第19話


 ふわふわと、大粒の雪が舞っていた。

 昼の終わりから降り始めたそれは、灰色の空を踊るように落下する。


 降り注ぐ淡雪のひとつが、唐突に動きを止める。

 虚空に縫い止められたそれは、ビニール傘に舞い降りた白雪の一片であった。

 円錐の斜面を滑り落ちる粉雪は、地面の雪と混ざって消える。


「――降ってきたね」


 雪化粧で覆われた校庭は、見渡す限りの銀世界である。

 ビニール傘を差した中村咲は、純白が支配する平原に佇んでいた。


「えへへ。寒いね」


 ムラサキの唇から「ふぅー」と白い吐息が漏れる。

 複雑な感情が混じるため息は、冷たい大気と混ざって消えた。


 優しい笑顔のムラサキは、純白と静寂で満たされた世界で話しかけてきた。


「美海ちゃん。工藤君から連絡あったよ」

「うん。またフっといた」


 雪の降り積もった大地をローファーで踏み固める。

 サクッと心地よい音がした。じんわり靴底から冷気が伝わる。


「あはは。何度言えば分かってくれるかな?」


 みぅを小馬鹿にするような笑顔。

 今すぐ泣きたいのを我慢して作った、精一杯の虚勢を張った笑みだった。


 みぅは、工藤に惚れている。

 ムラサキは、工藤に惚れている。

 工藤は、みぅに惚れている。


 複雑怪奇な思春期の恋心に蝕まれて、ムラサキの心はヒビ割れている。


 愛しさと、切なさと、苦しさと、悲しみと、嫉妬と、憎悪が混じった、複雑な感情で、本来の彼女の性格は歪められてしまった。


 ムラサキのいびつに優しい笑みは、コワれた奉仕愛の到達点だった。


 ――それを

   ――これから

     ――ブッ潰す。


 ムラサキを呼び出したのは、校舎内の誰も来ない場所。

 二人っきりの密談にうってつけな、雪が降り積もる校庭のど真ん中だ。


 銀世界の中心で、ムラサキはコワれた笑顔で言った。


「美海ちゃんも素直じゃないよ。工藤君が好きなら大チャンスじゃん」

「あたしは菓子メーカーの陰謀にノセられるスイーツな女じゃないの」

「意地っ張りだね」

「否定はしないし、悔い改めるつもりもないわ」

「ほんと、捻くれもの」


 しばし沈黙。風の音だけが聞こえる。

 互いのビニール傘が触れ合うほどの至近距離で、二人は視線を重ねていた。


 ――みぅよ

 ――アレを使うがよい。


 クソ寒い校庭にムラサキを呼び出したのは、そのためであろう。


 目的を見誤るな。

 なにも殴り合いの決闘に呼び出したわけではあるまい。


「ったく!」


 ガリガリと頭を掻きながら、吾輩が厳選したダッフルコートから小箱を取り出す。

 チェック柄の包装紙に包まれた、赤いリボンがキュートな小箱だった。


 それを見て、呆気に取られるムラサキ。

 みぅは視線をそらして、ほんのり頬を染めた。

 ぎこちない仕草で、小箱を差し出す。


 なにが恥ずかしいのか、赤面したみぅが言った。


「友チョコ……受け取って」


 まっすぐ差し出された小箱を前に、ムラサキは思考停止。

 大きな瞳は驚きでまんまる、半開きのお口はぽかーん。


 ハニワみたいな表情で、ぶっ飛んだ展開に硬直している。


「え、なんの冗談かな?」

「あたしはムラサキと……友達になりたいの」


 頬をピンクに染めるみぅは、視線をズラしたまま言った。


 たかが友チョコ。何がそんなに恥ずかしいのか。

 吾輩には、サッパリ分からぬぞ。


 さぁ、行け。

 恥ずかしがってないで、さっさと言葉を紡ぐのだ。


 早く終わらせないと、風邪引くぞ。


「ムラサキがあたしを嫌いなのは知ってる……だけど、あたしはそうじゃないから……」

「やっぱレズ?」

「ンなわけないでしょ!」

「どちらにせよお断りだよ。わたしは美海ちゃんのこと嫌いだもん」

「あたしはそうじゃない!」

「知らない。そんな一方通行な好意。それより、どうして工藤君の告白を断ったの?」

「……いろいろあったのよ」

「なんでかな? 美海ちゃんは工藤君のこと好きになれなかったの?」

「好きかもしれない……優しくて頼りになるし、シモネタはウザいけど面白いし、顔もいいし、背も高いし、一緒にいると楽しいし、いくら感謝しても足りないぐらいだし、あたしのことを好きと言ってくれたし……だけど、カレを好きになったらダメだと思うの」

