第5話 ふたつのリンカー

#2028年12月15日金曜日 7時05分

 天候 はれ 室温、気温ともに4度 暖房なし 



 多治見市は夏場は照り焼きにされるくせに、冬場は普通に寒い。雪が積もらないのが救いではあるが、寒いものは寒い。

 

 メール? 運営から呼び出し……? 俺、悪いこと何もしてないぞ。

 俺は歯ブラシを咥えたままスマホを触る。トップ画面のメール着信通知をタップしてメーラーを立ち上げた。


『兎守様へ――

  会って頂きたい方がいらっしゃいます。次の場所と時間にて……』


 俺のスケジューラにも運営から予定が登録されていた。空いている時間帯を狙って設定したらしい。会えっていうのは、おそらく、どこかのIT企業の営業担当とかだろう。適当にセールストークに相槌打って、無難な回答を返して、見積書の一枚でも取れば終わるだろう。

 まあいいか―― 「了解」で返信した。


「で……ふぁれ、とあへと誰と会えと……?」

 歯ブラシを咥えたまま、ぶつくさ。俺は朝は弱いんだ。こう見えても低血圧でな。

 何となく気になって、メーラーの画面を指でスクロールさせた。


 スクロールさせた途端、俺は歯ブラシごと歯磨き粉を噴いた。

 運営が俺に会えという相手は、レジェンド級の天使だった。



◇  ◇



#2028年12月18日月曜日 13時50分 名古屋市 中村区名駅

 天候 はれ 気温 10度



 名駅周辺の高層ビル群の一角、展望階の片隅にある小さな喫茶店に、俺は約束の10分前に着いた。


 名古屋の街並みを見下ろす窓際で、仮想鋼鉄運営の男と、電動車いすに掛けた美少女が俺を待っていた。

 

 先に、面白くもない野郎の方から紹介を片付ける。

 男は仮想鋼鉄運営員会という外資系IT企業の東京法人で執行役員を務めている。年齢は、たぶん、40歳代……のはずだ。いわば俺のビジネス上のパートナーでもある。名前は非公開希望で、「運営さん」と呼んでほしいとか…… ふざけてやがる。

 とにかく、こいつが「運営さん」だ。彼から見た場合、俺は薄謝で働いてくれる外部の協力者ということになる。


 「運営さん」がにこにこ営業スマイルで立ちあがり、俺に席を進めつつ、俺を隣の美少女に紹介した。

「こちらが、弊社、外部委託プログラマで……」

「兎守玲人です」

 俺は「運営さん」のセリフに合わせて軽く会釈した。とある噂話を聞き及んでいるから、上着の内ポケットに忍ばせた名刺は、まだ待機だ。

 そう、俺はこの美少女を知っている。だが、相手はおそらく俺を知らない。残念だが、俺はこの美少女ほど有名でも大物でもない。


 「運営さん」が俺の紹介を続けた。

「仮想現実空間内で使用する各種課金アイテムのデザインと設計、並びにプログラムの実装コーディングまでを手掛けておられます。彼が手掛けた仮想機械部品ヴァーチャルコンポーネントは興味深いものが多く、一般ユーザーさまからも高い評価を得ています」

 普段は「微妙すぎるモノを作らないで」とかいうくせに、物は言いようだ。

 「運営さん」の臭すぎるセリフ回しに合わせて、俺も営業スマイルを心掛けた。ビジネスは何事も清潔感が大切だ。こいつ、つまり「運営さん」のネクタイを締めあげるのは、美少女が帰った後でもいいだろう。



 で、いよいよ本命の美少女だ。

 普段から量子通信関係の技術的な専門雑誌の記事を読んているから、俺は、その美少女が誰なのかを知っていた。

睦月輪華むつきりんかです。兎守さまは量子通信技術にもお詳しいと伺っていますから、私のこと……?」

 電動車椅子に吊るしたトートバックから何か這い出して、赤色系統のチェック地ひざ掛けの上に、ひょこりと乗った。美少女、輪華さんは何気なく柔らかい声で話を続けていた。

 これは、まさに噂に聞く通りの展開だ。

「存じ上げております。お会いできて光栄です」

 左手を胸に当てて、騎士の如く一礼した。相手は19歳にして伝説の人だ。しかも、19歳には絶対に見えない幼顔で、清楚な美少女だ。俺は「光栄」という俺自身がしゃべった一言に震えていた。噛まずにセリフをいえたことが奇跡だ。


 輪華さんは、はにかむような微笑を浮かべた。それから、ひざ掛けを蹴って元気よく宙返りし、大きな耳を揺らしてテーブルにとんっ! と降り立った物に、可愛らしいピンク色の名刺を手渡した。

