第13話 ぬいぐるみの沙加奈


#2028年12月22日 金曜日 22時30分 

 天候 あめ 気温8度 碧南市内へきなんしない割烹旅館かっぽうりょかん 衣浦茶寮きぬうらさりょう


 打ち上げ会を早めに抜けた。へべれけカラオケ大会と化した宴会には付き合いきれない。乾杯の後、身近なヤツらに大急ぎでビールを注いで回った。とりあえず余計に注いで回れば義理は果たせる。

 宴会を抜け出した俺は、割り当てをもらった部屋に閉じこもった。

 宴会よりも、猛烈に気になることがあったからだ。


 そう、沙加奈が別れ際に泣きそうな顔で手渡してくれた、白い小さな小箱。


 それは―― 

 量子通信技術に関わる者なら、一度は憧れるであろう魔法じみた技術が詰まった白い箱だ。

 輪華さんを心から敬愛する俺は、知っていた。シリウスリンカーでもある沙加奈が「私と繋がってください」というキーフレーズを口にした意味を……


 JR東海道線刈谷駅まで沙加奈を送り届けた後、俺のモバイルパソコンにシリウスリンカー協会からのお知らせメールが届いた。差出人の名義は、『シリウスリンカー協会日本支部 副支部長 睦月輪華』となっていた。そう、先日、俺は輪華さんと名刺交換をしている。俺は、技術者としても、輪華さんを敬愛する者としても、興奮で頭が沸騰しそうになった。


 お知らせメールに添付されたドキュメントに目を通した。問題ない。量子通信に関するエンドユーザー向けの説明なら、俺にとっては日常業務でうんざりするほどに取り扱ってきたレベルの内容だ。

 お知らせメールのリンクから、専用の設定ページを開き、必要事項の入力と、利用規約の確認、「ご協力お願いしますページ」では、いくばくかの寄付もさせてもらった。


 そして、いよいよ、開封の儀――


 白い小箱のを開く。可愛いエプロンスカートのウサギのぬいぐるみが、眠っているように、ちょこんと座っている。取り出すと、ミトンの丸い手が、『よろしくお願いします』と書かれた、さらに小さなメッセージカードを握っていた。

 初期設定、デバイスドライバの更新作業…… こういうのは仕事でやり慣れているから、簡単だった。シリウスリンクシステムは、技術者的な視点で言うと、かなり洗練されたシステムだ。


 メッセージカードの裏は、特殊なパターン画像が光線干渉色でプリントされた管理鍵カードになっていた。それをうさぎの赤い瞳に見せた。



 ◇  ◇



#2028年12月22日 金曜日 22時40分 

 天候 くもり 気温6度 一宮市内、とある集合住宅1階


 Congratulations!

 Who need you has increased.

 おめでとう。あなたを必要としてくれる人が、増えました。


 あっ、もう、来た。

 私の一次視覚野の片隅に、新しくリンク先が増えたことを表すメッセージが走った。

 さすが、玲人さん。シリウスリンクの受け入れ側デバイスの初期設定、もう、できちゃったんだ。すごい。


 冬休みの宿題を片付けてた途中だったけど、数学の教科書を机の上に伏せた。シリウスリンクの管理鍵を出して、右目だけで見詰める。いつもと同じ手順だけど、いつもと違うのは、「リンク承認手続き中」と視野の端に文字が浮いていること。

 シリウスリンカーにとって、誰かと繋がることは大切なこと。私は例外的に飛び回れる子だけど、それでも私を必要としてくれる人が増えるのは、特別のことだから。 


 胸がいっぱいになりそうな、うきうきした気持ちで、システムに対してもリンクを承認した。


 で…… リンク承認手続きの後、双方向通信の調整とかキャリブレーションとか、初回限りだけど接続関係の設定作業が色々とあるのだけど……


 何というか…… 玲人さん、本物の量子通信技術者だった。普通なら、シリウスリンカー協会から専門のスタッフさんを派遣したり、ヘルプデスクに問い合わせて初期設定作業をしてるのに…… 玲人さん、自分で全部やっちゃったの。

「ウサギの姿勢制御デバイスのドライバ、更新しておいた」

 さも当然という顔で、私が手渡したウサギさんの中身をいじりまわしていた。ミドルウエアの一部を除いて、全部最新版にアップデートされていた。システムへの改変も、一応、私の視野へメッセージが来るのだけど、目の前が文字でいっぱいになる勢いで、私のウサギさんが大改造されていたの。