「どうして?」


 ムラサキの問いかけに、みぅは深呼吸して。


「あんたが――ッッ! 工藤君を好きだからに決まってんでしょッ!」


 あらんばかりの大声で、ムラサキへの想いをブチ撒けた。


「ほぇ?」

「あんたの好きを踏みにじって! ムラサキの恋を踏み台にして! あたしだけが幸せになるなんて! ムラサキを裏切って、あたしだけのハッピーエンドを迎えるなんて! そんなのできるわけねぇでしょ!」

「……あは、それ気にしすぎだよ。わたしはもう工藤君との恋を諦めたから――」

「逃げるつもりっ!」


 ムラサキの首根っこを掴みながら、みぅは腹の底から叫んだ。


「大好きな人が自分以外の人を好きで! 大好きな人から恋の悩みを聞かされて! 大好きな人から自分の恋の成就を手伝って欲しいとお願いされて――アホムラサキ! どうして断らなかったのよ!」

「美海ちゃんに分かるわけないよ! わたしの気持ちが!」

「知らないし、理解したくもないわよ、バカムラサキ! ひとりで不幸を背負しょい込んで、悲劇のヒロイン演じる自分に酔いしれて、涙をこらえて恋のエンジェル、私は草葉の陰からカレの幸せを願っています――ふざけないで! あんたは逃げただけ! 自分が傷つくのが怖いだけ!」

「違うっ! わたしは工藤君が幸せになることだけを!」

「上から目線でヒロイン気取りしないでよっ! ンな後味が悪い脇役の犠牲で成り立つハッピーラブなんて!」


 美海は――ビッ!

 自分の首筋を、親指でスラッシュ!

 掻っ切る仕草をして――ガッ!

 親指bのベクトルを、真上↑から真下↓に縦軸qスライド!

 地獄に落ちろ! ゴゥ・トゥ・ヘル!

