第13話

 まぶたを開ければ、寝室の天井が見えた。

 眠りから覚めたみぅは、寝汗でぐっしょりと濡れていた。


「はぁー、マジで最悪……」


 どうやら、吾輩とみぅは夢を見ていたようだ。


 捻くれ者なJKは、かつて勇者として戦場に身を投じた頃の夢を。

 勇者の処女膜に憑依した吾輩は、かつて魔王と畏怖されし栄光と苦悩の夢を。


 夢の中で、たった一人の魔導強化歩兵が魔王軍を苦しめていた。

 帝国軍は全戦域で敗走を繰り返し、情勢は圧倒的に魔王軍が有利であった。

 しかし「エイリス」という魔導強化歩兵がいる戦域だけは難攻不落。


 エイリスは、少女だった。

 タフで、素早く、ヘビー級の拳を持つ。

 最高に忌々しく、美しい少女だった。


 鉄壁を誇った難攻不落の戦域も、やがて魔王軍の大攻勢で陥落する。


 撤退戦は悲惨だ。

 数百年の歴史がある風光明媚な街を、敵に接収させる前に破壊する。

 まだ避難民が渡っている橋を、敵に奪われる前に避難民ごと破壊する。

 飢えた村人の食料が詰め込まれた倉庫を、敵の手に渡るよりかはと焼き払う。


 いずれも汚れ仕事で、困難な任務である。

 これを完遂できるのは最強の魔導強化歩兵――エイリスをおいて他はない。


 エイリスは戦い続けた。

 それが仲間を助けると信じて。それが正しいと信じて。


 撤退中の味方をトンネルごと爆破した。

 飢えた民衆を生かすハズだった食料庫を焼き払った。

 たとえ間違っていると知っていても、軍の命令で逃亡兵を追跡して殺した。


 やがて、エイリスの耐用年数が尽きる。

 舌から味がなくなり、視界から色が消え、指先が腐り、髪から色素が抜ける。

 そして、ラストミッションが言い渡される。


 エイリスに命じられたのは、魔王軍本陣に潜入しての自爆。


 壊死した手足で、エイリスは戦場を匍匐した。

 慎重にルートを計算し、敵に見つからないよう、必ず敵将を仕留めてやろうと。


 すでに歩くことすらままならず、軍団長から下賜された「聖葬剣アルケノス」は、剣ではなくカラダを支える杖として使われていた。


 エイリアスの奇襲は、見事成功を収めた。

 死にかけた勇者と魔王軍総司令官の吾輩は、戦場で対峙したのだ。


「美しきそなたに、ソレは似合わぬ」


 勇者はボロボロで、吾輩に聖葬剣を向ける余力すらない状態であった。

 まだ生きているのが不思議な状態で、なにもせずとも死期が近いの明白だった。


 魔王軍本陣には、これからの戦いに必要な最精鋭軍団が集結していた。

 自爆攻撃で彼らが消滅すれば、魔王軍の勝利は危うくなるだろう。


 吾輩は、美しき勇者に命じた。


「我が手を握れ、勇者よ。汝に新たな生命を与えよう」


 死にかけの勇者の腕を取った吾輩は、試作の異世界転生魔法を発動させた。

 こうして、吾輩と勇者は地球にやってきたのだ。


 試作の異世界転生魔法は、魂だけを異世界に飛ばして新たな赤子に宿すモノだ。


 しかし、ひとつ誤算があった。


 試作の異世界転生魔法は、本来は不要なモノまで転生させた。

 勇者の魂魄と融合した、魔導寄生体である。


 エイリスに用いられたのは、1000体のエルフを素材に作られたモノだ。

 戦役に投入された魔導寄生体で最強で、自爆した際の被害半径は数キロに及ぶ。


 魔導属性は、純粋な光属性。


 エルフという種族は、全員が必ず光属性に特化している。

 吾輩の魔導属性は純粋な闇で、光属性と力を打ち消し合う性質がある。


 異世界の胎児に宿って、今も免疫反応に蝕まれる勇者を救う方法は一つ。

 光と闇が融合して、魔力を拮抗させて打ち消すしかない。


 吾輩と勇者は、双子の姉妹だった。

 同じ母親の子宮に宿り、外の世界を待ちわびていた。

 吾輩の宿る赤子に勇者の魂が融合すれば、空っぽになった片方は流れるだろう。


 双子の片方が、子宮内で消失する現象。

 それは「バニシング・ツイン」なる医学用語がある程度にありふれた現象である。


 こうして吾輩は持てる秘術を駆使して、勇者の体に自らの魂を宿そうとした時――

 吾輩は、ハッと気づいちゃったのだ。


 ――あれ?