「れ、玲人さん、これ、いったい……何をどうやったんですか?」

「ミドルウエアに含まれる中間言語エミュレーターの一部を、フリーのライブラリと置き換えた。こっちの方が早いぞ」

 玲人さんってば、要約すると海外のフォーラムにアップされている互換ライブラリと、私のシリウスリンク端末であるウサギさんの制御アプリの一部を置き換えちゃったらしい。

「だ、だいじょうぶ、なの?」

「心配ない。ソースコードを落として、gccでコンパイルしなおした。MD5のチェックサムも確認しているし、コードは目視確認した。医療用精密ステッピングモーターの管理システムは、シリウスリンク専用ではないんだ。義手や義足、それに遠隔手術関連でも使っている。システムコール関係も含めISOで規格化されているから、ハードウエアメーカーが違っても問題なく動くはずだ」

 ……システムの話になると、玲人さん宇宙語を話すから、ちょっと、ご勘弁。


 くるっと宙返りした。

 確かに、他のウサギさんデバイスよりも、玲人さんのところに預けたこの子は動きやすい。

 こんなこともできちゃうんだ。玲人さんすごい。

「ありがとうございます。玲人さん」

「いや、こちらこそ、今日はお疲れ様でした。楽しいいいバトルだったよ」


 思わず頬が火照る。嬉しいけど、嬉しいんだけど、恐縮してしまう。

 だって、私のために、仮想鋼鉄運営委員会は専用フィールドを貸し切りで用意してくれた。玲人さんも、忙しい身の上なのに、私に付き合ってくれた。駅まで送ってくれたし、それに今だって……


「あ、そこは気にしなくていい。仮想鋼鉄運営チームは良いバトルが撮れさえしたら、それだけで喜ぶやつらの集まりだから。おかげで、今夜は打ち上げ会で盛大に呑んでる」

 でも…… それに、玲人さんは打ち上げ会でなくていいの?

「心配ない。本来なら出演料や勝利報酬を支払うべきところを、ポイントだけで済ませているんだから」

「しゅ、出演料!?」

 思わず声が出ちゃった。

「あれ、気づいてなかったのか? 公式戦だから、仮想鋼鉄専用チャンネルでネット配信してたんだが…… 結構な視聴率で、収益も出てる。ちなみに、最高視聴率はラストのあのシーンだったと、運営さんがホクホクしてるんだが……」

 き、聞いてないよ。あれをネット中継してたと…… え、ええっ、えええっ!



 ◇  ◇



#2028年12月22日 金曜日 23時00分 

 天候 あめ 気温8度 碧南市内へきなんしない割烹旅館かっぽうりょかん 衣浦茶寮きぬうらさりょう



 シャープペンシルを両手持ちしたウサギが、さらさらとメモ用紙にパスコードを書いた。

「輪華ねえさまから、私のことお願いされたんでしょ?」

 沙加奈の声で、小さな白ウサギが笑う。

「そうだ。だが、俺としても、噂の機体――辻斬り ”carnival” は技術者としても、純粋に興味がある」

 白ウサギが大きな耳を揺らして小首をかしげた。

 俺はわかりやすく言い直した。

「無課金縛りで、この機体をどうさせることができるのか? 仮想鋼鉄のプログラマとしても、魔改造は燃えるテーマだ」

 うわわっ! と、ウサギ姿の沙加奈がうろたえている。俺は舌なめずりしながら、いま、沙加奈から聞き出したパスコードを打って、XR001-C4RR "疾風" の管理画面を呼び出した。


 整備方針はもう決めていた。

 少なくとも、関節駆動制御関係は強化したい。装甲外骨格にも強化は必要だ。俺が見た限り、沙加奈は無意識のうちに無課金機である "疾風" をかばいながら戦っている。沙加奈はもっと、速く "疾風" を走らせることも、さらに激しく戦わせることもできるはずだ。

 シリウスリンクにより、沙加奈にとってXR001-C4RR "疾風" は、自身の手足と全く同じ感覚で操作できる。空中クイックターンをいとも容易くやってのけた運動神経の良さを鑑みれば、沙加奈は無意識のうちに "疾風" を壊さないように気遣っているはずだ。そうだ、そんな繊細なことができる―― それがシリウスリンクの凄味でもある。


 そして、シリウスリンクはコミュニケーションツールとしても優れているらしい。ウサギさん姿が相手だと、こうも話すことが楽だとは意外だった。それに、沙加奈は、輪華さんの愛弟子であり、れっきとしたシリウスリンカーだ。