 ムラサキを全否定しながら、みぅは喉が張り裂けんばかりに吼えるのだ。


「こっちから願い下げだわっ!」

「冗談はやめてよ……わたしがどんな気持ちで……」

「宣言するわ! あたしは工藤君との恋を諦めてムラサキのサポートに回る! ムラサキがあたしを助けてくれたように、今度はあたしがムラサキの恋を援護するの!」

「………………」


 ひゅーっと。

 校庭を冬風が吹き抜けて、足元の粉雪を舞い上がらせた。


 ハニワ顔のムラサキは、ぽかーんとしながら言った。


「えーと、ジョークだよね?」

「本気よ。あんたが恋を諦めたように、あたしも恋を諦めるわ」

「あはは、バカみたい」

「告白すら出来なかった臆病者に、バカ扱いされたくないわね」

「……ムカッ」

「あんたは黙ってコイツを受け取りなさい。これがあたしの誓いだから」


 みぅが、友チョコの小箱を乱暴に差し出す。


「いらない」


 小箱を振り払ったムラサキの手首を掴んで、みぅは言うのだ。


「受け取って」

「イヤ」


 ムラサキの首根っこを掴んで、眉間にシワを寄せながら再度通告。


「受け取りなさいっ!」

「イ・ヤ・ッ!」


 ムラサキの顔面ゼロ距離。

 みぅは「あぁ~ん?」と表情を歪めて、威嚇たっぷりに最終通告。


「あたしのチョコ、どうして受け取らねぇのよ、コラァ?」

「美海ちゃんの態度がムカつくんだよっ!」

「だったら押し付ける!」

「触らないで!」

「意地張ってんじゃないわよっ! 清楚なツラした腹黒女が!」

「意地張り続けてぼっち記録更新してたのは美海ちゃんでしょ! 捻くれ女ッ!」

「素直になりなさいよ!」

「美海ちゃんにだけは言われたくないっ!」

「工藤君のことが好きなんでしょ! だったら恋から逃げずに戦いなさいよ!」

「わたしは美海ちゃんみたいに強くないのっ!」

「だから! あたしが手助けするって言ってるでしょうが!」

「フンっだ! 恋に敗れたわたしの気持ちが、美海ちゃんに分かるわけないもん!」

「ほんと強情ね」

「ずっと心の扉を硬く閉ざしてた、美海ちゃんには負けるもん」

「ぐっ」

「バカみたいだよね。一人で孤独につっぱりハイスクールぼっちガールをエンジョイなんて」

「さっきから言ってくれるじゃない……二重人格の猫かぶりが」

「人のハートを散々抉っといてソレはないと思うよ……愛嬌1000%カットで空気ブレイカーの問題児」

「心のメイクが剥げ落ちて、ドス黒い本性出てきてるわよ……」

「教室に戻れば元通りだもん……アタマが軽くて可愛い女を演じるのは得意だもん……」

「クソ貧乳の幼児体型……脳みそのヘリウム、そろそろ抜いたらどうよ……」

「ウエスト60センチのデブ予備軍……大変だよね、シュヴァルツな黒歴史がいっぱいだと……」

「うっさい! 男ウケ狙ってアタマの弱い八方美人なんか演じてんじゃねぇわよ!」

「美海ちゃんこそ、死ななきゃ治らない先天性コミュ障の治療にチャレンジすればっ!」

「ムラサキって、マジでムカつく性格ブスね……」

「美海ちゃんって、ガチで性格壊滅人格障害者だよね……」


 割れそうなほど熱を持った乙女のハートは、言葉をかわすたびにヒビ割れを増やしていく。

 心の亀裂は熱を帯び、さらなる裂け目を増やしていく。


「バカ」

   「アホ」

「ドジ」

   「マヌケ」

「氏ね」

   「もげろ」


 悪口のレベルが下がってきたら、言葉じゃどうにもならんサイン。

 話し合いでの解決は絶望的で、別手段に頼るしかない。


「バカムラサキ」

「みぅ(笑) ププッw 変な名前ww 151匹目のポケモンみたいwww」


 時は奇しくもバレンタインデー。

 恋する少女が勝負を仕掛ける乙女の決戦日――否、

 血戦日である。


 (恋愛と戦争においてはあらゆる戦術が許される)

     All is fair in love and war.


 ンなわけはない。

 戦争にもルールはあるし、恋愛には節度がある。


 だが、しかし――


「ぶっ殺す……」

「やってみなよ……」


 理性なき乙女の前では、それらルールは形骸と化す。


「ムラサキ」

「美海ちゃん」


 互いの名を呼び合うことが、バトルのゴングとなった。


 雪の積もった校庭 → ビニール傘を差して佇む少女が二人

 にらみ合い → ヘラヘラと薄ら笑い


 タタンっと → 少女の足音が、

 タタタっと → 同じタイミングで雪面を踏み込む。


「ドウラァァァァァ!」

「ンギリリィィィィ!」


 安物のビニール傘 → 同時にフルスイング。

 振るわれたのは凶器 → 互いの急所を狙った一撃必殺。


 ――バシッ!

   ――ビシッ!


