見直そうと試みていた。その間、騎兵番士である繭子達は工廠の番士達が不眠不休で電力復旧に務める間、陸軍部隊と共に「日本人」を抑制するべく動いていた。それでも、繭子は自らの愛機となっていた「天目」に会いに来るのをやめなかった。己を縛するだけの物、或いは「枷」でしかなかった鉄の騎馬がこれほど愛おしくなった理由は正直分からないが、愛おしいという気持ちに従って自らの心を整理する事にした。
「姫小松差図役?またここにいたのね」
後背より声を掛けられる。どうやら、「天目」との二人きりの時間はオシマイのようだ、と繭子は思った。
「グリフィズ殿」
振り向いた先に居たのは、エリナー グリフィズというウェールズ人である。嘗てはウェールズにて世界帝国であるコスモ共和国とその軍隊に抗い、今は第一級の国際指名手配犯として敷島に保護され、ここ大河内御所にて客将として遇されていた。
「まるで、想い人のようですね、〈天目〉は」
「何を申されておるのか理解に苦しみますが」
エリナーの戯れを両断する繭子は顔も声色も何一つ変えずにエリナーに切り返した。エリナーは苦笑するしかなかったが、繭子にとってはそれすら鬱陶しかった。
「何か御用ですか、グリフィズ殿」
「…そんなに不機嫌になりますか?」
エリナーはいつもながらの彼女の反応にいい加減疑問を呈してみた。
「別に不機嫌になどなっておりません」
「…なら、いいけど」
繭子の明らかに不機嫌そうな態度は変わらない。エリナーは繭子のこの態度にいつも悲しい思いをしていたが、しかし、これの「裏側」を見知って以降は昔のようにほぐそうとはしなくなった。
「伝える事があるの。高松様から伝令よ」
「陣触れですか?」
「察しが良いわね、感心するわ」
「慣れていますので」
果たして慣れてしまう事が良い事なのか?エリナーは敷島という国に来て思った疑問である。
敷島人は敵を選ばない。親が敵でも子が敵でも構わない。御恩は国家国民に優先し、自らの里を侵す者は全て誅戮するまで攻め立てる。極めて合理的であるものの、結果的に自分自身を含めた、人間の命に対しての感覚が世界基準とは全く異なって、命すら合理と効率の潤滑油としてしまう。それで「命は大事だ」とか「生きる事は素晴らしい」と語られてもイマイチ実感に湧かない。飽くまで異邦人である自分には到底理解できない、この「慣れ」の感覚はエリナーをずっと悩ましていた。
「如何なさいました、グリフィズ殿?」
エリナーの顔付きを見て、繭子は不可解そうな顔をした。
「ああ、いや何でもないの。…慣れているって言うから、凄いなって思っただけです」
「…慣れませんか?」
繭子は素朴だ、とエリナーは思っている。悪い言い方をすれば、繭子は元を正せばどこの馬の骨とも分からぬ者だと云うのだが、この様子だと若き身にして既に敷島人と成ってしまっているわけだ。純朴の身ゆえにこのようになれたのか?或いは、その身に一体何をされたのか?今の主人もそうだが、敷島人にとっての日常とは、このような「慣れ」を要するものなのか?未だこの国に来て日の浅いエリナーにとって、敷島はやはり疑問が湧かないではいられない存在だった。
「そうね、慣れないわ」
エリナーはそうとしか言えなかった。
「では、慣れて頂きましょう」
繭子はそう言って踵を返し、エリナーがやって来た道を反対に進もうとする。
「待って、まだ伝えきってないわ」
繭子はピタっと止まって、エリナーに向き直った。繭子は冷静沈着な人間ではあるのだが、時折勝手に結論を出して行動を起こしてしまう事がある。
「失礼致しました」
「いいわ、気にしない」
エリナーは少し口の端を上げて答えたが、繭子は表情を変えない。いや、むしろ表情がない。
「侍従様よりの直々の御命令よ。さっき文書で届いたわ。…御所奉行人の記しすらないものだけど」
「…緊急ですね」
通常、北畠家支配の伊勢では、当主にして守護である「本所」や親類衆にして役付きの「御所」からの指令文書は、本所或いは御所の奉行人による奉書の形式を以て送られる。但し、今 大河内御所の実質的な指揮を採っている侍従具家は、緊急の際には直接送り付けて来る事が多かった。これは、基本的に他人の頭を信用しない侍従具家の癖からなる事である。
