第10話
「うげぇ……」
「鳴瀬は、今日も一日よく頑張った」
「ガンバリ過ぎて、グロッキーよ……」
「笑顔と挨拶を欠かさないだけで、そんなに疲れるもんか?」
「キツイわよ……笑顔も、挨拶も、同じクラスの女子連中に怯えられるのも……」
「迷惑なやつだな」
「おかげさまで、普段は使わない表情筋がピクピクだわ……」
放課後の教室で、みぅは死にそうな声で言った。
机にグデ~っと上半身を放り投げて、うつろな瞳でブツブツ弱音をボソリ。
挨拶週間 → マジ鬼畜
目指せリア充 → ガチで無理ィ
ぼっちのエリート → 鳴瀬みぅは
疲れて → 倒れて → もう → 動けない。
笑顔と挨拶のミッションは、相当堪えるらしい。
心のHPがレッドゾーンに突入したみぅは、疲労困憊の表情で言うのだ。
「挨拶とか笑顔とか、コレいつまで続ければいいのかしら……?」
「さぁな? 普通の人は死ぬまで続けるんじゃないか?」
「みんな偉いのね……あたしには無理っぽい……」
「鳴瀬も、そのうちできるようになるさ」
「あたしは、工藤君みたいに外向的じゃないのよ……」
放課後の勉強会、教室にいるのは二人だけ。
みぅと工藤が、だだっ広い教室を占有している。
さっきまで数人の男子とムラサキがいたが、今はいない。
キャンパスノートの数だけが、賑やかだった勉強会の名残を残している。
トイレ離脱組が戻ってきたら、今日の勉強会もお開きであるな。
「はぁー、憂鬱だわ」
ため息混じりに、みぅは窓の外を眺める。
冬の日が落ちるのは速い。晴れ渡った冬空を茜色をした夜が侵食していた。
二月の景色は、魔法を掛けられたみたいにキラキラと輝いている。
イルミネーションされた街路樹は、クリスマスっぽい。
季節はバレンタインだが、近所の商店街は機材の流用を決意したらしい。
ハートマークの電飾の下で、見知らぬカップルが抱き合っている。
――こうすると暖かいね、一緒にいると幸せだね、と。
ひと目もはばからずイチャついて、ふぅふぅー吐息を吹きかけあっている。
ジト目のみぅが、ボソッと呟いた。
「あーゆーの、何が楽しいか分かんなぃ……」
「楽しいんだろ。本人たちは」
「世のカップルが無自覚にぶち撒ける、公害じみた幸せオーラも考えものね……」
「鳴瀬も誰かと付き合えば、あんなことをするようになるさ」
「そのときは、恥を晒す前にあたしを殺して」
「構わんが、報酬のおっぱい揉みモミは先払いで頼む」
「うん、工藤くん以外の人に頼んどく」
「まぁ、俺としては鳴瀬の乳より尻に興味があるわけだが」
「お口にチャックが必要みたいね」
「唇を縫う糸は、運命の赤い糸で頼む」
「唇にミシンをかければ、どんな糸でも自動的に赤い糸になるんじゃない?」
「赤い糸の知りたくなかった真実だな」
「おめでとう。これでまたひとつ大人に近づいたわね」
「というわけで、俺と鳴瀬で大人の階段を」
「絞首台まで続く大人の十三階段は、工藤君がひとりで登るべきだと思うの」
「七段目で引き返す予定だから、おっぱいの先っぽを突かせてくれ」
「そんなに人体の経絡秘孔を突きたいなら、北斗神拳の道場でも探したら?」
「ちなみに十段目まで行くと」
「聞いてない」
「コスチュームプレイが解禁されるわけだが」
「その場で階段を踏み外して、人生ドロップアウトするがいいわ」
「鳴瀬はセーラー服に」
「興味ないわ」
「なら、ランドセルに」
「そのコスプレに目覚めたら病気よ」
「そうだ。お医者さんプレイも捨てがたっ」
「病院の前に、あの世へ逝きなさい」
「おや? 鳴瀬の頬が染まってるぞ? 鼓動も高まっているみたいだ? これは熱があるな。まずは聴診器で調べる必要がある。さぁ、上着をまくるんだ」
「まずは自分の病気を治しなさい」
「ゴホゴホッ、この不治の病を治すには鳴瀬の尻を枕にして一晩過ごす必要が」
「そのまま土に還るがいいわ」
「すまなかった。鳴瀬の尻を枕にすると治るのは冗談だ」
「それは知ってた」
「ほんとは、鳴瀬のおっぱいを後ろから」
「まだウソを重ねるつもり?」
「鳴瀬はひどいな。俺の病気が治らなくても構わないのか?」
「工藤君の発言の酷さに比べたらマシよ」
「もっと罵ってくれ」
「あんたの話に付き合った、あたしがバカだったわ……」
「その蔑んだ瞳がたまらない」
「男ってほんとバカ ……」
「ふっ。俺はいつからお仕置きという単語にエロスを覚えるようになったのか?」
「知らんわ。そんなこと」
「で、話題を鳴瀬の尻に戻して」
「どんな話題なのか未知数だけど、すごく気持ちが悪い話題なのは、確かみたいね」
「始めは気持ち悪くても、開発が進むと気持ちよくなるらしいぞ?」
「らしいわね。教室のロッテン腐女子同盟の話を、盗み聞きした限りでは」
「俺はノンケだ」
「男が男に一度ハマると、女なんていらなくなるそうよ?」
「それでもパートナーは女の子がいい。ところで、これは本当にあった怖い話なんだが、中学時代にクラスメイトの腐女子が俺と数学教師を題材にしたBL小説を書いてな」
「なにそれ怖い。鳥肌が出てきたわ」
「大丈夫か? 女の子の鳥肌は乳首を指で弾くと収まるぞ?」
「よくもまあ、次から次にポンポンとシモネタが口から出てくるわね……」
「鳴瀬が望むなら、一晩中耳元で囁いてやる」
「女の子の耳と心にトラウマを植え付けるの、そんなに楽しいかしら?」
「どうせ植え付けるなら、トラウマより」
「そこから先は自重プリーズ」
「鳴瀬って、いつも左手の薬指に指輪付けてるよな?」
「コレ? 男避けのお守り」
「だろうな。お前と付き合いたがる物好きな男が」
「それがいるのよ……わんさかね。もぅ街を歩いてるだけで声かけられまくり。あまりにウザいからコレ装備したけど、虫除けスプレー程度の効果しかないみたい」
「鳴瀬に忠告だ。女と付き合いたいのと、女とヤリたいは異なる」
「あっそ」
「ところで俺は、前者と後者、どっちで鳴瀬を誘ってると思う?」
「あたしが口に出して言うまでもないでしょ……」
「鳴瀬は、ほんと素直じゃないな」
「……否定しないわ」
そこで、会話が途切れる。
放課後の教室で、みぅと工藤のまっすぐな視線がぶつかる。
なにか喋ろうかな? なにか話題はあるかな?