 飛び散る雪片、曲がる骨組み。

 傘から弾けた雪が、水滴となって頬を濡らした。


「仕損じた!」

「ならァァァ!」


 みぅが前蹴り → ムラサキは廻し受け。

 ムラサキ → 廻し受けの防御からの → 右ストレート。

 みぅ → 左頬に拳がめり込む。


「ぐふっ」

「ニタァァァ~」


 愉悦混じりに嗤うムラサキ → 「ひぐぉっ!?」

 みぅの放ったビニール傘 → 横薙ぎでムラサキの右頬をぶん殴る。


「ぶへっ」


 ムラサキ → たたらを踏んで後退り → みぅ「ニタァァァ~」と瞳を細める。


 互いに一撃を避けられて、互いに一撃をブチ込んだ。

 理性なき乙女たちは、ニタァァと喜色で満たされた視線で語りあった。


 ――やるじゃねぇか

 ――てめぇもなぁ


「オラァァァァァ!」

「フンゥゥゥゥゥ!」


 双方 → 雪原を踏み込む → 全力疾走。

 銀世界の校庭を走る → すれ違いざまに斬り合う → 息のあったバトル。


 それは中世の決闘を思わせる、ジョストスタイルの戦闘だった。


 ――ビシッ、


 互いに走りながら交差して、すれ違いざまの一撃。

 ビニール傘のどつきあい、背後を振り返って同じことを繰り返す。


 鼻血が垂れたムラサキと、鼻血が止まらないみぅ。

 問答無用で顔面を狙う二人は、互いに雪原を駆け抜ける。

 すれ違いざまに、ビニール傘をフルスイング。


 クソ低レベルなバトルは終わらない。


  ドカッ                      ゲシッ!!!!

   ボカッ、          ダッダッ      ゲシッ!!!!

   ゴンッ、         ダッ ダッ      ゲシッ!!!!

    ゲシッ        ダッ  ダッ     ゲシッ!!!!

    カンッ       ダッ   ダッ     ゲシッ!!!

     キィィ……ン、 ダッ    ダダダダダ、ゲシッ!!


「痛いわね!」

「当てたのは美海ちゃんが先だもん!」


 はたして、先に手を出したのはどちらであろう?


 今となっては、どうでもいいこと。

 みぅもムラサキも同レベル、それだけは間違いない。


「この一撃で決めるッ!」


 振りかぶったビニール傘は、ムラサキの頭頂部に狙い定めて振るわれる。


「させない! 当方に迎撃の用意アリ!」


 ムラサキは、ビニール傘を腰に携えた抜刀の構え。

 神速の居合が一陣の風を巻き起こし、みぅの鈍撃をパシッと打ち砕く。


 横薙ぎ → 切り上げ → 傘が → 破損。

 ビニール傘を振るうたび、安物らしく崩壊してボロクソになる。


 牙突 → 九頭龍閃 → アバンストラッシュ → 中村咲

 傘が壊れる → 真ん中からへし折れる。


「しまったァァっっ!?」

「ムラサキィィィ! その首もらったわ! 覚悟ォォ――ひぐぅぅ!?」

「使い捨て二刀流奥義――回転剣舞六連!」


 ムラサキは、折れたビニール傘の二刀流で応じる!

 両断された傘を両手に持ち、機転奇策な即興の双刀流を編み出すとは……。


 ――みぅ!

 ――この女は侮れぬっ!

 ――清楚なツラに騙されるな!

 ――こいつは……手練れであるッ!


「承知ッ!」

「わからず屋の美海ちゃんは、沈んじゃぇぇぇ!」


 ムラサキ → みぅの懐に入り込む。

 狂気の狂姫は狂器を持つ → 殺戮のワルツを奏でて踊る。


 斬撃 → 打突 → 切り上げ → ハッ!? → と気づく。

 痛みに耐えるみぅの傘が、薩摩自顕流さつまじげんりゅう蜻蛉とんぼにも似た構えであることに。


 双腕に双傘を持つ、ムラサキは叫んだ。


「チクショウ、仕留め損なったよ!」

「これで沈めるわ! 死ねムラサキィィィ!」

「いやっ!」


 ムラサキ → ビニール傘の双剣を放り投げる。

 ――ビシィィッ

 飛んでる羽虫を手のひらで潰す動き → 確死を狙った振り下ろしを両手で挟む!


 それは伝説の――


「真剣白刃取り!? どこで覚えたのよ!? ンな大道芸っ!?」

「ヨーキャンの通信講座だよ! 集中学習七日間コース!」

「今度、どの講座か教えて……」

「いいけど……」

「今は」

「美海ちゃんを」

「ムラサキを」


   「「ぶっ殺す!!!」」


 ムラサキが、裂帛の気合で雪原を踏み込む。

 白の大地がクレーター状にへこんで、泥が混じった土くれが舞い上がる。


 これは……みぅ、緊急回避しろッッ!


「ちっ」


 大地を揺るがす震脚から、水平方向への跳躍。

 刹那で間合いを縮めたムラサキに、みぅの反応は間に合わない!

 前世で勇者だったみぅが反応できん速度とは……まさかっ!?


 ――みぅよ!

 ――コイツの正体は!

