第20話


「つぅ……」

「我慢しなさい。女の子でしょ」

「痛たぁ……バカムラサキ、容赦なく鼻の軟骨へし折りに来てたわね……」


 人気ひとけが失せた旧校舎の廊下を、みぅと篠原は歩いていた。

 気象庁が発令した大雪警報に伴う授業変更で、学校内に人影がまばらである。


「ん? 篠原さん、どうして旧校舎なんかに?」


 みぅの質問には応えず、篠原は無言で歩き続ける。

 その背中になんとなく付いて行くみぅだが、どうも様子がおかしい。


「あれ? 保健室、こっちじゃないわよね?」

「ええ。コッチのほうが目撃者が少ないと思うから」


 おかしい。会話が成立していない。

 みぅに先行して歩く、篠原が常に付けている香水の匂いが漂ってくる。

 その香水の匂いに、かすかに混ざる芳香があった。

 それは、どんな香りであったか?

 たしかに嗅いだことがある匂いだが、どうも思い出せぬ。


「……死臭」


 みぅが、篠原には聞こえない小声で呟いた。

 死臭、死体の匂い。

 かつての戦場で嗅ぎ慣れた、当たり前に存在していた香り。

 平成の日本では滅多にかぐことのない、忘れて久しかった悪臭だ。


 旧校舎の廊下、篠原と二人きり。

 直線の通路に人影はない。上履きの反響音とみぅの息遣いだけが響く。


「鳴瀬さん、どうしたの?」


 こちらを振り返った篠原の顔は、凍りついた無表情だった。


 ――まさか、

 ――篠原麗子の正体は。


 吾輩の推測が確信に近づいた、その時であった。

 みぅのスマートフォンが、リンリンと電子音を響かせた。


「出ても、いい?」


 篠原は、無言で首を上下に動かす。

 みぅと篠原の力関係を、無自覚に示すかのような応対。

 Bluetoothヘッドセットを取り出す指は、ぶるぶると震えている。


「それは?」

「ワイヤレス通話する機械よ……耳に付けるの」

「そう」


 関心なさそうに言う篠原だが、気だるげな瞳の奥にある激情は隠し切れていない。

 いまの篠原は、殺意で満ちている。

 プロの殺し屋を思わせる、鋭利に尖った殺意で満ちていた。


「もしもし?」

『鳴瀬さんですか? ジャーナリストの牙谷です。いまどちらにいられますか?』

「……学校よ」

『すみやかに安全な場所に移動して下さい。そちらに細木先生を向かわせます』

「……なにが起きたの?」

『ゾンビ少女の案件を調査していましたが、ついに勇者殺しの正体に確信を持てました。勇者殺しは、鳴瀬さんと同じクラスにいます。名前は篠原麗子です。彼女は都内病院で心停止からの奇跡的な生還を遂げた過去があります。赤外線サーモグラフィーカメラで撮影したところ、篠原麗子には体温がありませんでした。また――』

「鳴瀬さん。電話をきりなさい」

「――ッ」


 みぅは隠し持っていたビニール傘の骨組みを、無表情な篠原の眼球に突き立てた。

 グシャ――っと、不快な感触。

 やけに硬い眼球の奥に詰まった、半透明なジェルが溢れる。

 左目から骨組みを生やした篠原は、平然とした態度で問いかけてきた。


「鳴瀬さん。どうしたの?」

「傘の骨組みで眼球を串刺しにしたのよ……ちったぁ痛がりなさいよ」

「私は痛みに鈍感なの」


 ずぶりゅ――と、篠原が骨組みを抜きながら言った。

 足元にソレを投げ捨てると、スプーンで抉ったゼリーのような傷が修復される。

 動画の逆再生を思わせる常識はずれの再生能力。


「まるで勇者ね……」

「肯定するわ。私も鳴瀬さんと同じ。だから殺さないといけない」


 ――避けろッ!

 吾輩の警告に従って、みぅは体をズラす。

 尋常ではない殺意の元は、横を飛び抜けた闇色の黒球であった。

 黒球は壁にめり込んで、すり鉢状に消滅させる。

 それは、既存の物理学で説明しがたき現象。

 純粋な破壊を目的とした、対人・対装甲に練磨された攻撃手段。


「魔法ね……」

「珍しいものではないでしょ? 前世で勇者だった鳴瀬さんならね」

「ハハハ、前世で散々苦しめられたわよ」


 みぅ、情報解析が完了した。

 先ほどの黒球は、闇系統の第17階梯魔法「リープストライク」。

 着弾地点を中心とした狭い範囲に強制的な空間転移を起こす攻撃魔法である。

 仮に頭部に着弾すれば、首と胴体が生き別れだ。

 理論上はどんな装甲でも破壊できるが、誘導性がないのと空間装甲に弱い。

 十分な厚みの遮蔽物を用いるか、根性で避けるのだ!


