Intermission 1 渕崎ほのかが『放浪息子』を読んでみる
よくわからない古い道具がたくさん置いてあるレトロ空間全開な喫茶店。
渕崎ほのかは、ロングスカートと不思議な形のカーディガンというシモキタ風ファッションを着ている。
喫茶店のドアを開けると、店の奥から手を振る人物がいた。
「やーやー、どーもどーも。
作者の冬寂ましろさんですよぉ!
きゃぴきゃぴっ」
「…ひくわ…」
「これはこれは。
くいしんぼ系オトコの娘、渕崎ほのか君ではありませんかー(棒読み)」
「作者のお願いだからと言うから、来たんですけど…。
なんかすみません、無理。だめ。イヤ」
「まあまあ、そう言わずに。
ここのショコラムースは完璧おいしいですよ」
「…いただきます」
ほのかは不承不承、椅子に座る。
「もう、ほのか君ったら。
このくいしんぼさんめっ!」
「…いい加減にしないと、これ読んでる人もドン引きですよ。
ほら、いま、そっとブラウザを閉じようと…」
「いや、懐かしいんじゃないんかな?
私も『スレイヤーズ』のあとがきで育った世代ですし…」
「なんですか、それ」
「がーん、がーんがーん…」
作者、椅子に座ったままのたうちまわる。
「ほら、そのリアクションとか、年寄りっぽいですよ」
「ひっ、私の擬音がヨボヨボヨボってなってる!
読んでる人にまで!」
「僕知ってますよ。
最近は築地本願寺の寺カフェとか渋いところに入り浸ってるし、
歳取ったら徹夜できなくなってるし、
仕事の逃避ばかりしてて、やる気なくて、あの日も…」
ほのかの口に人指し指を押し付ける作者。
「作者の個人情報を漏らすような真似はいけないと思うなあ、私は」
「ふ、ふぇい」
ゆっくりと手を放す作者。
「よろしいよろしい」
「…で、僕を呼んだのは?」
「いやあ、女装している当事者に『そういう作品』を読ませたら、
どういう反応をするのか、ちょっと実験してみたくなってね」
「本当ですか? なんか企んでいませんか?
…まあいいですよ、それぐらいなら」ぷいっ。
「んもう、かわいいんだからっ、この子ったら」
「…キモ。
それで読んでほしいのはなんですか?」
「じゃーん、今回は、この志村貴子先生作『放浪息子』!」
「いきなり大物ですね。有名な作品じゃないんですか?」
「まあ私はコミックビーム連載当時から読んでて知ってるから、なんともだけど。
その界隈の人はだいたい読み知ってて、
普通の人にはあんまり読まれていない作品かな」
「え、そうなんですか?
アニメ化されてますよね」
「そうなんだけどね。
意外と知られていないんだ。残念なことに」
「ふーん」
「私としては、同じ志村先生の『青い花』、
いけだたかし先生の『ささめきこと』と一緒に読んでほしいけれど、
うーん、ほのか君には百合はまだ早いと思う」
「なんですか、それ」
「まあまあ、とりあえずこれ読んでよ」
どさっ。
漫画がテーブルに積まれる。
「…いいですよ。読むだけですからね」
3時間後。
「うわーうわー。
なんだこれーなんたこれー。
うわーうわー」
ほのかは身もだえしている。
「この反応。そう来たか…」
「いやあいやあ、どうするのこれ、
どうなるのこれー。
うわーうわー。
二鳥くん30歳の話が読みたいっっ!
