白夜
ペキニーズ
2017年 12月24日 前
後悔していることがある。
僕にはふたつの選択肢があった。そのどちらを選ぶにも制約はなかった。僕はまったくフラットな状態でふたつの内のひとつを選択し、その後数年に及ぶまで後悔し続けている。馬鹿な話だった。いままで生きてきて後悔したことなんていくらでもある。夜、眠れなくてベッドの上で横になっているとき、僕はよくそういうことを思い出す。なぜ中学で好きだったあの子に告白しなかったのか。なぜあのとき友人にあんな言葉を言ってしまったのか。いくらでもある。いくらでもあるなかで、僕を縛って離さない後悔があった。
過去に戻れたら。そう考えることがある。僕はまた同じ選択をして後悔してしまうかもしれないし、あるいはまったく違う選択をして、まったく違う未来を生きているかもしれない。
ベッドに横になりながら、僕はいつも考えている。
あのとき、彼女を殺していれば。
「自殺できるってすごくねえ?」
向かいの席で、オサムが携帯を眺めながら言った。僕はファミレスのドリンクバーの偉大さを噛みしめながら、五杯目のメロンソーダをちまちまと飲み込んでいるところだった。
「俺ぜってえできねえもん。怖すぎて。想像しただけで泣きそうになるし。死ぬのとかマジ無理だわ」
こちらに向けられた携帯の液晶には、「女子校生自殺」と銘打たれた記事が映されている。ほーん、と僕は適当に相槌を打った。ストローを吸っていると、ずびずび、と音がした。コップはもう空になっている。僕は席を立ちトイレに行った。
小便を済ませ、手を軽く洗って唾を吐くと、ナメック星人の肌みたいな緑色だった。メロンソーダの着色料だった。僕は自分の体からこのような色のものが出てきたことに気味が悪くなって、念入りにうがいをしてから店内に戻った。席に戻るついでに、ドリンクバーに寄る。なにを飲もうかと考える。メロンソーダのボタンに手が伸びかけて、さっきの緑色の唾がフラッシュバックした。僕はコーラを飲むことにした。黒色のコーラならそういう喉でわだかまるなにもかもを洗い流してくれそうな気がした。
席に戻ると、オサムが携帯を横に向けてゲームをしていた。
「女子校生の自殺は?」
と僕は訊いた。
「はん? なんだそりゃ?」
オサムは馬鹿みたいな顔で、馬鹿みたいなゲームをしながらそう言った。僕は、こいつは本当に馬鹿なんだな、と再確認した。
世の中には、本物の馬鹿というのは意外といない。 もしかしてこいつはなにも考えてないんじゃないかと思ったやつでさえ、人並みに色々と考えている。コンビニの前で深夜たむろしている青年たちでさえ、きっと色々考えている。だがオサムは正真正銘モノホンの馬鹿だった。彼はなにも考えていないし、考えたとしてもそれはほんの表面を撫でるような思慮であって、考えたと言えるようなものではない。ニュースを見ながら薄っぺらい感想を漏らし、次の瞬間には忘れている。ゲームをしているときの頭は漂白された白Tシャツより真っ白だ。
とにかく、彼は馬鹿だが、馬鹿だからと言ってそれがオサムの人間性を著しく下げることにはならない。馬鹿だからこそ、彼には裏表がないし、付き合いやすい。肩肘張らずに話すことができる。僕はオサムと話しているとき、小学校の児童保育のアルバイトをしていたときのことを思い出す。子どもはよくも悪くも正直だから、自分を見つめ直すための鏡になる。
「なんのゲームしてるんだ?」
「パズルアンドタイガース」
「まだやってるのか」
「リリースされてからずっとやってるぜぇ」
「よく飽きないな。俺も一時期入れてたけど、3時間でやめたよ」
「一時期すぎんだろ。てか、佐伯ってゲームとかすんの? 意外だわぁ」
「ほとんどしない。周りがやれやれってうるさいからなんとなく入れてみただけだよ」
鬱陶しいくらいに流行っていたゲームだったから、やっていないと逆に浮くほどだった。だから一度やってみよう、もしかしたらハマるかもしれない、そう思ったが、そんなことはなかった。僕にはこのゲームの楽しさの一欠片も理解することができなかった。下らない、幼稚だとさえ思った。当時こじらせていた高校生時代だったのもあって、周りの人間が全員馬鹿に見えた。だがそうではないのだ。ああいうゲームはゲーム自体を楽しむのではなく、同じゲームをしている人間と共鳴するためにやるものだったのだ。友達の少なかった僕にはわからなかったことだ。
「はぁ〜人生やり直してえわぁ」
オサムが唐突に携帯を机の上に放り出して言った。
「なあ、なんで俺らクリスマスだってのに男二人でファミレスにいるんだろうなぁ?」
「一緒にすごす女性がいないからだろ」
窓の外を見ると、日が沈みかける薄暗い街のなかを静かに雪が舞っていた。僕は肘を突いてそれをぼうっと眺めた。しんしんと降り積もっていく雪が聖夜を単色でデコレーションしていく。雪は好きだった。けれど、3年前からそうでもなくなった。好きだった頃の気持ちは思い出せるし、嫌いになったという話でもない。ただ、なんとも思わなくなった。雪を美しいと感じる情緒が、まるで作った次の日の雪だるまみたいに跡形もなくなっていた。
嫌なことを思い出さないように、僕はコップになみなみ注がれたコーラをぐっとあおった。黒色の液体が喉を流れていく。奥の方でくすぶっていた苦味がかき消されたような気がした。
「人生やり直したくないやつなんているのかね」
ぽつりと呟くと、オサムも、
「だよなぁ〜」
と同調した。
「まあ、もし俺が人生やり直せても、佐伯とはまた友達になるから。安心しろな?」
「うるっせえよクソニート働け」
「おまえ、それだけはいまのデリケートな俺に言っちゃいけないことだからな」
わめくオサムとともに僕たちは店を出た。積もりかけの雪に吐いた唾は黒かった。
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