2014年 3月17日

 水憂との約束をしてから一週間が経った。

 その一週間の間、僕は押し入れやら引き出しやらを引っ掻き回し、音楽プレイヤーを探していた。一週間ずっとそれをしていたわけではないが、気が向いたらそのような捜索をした。

 結果を言うと、僕はお古の音楽プレイヤーを見つけることができなかった。部屋中のどこを探してもそんなものは影も形も姿を現さなかったのだ。

 まずいな、と思いつつも、僕は特に何の行動を起こすでもなく、これまでと変わらない春休みを過ごしていた。本を読んだり、スマホを触ったり、筋トレして、面倒になってやめて、そういうことをしながらニュースを流し見したりした。ニュースの画面では、凶悪犯が刑務所を脱走したとかで、いったいどんな権威があるんだかわからない、普通の中年にしか思えないコメンテーターが格式張った風になんかしらを喋っていたりした。

 そしていま、約束をしてから一週間が経ったのだなあ、となんとなく思い、一週間も経ってんじゃん、と考えを新たにしたところで、僕はやっとこさ重い腰を上げることにした。約束は守らなければ、という世間一般の誰もが持つ認識を再確認し、僕はその価値観と、水憂のことを頼りにして、僕をベッドの上へと押し戻そうとする怠惰を打ち払った。

 それにしてもまず、新しい音楽プレイヤーを用意しなければならない。

 まずもって僕には水憂に「月の光」を聴けるようにしてあげるという目的があるのだ。なににも興味がなさそうだった彼女がなぜあのクラシックにだけは微かだけれども反応を示したのか、僕にはわからないけれど、とにかく月の光を再生するためには音楽プレイヤーが必要である。

 けれども僕の部屋にそんなものはない。どうしよう、と考えた。買うしかないだろう。僕は財布の中身をのぞき見た。たまにするアルバイトの給料を細く長く使い切る僕の財布には現在、四千円と十円玉数枚が入っている。預金は確か、二万くらいだったはずだ。安い音楽プレイヤーを買うなら、財布の金額で十分足りる。

 僕はスマホのアプリを開いて、オサムに連絡した。

『暇だろ』

 すぐに既読がつき、返信がくる。

『暇じゃねえ』

『ファミレス集合』

『暇じゃねえ!』

 服の詰まったタンスを開く。外は快晴で、気持ちの良い日光が降り注いでいる。春でまだ肌寒いとはいえ、いつものような厚着で出ると汗をかきそうだ。僕は心持ち薄めの洋服に着替えて、家を出た。

 自転車にまたがって、冷たい風を浴びる。さわやかな気分になる。脳裏で、水憂がいまもいるであろう暗い一室が瞬いた。僕はこの清涼な風を、あの部屋にほんの少しでも持ち込めたなら、それはどんなにいいことだろうと、そう思った。



 ファミレスでジュースを飲みながら暇を潰していると、オサムが不満げな顔でやってきた。

「遅いぞ」

「急に人を呼び出すんじゃねえよ」

「お互い様だろ」

 どかっと席に腰を下ろしたオサムは、すいませーん、と大きな声で店員を呼んで、ドリンクバーだけ頼んだ。呼ぶためのボタンがあるんだからそれを使えよ、と言ってやりたかったが、どうせ無駄だろう、こいつは人の忠告を真に受けるようなやつじゃない、と思い直して、僕は出かかった言葉をメロンソーダと一緒に呑み込んだ。

 お互いがひと心地ついたところで、オサムが煙草に火を点けながら言う。

「で、なんの用だよ」

「ちょっとショッピングに付き合ってもらおうと思ってな。どうせ暇だっただろ」

「ゲームで忙しいんだよ俺は。それをこんな雑な呼ばれ方をしてよお……」

「そういえば、水憂ちゃんをひとりにして大丈夫なのか?」

「聞いちゃいねえなおい。……今日はお袋が家に居るから、ひとりじゃねえよ」

「そうか、ならよかった」

 全然関係ないけれど、僕は母親のことをお袋とか言う奴を漫画のヤンキー以外ではオサムしか知らない。

「で、ショッピングってなんだよ」

「買い物って意味だよ」

「そりゃ知ってるよ」

「知ってるか、さすがに」

「馬鹿しとんかあ」

 馬鹿にしてるかしてないかで言えば確実に馬鹿にしてるが、親しき仲にも礼儀あり、僕はこの言葉をなによりも重んじるため、答えには沈黙を返しておいた。

「買いに行くのはあれだよ、水憂ちゃんへのプレゼントだ」

「プレゼントぉ? おいおい、おまえ家の義妹に惚れたんかあ?」

「俺はなんでもかんでも恋愛方面の話に持って行きたがる奴が大嫌いだ。それとは関係なしにオサムのことが大嫌いだ」

「そんなに言わなくてもいいだろ! ごめんなさい!」

 もちろん冗談だよ、と阿呆にもわかるように説明してやる。

「いやさ、このまえ言ったろ。約束したって」

「? んなこと言ってたっけか」

 オサムのボケはスルーして、僕は話を続ける。

「音楽プレイヤーをあげる、って話をしてたんだよ。あのこ、クラシックにちょっと興味あるみたいだったから」

「そうなのか、水憂ちゃんがクラシックねえ。あ、そういやあの子の母親、わりと有名なピアニストだったらしいからな」

「ふーん、そうなのか。道理で」

 母親の演奏を聴いたりしていたのだろうか。それで月の光が好きなのかもしれない。

 ……母親か。水憂がいまオサムの家に養子としているということは、その有名なピアニストの母親はどうなったのか、想像に難くない。この話題には触れない方がいいだろう。それに、彼女のプライベートを、オサムという第三者の口から聞いてしまったという気まずさもある。

「つかさ、買い物行くならはやく行こうぜ。俺はもう帰ってゲームしたいんだよ」

 僕は頷いて席を立った。

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