 ――異世界からみぅを殺しに来た、勇者殺しに違いな――


「ンなワケねぇでしょうがァァ! クソ処女膜ッ!」


 雄叫びを上げるみぅは、迎撃の構え。

 ハッサンを思わせる腰を深く落とした正拳突きの姿勢で、ムラサキを迎え撃つ。

 

 乙女の拳が殺意に染まり、いざ殺戮を解き放たんとする。

 そんな二人に割り込んできたのは、ケンカ騒ぎを聞きつけた男子生徒だった。


「二人とも、喧嘩はやめ」

      「「 ――工藤君は関係ない!―― 」」


 めきめきっっ。


 乙女のダブルパンチを両頬から受けた、正義感の強いナイスガイに黙祷。


 後ろのほうで「イケメン死すべし」「ハーレム展開乙」「リア充ハラワタぶち撒けろ」と、非モテどもがブツブツ呪詛を吐いている。


 いつの間にか、みぅとムラサキはギャラリーに囲まれていた。


 そりゃ、そうであるな。

 校庭のど真ん中で殴り合いのケンカを始めれば、雪が降る中であろうと見学者くらい来る。


「おべ……べっ」


 左右から乙女の拳を受けたイケメン工藤は、それでも沈むことはなかった。

 歯を食いしばり、消えそうな意識を繋ぎとめて、ケンカを止めるために叫んだ。


「おべべ……すまん! 俺が二人の気持ちに気付けなかっ――」


「オラァァァ! さっさと沈みなさいィィ! ゴミムラサキィィィ!」

「沈むのは、美海ちゃんだもんゥゥゥ! 猛虎硬爬山もうここうはざん!」


 哀れな工藤は、左右から鉄拳を受けて意識を失った。


 周囲のギャラリーが「衛生兵! 衛生兵っ!」「AED持ってこい!」「言い残すことはないか?」と、吾輩が前世の戦場で何度も見たかのような動きで工藤の成れの果てを囲んでいる。


 そんな光景も、


「ハァハァ……やるじゃない」

「美海ちゃんもやるじゃん……」


 殺意で心を満たされた、みぅとムラサキの目には入らない。


 そう、戦いの目的なんて忘れた。

 もう、殺しあう理由なんて必要ない。


 ただ負けたくない。それだけだ。


 これはバトルだから。

 乙女のプライドと意地を掛けた、単なる闘争行為だから。

 クソくだらなくて、ロクでもない、めちゃくちゃ不毛な戦いだから。


 ……もう飽きるまでやらせよう。


 処女膜の吾輩は、考えるのをやめた。


「美海ちゃんは贅沢なんだよっ! 好きな人に好きって言って貰え――ふぐっ!?」

「好きって言って貰えたのは、あんたのおかげでしょうがァァ!」

「みぅちゃんは工藤君の気持ちに答えてあげなきゃダメなんだよっ!」

「うっさいっ! あんなイイ男にィィィ!」

頂心肘ちょうしんちゅう!」

「優しくされたり!」

崩撃雲身双虎掌ほうげきうんしんそうこしょう!」

「告白されたらッ! どんな女でもッ!」

屠龍纏身爬山開とりゅうてんしんはざんかい!」

「クラッとするに決まってるでしょがァ!」

修羅覇王靠華山しゅらはおうこうかざん! 美海ちゃんのバカァァァ!」


 中段を蹴り飛ばす龍槍式りゅうそうしきから、人体で最も強靭な肘での一撃を加える馬歩頂肘まほちょうちゅうに繋ぎ、雪原を踏みしめての貼山靠てつざんこうを喰らわす、密着から足腰のバネだけで全体重を衝力に変換して相手を打ち据える八極拳の奥義が炸裂するが、みぅは渾身の右ストレートでカウンター。


