第22話
「どーすんのよ!」
吾輩は知らん! 今はとにかく逃げろ!
殺されてもなんとかしてやるが、この場でするのはとてもまずい!
とにかく、ひと目につかない場所に移動だ!
「どひぃっ!?」
真横の壁がえぐれて、コンクリートが転移。
篠原の魔法で重力の向きが変わって、壁を地面に廊下を全力疾走。
「だぁぁぁぁ! 一歩ごとに床の向きが変わってるぅぅ!」
その時、みぅのスマホが鳴った。
耳につけたままのワイヤレスレシーバーのスイッチを入れると、
『鳴瀬さん! ホワロですの!』
「役立たず!」
『面目ありません! わたくし、動物園のゴリラの檻にワープさせられましてよ』
「それ大丈夫なの!?」
『ええ。群れのリーダーをワンパンで沈めて、いまはわたくしがボスですわ』
「一生檻に閉じこもってなさい……ところで、あれは何者よ!?」
『説明します。ヤツのコード名はニルヴァ・イレイズ。1000体のダークエルフを素材に造られた第三世代型魔導寄生体、魔王軍が開発した勇者殺しの勇者ですの』
みぅは、ホワロと通話しながら。
床に転がった拳銃を拾い上げると、何も考えず篠原に向けて発射。
反動が強すぎて、天井に穴を開ける。
『死体に憑依して稼働する大戦技術の到達点、ニルヴァの魔法系統は純粋な闇』
みぅのヘタクソ! 1発も当たってないぞ!
貴重な弾を無駄遣いしおって!
「うるさい処女膜! 役立たず! なんとかしてよ、バカァl! ホワロさん! 相手に不足なし! それは分かった! ヤツに弱点はあるの!?」
『五感に不備があります。第三世代型魔導寄生体は、人の死体に宿って自在に操る憑依人格。いくら死体といえど擬似的な生体活動を行いますので免疫反応は避けられません。そこでニルヴァは、免疫反応を限りなくゼロまで抑制する為、生体機能の一部を停止させております。味覚、嗅覚、痛覚、代謝機能の一部、体温維持――』
どうにか目立たない場所に移動しろ!
もう屋上でいい! エスケープの目標地点は屋上だ!
だから、死なずにそこまで走りぬけろっ!
「無茶言わないでよ!」
『ニルヴァは最強の勇者殺し。最強であるがゆえ容易には勝てません。ですが、最強の勇者と誉れ高い鳴瀬さんなら、どーにかできるかもしれ――』
「ホワロさんも無茶言わないで!」
『勇者エイリス! 武運を祈りますわ!』
そこで通話が切れて、キレたみぅはレシーバーを耳から外して投げ捨てた。
弾倉に残っていた弾を、やけっぱちで射撃。
やはり反動が強くて天井に風穴を作るが、そのうち1発がスプリンクラーを直撃。
圧力タンクから開放された水が、廊下にぶしゃーと雨を降らす。
すると、不思議な現象が発生した。
床に落ちるはずの雨が、篠原の周囲では不可思議な軌道で漂い始めたのだ。
「……くっ」
スプリンクラーに由来する、球体状の水膜で包まれた篠原。
それが目眩ましになって、一瞬だけ隙が発生した。
篠原は視界確保を優先すべく、自身を守る重力障壁を解除すると、
「――――ッ!」
虚空に軌跡を引くのは、獲物を見据えたみぅの凶眼。
全力逃亡から一転して、神速の踏み込みで反転したのだ。
鉄錆の浮いた銃口を、篠原のおでこに押し当てる至近距離まで近づけて。
「保身なきィィ!! ゼロ距離射撃ィィッッ!」
銃口を密着させて行ったバースト射撃は、篠原に致命的な損傷を与えた。
軟質標的の破壊に優れたソフトポイント弾頭で奥歯が砕かれ、砕けたエナメル質の破片が顎を断ち割り、眼球が崩れ、頭蓋が穿たれ、脳髄が破壊され、燃焼ガスが頭蓋内部に流入し、行き場を失った燃焼ガスの膨張圧が、頭骨を「パシャッ」と風船のように破裂させ、筋肉と頭皮の隙間に入り込んだ燃焼ガスがグレープフルーツを剥くみたいに「ベロンッ」と、頭皮を剥離させた。
うむ、非常にグロい。
さすがは、悲惨な戦争経験者だ。
殺人に躊躇がなく、方法に容赦がない。
みぅは、篠原の両膝に1発ずつ撃ち込む。
余った弾丸を股関節に1発。
弾が尽きた拳銃を頭蓋骨の裂け目に押し込んで、上履きでドカドカと踏みつける。
ここまでやる必要はないように思えて、まだやりたりない。
それが、勇者という存在だ。
尋常ではない再生能力を持つ勇者を殺すには、焼却炉かミキサーが必要となる。
しかし、これで逃走の時間が稼げた。
「承知したわ!」
背後でジュルジュルと、生肉が
みぅは、廊下を走って、階段を駆け上がり、屋上へ続くドアを、前蹴りで破り。
ひゅー、と。
どこまでも広がる大空に、飛び上がるように落ちていく。
「えっ?」
重力の向きが、地面を向いていない。
ものを落とせば下に落ちるハズの引力が、いまは逆向きで空を向いている。
「にょええええええ!」
空に落ちるみぅは、屋上に現れた篠原を見た。
体の損傷はほぼ治っている様子だが、その姿も遠ざかるにつれて小さくなる。
秒速9.8mで加速するみぅは、空に向かって落ち続ける。
――ふわっと無重力。
引力のベクトルを逆さまにしていた、篠原の重力制御が止まったわけで。
Q.すると、どうなるか?