「高松様に従って、我ら〈ウェルシュ ドラゴン〉と貴女の組は赤羽谷へ向かうの」
「敵は誰です?」
「…〈日本人〉よ」
エリナーは顔を曇らせた。繭子は作戦の意味が分かった。
「交渉決裂、という事ですか」
「そのようね。まあ、あれは交渉と言えるのかどうか」
エリナーが鼻腔より一抹の不満を吹き出すように呼吸すると、繭子は眉を顰めて語気を強くした。
「いきなり現れて『ここは自分達の土地だ』などとぬかした輩です。せめて御所の指示に従うくらいの事、当然でしょう!」
「い、いや、それはそうなのだけど…」
「それとも、グリフィズ殿は、彼らの言う通りにしろとでも!」
ちょっと落ち着いて、と言いつつエリナーは一歩踏み込んで来た繭子の両肩を押さえた。
「…御無礼致しました」
繭子が直ぐに怒りを顕にする性格である事をエリナーは充分承知していた。別段怒る事でもないが、最初は酷く苦労した。
踏み込んだ足を下げ、繭子は背筋を伸ばす。
「しかし、グリフィズ殿には承服しかねます」
「…何でも言って」
エリナーは腕を組み、敢えて目下に接するように繭子に対する。この子にはこれの方がやり易い。向こうにとってもそうだ。そう学んでからの対応だ。
「グリフィズ殿の徳目は不肖の身ながら存じ上げているつもりです。しかし、しかしながら、無道の輩に対しては、その徳もまた利用されてしまうのみであると考えます。彼らは」
「『我らの土地に押しかけてきた』、って言うのかしら?」
「…はい」
機先を制され、繭子は一瞬で冷めたようになった。両目を瞑って聞いていたエリナーは右目を開けて、
「悟られやすい文句は相手に付け込まれるわよ」
と諭した。
「…申し訳ありません。私は未熟者です」
いいわ、とエリナーは言い捨てるように吐き出した。
「甘いのは分かっている。けどね、繭ちゃん」
「繭ちゃん…」
繭子は変な呼び方をされるのが嫌いである。この呼び方をしたのが上官でもある世話役 高松隼人正鎮綱であるのも余計に面倒であるが、その「客将でしかない」筈のエリナーに言われるのもなんだか妙に気に食わない。
「私はね、彼らが嘘をついているとは思えない。確かに嘗ての『日本国』に『紀北町』はあったわよ?…彼らの言う『日本』と、私の知っている『日本』とでは大分国の形が異なるけれど」
「それはそうですが、しかし理解不能です」
「それはみんなそうでしょうよ。あれ以来私だって頭がこんがらがっているわよ」
でもね、とエリナーは続けた。
「では、だからと言って否定する必要は無い筈よ?彼らが私達の生活を脅かし出したのは事実だけど、それは解決出来る問題でしょう?」
「そんなに簡単な事ではありません」
「わかっています」
エリナーは「天目」を見上げる。釣られるように繭子もまた見上げた。
「だからこそ、これを動かそうとしているのでしょう?」
暗い青色をしたカラーリングに、刺々しいフォルム。旧帝国残党勢力を恐慌させる為に、要塞一つを木っ端微塵に砕いて見せて以降、数々の作戦で敵味方を恐怖させたこの一つ目の巨人が再び起きる時こそが敷島人の勝利の瞬間であろう、と幕府の首脳達は思っていた。幸い、過去の民らしく―敷島人の知っている過去ではなかったのだが―「日本人」達の軍事力は有力ながら古い。また価値観も敷島人とはまるで異なるもので、勝利至上主義の「敷島人」に比べて、「日本人」は純朴である。一部の産業資本家や自由主義者にとっては彼らの方が組み易そうですらあり、共和国政府や幕府総本営は、日本人を利用して反共和国・反幕府の挙兵に利用しようとする動きを既に察知していた。
「…申し訳ないけど、問答はここまで。続けるわよ?」
エリナーはそのままの姿勢で繭子に告げた。
「分かりました。お願い致します」
繭子はエリナーへ向き直って、背筋を伸ばし、踵を合わせた。エリナーは一息ついて繭子に向き合う。
