―福井平野(越前守護管区)一乗谷―
「…そうか、皆無事か」
「はい、ホントに良かったですぅ。心配して寿命縮んじゃいましたよぉ」
京に居る血縁者やその者に従う配下全てが無事であったとの朝倉夕子の報告を受け、一乗谷の朝倉宗景はやや顔を綻ばした。歩美は京にて情報探索中の朝倉早矢子から夕子を探して貰っていた事は言わなかった。言えば、朝倉家中が大騒ぎで京に雪崩込んで連れ戻しに行く筈だからである。取り敢えずそれがバレていない所も安堵していた。一方で、隣で険しい顔の弟に気付いた宗景は、終始安堵顔の報告者、萩原歩美とは対照的に厳しい顔に戻さざるを得なかった。
「歩美、他には?」
「え…。あ、あの、えぇ~とぉ…は、はい。何も…聞いてないですぅ」
「…よい、わかった」
只の会話で気の弱い歩美は縮こまってしまった。先代当主 宗景すら萎縮させるこの弟 朝倉尊景入道は、夕子の大雑把な性格を気に入ってはおらず、案の定この状態であり、心底呆れた。尊景入道の傍らで三人の姿を見ていた歩美の父 萩原長俊はお決まりな光景に思わず笑ってしまった。尊景は訝しそうな目で長俊を睨んだ。
「何を笑っておる?」
「いえ、いえいえ。只変わらぬな、と」
「何がだ?」
「これ程の事が起きたというのに、何時も通りで安堵したので御座いますよ。取り敢えず、北陸探題は安泰、と」
「…越前には?何か来ておるか?」
「今現在では何も。只、予想通り北畠殿から親書が来ておりますが、これはおそらく」
「
「御意に御座ります。彼の意思による物と見て間違いないかと」
「…あれは誠に厄介な奴だ。親書一つでも警戒を怠ってはならぬ」
「心得ました」
「伊勢国司」を名乗る伊勢守護北畠氏の親類衆である大河内具家は策謀で知られる幕府軍頭取の一人である。その智謀と戦上手は若くして幕府軍将官の最高位である、頭取に成った事からも証明できる。独立以来伊勢の軍事支配を行い、敷島政府の武断統治を支えて来た北畠一族の親類筆頭として確固たる実力を持っていた大河内御所家の次期後継者は、この時代に何を見るのか、そして元居た世界で起こしたように、この度は一体何を仕掛けて来るのか。彼を認め、そして警戒していた尊景入道はこの混乱を利用しない大河内ではない、と踏んでいた。
「長俊、京と
「…接触しますか、敢えて」
「無論だ。恐らく家景の奴もそうしているであろう。だが、人質とされるやもしれぬ」
「えぇっ!」
目を瞑って黙って聞いている宗景をよそに、歩美が驚愕の声を上げた。尊景入道は家景や京に居る朝倉の者達を心配し不安の余り半泣きになる娘をたしなめる長俊を制し落ち着かせながら諭した。
「人というものはそのように小賢しい所もある。皆が業を孕んで生きておるのだ。敷島人のみならず、この度の〈時駆け人〉も同じ事だ。大河内具家も然り、あの方広院和泉とやらも然りぞ」
「で、でも入道様は、いつも人を慈しんで生きなさいって…」
「左様、その様に申した。それに偽りは無い。人の本性が業深き者であっても、歩美は知っておろう、人の良さを」
「はい、私は‥大好きです」
「それを慈しんでおやり。そして愛してやりなさい。然れども、我ら武士の子達はそれと共に何人をも疑い、深き業を見通して生きねばならぬ。生き残らねば、人の何たるかは分からぬ。まして生き残れもせねば、何も得られぬ。生きてこそ、死へと向かう人の身の有り様がわかる。その為には勝っていくしかないのだ。…まあ、これは故人の受け売りだがな」
「受け売り?」
「
長俊は笑みを浮かべて誰に言うでもなく言った。
「さあ、
…さて、〈日本〉に降り立ってしまったか。
