第3話 渋谷の特選メロンパフェ
窓の外では雨がさわさわと降っている。僕は、ほおづえをつきながら、それをただぼんやりと眺めていた。
はぁ…。
フルーツパーラーはちょっと感傷的になっちゃうな…。
ショーケースに並べられた蝋細工のパフェやプリンが並んでいる、どこか懐かしい雰囲気がするフルーツパーラーが、僕はとても好きだ。まだおばあちゃんが生きてたころ、小さい僕は姉さんと一緒によくそういうところに連れられて、フルーツがたくさん乗ったパフェを食べさせてもらっていた。おばあちゃんはやさしい目で、もぐもぐしている僕をずっと見ていてくれたっけ。
ふと、そんなことを思い出してしまった。
もうそんなふうに見守ってくれる人はいないんだな…。
松浦さんから教えてもらったこのお店は、渋谷の一等地にあるわりには居心地がよかった。ふかふかのソファー、白いテーブル、落ち着いた木目調の仕切り、緑色の壁。老舗っぽさがあるのに古くさくはない落ち着いた雰囲気。それに雨のせいなのか、お客さんも少なく、ゆったりとした時間が流れていた。
ここは、あんまりゆったりしていて、つい思い出しても仕方がない記憶ばかり頭をめぐってしまう。
松浦さん、早く来ないかな…。
店内を見回すと、みんな女の人ばかりだ。女の人の格好をしている僕も、ここに溶け込んでいると思う。
きっと。たぶん…。
今日はフルーツパーラーに合わせて、ドット柄の少し古めのデザインをしたワンピースを着てきた。自分ではお嬢様っぽいと思っているけれど、どうなんだろう…。
松浦さんはまた苦い顔をしてくれるのかな…。外から雨の音が聞こえる。松浦さんはどんなことを言うのかな…。雨が僕にまとわりつく。松浦さんは姉さんのものじゃないか…。雨が不安にさせていく。松浦さんは…。
…んー。よくないな。
そろそろ紅茶だけで過ごしているのも気が引けてきた。
やっぱり待たずに食べちゃおう。
メニューをぱらりぱらりと見ていく。パフェのようにクリームやアイスを食べるもの、プリンなどほかの甘みと合わせるもの、またはあんみつなど和テイストのものが供されているけれど、フルーツパーラーでは、どんなものでも主役がフルーツなのだ。ここが他の喫茶店やケーキ屋さんと違うところ。
ここでいろいろ考えてしまう。フルーツの盛り合わせでもいいのではないかと。たくさんの主役に立つに囲まれるのもいいけれど、でもやっぱりクリームやスポンジといった名脇役があってこそ、主役が輝くというものなんだ。
うーんうーん、悩んでしまう。
ここはやっぱりパフェにすべきだろうか。フルーツパーラーでパフェを食べる。なんとも正しさあふれるじゃないか。
メニューには旬の果物が載ってた。
桃、メロン、マンゴー。
この3つから選ぶのは難問過ぎる。桃かー。うーん桃。桃おいしいよね…。マンゴーも夏っぽくてぴったりな気がする。メロンもいいよね…。じゅわっとするし…。
うーんと悩んでいたら、ふと自分が着てきたお嬢様っぽい服が目に映る。
お嬢様と言えばメロンです。
そうであるのなら。
ここはもうメロンのパフェです。
値段はそれなりにするけれど、まあ…。松浦さんがあとで払ってくれるはずだ。
よし、決めた。
声を小さくして店員さんを呼ぶ。メニューを指さしてお願いする。
「すみません、これお願いします」
「特選マスクメロンパフェですね。ありがとうございます」
ほっとひといきする。いつも注文は慣れないや…。声のせいでばれないかとどきどきする。もしかしたら何もしなくてもバレてるかも知れないのに。
僕は何で女装しているんだろう…。
それは周りの雰囲気を壊さずおいしくごはんを食べるため。でも…。
「お待たせしました」
うわうわー。
金色の豪奢なお皿に載っけられたガラスの器。そこには、クリームとシャーベットが半分ぐらい入っていて、上には大胆にカットされたメロンがたくさん刺さっている。クリームはその真ん中にちょこんとかわいく載せられている。圧倒的なメロン。最高の主役。果物の横暴。
それでは…。
金色のフォークをメロンに差し、口に運ぶ…。
んんんっっっ!
お口の中に甘いのが溢れちゃうぅぅぅ!
じわっとするっ! じわっとするよおっ!
これ好き! 好きっっ!!