頼むから幸せでいてくれっっ!」
「…感想を聞きたいんだけど、どうかな?」
「千葉さんマジ僕だー。
千葉さんに感情移入しちゃってもう」
「え? 二鳥君ではなく?」
「そう、千葉さん。千葉さんの猫っぽいところ。
感情が高じてあれこれやって、うまくいかなくなったら引きこもったり。
引きこもりの時に『誰かの愛人になる』というセリフがほんとそれっぽくて…。
反逆したりとか空回りしたりとか、他人との距離感が僕に近いかなあ」
「そうか…。そうだろうなあ。
二鳥君のほうはどう?」
「うーん、恵まれているとしか…」
「そうなの?」
「二鳥君と高槻さんの大人の友達も言ってるけれど、恵まれていると思うんだ。
周囲も最終的には放任かもしれないけれど女装を断念させないし。
サブストーリー的に容姿に恵まれなかった人が、別の性になることを
あきらめたり、容姿がいい人にあこがれたりするところもあって、
これはかなりリアルっぽいです。
でも、この二人は、なんというか…、とても恵まれている感じがする。
完全な悪人がいない世界というか」
「私もね。
当事者の人に聞くと、リアルな話じゃないんだけど、いろいろ恵まれている
主人公達にハラハラドキドキさせられて、最後は癒されることが多いって
言われたね」
「やっぱり」
「たとえをひとつ話そうか。
いろいろな当事者に聞いたけれど、だいたい登校拒否になる子が多くて、
早い子は小学校からもう学校には行けなくなるんだ」
「おお、僕と一緒?」
「まあそうだね。
理由は様々だけど、第二次性徴を無事に過ごせないんだ。
悲惨な子だと、のどをつぶしたりとか、血が出るまでひげをかきむしったり
とか…、もっとたいへんなことも…」
「うわ…」
「ほのか君もそうだろうけれど、内側からだんだん『怪物』になってく感覚は
耐えられないらしい。
そうなるともう学校という集団生活は恐怖にしかならない。自分の将来が
同級生にあったり、自分の怪物であるところをからかわれたりするからね。
『放浪息子』ではそういう葛藤も描かれているけれど、それでも主人公は
学園祭を過ごしたり、修学旅行に行ったり、多くの当事者が過ごせなかった
姿がそこにある。
これはもう当事者にとっては現実感のないファンタジーなんだ」
「うーん、そうすると『放浪息子』は救われる話なんだね」
「なるほど、ありえない話を楽しむ、というのは英雄譚を読む心境かもしれない。
そこには現実には罰せられない悪人がストーリーでは英雄にきちんと罰せられる
という爽快感とか、そんなのと似た救いがある。
さすが、オトコの娘、いいこと言うね」
「でもいまなら、性同一性障害という診断がつけば現実にもある程度救われるん
じゃないんですか?」
「そうなんだ。この作品が連載されていた頃には、そういう医療の道もあったんだ
けれど、あえてそこには行ってない」
「えー」
「この『放浪息子』のすさまじいところは、それまで『ストップひばりくん』や
『HEN』にあったような性別が同じところからくるドタバタラブコメディが
メイン路線だった当時、ぐっとリアル寄りにしたうえで、それでもお話としての
ファンタジーを残しているところなんだ。
この匙加減は本当にすごい」
「それはそうかも…」
「例えば徹底して幕引きというのをしていない」
「幕引き?」
「二鳥君の最初の女装がばれたとき、性同一性障害を診断できるお医者さんに
連れていければ…。
あるいは逆に誰かがそれはよくないことだと諭して転校させたりとか」
「ああ、環境は変わってないんですね。いろいろ人の出入りはあるけれど」
「そうなんだ。中学から高校まで、異性装しながらも、どうにかまわりと付き合い
を続けている。
そこがこの話のすさまじいところで、リアルではなかなかそうもいかないし、
そういう事例もあるけれど、ちょっと様子が違うんだ。
だいたいは、環境を変えて新しいところで女の子として暮らします、
もう葛藤なし、ばんざい、以上、になってしまうからね」
「それだと身も蓋もないような…」
「まあ読ませる話にはならないね」
「うーん、そっかー」
「最後は、ちゃんとこの意味での幕引きをさせているのが、なんともすごい。
新しいところに旅立ち、そして新世界で幸せになれる予感がある。
一方でもうひとりの主人公である高槻さんは留まるんだ」
「この対比と、そしてお互いの心がこれまで振り替えって放たれたあのセリフは、
何度読んでも、うわーってなれます」
「ほかにもすさまじいポイントはたくさんあるんだけど…」
ほのか、じってテーブルを見つめる。
「僕はどうなるのかな…」
「にやにや」
「なっ。
僕はおいしいものをおいしく食べたいから女装しているんですからね」
「あーはいはい」
「んもう」ぷぃ。
「かわいいなあ、ちくしょー」
作者、立ち上がってあやしい踊りを始める。
「もう、やめてください。
ちょっと、マジでやめて」
「はい」
作者真顔で、椅子にすとんと座る。
ほのか、作者に問いただす。
「それで、この後どうするんですか?」
「3話に1回ぐらいは、実験としてそういう作品を読んでもらうよ」
「え、まだ続けるんですか、これ?」
「だってぇ、楽しいじゃぁなぁい」
「誰が楽しいんだ…」
「君のような無垢な子にこういう知識を植え付けて育てていくという過程を
みんなで楽しむというところがね…」
「むう」
苦い顔をするほのか。
にこやかな作者。
「次は『ボクガール』か『プラナス・ガール』でも読んでもらって、
オトコの娘ファンタジーで求められているものがどういうものか見てもらおう」
「…次は踊らないでください」
「善処しよう」
「さあ…」
「「『放浪息子』みんなで読もう!」」
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