「……随分と手練れのようね」

「最強の勇者エイリスにお褒めいただき、光栄よ」


 長くウェーブした黒髪が、地球の重力を無視して揺らめいている。

 香水でカヴァーされた体臭に混じるのは、甘酸っぱくも感じる死臭の芳醇。


 篠原が、異世界から地球に転移してきた勇者殺しである兆候は……あった。

 それに気づけなかった、吾輩が迂闊であった。


「篠原さんが、いつも香水をつけてたのは?」

「死臭を隠すため。私が寄生した遺体は新鮮なもの。でも若干の痛みはあったから」

「化粧が濃いのも……」

「肌の色艶をカバーするため。生気が失せた死体の肌を少しでも隠すため」

「調理実習で、あたしに味見をお願いしたのも」

「私は兵器。勇者を殺すためだけに作られた勇者殺しの勇者。ゆえに生存に必要な味覚は存在していない。だから味が分からない。そこで鳴瀬さんに味の確認を頼んだ」

「あと――」

「時間稼ぎはそこまで」

「魔王。あんたの立てた時間稼ぎ作戦、バレバレみたいよ」

「魔王?」

「篠原さんに関係ないわ」


 マトモに対峙したら勝てない。

 勝てる手段がないわけでもないが、いまは逃げる隙を伺え。

 とにかく話しかけろ。


「どーして、あたしをさっさと殺さなかったのよ?」

「私は鳴瀬さんを観察していた。最強の勇者エイリスには、最強の勇者殺しである私でも勝てるか未知数だったから」

「イヤなストーカーね。しつこい女は嫌われるのよ?」

「私に興味を持ってもらう必要はない。だけど、私は鳴瀬さんに興味がある」

「それで最強の勇者には勝てそうなの? 最強の勇者殺しさん?」

「鳴瀬さんと中村さんのケンカを戦況分析した結果、私と鳴瀬さんが戦った場合、私が勝利する確率は100%と算出されたわ」

「なんかの計算間違いよ、それ」

「……そうだと良かった。たとえ1%でも敗北の可能性があれば、私は鳴瀬さんを殺さずに済んだ。私はずっと逆らい続けてきた。鳴瀬美海を殺害せよと命じる、私にプログラミングされた思考ルーチンに。様々な言い訳を考えて抵抗を続けてきた。だけど、もう限界みたい」


 篠原は、無表情のまま宣言した。


「鳴瀬美海。あなたは私より弱い」

「最強の勇者に言ってくれるじゃないの……」

「あなたには、かつて勇者エイリスだった力は残されていない。その原因は不明。だけど構わない。あなたを殺すには不要な情報だから」

「……魔王。いざとなったら、頼むわよ」


 真冬だというのに、みぅの背中を冷たい汗が流れた。


 ふむ。存分に頼るがよい。

 だが、まだ吾輩が手を出すまでもなかろう。


「力の出し惜しみすんじゃないわよ」


 気持ちは分かるが、焦るでない。

 挑戦者を迎え撃つのに、魔王が自ら最初の相手するのは無礼に当たるであろう?


「どんな様式美よ?」


 みぅよ。汝に教えてやろう。

 勇者と魔王が対峙するには、まず四天王を倒す必要があるのだ。


「ゲームのやりすぎじゃない?」


 みぅがぼやいたのと、その脇を超音速の氷柱が飛翔するのは同時だった。

 魔導錬成された円盤状の氷塊は、内部に保持する微量の概素をエネルギーに変換。

 爆誕したエネルギーの奔流は、ただの氷塊を鋭く尖った円錐に爆縮整形する。

 ユゴニオ弾性限界を超えた圧力は、固体を液体のように塑性流動させる。

 音を超える速度で飛翔するそれは、灼けるように熱く、凍てつくほどに冷たい。

 熱系統の第13階梯魔法「セルシウス・ライナー」は、篠原の喉に命中した。

 首から上が木っ端微塵に吹き飛び、着弾のダイヤモンドダストが輝く。


 みぅは、首なし死体を見下ろす。

 前世で見慣れたデタラメな破壊力に、乾いた笑みを漏らしながら言うのだ。


「ハハハ……ホワロさん、ちょいと演出過剰じゃないかしら?」


 みぅのツッコミに。

 12歳ぐらいの女児にしか見えないロリは、優雅でエレガントな仕草で言うのだ。


「わたくしは陛下直属の四天王。登場の仕方にはこだわりがありましてよ」


 吾輩が誇る四天王――12歳の女児にしか見えない女子中学生。

 氷雪姫ホワロの登場だった。

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