第二話

流転の刻に

―野州 武蔵国境―

 日本列島に再び統一国家が出来てから既に数十年が過ぎていた。はその名に対して、一切の共和なく、只々独立以来の誇りと利権を賭けて各々の勢力が陰謀と政争を続けながら今日に至っていた。外敵に対しては一応の「結束」をし、然れどもその実は外敵との「英雄的」戦いで隣人には晴々と散ってもらいたい、そう願いさえする者もいた。ましてや政権を担う徳川とくがわ慶家よしいえ自らが、政権与党である三条さんじょう氏の勢力や鎌倉に潜んで寝首を掻こうと虎視眈々と狙っている「鎌倉殿かまくらどの」に「御恩」を抱く、士分派勢力の弱体を―例えそれが消極的であるにしても―願っているのだから、他は言わずもがな、である。


第二話「

・原作:八幡やわた景綱かげつな

・編集:十三宮顕



 合戦の匂いも、合戦の景色も、およそ「合戦」というものには何もかもに慣れていた。現に先程から鼻に付くこの匂いも別段どうという事もないものだ。しかし、軍勢が展開する戦場いくさばいささか違和感を覚えさせる。行われている事は文字通りの「合戦」だが、先程から物見が伝えて来るのは、有り体に言えば


「奇人の群れがこちらに体を寄せてくる」


 といった事ばかりだ。余りに奇天烈な話ばかり。仕方なしに送り出した信頼する物見頭による声の裏返った報告にもうんざりした。詳しくなっただけで要するに同じなのである。これには軍司目付 那珂千景も正直わけが分からない。決して物見の報告が意味不明なのでなく、戦況が有利に傾いたのも全て承知できていた。ただ敵がどうして敵として、自分達に刃向かうのかが分からないのだ。番頭ばんがしらは傍らの親友にして部下である相馬平六郎景胤と佐竹源三郎義繁と共につぶさに観察して、対峙した相手が敵となる事を全軍に知らせたので、千景自身は敵が寄せて来ても驚く事もなかったのだが、自分の目で、番頭が観察したものを「見た」わけでなく、結局分からず仕舞である。


「演習の筈だったのにね」


 誰も聞いちゃいない。今、幕の内にかしらの類は目の前の物見頭と千景だけである。こんな愚痴は普段なら言えるものではない。千景は只この情況に感謝した。周りの連中は男女に拘らず、物見の言う「奇人の群れ」を敵と知るや、ぐに戦に取り掛かり、内心おろおろするばかりの彼女に幾つか下知した番頭を筆頭に馬廻・組頭皆が前線に出て行った。行軍中は共にお互いの近況を話し合っていた宇都宮邦綱の娘実子みのりこもさっさと戦支度をして敵に襲い掛かって行った。「病気」が出ない限り温厚で、気の弱い千景にとって、このような連中に着いて行くのは正直疲れるというものだが、しかし彼達こそ彼女の唯一の居場所であり、でなければ今日 坂東の故郷に程近いこの野州にやって来る事だってなかった筈である。


「…是非も、無しね」


 千景は自嘲のように、口の端を少しだけ上げた。我が番頭、那須与一郎景高ならそんな言葉も要らないだろう。自らをよくよく分かっているからだ。そうも思いながら、彼の居ない陣幕で伸びをした。



「ふん、虫けら風情が。息巻いて飛びおるからだ」


「それは侮りですかな、早太郎殿?」


 墜落して逝く友軍機にどよめく敵に戦車隊を突っ込ませた装甲兵惣目付 池沢右近充に続いて、臥牛義雄こと騎兵差図役校尉 烏山早太郎と同役ラルフ ホルツミューラーは両人の騎兵組およそ400騎余りを突っ込ませた。薄手ながら防弾の仕様を施した騎馬はアフリカでも中東でも歩兵の群れを恐慌に陥れたが、この眼前の敵は驚きこそしたが決して怯えはしなかった。しかしそれとて歴戦の物頭であり同時に荒武者である両人にも、その配下にも別段再考を催す程の事にはならなかった。要は薙ぎ払えば良いのである。


