第二話 錆びた心
錆びた色。錆びた音。錆びた匂い。
誰もが顔をしかめるような空間を、ラプラスは眉ひとつ動かさずに進む。ガラクタの山は時々異邦人の侵入を抗議するように軋み、群れる生き物にも見えた。
平野に築かれた円形巨大都市、通称"
「レプト、対象者の位置をもう一度送ってくれ」
周りにはラプラス以外の人影は無い。どうやらここにいない者に向かって話しているようだ。しばらく間があって、少年らしき声が返ってくる。
「了解。ほぼ同じ座標でうろついているみたいだよ。何か探し物でもしてるのかな?」
からかうようなレプトの口調にも何の反応も返さず通話を終え、ラプラスはたった今乗り越えたガラクタの山を振り返る。センサーが空間ののあらゆる要素を数値化して表示する。正常値だ。前回の測定と大差無いという意味において、だが。生身の人間なら一呼吸で死に至るだろう。
今更確かめるでもなく、この地には何の生体反応もない。ここにあるすべてに生命は無い。
この先はなだらかな下り道が続いている。未開発区域がいかに広大であるかがよくわかる場所だ。そこで初めてラプラスは僅かに眉をひそめた。
遠くに人影。会社員らしきスーツ姿の男や、ランドセルを背負った子ども。一般の市民たちだ。だらしなく首を垂れて鉄屑の中をふらふらと歩き回り、まさに探し物をしているような挙動。
「対象を視認した…接触する。」
「了解。対象のセンサー全般は調整済。姉さんのことは仲間だと思ってくれるはずだよ。」
ラプラスが足を踏み出す度に錆びた金属が耳障りな音を鳴らしても、"対象"の人々がこちらを気にする様子は無い。見れば見るほどどこにでもいる一般人であり、そのような人々が立ち入り禁止区域をうろつくことなどあり得ない。充分に奇怪な光景である。
一つ、大きな溜息を吐く。
「
「…
3、2、1…解除確認」
レプトの声を聞くと同時に後ろから男の肩を掴む。何を察したのか男も、その周辺の人々もぴたりと動くのをやめた。束の間の静寂。
肩を掴む手に力を入れ男の身体を引き寄せて、ゆっくりと、しかし鋭く声を発する。
『直ちに最新版のアップデートを実行せよ』
びくりと男の身体が跳ね、こちらを振り返った。怯えと恐れを隠そうにも隠せていない目。
『…何の話だ?バージョンは常に最新版だ。アップデートは随時自動で実行される。』
声が震えている。今の言葉に嘘があったことを、彼自身が証明している。
『ここがどういう場所か…君はわかって言っているのか?』
男の瞳孔が開く。他の人々は完全に停止している。この未開発地域は文字通り、我々の管理外の空間である…接続できるネットワークは万が一にもゼロ。この区域にいる間、アップデートはできない。
『ここ が ど こ か っ て ?』
男の声にノイズが混ざり始める。開ききった瞳孔は不規則に揺れ、唇が痙攣している。
「…異常反応を確認した。姉さん、彼らは…」
パッチは間に合わなかったか、効果が無かったか。この際どちらでも良いことだ。
耳に入る音声を聞き終わらぬ間に男の手を後ろに、右足で背中を蹴り地面に組み伏せる。足で抵抗を受けるがよろめくこともなく、男の頸にあるポートに円柱状の小さな黒い物体を挿し込む。高圧電流生成機だ。原始的な安全装置として、私たちに一定以上の電圧が身体に流れた場合、データの破損を防ぐために自ら外部入力/出力を打ち切るように出来ている。男は1秒と経たずぱたりと気絶した。
短く息を吐き、前を見据える。じっとこちらの様子を見ていた人々が、じりじりと近づいてくる。口々から漏れるノイズが、呼吸音のように聞こえる。ラプラスはじっと目を細めた。哀れむような、蔑むようにも見える冷たい視線。
最初に飛び出したのは少年だった。ラプラスの首にまっすぐ摑みかってくる。が、その手を軽く払いのけ左膝で一撃、その勢いのまま女の右頬に肘を当てる。打撃音に混じってぶちり、と断線する音。女は力なく崩れ落ちる。不意をついたつもりで後方から忍び寄った男に後ろ回し蹴りを入れる。次の相手を視認することすらせず正確に運動系を司る箇所を破壊していく。
ラプラスが握った拳を緩めたとき、再びこの空間はガラクタの軋む音に満たされていた。その目には何の感情も映っていなかった。
気絶したままの男に近づき、下の瞼をまくり上げ眼球…黒目の下に小さく印字された型番を見る。と同時にレプトからの通信。
「今現在接続が切れている個体のナンバーを確認した。それらはみんな、」
「…ネハ型、か。」
「うん。やはり今一度詳細な調査をするべきだ。マスターデータじゃなくて個体そのもののね。って事でサンプルよろしくね」
サンプル、という言葉に微かに顔を渋くした。ラプラスが”個”を軽んじる物言いを嫌うことをレプトは知っているが、目的の為には手段を選んではいられないこともまた知っている。
「…一人だけだ。他は
通信を切って誰もいない大地に向かって口を開く。
『とにかく…運ぶぞ。』
『『あいあいさー!』』
遠くの方から何人かの元気のいい声が響き、どたどたと走ってくる音。人っぽいものとしか形容できないものたちが近づいてくる音である。皆外見は同じ。子供が描く顔のように簡素な目と口があり、全体は丸っこくて愛らしさを感じる小人だ。それはわらわらと倒れている人々に群がり次々と持ち上げる。行く先を目で追っていくと、地面に突然真っ黒い穴が開いたように見える。携帯型のワープホールだ。小人たちは雑に人々を放り込み、自身らも列を成して飛び込んでいく。
ラプラスは最後に辺りを見回し、何か思案しているような素振りを見せた後、黙って穴に入り込んだ。ワープホールはゆっくりと閉じ、元の喧騒が戻ってくるのだった。
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