A.下に落ちます
「うひゃぁぁぁぇぇぇ!」
宇宙へのスカイダイブから一転、地上へのヘルダイブ。
みぅの余命は、地上に叩きつけられるまでの……
「だぁぁぁ、なんとかしてェ!」
みぅよ。そう焦るでない。
もしや、汝は忘れているのではないか?
みぅの魂と融合した光属性の魔導寄生体は、吾輩の闇属性の魔力で相殺しておる。
「それが! どうしたのよぉぉ!」
吾輩の魔力放出量をゼロにすれば、みぅは勇者の力を取り戻すであろう?
だからみぅよ。安心して墜死しろ。
汝こと鳴瀬美海は――勇者なのだからな
「……ったく」
みぅが悪態を付くのと、秒速数百メートルの速度で落ちたのは同時であった。
積雪したコンクリートに、人間の残滓が赤く飛び散って爆ぜる。
その光景を眺めるのは、異世界で最強と畏怖されし勇者殺し。
コードネームは、ニルヴァ・イレイズ。
勇者を殺すためだけに生み出され、勇者を殺すためにプログラミングされた兵器。
「……終わったのね」
篠原麗子の死体に憑依した勇者殺しは、無感情に呟いた。
そして――瞳を見開いて驚愕した。
落下の衝撃で液状になったみぅが、超常の再生能力で人型を取り戻す様に。
「まさか……」
「最強の勇者殺しさん! そのまさかで正解よっ!」
それは、前世の戦場で見慣れた光景だった。
限りなく不死に近い再生能力を持つ、魔導強化歩兵の姿に他ならない。
「最強の勇者の力、その身で味わいなさいっ!」
「――ッ!?」
再生からの奇襲、それは一撃必殺。
みぅの腕から放たれた光の刃が、篠原の両腕と胴体を腰の高さで両断する。
それは、光系統の第17階梯魔法「レイリル」の光刃。
光の粒子で触れたものを分解する、並みの術では防御不可能な攻撃魔法だった。
「ぜぇ、せぇ……グロくて吐きそう」
「鳴瀬さん。あなたの勝ちよ」
篠原は、ダメージを感じさせない平然とした口調で言った。
だが、肺と心臓を残して半身を両断された姿は、異様の一言である。
「教えて。どんなトリックを使ったの?」
「安っぽい漫画と同じよ。秘められた勇者のパワーを開放したの。あなたが1000人のダークエルフを素材に造られた最強の勇者殺しであるみたいに、あたしの魂には1000人のエルフを素材に造られた魔導寄生体が憑依してるの。ついでにオマケも」
なにがオマケだ。ちったあ吾輩に感謝しろ。
「ったく、勿体ぶっちゃって。こんな裏技があるなら、さっさと開放しなさいよ」
みぅよ、そうもいかんのだ。
先ほどの裏技は、吾輩が持つ闇系統の魔力放出をゼロにして実現した。
常にみぅが放つ光系統の魔力を、吾輩の闇で打ち消すのを一時停止したわけだ。
これでみぅは、魂魄に宿った光系統の魔導寄生体を利用した、勇者の力を出せる。
しかし打ち消しを解除すれば、みぅの寿命を縮める免疫反応も起きてしまう。
ゆえに裏技を使う時間は、限りなく短くしたい。
「ケチるんじゃないわよ」
ほれ見ろ。こういったチートはクセになる。
今回のようなどーしょうもない事態は、特例中の特例だということを忘れるな。
困難の克服は、努力と根性と気合、自分でどうにかするのだ。
「ほんと、保護者気取りでウザったいわね……」
「鳴瀬さん、あなたはさっきからだれと会話してるの?」
「あんたのボスよ」
ボロクソの体で首を傾げた篠原に、みぅは容赦のない追撃を加えていく。
再生を妨害すべく、えぐれた胴体に蹴りを入れる。
「…………」
「悪いわね。再生されると厄介だから、定期的にカラダ潰させてもらうわ」
「私を殺すの?」
「そのつもりよ。あんた殺しても、爆発しないみたいだし」
みぅは、勇者殺しの息の根を止めるべく身構える。
どうやら、吾輩が再び力を開放するのを待っているらしい。
「そう。殺すのね」
屋上に転がった篠原に、痛みを感じている様子はない。