 ――このままだと、吾輩って消えないか?


 勇者に肉体を譲った吾輩は、やがて自我を失って消える。

 光属性の魔力を闇属性で打ち消すのは、とてもシビアなパワーの調整が必要だ。

 吾輩の自我が消えたら、たぶん非常にまずいことになる。


 ――あぁぁっ!

 ――消える! 消えてしまうぅぅ!?


 気づいた時には、吾輩の意識は消えかけていた。

 かくなる上は、胎児の肉体の一部に憑依して、自我を保つしかない!


 だけど、どこに宿ればいい!?

 吾輩が臓器に憑依したら、もしかしたら機能不全を起こすかもしれん!


 だから心臓アウト、肝臓アウト。

 眼球は二つあるけど……ほら、ここは見た目に直結しちゃうし。

 魔眼!とか、邪眼!とか、厨二的な意味でヤバいであろう?


 ふと思いついたのが「左乳首」だが、胎児の性別は女の子だ。

 女の子なら、将来きっと必要になるであろう。


 ――そうだ!

 ――あそこがあった!


 いつ無くなっても大丈夫で、むしろ無くすことが女のステータスになる部位!

 全ての女の子が早く捨てたがる、滅多に他人には見せない部位!

 そうだ!


   処 女 膜 し か な い !


