2014年 2月27日 ②

 オサムの広い家のなかで、一階のおそらくはもっとも日当たりが良いであろう部屋に通された。

 部屋は狭くはなかった。むしろ僕には広く感じられた。だがそれはたぶん、ものが極端に少ないからだろう。あるのは高級そうなベッドと小さなテレビ、それと隅の方に新しい色の車椅子があるだけだった。窓は分厚い遮光カーテンで遮られており、僕たちが入るまでその部屋にはスタンドライトの小さな灯りがともっているだけだった。

「相変わらず暗いなあ!」

 オサムはそう言って、部屋の明かりをつけた。さっきまでの暗がりは嘘のように晴れた。そこで、僕は部屋の全景を知ったのである。

 ベッドの上には右目にだけ庇を作って、光を鬱陶しそうにする少女が、上体だけを起こしていた。空いた手には本が持たれている。僕は彼女の左目に眼帯が巻かれていることに気がついた。

「いつも言ってるじゃないか。本は暗いところで読まない方がいいらしいぞ、水憂ちゃん」

 少女は僕の方を、正確には僕の靴を一瞥した。そしてオサムの胸元のあたりをじっと見つめながら、まるでそこにオサムの顔があるのだと言わんばかりのしかつめらしい表情で、はい、と小さく頷いた。

 オサムはよろしい、と満足げだ。

「ところでなんだが、こちら俺の友だちの佐伯。佐伯秀。水憂ちゃんも話し相手が俺だけだとつまらんだろうから、連れてきたんだ。仲良くしてやってくれよな」

 自分の紹介がされたので、僕は一歩部屋に踏み入った。

「佐伯です。一応、オサムの友人です。よろしく」

 僕がそう言って軽く会釈をすると、彼女はやはりこちらと目を合わせず、僕の靴ばかりを見つめながら、こく、と会釈をした。ただでさえ下を見ながらの会釈だったので、それは小さなつむじが見えるくらいの深い礼のようになった。

 僕は、自分が彼女にとってとても迷惑な存在ではないだろうかと考えていた。とつぜんやってきた見ず知らずの男だ。そんな奴を部屋に入れるのは不快ではないだろうか。

「……君の名前は?」

 会話の流れから、名前はもうわかっていたが、一応訊いた。

「……水憂です」

 数拍おいて、返ってきた。彼女の見た目は、全体的に小さい。肩幅は細身の僕の半分くらいしかなさそうだった。背中が曲がっているのもあって、気弱そうだ。指で押せば崩れてしまうのではないかと心配になる。対して、眼帯に覆われていない右目は奇麗な二重まぶただった。小動物的な愛らしさがあるはずのその瞳は、どこか厭世的だ。そんな彼女の声は僕が思ったよりも低かった。不快な低さではなく、耳に残るアルトボイスだった。

「まあお互いそう堅くならず、話そうぜ!」

 オサムは持ち前のデリカシーのなさで、お見合いの司会みたいなことを言いながらどこからか持ってきた椅子を二脚並べた。僕たち二人はそこに並んで座った。突然見知らぬ男を伴った義兄にさあ話そうと言われた彼女は、居心地が悪そうにカーテンの模様を見ていた。若干の申し訳なさがうずく。

「俺がいないあいだ、なにか困ったことはなかった?」

 水憂はゆっくり首を横に振った。

「そっかそっか、ならいいんだよ。なあ佐伯ぃ?」

「そうだな」

 僕に振られても、そうだな、としか返せない。恨めしそうに睨まれても僕が口を挟むことじゃない。

「ところで、何の本を読んでた?」

 オサムの質問に、僕は水憂が手に持っている本に目を向ける。本にはブックカバーがつけてあって、タイトルは見えない。

「……」

 この質問には、水憂はじっと俯くだけだった。オサムは慌てて、

「ああ、答えたくないなら答えなくていいから!」

 とフォローを入れていた。僕は答えたがらない水憂の気持ちがわかる気がした。自分の読んでいる本を見られるのは、なんだか心の内を明かすようで気が進まない。

 ふと見ると、ベッドの枕元に何冊かの本が置かれていた。どれも小説だ。ジャンルに統一性はない。恋愛小説やミステリー、詩集、ライトノベルとまとまりがない。

「小説が好きなの?」

 僕は初めて自分から彼女に質問をしてみた。

 水憂はけして見なかった僕の顔を、ほんの一瞬、前髪の隙間から盗み見たようだった。

「……どちらでも」

 首を縦にも横にも振らず、そう答えた。 

 

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