相賀誉は首を鳴らしながらおもむろに寝かされていたベッドから起き上がり、年寄りのような溜息をついて周りを見渡した。先程の自分の言葉に驚く者達。聞き及べばここは既に自分の知っている日本ではない。となると、死後の世(あったらだが)に会う積りでいた夫 武内征禰やその「側室」レアにも、戦友達にも会えん、という事だ。いやあ、至極残念。誉は自分を奇人のように見ていたオオマキなる女が、外の誰彼から聞き及んだ話で、自分達の事を理解したようであるのを察した。再び入って来る女の顔を見てすぐに分かった。案外物分りが良いようだ。誉は感心した。
「誉さん?幾つか宜しくて?」
「はいはい、どうにでもしてくれなんし」
「…御職業は遊女かしら?」
「時間と寝ている女って考えればそうかもしれないね」
「で、副業は?」
「うーん…履歴書にするとノート一冊分位になるけど…聞く?」
「…直前の、一番重要な職歴で結構です」
「まあ、そうね。…一応軍人ってとこかしらね。あ、因みに敷島では軍の制服組は〈番方〉で言うのよ。将校は番校、兵士は番士。法的扱いは共に番士ね」
「番士はつまり軍人って意味ね」
「そう。で、私は幕府中央軍騎兵番校。階級は騎兵頭取締」
「…どれくらいの御役職に?」
「レジマンのシェフを顎で使って、将軍に小突かれる役」
要するに、上級大佐か旅団長って所かと大牧は理解した。しかし、こうも簡単に色々聞けると拍子抜けだ。てっきり、色々必要かと思っていたのだが。
「失礼ですが、年齢は?私とそう違いはなさそうですが」
「嬉しい事いってくれるねぇ、お嬢ちゃん」
お嬢と聞いてあの子を思い出した。しかし、歳を皮肉るとは、死にたいのかしら?
「まあ、ざっと…300歳かしら?あんまり覚えてないのよね~」
よし、脳味噌分割してあげよう。大牧は目の前の可哀想な〈娘〉をどうイタワッテヤロウカを考え出した。
「…冗談に聞こえたのならゴメンナサイネ」
ユルサナイ、ゼッタイニ。その如何にも悪そうに思ってない面もシャクニサワル。
「しかし、怒る事も無いんじゃない?あたしらがここにいるって奇跡を考えれば」
一瞬・・・・・・・納得しそうになった。しかし、不審の塊だ。どこまで正しいのか。そう思うと二の句が告げない。どうやら、相手もそう思ったようである。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
天河瑠璃は二人の会話を黙って苦笑いで見詰めていたが、次第に凍り付いたように沈黙する空間に嫌なものを感じた。
只、少なくとも動物的感覚で分かったのは一つ。この女は、危ない、極めて。
「…疑われるのも仕方無い。助けてもらった恩もある。だがの、若造」
そしてこの女は嫌な目付きで笑顔になった。対する大牧先生は表情を変えない。
「私に、その手の意思を向けてしまったのは極めて残念だよ。こちらもその感じは嫌いじゃなくてね」
その姿は、まるで狼。それも血と肉に飢えた、将に餓狼。大牧先生の凛とした姿とは比べられない程、邪悪な姿。
「この現実に、我という存在に納得してもらわねば」
口の端を釣り上げて。まるで、今からここに居る全てを喰らう積りかのように。この女は一刻一刻と変わって行く。先生は…変わらない。
「困るのだ」
さっきまでのふざけた感じは一瞬で消え失せ、殺気と凶気が狭い空間へ一気に満ち渡る。それでも、大牧は落ち着いていた。修羅場自体は御手の物だ。だが、これは違う。目の前に居るのは、人の身にして、人ならざる怪物。これが彼女の言う〈敷島人〉の標準ではないだろう。だが、これを飼っていて機能している国だとするなら、敷島は確かに日本ではない。思想や政治が人間社会の最高位に必ずしもあるわけではない。暴力と闘争の国なのだろう。そして、自分達はそのような連中と対して行かないといけない。
不安以上の何かが心をよぎった。
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