 こうして吾輩は、持てる魔導の全てを用いて。


 のちに「鳴瀬美海」と名付けられた、かわいい赤ん坊の処女膜に宿ったのだ。


 それが、だいたい16年前のことで――


「なんであたし、まだ生きてるんだろう……」


 おはよう。

 みぅよ。どうした、いきなり。


「さっき夢に出てきたのよ。母親に閉じ込められた窓のない真っ暗な部屋が……」


 みぅの母親は、シングルマザーだった。

 父親は誰か不明で、貧困のどん底で暮らしていた。


 だが、みぅの母親は運がよいことに裕福な男性と再婚した。


 再婚当初は、みぅも父親に可愛がられていた。

 しかし、実の母親と義理の父親の間に新たな子供が――父親の遺伝子を受け継ぐ次女のみりあが生まれると、みぅという存在は家族の邪魔になった。


 警察と軍隊を除いて、この世で最も暴力的な社会集団は「家族」である。

 地球上で最も暴力が行使されるのは、戦場ではなく家庭なのだ。

 家の外で他人に殺される確率より、自宅で家族に殺される確率の方が高い。


 そして――

 連れ子が家族に虐待される確率は、実の子が虐待される確率の6倍にも及ぶ。


 みぅの母親は、緩慢な衰弱死を狙ったらしい。

 幼いみぅにほとんど食事を与えず、窓も明かりもない部屋に監禁したのだ。


 人間に限らず母親という生物は、新しいパートナーに忠誠心を見せるため、古いパートナーとの間に出来た子供を殺害することがあるらしい。


 みぅは当時5歳だ。

 逃げろと命じる吾輩の説得が遅れたり、当時3歳だったみりあが、毎日こっそり持ってくる食料がなければ、きっと最悪の事態を迎えていたであろう。


 今でも、吾輩は覚えている。

 自分を殺そうと企む母親を信じて、処女膜の吾輩に逆らい続けた意地っ張りを。


「いつだってそう……いつもあたしは間違ってばかり……」


 みぅの両親は、殺人未遂で逮捕された。

 長い裁判のはてに、両親には実刑判決が下った。

 こうして、みぅとみりあは家族を失った。


 それから、姉妹で親戚の家をたらい回しにされる日々が始まった。

 どこの家でも厄介者扱いで、理不尽な暴力を受けたこともある。


 だが、幼い姉妹はそれに耐えた。

 特に、みりあは強かった。

 どんな酷い環境でも、どんな辛い境遇でも、常にみぅより我慢強かった。


 みりあの口癖は、今でも「お姉ちゃんは、私が守る」だ。

 強がりだが中身は弱い姉と違って、みりあはどんな逆境でも折れなかった。


 そしてみりあは、姉想いの妹だ。

 ゆえに、弱くて、大好きで、いつも不幸な目にあってばかりの姉を守る為なら。

 みりあは、どんな自己犠牲も厭わない。


「いつだってそう……いつも誰かを犠牲にしてる……」


 みぅが、中学に上がった頃。

 親戚をたらい回しの姉妹は、また住む家を変える羽目になった。

 姉妹にとっては慣れたことだが、新しい家庭はそれまでと違っていた。


 二人を引き取ったのは、大物政治家だった。

 その政治家には子供がいなくて、少子化対策に関連して叩かれていたらしい。

 みぅとみりあを引き取った理由は、その程度の些細な理由。


 ――だけでは、なかった。


「あの時だって……あたしはみりあを犠牲にして傷つかずに済んだ……」


 政治家夫婦は、とても優しかった。

 特に奥さんは品のいいマダムで、みぅは初めて家庭で安らげると思ったほどだ。


 ただ、父親の大物政治家には不信の目を向けていた。

 その男が姉妹を見る目には、明らかに家族愛とは異なるモノが含まれていたのだ。


 政治家夫婦に引き取られてから、およそ一年が経過した頃。

 酒に酔った義理の父親に、みぅはレイプしかけられた。

 アルコールで理性のタガが外れたゆえの犯行で、それは突発的で無計画だった。

 みぅの服を強引に脱がして、いざ襲いかかろうとする義理の父親。

 それを助けたのは、ゴルフクラブを持ったみりあだった。

 ためらうことなく義理の父親の脳天をかち割って重症を負わせたみりあは、床に倒れて動かない物体を眺めながらボソッと言った。


 ――お姉ちゃんには、手を出さないって約束でしょ。


 それからショックで放心状態のみぅを抱きしめて、耳元であのセリフを言った。


 ――お姉ちゃんは、私が守るから。


 それから、当時小学生だったみりあの対応は素早かった。

 警察と児童相談所に通報を行い、見知らぬ弁護士にも何やら連絡を入れていた。


 しかし、大物政治家の権力は凄まじかった。

 警察と児童相談所への通報はなかったことにされた、

 見知らぬ弁護士は、すぐ連絡が途絶えた。


 たぶん、二人は殺される一歩手前だったのであろう。

 大物政治家の性犯罪をなかったコトにすべく、姉妹を亡き者にしてやるという。


 だがみりあは、政治秘書より一枚上手だった。

 自分が養父に性暴行される模様を撮影した動画を、自らネットに流したのだ。

 動画のダウンロード件数は、数十万件にも及んだ。


 世界中のネットユーザーが、日本の大物政治家の性犯罪の証拠を共有した。

 もはや、鎮火は不可能である。


 こうして、姉妹が殺される理由はなくなった。


「みりあが登校したら、机の上にあの動画のDVDが置いてあったんですって……」


