第12話

 夜中に目が目が覚めたら、部屋の窓を開けてみよう。

 もしも天気が晴れなら、きっと冬の夜空に星々が見えるだろう。


 偉大なる宇宙の輝きは、都会の明るい夜にも負けない。


 おおいぬ座 α星 シリウス

 こいぬ座  α星 プロキオン

 オリオン座 α星 ベテルギウス


 冬の夜空を彩る大三角。

 早朝になれば妖しい紅色に輝く、さそり座 α星 アンタレスも見れるだろう。


 無限に散りばる輝点のひとつ、地球から数万光年も離れた恒星。

 その星系に所属する惑星のひとつが、吾輩とみぅが前世を過ごした異世界だ。


 その異世界に、ある日生命が誕生した。

 原始的な生命は進化と絶滅を繰り返し、数十億年の年月をて文明が誕生した。


 文明は発展し、科学技術の栄華を極めた。

 地球を遥かに超えた叡智で、魔法や奇跡といった、人類の夢を実現していった。

 そして、進みすぎた科学が世界を滅ぼした。


 地球とは違う、その惑星に生まれた文明は滅んだ。

 しかし、その惑星に生息する全ての知的生命体が滅んだわけではない。


 ヒトとよく似た知的生命体は、大破壊とそれに伴う文明後退を乗り越えた。

 失われた技術の再発見を繰り返し、二度目の産業革命を越えて、やがて近代文明が芽吹いた。

 蒸気のエンジンで汽車が走る異世界には、地球にない技術があった。


  魔法である。


 発展しすぎたゆえに滅びた文明の遺産、悪魔じみた超科学の残滓である。


 魔法とは、光学的に観測不可能で質量ゼロの「概素がいそ」という物質が、人間の体内でごく僅かに生成されるD型アミノ酸の代謝物と対消滅反応を起こした際に生じるエネルギーで顕現する。