「戯言を!申すな!」


 ラルフの冷めた問いに声を張り上げながら、早速敵兵を軍馬で踏み付け、馬上から朱塗りの手槍を歩兵の首元に突き入れた早太郎は負傷して転がる敵の士官を眼下に見詰めた。池沢の突撃と続く騎兵の総懸りは敵の前線を崩し、一つの陣地を文字通り「平定」した。


「この俺が、侮りだと?笑止千万だ、ラルフ!」


 転がった士官は最期まで


うい様の為に!」


 と叫んで味方を鼓舞していた。そして今も遺言代わりにそう叫ぼうとしたのだろうが、無情にもラルフへの返答のついでに首を槍で貫かれ、呻くに留まった。


「それならば宜しいのですが、某は」


 ラルフはまた熱の感じられない言葉を早太郎に投げて寄越しながら、息のある敵兵に一人、また一人と仲間の血で塗られた刀で別れを告げた。


「ふん。どうせ信じんのだろう!」


 早太郎はいつもながら熱もなく人を諌めるこの男に憤慨しながら、一方で周りを確認するのを怠らなかった。ラルフも彼のこういった用心深さも(諫言や注意といった事を毛嫌いする彼の「幼稚さ」も含め)よくよく分かっているが、そんなものは坂東で生まれ、弓馬を習い、御屋形様に従って各地を戦って来た彼らにとっては当然の事でしかない。ラルフにとって早太郎は戦での暴れ回りを除いて、この男は及第点に甘んじて大言を吐く未熟者に過ぎない。もっとも、京の街で町衆相手に踏ん反り返っては、右京番役 上野正斉に怯える会津やブルジョワ上がりの小僧共に比べれば遥かに信頼が置けるのには間違いない。そして今士気の高さを自らに見せ付けたこの敵のどれよりも、である。


「これは、侮りじゃないのだがな、ラルフ」


 早太郎は一通り辺りを見回して、傍らの冷血人に話し掛けた。


「腕はそこそこ、といった類だったがこの者共、いやに士気の高い事だった」


「ええ、そうでしたね」


「それに、背を向けて死んだ奴がおらん」


「まるで、三河武士のようだ、とおっしゃりたいのですか」


「…つくづく、癪に障る奴よの。まあ、そういう事だが」


「退かぬだけなら、あのチグリスの対岸にいたエラム人共も同じです」


 視線も合わせず、ただ先を見詰めてラルフはさらっと言ってのけた。


「督戦兵は見当たらぬ。…死人の誉れに泥を被せるが如き真似は見過ごせんぞ」


 早太郎の眼に明白に怒りが見えて来た。その事を横っ面を刺す視線で感じ取ったラルフは先程その死人を虫けら呼ばわりした事をどこぞへ飛ばした早太郎にうんざりした様子で、やや声を張って放つ。


「安易に敵を賛美する事もありますまい。何せこ奴らは」


「郷を侵した敵だからか?」


「…まあ、そういう事です」


 ラルフは早太郎に詰まらぬ仕返しをされて、顔を平静に整え、前へ踏み出した。あからさまな不機嫌さである。得意な顔になった早太郎もこれに続いた。前にはまだ息のある敵がいる。どうせ一端に尋問も叶わん下郎しか残っていないのだから、


「せめて、楽にさせてやれ」


 偽らざる、彼達の「温情」である。



 見渡す限り戦場は屍人で埋まり、そろそろ虫共が味を堪能しに来る頃である。ポツンポツンと落ちて来た粒が、それこそ返り血でも洗い流せそうな程に増して降り出すと、堪らず那須下野守資高も宇都宮中務大輔邦綱も陣幕に下がり、それを見届けて那須与一郎景高はようやく陣幕に入って腰を落ち着けた。上座に腰を据える父と邦綱はやれやれ、と一息ついた所だが、与一郎景高にはまだやる事がある。番頭、この場合では一般に言い換えれば野戦指揮官を指す役に就いている彼に休息は遅くやって来る。目の前に積んで見える程の仕事にうんざりするでもなく、ただ時間だけは惜しかった。できれば戦処理の評定はさっさと済ませたい。これは陣幕の内にある指揮官達には暗黙の共感であった。