 自宅でも学校でも底抜けに明るいみりあも、さすがに泣いたらしい。

 それ以来みりあは、学校に不登校気味な状態が続いている。


 吾輩は、みぅに語りかけた。

 もう何度も繰り返した、無価値な慰めを。


 ――みぅ。

 ――汝は何も悪くない。


「そうよね。魔王の言うとおりよね。あたしはいつだって被害者だもん。前世は最強の勇者。軽く五桁は殺しました。勇者にされたのはたまたま素材の適正が高かっただけです。人をたくさん殺しましたけど、軍の命令で仕方ありませんでした。あたしが備蓄食料が詰まった倉庫を焼き払ったせいで数万人ほど餓死したのも、きっと軍の命令が鬼畜なせいであたしは悪くありません。そんなこんなで殺しまくって三ヶ月、賞味期限を迎えて史上最悪の人間爆弾になりました。でも魔王の人生を滅茶苦茶にして地球に転生したので、今も幸せにのうのうと生きてます。おまけに魔王の体までプレゼントされちゃいました。幸せすぎて涙が出そうです。お父さん、お母さん、ありがとう。おかげでまだ生きています。いまどこで何をしてるかも分からないけど、父親不明の邪魔モノだったあたしさえいなければ、きっと家族で仲良く幸せに過ごせていたんでしょうね。生まれてきてゴメンなさい。みりあもゴメンね。あたしさえ死んでれば、血のつながった両親と幸せだったハズよね。でもあたしが生き延びたせいで、ずっと辛い思いばかりさせちゃった。一生消えない傷も心と体に負わせちゃったけど、あたしは何も悪くないんだって。高校のクラスメイトも大変よね。あたしがコミュ障なせいで空気がギスギス、しかもイケメン男子と仲良く会話してるのを見られただけで自殺未遂する女までいたりして、さらに唯一の友達だと思い込んでいたクラスメイトの心まで壊して、こんなあたしを好きになってくれた男子も、あたしは処女膜を死ぬまで守り通さないといけない役立たずだから……だから、あたしなんかと付き合っちゃ駄目だし……うん、魔王の言うとおりよ。あたしは何も悪くない。いつも悪いのは周りばかりで、なにか不幸があっても誰かが守ってくれるし、いつもあたしの代わりに誰かが傷ついてくれるし、いくら迷惑かけても優しい人がフォローしてくれるし、いつも誰かが犠牲になってくれて、あたしだけが無事で、いつも間違っていて、そんなあたしなんて……なにも悪くないあたしなんて――死んじゃえばいいのに」


 ……自殺は許可できない。


 みぅの魂魄には、転生を経てなお魔導寄生体が宿っている。

 みぅが死ねば、魔導寄生体を構成するゼロ質量物質がエネルギーに変換される。

 その結果、みぅを中心とした、半径数キロが灰燼と化すだろう。


「うるさい処女膜。生意気なこと言うと……破く」


 それも許可できない。

 吾輩を破いて殺したら、光と闇の魔力バランスが崩壊する。

 その結果、みぅは半年と持たずに魂魄の免疫反応を起こして死ぬ。

 もちろんみぅと共生する魔導寄生体も死に、半径数キロが壊滅的な被害を受ける。


「……サイテーね」


 みぅが呟いた、その時だった。

 トントン、ドアが叩かれる音がして、


「みりあ?」

「てへっ。お姉ちゃんラブ☆ディスティニー。盗撮は駄目でも覗きはセーフでお馴染み、ドアの隙間から姉の着替えを覗くは妹の義務で――あ"あ"ぁっ! まだ駄目なのですっ!」

「まどろっこしいですわ! わたくしに逆らう奴は等しく地獄に落ちるがよろしいですの!」


 ――バタンッ!

 ドアを蹴り破らんばかり勢いで現れたのは、怪しすぎる幼女であった。


 たぶん、みりあの同級生であろう。

 だが、ちいさな体は女子小学生にしか見えない。

 つーか、この幼女のこと、みぅも吾輩も知ってる。


 青い瞳と銀髪を持つ西洋風な幼女だが、なぜか服装は純和風の巫女服だ。

 こんな奇っ怪な出で立ちの女は、一度見たら忘れられない。


 みぅ、コイツ見たことがあるぞ。


 ほら、アイツだ。

 テレビ番組で藁人形に練乳をぶっかけてた、女子中学生アイドル占い師。


「あー、人気占い師の細木若子ね」

「おっほっほっほっほっ~! どうやらお気づきでしてね! いかにも! わたくしは預言者の異名を持ち、占星術を自在に操る高潔なる女占い師アイドルの細木若子ですのっ!」


 手の甲を口元に当てて高飛車に笑う、巫女服姿の銀髪ロリ。

 みぅよ……吾輩、このようなときに、どう反応すればいいか分からぬのだ。


「あたしにも分からないわよ……みりあ、説明をおねがい」

「わたしの同級生なのです……お姉ちゃんに会わせろってうるさかったのです」


 みぅの問いに、みりあは申し訳なさそうに顔を背けた。

 どうやら、細木若子はアレ系らしい。

 困った同級生とか、迷惑な同級生とか、遠慮のないウザい同級生とか。


 ひとしきり高笑いして満足したのか。

 巫女服姿の銀髪ロリーターは、みぅをニンマリと見据えて問いかけてきた。


「あなたが、鳴瀬美海さんですの?」

「そうだけど、占いなら間に合ってるわよ」

「ズバリ言いますわ。あなた勇者ですの?」

「みりあ! 部屋から出ていって! あたし、この人と大事な話があるから!」

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