だが、死を覚悟した兵器の無表情に、わずかな感情が宿った。
篠原麗子は、死体に憑依する魔導兵器だ。
吾輩と同じく別世界から地球にワープしてきた質量のないエネルギー体である。
いま目の前にあるのは、魔導寄生体が憑依した、少女の死体に過ぎない。
死体に憑依して、篠原麗子のフリをしていた兵器だ。
しかし、調理室で見せた光景。
じつは篠原が家族ラブだと四国軍団が暴露した際の、家族にプレゼントするバレンタインチョコに文字を書きこむ時に見せた、嬉しそうな笑顔が忘れられない。
みぅもそれを思い出したのか、篠原麗子に寄生した兵器に問いかけた。
「何か言い残すことはある? あるなら聞き流してあげるわよ」
「ひとつだけ。私の両親に言い残したいことが」
「……必ず伝えるわ」
「鳴瀬さん。私の両親に……ひっぐ、伝えて欲しい……の」
常に冷静沈着で無表情だった篠原は、ウソみたいに泣きじゃくりながら言った。
――篠原麗子の体を盗んでごめんなさい
――お父さんとお母さんの子供になれて
――私は幸せでした
「伝えたいことは以上よ……えっぐ……」
そこまで言った篠原は、目から大粒の涙をこぼした。
我慢できないものが溢れでたのか、止まらない涙をボロボロとこぼす。
黙してそれを見守るみぅは、苦虫を噛み潰した表情で言うのだ。
「また殺しづらくなることを言いやがったわね。新手の精神攻撃かしら?」
「ひっぐ……私の両親は全部知ってたの……私が篠原麗子じゃないことを……私が篠原麗子の死体を盗んだ偽物だってことを……それなのに、お父さんとお母さんは……偽物の私を自分の子供だって……大事な子供なんだって……私にずっとここにいてもいいんだよって……」
篠原は、子供みたいに泣いていた。
今まで押さえ込んでいた感情の全てが、決壊したダムのように流れ出ている。
彼女は、だれにも言えなかったのだろう。
だれにも相談できず、だれの助けも求められず、一人で苦しんでいた。
「さすが最新鋭の兵器は違うわね。泣いたり、笑ったり、まるで人間みたい」
「鳴瀬さんもごめんなさい……私、あなたに酷いことを……」
「あー、そんなの気にしてないわ」
「本当は鳴瀬さんに酷く当たるのは嫌だった……だけど私は勇者殺し……あなたを殺す命令に背くには、別の手段であなたを殺すべく活動していると、与えられた命令に偽るしかなかったの……」
「なにそれ? あたしを精神的に追い詰めて自殺しないか期待してたわけ?」
「そう……元の世界で最強の勇者だった鳴瀬さんは私より強い、ゆえに正攻法では勝てない……そんな仮説を立てて、勇者殺しの自分を必死に騙し続けてたの……」
「なるほどね。だけど、あたしとムラサキの殴りあいを観戦したせいで」
「ええ、絶対に勝てると判断してしまったわ……だから抑えきれなかった……どんなに嫌だと思っても……もう誰も殺したくないと思っても……自分なんてこの世から消えてしまえばいいと思っても……それでも、ワタしの本能ハ、あなたをコロせと命じてくる――」
泣きじゃくる篠原は、みぅに壊れた腕を伸ばしてきた。
身体の再生にリソースを奪われているのか、闇系統の攻撃魔導は発動しない。
それでもみぅを殺そうと、手首が切断された腕を伸ばす。
「前世と同じくファッキンエンド? あたしの人生はハッピーエンドと無縁なの?」
みぅよ。そう自暴自棄になるでない。
ところで、吾輩は思うのだ。
はたして兵器が、悲しみの涙を流すのかと。
兵器が家族愛に葛藤して、非合理的な自死を望むのかと。
誰かのために涙を流すのはヒトだけだ。
愛に溺れて理性を失うのもヒトだけだ。
人が作りし仮初の生命であるロボットは、自殺を望まないと聞いたことがある。
ならば、篠原麗子は兵器ではない。
吾輩やみぅと同じ、人間と認識するのが正しくないだろうか?