 ついに来たこのタイミングで、俺も名刺を取り出した。犬山機械騎士団3号機のあの営業係長へ発注した特別製の名刺だ。


「申し遅れまして。シリウス・リンカー協会 日本支部 副支部長をしております」

 少女の声と共に、エプロンスカート姿の白いウサギのぬいぐるみが、名刺を捧げ持って、俺の元にひょこひょこと歩いてきた。その自然な動きの可愛らしさは、完全に魔法か童話の中のウサギさんだ。いわゆる進化しすぎた科学が魔法と区別できない、あの現象が俺の前で大きな耳を揺らしていた。


 俺はウサギと名刺交換した。輪華さんもゆっくりお辞儀している。俺の大脳前頭前野は技術者としても、健全な日本男子としても沸騰しそうだ。


 ここで少しだけ説明をさせてくれ。

 この輪華さんという、現世に降臨した天使のような美少女について。


 公開されているプロフィールから紹介すると、輪華さんは左腕が義手で、左眼が義眼、左足に麻痺があり歩くことが難しい。体の実に四分の一が機械だというのだ。もちろん、こうして間近にご尊顔を拝す機会を得たいまも、にわかには信じられない。

 交通事故で大変な思いをされたと聞いているが…… そこは、俺ごときが踏み込むべき領域ではない。


 だが、拡張現実を演出する量子通信技術者としての俺に、輪華さんは会いに来た。

 本来、俺ごときがこうして親しく話す場を与えられるべきではない――そういう雲の上の方なのに、だ。

 だから、仮想鋼鉄の仮想機械プログラマの立場から、輪華さんを紹介をさせてもらう。


 まず、輪華さんの毎日の生活は、量子通信技術により支えられている。

 そして、境遇を同じくする人々を支え導いている。

 さらには、さきほど拝見した「ぬいぐるみリンク」を駆使して、遠く離れた場所にいる様々な人々の話し相手になり、孤独を癒すお仕事をもされているのだ。


 輪華さんが役員を務めているのは、量子通信技術を応用した脳機能バイパス技術※1. を用いる人々の互助会のような組織だ。色々と大変な境遇の人たちのまとめ役を、若干19歳で立派に勤めあげているのだから、頭が下がる思いだ。


 輪華さんの頭の中は―― 頭頂葉から後頭葉にかけて大脳新皮質、その電子の量子状態を読み書きできる特殊な手術が施されている。病院に設置された量子サーバーが、事故で失った脳機能を代替するために、そんな通信機能が手術で付けられているのだ。詳しい説明はちょっとアレなので省くが、大雑把に言うと脳に無線通信でアクセスできる…… そんな感じだ。

 この脳内の電子が持っている量子状態の情報を、光量子通信に写し取る――量子化二進数quantum coded binaryによるデータ通信を使が、輪華さんがスペシャルなところだ。


 

 なぜなら―― 脳機能バイパス技術はまだ、実験段階の技術だ。



 実は、手術しただけでは、思った通りの結果を得ることは、多く場合、難しい。

 なぜなら、インターネットに例えるならば、OSI参照モデルにいう第5層、セッション層に相当する部分に、俺たちの脳は「意識」という面倒な物の介在を受けるらしい。


 大脳は、光や雑音、内部に眠る膨大な記憶――非常に多くの情報に日々晒されているが、パンクしないのは、「意識」というやつが何を見たいのか、何を聞こうとしているのか、何を思い出したいのか…… コントロールしているから、つまりは要らない物はスルーしているからだ。

 義手、義眼からの情報も同様に、ちゃんと使えるようになるには「意識」がこれを認めて受け入れなければならない。「意識」にある種の「気づき」が得られないと、脳量子通信も高性能な義手や義眼も宝の持ち腐れ状態になってしまうらしい。


 「意識」


 これは「魂」や「心」の問題だ。厄介なことに、こいつらには実体はない。電子の量子的もつれ状態などという、外科手術の及ばないところにある。



 そこで、俺の絶対天使、輪華さんの出番となるわけだ。

 脳機能バイパス技術を施されたばっかりで、義手も義眼も義足も使いこなせていない後輩たち(年齢性別は問わない)に、特殊な方法で最初の「気づき」を分け与える指導者としての役割を果たされているのだ。

 今日、多くの方々が脳機能バイパス技術により、大事故からでも、職場復帰を果たし、あるいはごく普通の日常を取り戻している。輪華さんは、そのほとんどの人々に、最初に機械化された手足や視覚、聴覚を受け入れるための「気づき」を指導していた。

 こう話す俺もさすがに具体的なイメージはグリップできていない。専門雑誌の記事を読んで、輪華さんが起きした奇跡に心を奪われた。ただ、それだけだ。

 まあ、大雑把にいうならリハビリが大幅に楽になる魔法だと、理解してくれていいだろうか。


「みんな生まれる前に、お母さんのお腹の中で気がついていたこと、なんだけどね」

 そういって、輪華さんは、俺に微笑んでくれた。自らのお腹に触れる仕草が聖母の如くに美しい。俺は心は、感涙の大洪水に溺れていた。

 


