2017年 12月24日 後

 店を出てから僕たちはカラオケに行くことにした。歩いて二十分ほどかかるカラオケボックスへ向かうあいだ、僕とオサムはたいした話をするでもなく歩みを進めた。とてもではないけれどこれから一緒に歌いに行くであろうふたりのテンションではなかった。オサムは胸ポケットから煙草をつまんで火を付けた。吸って、呼気とともに煙が吐かれた。ちなみに、僕は煙草があまり好きではない。臭いし健康に害がある。吸っている側としては娯楽として成り立つかもしれないが、こちらには良いことがまったくない。僕は道端で煙草を吸っている奴を見かけると、心のなかで「歩く公害」と馬鹿にすることにしている。あくまで心のなかだけであるが。

「おまえも吸うか?」

 オサムがセブンスターの薄青いケースをこちらに差し出してくる。

 僕は煙草が嫌いだが、興味がないではなかった。一本つまみ上げて、口にくわえてみる。すかさずオサムがライターで火を付けてくれる。いつもオサムがするように吸ってみると、なんとも言いがたい臭いが鼻の奥まで上がってきて、僕は思い切りむせた。

「まっず」

 吸いかけの煙草を足元に叩きつけて、雪と一緒に踏みにじる。

「おい、もったいないだろうが」

「それはごめん」

 少しだけあった興味も霧散して、僕には煙草が嫌いだという感情だけが残った。

「なんで煙草なんて吸う? メリットなんてなにもないのに」

 僕が訊ねると、オサムは水を得た魚のような得意げな顔をした。

「死ぬためさ」

「あ、そう」

「おい、掘り下げろ。俺の発言をもっと掘り下げろ」

 どうせたいした話もしないんだろうなと思いながら、僕は言った。

「で、死ぬためっていうのはどういう意味なんだ?」

「簡単だ。これは俺の自殺なのさ。超長期的な自殺だ。煙草吸ってりゃ肺がんにでもなって40、50くらいで死ぬだろ。こんな人生とはさっさとおさらばしたいんだよ、俺は」

「ほーん」

「佐伯、おまえ聴いてないだろ」

 僕はオサムにたいしてひとつ見方を改める必要があることを認めざるをえなかった。彼は馬鹿だが、モノホンではなかった。数年の付き合いだが、オサムはモノホンの馬鹿ではなく人並みに考えている馬鹿だった。要するに、僕と同じだった。長い付き合いなのに、オサムのそんな一面を知らなかった。ひとを正しく理解できていなかった。

「生意気なことを言う前に、まずは自分の金で煙草を買えるようになったほうがいいんじゃないか?」

「いいんだよ。俺の家は金持ちだから親のすねかじりでも」

「開き直るなよ」

「なあ、そのことだけはイジらんといてくれんか」

「善処しない」

「しろ」


 カラオケについて個室に入ると、オサムは有無を言わさず曲を連投していき、五曲先まで予約が埋まってからようやくその勢いは落ち着いた。聞いたことのない邦楽ロックをやかましく歌う彼を尻目にして、僕はCMで流れるようなJポップを適当に歌った。灰皿の吸い殻と、不快な臭いだけが外でまだ降っているであろう雪のように積もっていった。

 たっぷり5時間はカラオケボックスにこもって、僕たちがふたたび外に出るころにはすっかり深夜だった。もう少しでクリスマスも終わる。

「佐伯、じゃあまたな」

「ああ」

 それだけのやりとりで僕たちは別れた。

 ここから駅まではさほど遠くない。十分も歩けばつくだろう。空を見上げてみると、暗い空から電飾に照らされた雪がはらはらと落ちてくる。

 僕は歩きながら死ぬことについて考えてみた。オサムは煙草を吸うことを長期的な自殺だと言った。間違っていないと思った。少なくとも煙草を吸う奴は吸わない奴よりも不健康だし、不慮の事故なんかを除けば死期は確実に早まっている。オサムはそのことを自覚しながら、緩やかに死んでいたのだ。ファミレスで、彼は自殺するのが恐ろしいと言っていた。いざ自分が死ぬところを考えると震えるのだと言っていた。煙草は死にたいが死ねない彼なりの抵抗だった。

 僕はどうだろう。なぜ僕は生きているのだろう。つまらない人生だ。クリスマスに恋人と手もつなげない、どぶに捨てても沈んでいくだけのくすんだ命だ。なのに、なぜ僕はそれをまだ捨てずにいるのか。理由はなかった。それはもう失われた。僕は僕の命を絞首台にかけて、そのままにしている。いつでも捨てられるものを気まぐれで持ち続けている。僕が四階のベランダで洗濯物を干しているときにそこから飛び降りない理由はなかった。炊事場で包丁を握っているときそれで己の喉を引き裂かない理由はなかった。生きている理由はなかった。

 券売機に千円札を入れて、適当な切符を買った。改札を通って駅のホームに立った。白線を少しはみ出して立つ。周りに人気はない。ぽつりぽつりと見えるひとは寒そうに震えていた。まるで怖がる子供のようだと僕は少しだけおかしくなった。

 間もなく電車が走ってきた。遠くの方に一対の灯りが見える。ホームを降りて、線路の上に立つ。腕時計を確認すると、ちょうど零時になるころだった。彼女の命日が終わるころだった。

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