「処女膜が人間ツラするのはやめて……でも同意よ。あたしも篠原さんが兵器だと思わない。あと、あたしは篠原さんを殺したくない。篠原さんに死んで欲しくもない。色々とあったけど、できればあたしと友達になって欲しい」
「ダメ……鳴瀬さん、私を殺して……私はいつか鳴瀬さんを殺してしまうから……」
――私は勇者殺しの勇者だから。
――全ての勇者を殺せと命じられているから。
――勇者の殺害だけを目的に稼働する兵器だから。
――命令が解除されない限り、
――私はまた鳴瀬さんを殺そうとする。
――だから殺して欲しい。
泣き止まない篠原は、みぅに介錯を要請してくる。
ふむ。たしかに合理的であるな。
改良型の勇者である篠原は、殺害しても魂魄質量のエネルギー転換は起きない。
解除できない命令も、殺してしまえば問題ない。
そして篠原は自死を望んでいる。それが彼女にとって唯一の救いなのだろう。
だが――吾輩は処女膜である。名前は魔王ディグラム。
魔王軍総司令官の地位にある吾輩は、親愛なる部下を見捨てる外道ではない。
みぅ、ダメ元で試しみろ。
「篠原さん。その命令だけど、今から変更できないの?」
「私に命令権を持つ当時大元帥以上の階級にあった将校は、全員が戦争で死んだの……私に与えられた命令は、もう誰にも変更できない……」
「だったら、試しに命令してみるわね。貴官の所属と階級を名乗りなさい」
「魔王軍特殊作戦群機動遊撃旅団、ニルヴァ・イレイズ大尉――え?」
みぅの口から発せられた、簡単な命令に。
篠原麗子は、軍人を思わせる無駄のない回答を行った。
「どうして……?」
意志とは別回路で言葉が出てきたのか、篠原は不思議そうに首を傾げている。
ふむ、やはりな。
どこぞの
ならば、吾輩は慈悲を与えよう。
みぅよ。
ニルヴァ・イレイズ大尉に、魔王軍総司令官の言葉を伝えるのだ。
「処女膜――じゃなくて、魔王軍総司令官ディグラムより、ニルヴァ・イレイズ大尉に下達するわ。これまでの軍務ご苦労であった。そなたの
「光栄です。魔王軍総司令官殿――どうしてっ!? なぜ私が鳴瀬さんの声に反応して魔王軍総司令官への敬礼を……」
「あたしの処女膜には、魔王が憑依してるの」
「は?」
「真顔で首を傾げないでっ! 泣きたくなるから!」
みぅが怒鳴った。
処女膜に吾輩が宿っていると説明するのが、いやでいやで仕方ない様子だ。
うむ、その気持ちは理解しよう。
ほら? みぅが処女だとバレてしまうからな。
「あたしもアホなことは言いたくないけど……ダァァァ! シリアスなシーンでボケを挟むんじゃない! ニルヴァ大尉! 分かったら敬礼しなさい!」
「ハッ!」
「よい返事だ。さすがは特殊作戦群の所属である」
「光栄です!」
「ニルヴァ・イレイズ大尉、貴官の任務は全て達成された」
「……はい?」
「貴官の戦争は終わりだ。只今をもって貴官は全ての軍務から開放される。以後は軍籍を離れ、任地において自活の道を模索せよ」
「了解しました。魔王軍総司令官殿。私ことニルヴァ・イレイズ大尉は、勇者討伐の任務で赴いた地球において、自活の道を模索しま……す」
ポロポロ――と。
篠原の目から大粒の涙がこぼれ落ちて、降り積もった雪を優しい熱量で溶かす。
「貴君の未来に幸せがあらんことを――だってさ」
吾輩は処女膜である。名前は魔王ディグラム。
ホワロから聞いた話によれば、いまだ魔王軍最高司令官の地位にあるらしい。
ゆえに吾輩の命令は、大元帥の下した命令よりも上である。
「ぇっぐ……うぇぇーん」
偉大な戦士よ。今は存分に泣き崩れるがよい。
涙を恥じることはない。
それは悲しい涙でもなく、痛みで流れる涙でもない。
決して、兵器には出すことができない。
人間だけが流すことができる、喜びの涙であるからな。
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