「我らは大内山の陣営にて間弓殿の軍勢と合流し、そのまま紀伊長島まで向かうわ。美杉から霧山の軍勢がやってくるから、それと合流次第総懸りに出る」
大内山は鉄道で言えば一本で赤羽御所支配紀伊長島まで入れる地域であり、常日頃から赤羽谷への「有事」における進撃を想定して兵が置かれていた。
大内山の赤染めの幟を率いる先鋒は間弓孫平次光永の徒組4組総勢1000騎余り。これに本来なら大内山但馬守頼光率いる大内山隊の本隊凡そ8000騎、そして後備を務める唐子川平七郎光資の3000騎が続く陣構えとなるのだが、この度の出陣は高松隼人正を大河内御所勢の総大将とした出陣であり、道案内として間弓孫平次が指揮下に召し出されたに過ぎない。
「霧山からは誰が来られるのです?」
繭子は多気方面に勢力を持つ、北畠一門の「一頭」である御社家 霧山御所の陣立てを問うた。エリナーは続けて答える。
「
「…また景雲殿ですか」
繭子は明からさまに嫌そうな顔をした。
エリナーは内心を秘めるという事を知らない後輩を見て、諦めを促すように続けた。
「御傭組は非正規戦が得意だからね。相手が誰だか分からない今回みたいな戦なら彼らの方がやり易いでしょうし」
エリナーのそっけない正論は兎も角、この女もいよいよ大河内御所の者となったと繭子は思った。こういう発言を聞くと本当にそう思う。
「紀州は出ないのですか?」
「…出て欲しくなかったけど、出るわよ」
今度は不快そうな顔をエリナーが浮かべた。紀州については大河内御所の番士達にも嫌う者が多く、景雲を嫌う繭子とは違い、多数派意見となっていた。
「陣立は、鹿瀬鎮堯殿の鉄狼衆、
赤羽での「日本人」の暴動に対しての動員と言うよりは、赤羽御所への影響力を示す為の各軍勢の腕比べになる、と繭子は考えた。
大河内御所は先鋒 大内山氏の不動の先手である間弓氏と、ウェールズ兵(と繭子)を与力にした御所内最強の高松隼人正鎮綱勢に、愛洲次郎景虎の草薙騎兵が加わる。
霧山御所の御社家は主力に加えて当主 政成の旗本である御社衆と川上衆、そして非正規戦のプロ集団である御傭組。
紀州総督府は配下中でも獰猛苛烈で知られる鉄狼に南龍、加えて鬼雲平に、総督旗本の内、「紀州の張遼」「
彼等は、「嘗て居た世界」において、世界大戦の中挙兵して幕府軍に徹底的に殲滅された敷島共和国内の「日本」民族派勢力〈維新正会〉を討伐した際に、正会の土壌となった、あらゆる事象をこれ以上ない程に殺し尽くした「実績」がある。腕比べはそうやって行われ、殺し、壊し、焼いた数でその腕を競うのである。「嘗て居た世界」では、国内に留まらず、敷島人はアフリカやイタリア、イランでもそのように戦った。敵に属すれば最期、敵方のあらゆる物は徹底的に破壊され、二度と自力復興できなくされてしまう。
つまり、出兵を認めた幕府総本営と紀州総督府そして北畠家は、敷島人の「祖先」かも知れない「日本人」を明確に、敵、と定めたのだ。
繭子は先程のエリナーの表情を想い出した。次第に「慣れ」て行きつつも、エリナーにとって、敷島人の判断はやはり異常なのだろう。故国を追われてここまで来た、その挙句が「敷島人」の「日本人」狩りである。客将に遇されている分文句は言えない立場なのだろうが、しかし、彼女の心中を測れば、流石の繭子でも同情を禁じ得なかった。
繭子も昔はそうは思わなかった。しかし、切っ掛け次第でどうとでもなるのが人間なのだろう。
「姫小松差図役」
物思いに耽っていた繭子はエリナーの声でハッとなった。
「そろそろ出陣の準備をしないと」
エリナーの引き締まった声。苦しくとも、覚悟を決めた女の姿と声に促されて、繭子は己の役割を果たすべく、声を出す。
「御意」
意志の決した二人はそのまま戸口に向かう。
その脚で向かうのは戦場。
その腕で斬るのは敵。
その眼で見るのは、数多見た光景。
その耳で聞くのは、幾度と聞いた「声」と「音」。
その果てにあるものは?―答えは己の末にある。
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