「グフっ!」

「ギャンっ!」


 ジオン公国の白兵戦用MSみたいな、馬鹿女たちのうめき声。

 倒れそうで倒れなくて、意識を失いそうで踏みとどまる。

 こいつら、しぶといな。


「工藤君が好きなら、あんたが告ればいいでしょ!」

「でも、工藤君が好きなのは、美海ちゃんなのぉぉぉっ!」

「人に恋を押し付けんじゃないわよ!」

「だってだって! 工藤君は美海ちゃんを選んだんだモン!」

「あたしにはもったいない男よ! だからあんたが責任もって引き取――ひぐっ」

「工藤君の気持ち、踏みにじらないでよォっ!」

「こんのぉ……乳だけ狙って殴りやがったわね……地味に痛いじゃないッ!」

「程よくデカいから、当てやすいのっ!」

「こっちは当てづらいどころか、つかむだけの厚みすらなくてお手上げよ!」

「あるもん! 摘むぐらいはあるもん!」

「餃子の皮程度の厚みしかないじゃない!」

「ぐむむ。たしかにぺたんこだけど……空気抵抗が少ないから燃費は良好だよ!」

「ガルルゥゥゥゥ」

「ギリリィィィィ」(うぅぅ、ここは?)

「このアマ……」 (意識を失った俺はナニを……)

「コミュ障……」 (そうだ! 成瀬と中村を止めないと!)


「二人とも喧嘩は」

        「「 ――うっさいっっ!―― 」」


 工藤よ、今度は殴られなくて良かったな。

 いまの二人は、稼働中のミキサーみたいなものだ。

 近づいただけで、被害を受けるぞ。


「跳ねた泥雪で、性格に塗りたくった厚化粧が落ちてるわよ!」

「美海ちゃんも、どーして素直になれないかな!」

「あんたのせいでしょうが!」

「わたしの願いは、工藤君の幸せなのっ!」

「自己犠牲の精神で、悲劇のヒロインぶってんじゃないわよ!」

「わたしは、コレで満足なんだモン!」


 ――ゴスッ。ドカッ。


 みぅとムラサキの言葉と物理を用いたじゃれあい。

 それは数分だけ続いて――








「引き分けね」

「同レベルとも言うな」


 無表情に判定を告げるのは、篠原と工藤だった。


 いつの間にか雪はやんでおり、空は晴れ渡ったブルースカイ。

 校庭の純白は踏み荒らされて、溶けかけの雪と泥が混じってマーブル模様。

 お世辞にも、綺麗な光景とはいえない。


 だけど絵になる姿を見せているのが、

 泥雪だらけの校庭でボロクソになって転がる、みぅとムラサキだった。


「ごろす……」

「もけす……」


 みぅ、もうやめておけ。

 ムラサキの言う「もけす」の意味は気になるが、ギャラリーがドン引きだ。

 バトルはおしまい。おまえらはよくやった。

 だから、ビニール傘の骨組みを拾って「ニタァ~ッ」はやめろ。


「鳴瀬さん。立てるかしら?」


 篠原が、みぅを覗きこんで尋ねた。


「……なぜっ?」

「保健委員だから。怪我人を保健室に連れて行くのは私の仕事。肩を貸してあげるわ」


 篠原は、みぅの肩に手を回して、ひょいっと持ち上げる。

 細くて不健康そうな見た目には似合わず、だいぶ力は強いようだ。


「イタタ……」

「我慢しなさい。その程度はかすり傷よ」

「つぅ……ムラサキっ」

「いったぁ……美海ちゃん、まだやるつもりなの……」

「受け取りなさい」


 ムラサキめがけて、何かをフルスイング。

 外箱がベコベコになった、バレンタインの友チョコだった。


 それを空中でキャッチしたムラサキは、


「…………っ」


 包装紙をバリバリ剥がし、砕けたハートを口に含んでボリボリ。

 かわいい瞳を細めて「いっー!」と歯を剥いて、ニヤッと笑顔で言うのだ。


「やるじゃん」

「美海ちゃんもね」


 泥雪と返り血だらけの拳を、互いに差し出し合って、

 先端同士を――コツン。

 傷だらけの乙女が、ヤンキー漫画みたいな和解(?)をする。


 おとめらしすぎるバトルの決着に、ギャラリーが歓声を上げまくる中。

 泥と傷だらけのみぅ×サキふたりのばかは、


 「「――フンッ――」」


 互いに唇をすぼめて、互いに顔をそむけあった。


 どうやら、一時休戦らしい。

 続きが楽しみなんだか、不安なんだか、吾輩にはよく分からぬ。


「鳴瀬さん。行くわよ」


 篠原がみぅを掴んで、保健室に引っ張っていこうとする。

 肩を抱きかかえられると、篠原が愛用する香水の匂いがした。

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