2014年 2月27日 ①

 大学二年の春休み、僕がなにをしているかと言えば、なにもしていなかった。

 ベッドで横になり、本を読んで、眠くなったら寝て、たまに思い立ったらニュースを見る。僕の長期休暇はこのように素晴らしく浪費されていた。

 読んでいる本のお気に入りの一節を携帯にメモしていると、電話が掛かってきた。オサムからだった。ふっと脳裏に着信履歴が思い浮かぶ。ほとんどがオサムの名前で埋まっている。

 携帯を耳に当てた。

「よお、佐伯。今暇だろ?」

「そう思うか?」

「よし。じゃあ駅前に集合だ」

「暇だとは言ってないぞ」

 電話はもう切れていた。なんだこいつ、と反射的に毒づく。遊びの誘いなんだろうが、それにしても性急すぎるし言葉少なに過ぎるだろう。僕はしばらく自分の安穏を崩されたことの苛立ちを鎮めるのに時間を使った。どうにか自分を納得させるための材料を探して、「オサムだから仕方がない」と考えることにした。オサムとは長い付き合いがあるが、それで彼の対応に慣れてくるかといえばそういうわけでもない。

 僕は洗面台に行って寝癖を直し、歯を磨いた。歯を磨くのは大事だ。今日一日を始めるための良いインターバルになる。寝起きの頭がクリアになる。念入りに磨き終え、寝間着を洗濯機に放り込む。適当な服を取って着て、財布をジーパンの尻ポケットに突っ込んだらそれで準備オーケー。

 外に出ると、冷たい空気が体中をぶんと撫でていった。いまだ去らない冬の寒さに身震いする。部屋に戻って、コートを羽織る。今度こそ準備万端だ。




「待ったか〜?」

 悠々と現れたオサムを僕は半眼で見据えた。

「なんの用なんだ?」

「あー、それなんだがな」

 がりがりと頭を掻いた。オサムは人が当然行う「この言葉は言って良いのか悪いのか」という判断を下すための門に言葉を通さずに喋る。選別されていないそれらは無差別で、装飾がない。

 そんな彼が言葉を選んでいるというのは、なかなか珍しい光景だった。

「実は、これから俺の家に来て欲しいんだが……」

「はあ、まあそれはいいけど」

 別にオサムの家に行くのは初めてじゃない。大学生になってからも何度か足を運んでいる。とはいえ、あまり行きたいとは思わない。オサムの実家はなかなかの豪邸で、あまり気が休まらない。

「だったら、なんで直接呼ばずに駅で待ち合わせなんかしたんだ?」

「いや、それはほら……色々と話したいことがあってだな……」

「まあ、歩きながらでもいいだろ」

「……そうだな」

 僕たちは駅前の人だかりを歩いた。オサムは黙ったままだった。駅前の喧騒が遠のいていく。オサムは何も話さない。僕は話さないなら話さないでいいだろうと思いながら、コートのポケットに手を突っ込んで歩いた。

「実はだな、」

「ああ、うん」

 なかばぼうっとしていたところに、オサムの声が飛び込んできた。

「妹ができたんだ」

「……妹か」

「妹だ」

「ご両親はお盛んなんだな」

「義理の妹だ」

「義理か」

「義理だ」

 僕はどう言葉を返したものか、決めあぐねていた。妹ができた。義理の妹ができた。羨ましいことですね、とでも返せば良いのか。いや、オサムはどうやらなにか悩んでいるらしい。そういう雰囲気だ。だがオサムはそれからまたなかなか話し出さない。たぶん、僕の質問を待っているのだろう。質問されて、それに答えるという態でいきたいのだろう。正直、彼の家庭事情に興味はないが、このまま黙っているのも決まりが悪い。

「で、その義理の妹のことでなにか悩みでもあるのか?」

「ああ、そうなんだよ、その通りだ」

「お前だったら義理の妹とか喜びそうだと思ったんだけどな」

「いや、喜んだけど、喜べないというか」

「喜んだけど、喜べない?」

「その子がなんというか、かなり重い生い立ちなんだ」

「具体的には?」

「両親共に亡くしてる」

「……そうか」

「あまり詳しいことは言えない。軽はずみに言って良いことでもない」

「オサムにしては正しい判断だ」

 顔も知らない女の子のひどい生い立ちを、噂をするみたいに知るのは違う気がした。

「それで、その子と俺を呼び出したのと、どういう因果関係があるんだ?」

「話してもらいたい」

「話す?」

「話すだけでいいんだ。その、なんというかだな、あの子を家にあんまり独りにしとけないし、かといって昼は親もいないから二人っきりになるわけでだな……」

「気まずい」

「そう、気まずい。とてもな」

 オサムは珍しく困っているようだった。

 僕は頷いた。

「話すだけなら、別に構わないけど」

「おお、そうか! そう言ってくれると思ってた!」

 オサムは飛び跳ねんばかりの勢いで喜んだ。

「そんなに気まずいのか?」

 訊ねると、今の喜びようが嘘みたいになくなり、小さく頷いた。

「話はできる。だがどうもわからんというか。たぶん、俺の知ってることと彼女の知ってることが違いすぎるんだな……」

 要するに、話が合わないということらしかった。

「ただ、佐伯に少し似てるような気がするんだよ。だから、お前ならきっと仲良くなれるはずだ、そう信じてる!」

「俺に似てるは褒め言葉にならないから、妹さんには言わない方がいいぞ」

 話していると、もうオサムの家は目の前にあった。

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