 もう一度まとめると――

 輪華さんは、大脳に直接アクセスする量子通信を使いこなすという天使の特技を持っている。

 脳機能バイパス技術とは、けがや病気で失った脳機能を病院に設置された量子サーバーが代替する技術である。

 そして、義手や義足、義眼と繋がる量子通信をうまく使えない人々に、輪華さんは、最初の「気づき」を分け与えるという、大変で大切な仕事をしていた。


 俺と輪華さんの対話は、いま話したようなことを共通認識として、一見すると穏やかに…… しかし、俺からしたら心臓爆発寸前のテンションで進んだ。くどくて本当に済まないが、敬愛する輪華さんと、俺が魂を捧げた仮想現実やその基礎技術である量子通信を話題に、歓談できるなんて、夢としか思えなかった。


 だが、夢のような時間の後、ふと気づくと―― 輪華さんの微かに蒼い瞳が俺を見詰めていた。俺という人間がどれだけ信頼に足る存在なのかを確かめるような、そんな切実な眼差しが俺を射すくめていた。



>> to be continued next sequence;


第6話 ぬいぐるみリンク へ直行します。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884720811/episodes/1177354054885104295

















 

//remarks ------------------------------------------------------------------------------------------------;

※1. 脳機能バイパス技術(作中造語)について補足


 ここから先は、本文とは関係ない寄り道だ。

 読み飛ばしてもらってもまったく問題ない。

 

 付き合ってくれるなら、技術的なところにもう一歩踏み込んで話をさせてくれ。


 神経細胞というのは、論理回路でいうAND回路に似ている。多数のシナプスからの入力の総和が閾値を超えたとき、1本しかない軸索へパルスが出る仕組みになっている。その軸索だが、ミエリン鞘という絶縁体が巻き付いているのだが、ランヴィエの絞輪という隙間が等間隔に開いている。神経パルスは、この隙間を飛び石伝いに伝送される。跳躍伝導と呼ばれる自然が作った神経回路の高速化通信技術があるのだ。

 だが、跳躍伝導は高速化だけではなかった。

 神経パルスは軸索の中ではなく、外を跳躍しているのだ。それを狭い脳内で100億を超える脳細胞がやっている。跳躍伝導で飛び交う電位差の波は幾重にも重なり合っている。

 そして、この跳躍伝導を担う電子に、量子演算技術にいう電子の量子的なもつれ状態がある。


 量子化二進数quantum coded binaryっていうのは、ちょっとしたオーバーテクノロジーだ。跳躍伝導で電位差を伝える電子に量子的なもつれ状態を発見しただけでなく、それを光量子通信に転写できるところまで、一気に進んだのだから。もちろん、コピーといっても完全ではなく近似値的なものだが……

 さらに、うさん臭さを増し盛りにするが、この技術の出自だ。理論的に予言されたものを実験的に証明するというまっとうな段階を経たものではない。別目的の医療技術の研究において、実験を繰り返す過程で技術というあたりが、眉唾物だ。


 それで、量子化二進数コードによる光量子通信技術の中身だが…… 

 俺たちの「魂」や「心」が脳内のどこに、どんな姿で存在しているのか? もしかすると、その答えの端緒が見つかったともいえるかも知れない。「魂」や「心」は脳が生み出すものだが、脳を超えた存在だった。何せ神経線維からはみ出した場所を飛び交っているのだから。そして、その電子の量子状態の波、そこに俺たちの「魂」ってやつがあるのかも、知れない。


 はっきりいうと、脳機能バイパス技術は、まだまだ、実験段階の技術だ。

 義手を動かすには大脳頭頂葉にある一次運動野を読みだせば、いま、どんな風に手を動かしたいと思っているのか、わかる。それを量子演算対応サーバーで処理後、無線通信で義手に仕込んだステッピングモータに伝えれば…… 理屈上は

 義眼も同じだ。義眼からの情報も無線で量子サーバーに送り、光量子通信に変換してから、一次視覚野に書き戻している。

 狭くて複雑な頭蓋骨の中に配線できないのと、量子もつれ状態を生成してから大脳へ書き込む必要があるから、病院に設置された専用の量子サーバーを通しているのだ。


 失ったものを少しでも取り戻すために、人の頭脳を模して造られた機械の演算力を通信回線越しに借りる。たったそれだけの技術。歪で不完全な……おそらくは技術の進化の過程で、ひと時だけの活躍の場を与えられた、踊り場的技術。


 脳機能バイパス技術っていうのは、たったそれだけのものだ。

 後にして思い返せば―― 輪華さんは、それをわかっていた。だから、いつも笑っていた。

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