 古代の超科学文明の発見した「概素」は、世界を構築する物理法則を狂わせる。

 かつて魔法や奇跡と呼ばれた現象を、人の手によって起こすのだ。


 現代科学では観測不能な「概素」は、宇宙に広く存在する自然物である。

 これをエネルギーに変換するのは、いわゆる霊魂に特殊改造を施す必要があった。


 吾輩と美海のいた世界には、様々な亜人種がいた。

 いずれの種族も、古代の超科学文明において作られた改造人種の末裔だ。


 重労役用に膂力と繁殖力を強化した改造人種が「オーク」であり、

 技術労役に特化した改造を受けたのが「ドワーフ」であり、

 遺伝子操作を駆使した美容整形と寿命延長の終着点が「エルフ」であった。


 前世で魔導王と畏怖されし吾輩も、ルーツは戦闘人種か何かであったのだろう。


 吾輩の住んでいた世界では、産業革命と魔導革命が同時に起きていた。

 科学が人々の暮らしを豊かにして、それを魔導がサポートする理想社会ではない。

 進みすぎた魔導が文明を滅ぼす、過去に辿った滅びの未来に突き進んでいた。


「――ボクは構わないさ。だけど9桁は死ぬよ?」


 年若く生意気な小坊主だった吾輩は、北方の地を治める大国の王子だった。

 吾輩の父上は尊敬できる親であり、善政を敷く名君であり――

 世界の危機の傍観者に徹する、断頭台に送るしかない臆病者だった。


「――まずは自国民を五桁ほど殺す。些細な犠牲だろ?」


 クーデターで父上を始末した吾輩は、旧体制の幹部に大粛清を敢行した。

 若造の王に逆らう可能性があるものは、一族郎党を含めて処刑台と強制収容所へと半々に送り込んだ。


「――ボクは世界を救う英雄になるんだ。全国民3%の死は許容範囲さ」


 粛清と政治弾圧の恐怖で満たされた国内で、吾輩は祖国を戦える国に変えた。

 国民を犠牲に比類なき工業力を養い、世界を救うための軍備を整えた。


「アーノルド、エスメラーダ、リバッチオ……みんなボクが処刑した。父上の時代から生き残った高級幹部は、カリーニン。キミだけだよ」


 いつしか、吾輩は魔王と畏怖されるようになった。

 北方の王国を世界屈指の軍事強国に育て上げ、自国民の犠牲はいとわなかった。


 たとえ地獄に落ちようと、吾輩には使命があった。

 魔導研究を進める帝国を討ち滅ぼし、第二の文明崩壊を防ぐ使命が。


「――旧世界では、邪悪の象徴を『魔王』と呼んだらしいね。だからボクは名乗ることにするよ。吾輩は魔導王ディグラム。世界を統べる魔王軍総司令官――と」


 平和と程遠い世界には、国家がいくつも存在した。

 その中でも最大の国力を持つのが、吾輩が対峙した大帝国であった。


 帝国は禁忌に手を出した。

 かつての大破壊で忘却された、狂える魔導科学の研究に手を染めたのだ。


 吾輩と敵対した帝国は、異世界で最強の国家である。

 膨大な国力の後押しで発展する魔導科学は、いずれ文明を滅ぼすだろう。


「魔導による文明破壊を防ぐため数億人を殺す――余はまさに大魔王である」


 こうして吾輩は、滅びゆく世界を守るべく挙兵した。

 大国同士の戦争は世界を巻き込み、開戦から半年で数千万の人々が命を落とした。


 地球とは異なり、異世界の戦争にルールはなかった。


 生物兵器が投入された。化学兵器が投入された。

 魔導を操る兵士も多数投入され、数え切れぬほどの人々が死んだ。


 戦乱がもたらす膨大なデータは、あらゆる分野の技術を急発展させた。


 医療を変える抗生物質が開発され、電気通信や無線技術が発展した。

 鉄道が兵士と物資を無尽蔵に前線へと運び、その多くは戦場で失われた。

 兵士の心からモラルが消えて、軍規が乱れた。

 前線から逃亡する兵士が続出した。絶望で自ら命を断つ兵士も多かった。

 帝国軍の前線兵の平均余命は二週間で、魔王軍なら半年は生きられる。

 兵士の鬱憤は民間人に向けられた。数え切れない悲劇が起きた。


 ヒトの心が蝕まれる戦場に、ある日ソレは現れた。


   勇者――である。


 勇者の正式名称を『魔導強化歩兵』と呼ぶ。

 帝国軍は「戦場の英雄」と呼び、吾輩の配下は「戦場の悪魔」と蔑んでいた。


 勇者とは、禁忌の魔術で強化された歩兵である。

 生物のDNAと酷似した二重らせん構造の塩基配列を模した概素配列を持つエネルギー生命体を、特別な素質を持った人間の魂魄に寄生させて完成する。


 質量ゼロの概素で構築された生命体は、たんに魔導寄生体と呼ばれる。

 魔導寄生体は、同じく概素で構築される人の魂魄と融合して共生関係を結ぶ。

 宿主の魂と同化した魔導寄生体は、生存本能に従って宿主の肉体を徹底的に守る。


 宿主となった人間に信じがたき膂力を与え、尋常ではない再生力を付与する。


 余談ではあるが、魔導寄生体の素材は生きた人間である。

 魔導に適正を持つ人間の脳幹から抽出される特殊なホルモンを用いて製造される。


 勇者という兵器が、前線に投入されてから。

 破竹の勢いで連戦連勝を続けていた、吾輩の率いる魔王軍の進軍に陰りが見えた。


 勇者は、手強てごわい敵であった。

 タフで、素早く、ヘビー級の拳を持つ。

 最高に忌々いまいましい存在だった。


 兵士として手強いのはもちろん、厄介なのが勇者が持つ「自爆性質」だ。

 人間の魂魄に寄生して「勇者」に変える魔導寄生体は、宿主が絶命する瞬間に自らを構成するゼロ質量物質をエネルギーに変換する。


 勇者絶命時の破壊力は、高性能爆薬に換算して数千トン。

 こちらの世界でいう、戦術核兵器に匹敵する破壊が吹き荒れることになる。


 勇者を倒すこと自体は、難しくない。

 哀れな英雄の手足をもぎ、口に出すのもはばかる方法で消滅させればいい。


 しかし、勇者は絶命と合わせて大爆発を起こす。

 勇者を撃破すると同時に、半径数千メートルが灰燼と化すのだ。


 これがいかに厄介かは、説明するまでもないだろう。


 そして、魔導寄生体を身に宿した勇者たち。

 彼ら、彼女らを待ち受けるのは、恐怖と絶望に満ちた未来だ。


 魔導寄生体は、人間の魂魄と同化する。

 人間の魂魄は異物を感知すると、免疫反応をもって撃退しようとする。

 終わることのない免疫反応は、魔導生物が寄生した人の肉体を徐々に壊していく。


 最初に異常が出るのは味覚だ。

 時間と共にいくつかの味を失い、やがて目に映る世界から色が消えていく。


 毛髪から色素が抜け、指先など体の末梢部から皮膚が壊死してゆく。

 生きたまま腐敗する勇者は、臓器の機能不全で恐怖と苦痛から開放される。


 魔導強化歩兵の余命は、平均で三ヶ月だ。

 死にかけた魔導強化歩兵に与えられる最後の任務の多くは「自爆」である。

 自らの死をもって成功となる、生還者なき任務だ。


 死地へと赴くボロボロの英雄には、帝国総統から大変名誉ある称号が授けられる。

 勇敢なる者に捧げられる、偉大な称号が「勇者」である。


   鳴瀬美海は――勇者であった。

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