 甲斐甲斐しく茶を淹れて来た千景に礼だけ述べて与一郎景高の目は眼前の友で、先頃の戦で傷を負った宇都宮実子に向けられた。


「かすり傷で安堵した」


「それ、私が言う事じゃないかな?アンタはもっと他に言う事があるんじゃなくて?」


 実子の不満と諦感の混じった言葉に、うむ、とだけ言う間考えた与一郎は表を向き直して、


「しかし、傷は武勇の証である」


 と言った。これには実子も傍らの平六郎、源三郎、そして隊付警固役頭 六角承三郎頼義と那須家親類で副番頭 那須大膳大夫景常も、更には上座の両人までもがはっきりと聞こえる溜息をついた。


「…皆して如何致しました?」


「…私、やっぱあんたの隊には入りたくないわ、うん」


 まあ慣れっこですけど、と付け加えて実子は疲れた表情を残したまま微笑むように顔を崩した。幼馴染で、彼の武人気質と不器用さを知っている実子は、しかしこうは言いつつも何かに付けて彼と行動を共にしている。別に恋心があるわけでもないのだが、純粋に彼の事が好きなのである。あの光と共に空が落ちて来た後も混乱の中すぐに与一郎を探し回って、先に背後から声を掛けられて勝手に赤面していた程である。那須与一郎景高という人格にとっても配下を除いて、自身の傍らで寝る事を認めるのは、自身の師である朝倉尊景入道、今はフランス領ギニアに去ってしまった元恋人レティシア マルラン、そしてこの実子ぐらいな者だ。実はもう二人ほど居たのだが、一人は既にその者自らの手で身罷り、一人は仲違いをしたまま遠くより見守る事しかできなくなった。


「無理をなさらず、みのり様も御養生なされませ」


 主に代わって労りの言を投げ掛ける相馬平六郎は、感謝のアイコンタクトを実子から受けつつ手にしていた布切れを彼女に渡した。敵兵より剥ぎ取られた腕章には敵軍の長の名があった。


「・・・・・星川…ね」


 訝しげに見る娘を前にして邦綱は漸く陣幕に入って来たびしょ濡れの倅 藤綱に顎を突き出して早く座るように指図し、与一郎景高殿、と声を掛けた。


「我が方の手負いは如何程か?」


 星川によって全滅した国境の駐屯兵500騎は那須・宇都宮いずれでもなく、今は連絡の取れない関東総督府が預かった会津の訓練兵であり、邦綱にとって数の内に入らないのは明白だった。景高はそれを踏まえていた。


「恐れながら申し上げます。まず我が隊先手を務めた鹿島康之輔高盛の組に29人、続いて福原禅坊入道の組に25人、そしてクロートヴィヒ フォン ホーエンエムスのドイツ騎士組に20人出ております。また、某の馬廻である瀧田清太郎義宗の配下で17人傷を負いました。そして…そうですね‥」


 口籠った与一郎景高を見兼ねて藤綱が声を大きめに出した。


の騎兵惣組で何人だったかな?」


「…は、85人です…。すいません…」


 自らの右腕の包帯を隠すようにしながらバツの悪そうな声でボソボソと口に出す実子に邦綱はイラついて声を荒げた。


「はっきり申せ!正確に!」


「86人です!ごめんなさいっ!」


 自分を数に入れて半泣きになる実子を見てその父をなだめる資高をよそに藤綱が代わって付け加えた。


「慢心に下賎な功名心の成れの果てよ!これではまた紀清の両党に笑われるわ!」


 実子は内心激しい後悔の念に苛まれていた。手負いと言っても那須兵とは異なり、彼女の部隊は星川初の釣り出しに乗せられ、深入りし過ぎて星川軍歩兵の十字砲火に晒される失態を犯した為かなりの重傷である。彼女自身も狙撃兵から狙われたが、実子の深入りを知って救援に向かった那須与一郎と相馬・瀧田の馬廻が突撃し、那須自身が笠懸で鍛えた弓馬の腕で狙撃兵を幾人と射倒して救い出した経緯がある。


「・・・・・・・」


 その後猛然と総懸りを仕掛け、更には遠くより迂回させていた景高腹心 佐久山藤三郎資高の騎兵が、後退する星川軍歩兵部隊の横っ腹を突いて痛撃を与えて仕返しはしてやったのだが、藤綱はその後の追撃で星川初本人に迫りながらも遂に巧みな後退戦術に阻まれ逃げられてしまった。その悔しさもあり、藤綱は余計に妹を責め立てた。この場に居ない、一門重臣の紀清両党の益子・芳賀両士大将と親類の宇都宮八郎右衛門繁綱 騎兵頭がこじ開けた突破口を利用されて妹が、那須の作った好機を兄が生かせなかったのである。面子に拘る宇都宮でこれを見過ごすのは難しい。責め立てられて萎縮し、気鬱のまま責め立てられているのを見兼ねて口を挟もうとした景高の様子を察し、それを制した黒正弾正景澄が言を発した。