甘みにコクがある。これは誰もが言うだろう。このコクというのは、ここではうまみのことだ。果物のくせにうま味がある。それがぎゅっと詰まっていてなお甘い。これでは、たまに食べているスーパーのメロンが、水のように感じてしまう。
これはとんでもないぞ…。
次にクリームをちょこっと乗せて食べてみた。これもすごくいい。クリームのなめらかさが、メロンのコクと合わさって、なんともまろやかな味になる。
うーん。すごいな。
ガラスの器の奥の方をスプーンですくって、キラキラとしたシャーベットを食べてみる。んっ、おいしい。メロンのおいしさが何倍にも折り重なって、ひんやりとしていて…。
おいしさの余韻は、とても長く続く。一口食べるだけでこんなに幸せになるなんて…。女の人はずるいな。
さて、またスプーン一杯の至福を…。
ん?
テーブルに誰か近づいてきた。
松浦さんかな?
顔をあげる。
そして目が合った。
「あら、渕崎君じゃない」
「委員長!」
目の前にいるのは、僕がほとんど行っていない高校のクラス委員長だった。
いけない、しかもこんな格好。
僕は慌てて席を立つ。
「逃げなくていいわ。ちょっと話がしたいな」
そのまま向かいに座られてしまった。
「いっしょに食べましょう。ほら席について。あ、末長さん、私、プリンアラモードをお願いね」
僕はどうしたらいいのかわからず、座ってしまった。
「ここ、私の家」
「はい?」
「うちの親が経営してるの」
「…そう」
「ここに来ないと親になかなか会えなくてね」
「そうなんだ…」
僕は必死に顔を上げないようにしていた。
笑われる。おかしいと思われる。変態だと蔑まれる。絶対、絶対に。
「最近学校に来ないなあと思ってたら」
委員長は、ただほほえんでいる。呆れもしていないし、ただニコニコと。
「学校に来ないのにはいろいろ理由があるのでしょうね」
理由はこれじゃない。僕は…。
「僕はただ…。女の人が多い店に男の格好で来るのが嫌なだけで…」
委員長はまじめに返す。
「普通は、そんなふうに考えないものよ」
「そ、そうかなあ」
「まあ、確かに女性のお客様のほうが多いけれどね」
そうだ。女性が多いのに男の人が居るなんて。
「でもそんなところに男の人が居たら浮くんじゃ…」
「浮くかも知れないけれど、でもそれほどじゃない」
え…。そうなんだ…。
「あなたは似合っているほうだと私も思う。
私はそう思うけれど、世の中はそう思う人ばかりじゃないわ」
「それはそうだけど…」
「今は一時的なものとは思うけれど、
あなたにはもっとたいせつにしないといけないものがあるわ」
…。
たいせつなものって…。
なんだろ…。
「いいかどうかわからないけれど、いまそういう格好をするのは、
将来を狭めてしまうことになるわ」
「僕はただおいしくご飯を食べたいだけで…」
「あなたはわかってるの? これから髭も生える。体もごつくなる。
声ももっと低くなる。それは見られたものじゃない」
「…そうだけど…」
「…まあ、私にはどうでもいいことだし、
あなたにとってもどうでもいいことかもしれない」
委員長が僕をのぞき込む。
「ただね。私はあなたを心配している。ただそれだけ」
委員長はニコニコとしていて、正しさに溢れていて、やさしさでそう言ってるだけなのだろう。
それはわかる。
でも…。
そんなやさしさが僕を殺しに来る。
「…でも…僕は…」
「学校では、このことは言わないわ。安心して」
委員長は人差し指を立てて口に当てる。
「でも…」
「わかった、口止め料としてここの支払いは私が持つから」
「でもそれじゃ…」
「ふふっ」
ぱっと伝票を取られてしまった。
「いいから学校に来なさい。私たちは今の時期は、学ばねばならないのよ」
僕は誰にでもするあいまいな笑いを返す。
学校に行く気はあまりない。むっとする。僕は僕でありたい。おいしいご飯を食べたい。好きなことをしていたい。笑っていたい。安心したい。
でも学校に行かなくては働いてお金を出してくれる姉に申し訳ない。勉強をせねばならない。友達を作らねばならない。人並みの青春を過ごさねばならない。姉を楽させてやらねばならない。世間から見れば女装してご飯を食べ歩くなんて言語道断の大変態。
どうしようもない人間。それは僕。
消えていなくなりたい。できることなら。
ざりっとした気持ちが、クリームと合わさり、ドロドロとして甘くて苦くてよくわからないものになって、僕の体をみにくく満たしていく。
味がもうよくわからないや…。
僕はそのまま店の外に出た。
感情が行き場をなくして、どうしようもなくなって、気がつくとじわりじわりと泣きだしていた。雨と涙が混ざり合って、ひとつになって、僕を侵していく。
目の前に松浦さんが居た。
「どうした?」
「同級生に会った…」
松浦さんが僕に傘をかける。
「なんか…」
「そうだな」
松浦さんが僕の横に並ぶ。
「やだな…」
「そうか、そうだな」
松浦さんが濡れた僕の頭をぽんぽんとする。
雨の中、泣いている僕と困った顔をした松浦さんは、ただただ歩きだした。
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