 気兼ねなく話が進む不思議な話術を、未熟ながらも持っていると感じた。


 キーボードをたたき、 "疾風" を整備しながら、取り留めない話をした。

 沙加奈は、明日は名古屋市のど真ん中、栄や久屋大通へクリスマスのお買い物に、学校の先輩と行くと話していた。沙加奈の学校がバイト禁止じゃなければ、お買い物が楽しくなるような報酬も支払えたはずなのだ。

  

「ね、玲人さんもお話して」

 沙加奈の声がねだるように言う。

 俺には、あまり楽しいネタはないのだが……

 多治見市の夏は暑くて死にそうだとか、すぐ近くまで熊が出るとか。織部焼と志野焼の違いとか…… あのバトルのときとは打って変わって、シリウスリンカーとしての沙加奈は、聞き上手だった。それを褒めると、白ウサギが耳を揺らして首を振った。

「ありがとう。でも、まだまだ。輪華さんには程遠いです」

 ぎこちなく話していた俺は、そこでやっとナチュラルに笑えた。

「輪華さんファン同士か、お互い、頑張ろうな」

「うんっ!」

 


「玲人さんなら、こういう話しても大丈夫だよね?」

 ふいに、ウサギがそう前置きして話し始めた。

「私がどうして仮想鋼鉄であんなに強いのかっていう理由――」

  "疾風" の定義ファイルを開いて、補強用の部材や、管制制御装置、油圧ダンパーを追加していた時だった。無課金でも、勝利ポイントならばある。ポイントで手に入るバーチャル資材縛りで改造を行っていた。

 コードを連打するキーボードの傍らに、白ウサギがひょこひょこと歩み寄ってきた。画面を見あげて、俺に背中を見せた立ち位置で、ふふっと笑う。 

「私、後ろにも目が付いているの――って、言ったら、どんな意味なのか、わかります?」

 はあ?

「盲点、知ってますよね?」

「ああ、それくらいなら……」

「じゃあ、は……?」

 はあ?

「見えないから、盲点って言うんだろうが……」

 言いかけて、気が付いた。

 沙加奈はシリウスリンカー協会や関係の医師から"Swordfish"ソードフィッシュというシステム内部コードを付番された、特殊な存在だった。可愛いウサギさんのぴょんぴょん仕草からは想像できないほどに、最先端医療技術の塊のような存在だ。

 可愛いので、つい、忘れてしまいそうになるが、この少女は大脳新皮質のほとんどを量子サーバーとの間でリンクしている。ヒトが万物の霊長たるゆえん、知性や想い、感情…… これらの源と考えられる大脳連合野機能を、沙加奈はあろうことか、量子サーバーと自身の頭の中身との間にできた通信リンクによって維持しているのだ。

 言い換えると、多重知能・多重フレームマルチインテリジェンス理論にいう「心」は、沙加奈に限っては、量子通信に結ばれた脳と量子サーバーの間にまたがって存在している。この少女は、あまりに特殊な存在だった。


 俺が思考の海に沈んでいる間、心配になったのか、急にか細くなった声がぽつぽつしゃべりだした。

「私、両目とも義眼なの。大脳のね一次視覚野にはね、ふつうは盲点のあたる場所は周りの視神経から情報を分けてもらって、盲点が目立たないようにしているのだけど――私は、ちがうの」


 俺は、いま、改めて認識した。

「仮想鋼鉄にログインしている間だけ、私、盲点にカメラドローンからの画像を映しているの。だから、死角ゼロ、全部見えてた……」


 確信した。沙加奈の心は、XR001-C4RR "疾風" の中にも存在する。

 バトルした際に、情緒的な意味合いで "疾風" は沙加奈の魂を宿していると、そう、感じていた。俺は、感覚的には戦いの通じて沙加奈を理解していた。それがやっと、言語化できた。


 白ウサギの沙加奈は、ぽつりぽつりと続けた。

「それにね、一次運動野と直結で "疾風" を操縦しているから、私が "疾風 " が動いちゃうの」


 俺が黙り込んだせいで、沙加奈は心配になったらしい。耳を垂らしてしょんぼりな沙加奈に、俺は何か気のきいたセリフを言うべきだと理解はしていたが、不器用さはどうしようもない。


 仮想鋼鉄は、量子サーバーが生み出す拡張現実空間内で、仮想機械騎士たちが相食むバトルゲームだ。

 まして無課金の初期機体は、チュートリアルのために用意されている。初心者ユーザーが不慣れな戦いの中で壊して、コンビニ支払の後に、課金機へ乗り換える手順までを説明するための練習機に過ぎない。

 

 しかし、沙加奈の場合は違う。

 俺は、あらためて認識し、慄然としていた。

 XR001-C4RR "疾風" は、壊してはいけない機体なのだ。



>> to be continued next sequence;

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る