考えるが、なにも思いつかない。
気まずい沈黙。だけど心地いい。
二人っきりで過ごす、なんでもない時間が安らぐ。
「そろそろ、帰る準備しない?」
途絶えた会話に終止符を打ったのは、みぅの方からだった。
みぅの声に応じて、工藤は言うのだ。
「だな。でも、最後に問題をひとつ解いてみないか?」
「どんな問題?」
工藤が見せてきたノートには、不思議な年表が書かれていた。
それは、ある種の計画書だった。
――工藤という男子高校生が、
――同じクラスの女子生徒と付き合って、
――卒業まで仲良く過ごし、
――それぞれの将来の目標に見合った、別々の進路に分かれて、
――大学を卒業して、
――社会人として自立した工藤が、
――高校時代から交際を続けていた同級生と幸せな結婚をする、
――そんな物語。
緻密に練られた計画書だが、恋人役の名前欄は空だった。
それを読み終えた、みぅの瞳が点になる。
動きがピタッと停止して、呼吸のリズムが速度を早める。
ほっぺは真っ赤で、汗がダラダラ、体ブルブル、わなわな震える唇からは、困惑混じりの「えっ? えぇ?」で。
表情を引き締めた工藤は、みぅに小さな箱を渡してきた。
「受け取ってくれ。安物だけどな」
工藤が差し出したのは、無地のシルバーリング。
赤面フェイスで言葉を失ったみぅに、工藤はストレートな愛を告げてきた。
「鳴瀬。俺と付き合ってほしい」
壁掛け時計の秒針が、コチコチと時を刻む。
早くて浅い呼吸音が、バクバクと高鳴る鼓動が、みぅの鼓膜を震わせる。
沈黙、沈黙――重たい沈黙。
それは時間にしてわずか数秒、だけど永遠にも感じられる密度。
みぅは、目元に涙を浮かべながら言った。
「……ごめんなさい」
「そうか。これからも友達としてよろしくな」
「うん」
みぅの涙で潤んだ視線が、教室の床に固定される。
言いたい言葉が出てこない。素直な気持ちを声にできない。
それが、いまは、とても、ツラい。
きゅっと胸が押さえつけられるような痛みが、トクトクと鼓動を暴走させる。
涙がでるほど切なくて、だけど好きと言えなくて。
生まれて初めての痛みが、泣きじゃくる捻くれ娘の心をチクチクと責め立てる。
「ごめっ、んなさい……っ」
「始めは安っぽい正義感から。俺のせいで鳴瀬がひどい目にあったから責任を取ろうと思ったんだ」
「あた……し、は」
「鳴瀬のことはめんどくさい女だと思っていた。いや、今でも思ってる。捻くれてるし、素直じゃないし、無愛想だし、強気でクールでじつは寂しがり屋で、一人で塞ぎこんで閉じこもっていて、誰にも頼らない強さがあるのに、誰かに助けてほしそうな弱さが見えて、なんか放っておけなくて」
「ほん、とは……」
「最初に好きになったのは鳴瀬の性格だ。気まぐれな猫みたいな自由さと、嫌味のないサッパリした態度が魅力的だった」
「工藤君のこと……」
「次に好きになったのは笑顔。たまに見せる困ったような笑顔がすげー眩しかった」
「好き…に、なってて」
放課後の教室で、好きな男子から告白を受けて、その告白を拒絶したみぅ。
抑えきれない涙を流すみぅに、吾輩は残酷なことを言わねばならない。
――みぅよ。
――辛いだろうが、吾輩は口出しするぞ。
――学生らしい節度ある付き合いなら、吾輩も許可できる。
――だが、みぅは絶対に処女を捨てられない。
――それだけは、忘れるな。
「ごめんなさ…い……あたし……工藤君と付き合えなく…て……」
「泣くなよ。鳴瀬に泣き顔は似合わないぜ」
「ごめん…なさい」
工藤は泣き止まないみぅを抱き寄せて、セミロングの黒髪をクシャクシャした。
みぅは知っていた。工藤が自分を好きなことを。
普段の何気ない仕草や、他の男子の冷やかす反応から、工藤の好きを察していた。
おせっかいなムラサキからも、タレコミがあった。
だけど、みぅは知らん振りしていた。
カレの好きに気づかないフリ、アタシの好きを知らんフリ。
嘘つき、偽物、言えない感情。
自分は、誰とも付き合えない女だから。
鳴瀬美海は――勇者であるから。
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