「憚りながら、宇都宮公に申し上げます。この度の兵達の手負いは御息女様に負うべき責がありまする事は確かであると言えます。しかしながら、これは単にあの敵…星川とやらが上手であったというべきであると存じます。あの後退の技も然り」


 ピクッと藤綱の肩が動いた。邦綱はそれを一瞥した上で改めて弾正に向き直り、


「雲州の逃げ弾正がそう申す程であったと?牛尾うしお誠清まさきよ、そちは如何か?」


 只々問い掛けた。叱り飛ばしたとは言え自身の可愛い子供達である。できれば兄妹で責め合うような様は見たくない。この諫言は願ってもない程であった。まして―独立以来の「決まり事」で自治都市国家となっていた出雲の国人でわけあって那須家に亡命した―後退戦の名人 黒正弾正がそう言うのである。願ってもない。そしてこの空気の中、発言に責任が伴う誠清も極々自然に自分の主へ端的に述べた。


「はい、誠に敵ながら天晴れかと」


「そうか、そうであるな。藤綱、もう良い。これで実子も分かったであろう」


「…はっ」


「みのりよ、此度の事、夢々忘れるでないぞ。よく学び二度同じ過ちを犯すな。良いな!」


「…はい。もう‥しわけありませんでした」


 みのりの背を傍らの宇都宮軍重臣 多功綱直がポン、ポンっと軽く叩いて慰めた。僅かに叩く音が聞こえたが、誰も何も言わなかった。


 那須資高は納得した邦綱―その内心は敢えて考えないで置いたが―にホッと息をなで下ろした。そして、透かさず話題を変えた。


「それにしても、変わった連中だった。あの露出の多い女武将、あれは一体なんぞ?」


「まさしく、痴れ者でしょう」


 父の言葉に倅が応じた。


「某の与力である遊佐等は大分怒っておりました」


「儀十郎はムスリム故、仕方あるまい。あやつは確かスンニ派かな?」


「…ほどよく原理主義でありますがな」


 親子はそう言い終えて小さめに溜息をついた。遊佐の配下はトルコ人ムスリムで多くを占められていた。この度の件では景高が大いに苦労したのだ。


「学生のような者もおりましたな」


 那須景高隊付小荷駄役頭である那波半兵衛資経は咄嗟に撮影した画像を横に居た佐竹に回した。


「金髪の娘か」


「左様。しかし、目つきは鋭い。もしや大物かもしれぬ」


 義繁と資経がそう語り合う中、景高は「金髪の大物の女」と敵・味方のいずれの立場でも出くわした事を思い出した。義繁の隣に居た平六郎景胤は景高に呟いた。


「藤綱殿の見た星川某と似ておりまする。もしや、親子かもしれません」


「…だとすれば、平六郎は如何する?」


「我が国の法に従えば、彼達は野盗に相当。捕えて、その首を斬ります」


「…また、一致したな」


 皆が二人に注目する。二人をよく知る宇都宮実子はその一致の先を予想して少なからず顔を曇らせた。


「敵将が如何なるものかは捕えた兵の口からもおおよそ分かり申した。あの女将軍を討ち取れば敵は分裂致しましょう。だからこそ、この度の緒戦のようにはそう簡単に現れんでしょう」


 相馬がかくも語る時は、余程自信があるのだと皆が分かっていた。そして、主の那須が続けて口を開いた。


「恐れながら、望むべき合戦にはあの親子を引きずり出さねばならないかと存じます。そのようにせねばなりません」


「して、何とする?」


 邦綱の問いに景高は静かに、そして淡々と答えた。


「親子が怒り狂う様に、彼の国を焼き払います」


 この言葉の意味を知っている者は、誰もが身を震わせたという。



 戦場に、天がこれから数多あまた起きる悲劇を感じたのか、音を立てて雨粒が落とされていた。

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