第2話 仮想鋼鉄の世界観


 バトルセッション終了がシステムにより宣言されると同時に、戦闘画面を彩る破壊の炎が掻き消された。


 無残に切断され、爆散した機械騎士たちも、チャイムと鈴の音に導かれ、光粒子エフェクトと共に拡張現実のフィールドに蘇った。しかし、大幅に格下の存在である初期機体、それも無課金機に敗北したのだから、ペナルティであるポイント減は見るに耐えない惨状だったが。


 夜風の中で、男のため息が白い息になった。


 港区環状線に架かる歩道橋。ネクタイを緩めた四十代男性は、立ち尽くしたまま、驚きの声を漏らした。男の手には重課金防壁〈ハニカムシールド〉を操るための10.5インチタブレットが握られていた。

 その男のリアルは、地元の印刷会社で営業を主に担当している、ベテラン係長だった。その日は得意先回りの後に、直帰して、本作戦に参加していたのだ。


「君が……?  "Carnival"の正体だったのか……?」

 男の首元には、閉じたままの白い扇が突き付けられていた。古来、戦国時代より扇は、刀の代わりとして象徴的に用いられてきた雑学知識を、男は今更ながらに思い出した。


 少女は答えなかった。

 最後の突撃の瞬間、少女は、仮想空間上に赤錆びた機械騎士を伴い、歩道橋を駆けあがってきた。男が呆気に取られたほどに可憐にスカートを翻して、閉じたままの扇を太刀に見立てた剣舞を舞ったのだ。

 重課金による絶対防壁〈ハニカムシールド〉の反則的に高い守備力を突破するため、赤錆びた機械騎士XR001-C4RR "疾風" は、スクラムジェットスラスタの大推進力を回転トルクに変換しつつ、尋常ではない斬撃を浴びた。「疾風、蓮華車」というキャプションが付された回転斬撃剣は、その操縦者=XRリンカーである少女自身がくるりと舞うことで繰り出されていた。


 水色のスカート、セーラー服のリボン、天結びにした黒髪が夜風に揺れる。環状線を全力で走ってきたのだろう。小さな少女の息はあがっていた。


 それでも、男は目の前で見たものが、にわかには信じられなかった。

 状況からして、この少女が――  ”対象”、つまり、XR001-C4RRのリンカーであることは間違いなかった。しかし、"Carnival"と呼ばれ、課金ユーザーたちを恐慌の坩堝に陥れた謎の辻斬り魔の正体が、こんな小さくて可憐な少女だったとは、完全に想定外だった。


 少女が扇をしまうと、男は緩めていたネクタイをきっちり締め直した。胸ポケットから名刺入れを取り出す。


 本作戦の主目標である ”対象”のリアルを確保すること。そのために有効な手段として昨夜、職場のオフセット印刷機を拝借して刷った名刺を取り出した。デザインに凝り、営業用のメルアドの他に、仮想鋼鉄でのIDと愛機のシルエット、型式コードまでを刷り込んだ名刺は、事前の想定どおりならば決定打になるはずだった。


 そう、"Carnival"の名刺を手に入れる――それが、重課金ロボ5機を集中投入した作戦の最終目標だった。


 微かに白髪混じりだが清潔感のある完ぺきな営業スマイルと共に、両手で差し出されたカラー刷り名刺を目の当たりにして、少女は戸惑った表情を揺らした。営業成績では優秀なベテラン係長も、さすがに苦笑いを隠せなかった。


 女子高生が名刺を持ち歩いているはずはなかったから。



 ◇  ◇



 仮想鋼鉄(正式名称 array of eXtended Reality Steel doll fight procedures)と呼ばれる複合仮想現実処理技術を駆使したゲーム―― それが、今夜、彼らが死力を尽くしていた物の正体だった。


 彼らは――ゲーム空間内では操縦者、パイロットなど各自が好きなように名乗っているが、セッションアウト後は、統一的にXRリンカーと呼ばれる。複合仮想現実世界と、リアルな日常世界とをつなぐ人々。そのような世界観を共有する者たちという意味だった。


 XRという言葉は、eXtensioned Reality (拡張された現実)あるいは、Experience eXtensioned Reality(体験型拡張現実)という意味で一応は定義されているが、すでに関係者限りに通じるジャーゴンとなり始めていることは否めない。


 しかし、お洒落な眼鏡に似せた網膜投影デバイスを身に着け、カメラドローンとサーバーが描き出す仮想の戦場で、巨大な鋼鉄製の機械騎士を駆る……

 はまってしまった者には何物にも代えがたい甘美な時間がそこにある。何と言っても、ロボだけでなく、現実に存在する街並みにも、仮想鋼鉄の世界観ならばのだ。

 先ほどの男も、流れ弾と言いつくろいながらも、どさくさに紛れて近隣に位置する同業他社の社屋を155ミリ榴弾砲で打ち抜いていた。網膜投影画像の中では、ストレスの根源が華々しく爆散し大火球の中に焼き尽くされている。現実にはそんなには…… と無粋なことを言ってはいけない。仮想鋼鉄の世界観では、そこは大げさにのだ。

 

 上空には複数台の自動操縦ドローンが舞っていた。

 仮想鋼鉄では、複数機のカメラドローンが撮影した画像を、GIS(地理情報システム

Geographic Information System)から得られる電子地図情報と混ぜて作り出した仮想フィールド上に、架空の巨大鋼鉄ロボットを出現させることで、ゲームを成立させている。

 サーバー内では、電子地図情報に基づきXRリンカーたちがいる地点を起点に、半径約300メートルが三次元モデリングされる。さらに、機械騎士も型式コードで定義された"クラス"を素に、それぞれXRリンカーの愛機となる、機械騎士のインスタンスがクリエイトされるのだ。


 つまり、型式コードが同じ機械騎士は、同一のクラス構造体データから書き起こされる。愛機にXRリンカーごとの個性を持たせる処理は、コンストラクターと呼ばれる手順により、クリエイト直後に行われる。各XRリンカーごとの個人戦績やポイントなどの情報はサーバー内に配列データとして保管されており、機械騎士の各種プロパティ値に代入されるのだった。


 さらに言えば、使用されるドローンはカメラだけではない。

 巨大ロボットの疾駆する地鳴り、ステッピングモーターの駆動音、滑空砲などの発射音など各種音響効果を担当する演出ドローンも、また、ゲームサーバーから自動操作されている。

 ドライアイスによるガス効果、発煙や閃光、鋼鉄同士の激突による火花など、フィールドを盛り上げるための各種エフェクトドローンも用意されていた。


 もっとも、今回のセッションでは―― 通行規制を行わず、実際には歩道橋や高架橋など歩道の上から、関係者にしか見えない仮想現実空間での熱戦が繰り広げられていた。

 こうした事情から、彼らは、ドローン使用についても控えめだった。最小数のカメラドローンを使用していたにすぎず、音響や演出はサーバー内でのみで展開されていた。物足りなさはあるが、そこは想像力を逞しくすることで補えばいい。


 ゲーム内の想定では高度な光学ステルスを纏っていた1号機を、少女が難なく撃墜できた理由もドローンだった。1号機の視界をゲームサーバーに展開するために飛行していた、カメラドローンを目印にできたからだ。多数の電動ローターを廻している以上は、その飛翔音は無視できないほどに目立つ。

 空中に舞うドローンの位置から、そのすぐ近くに仮想機械騎士が存在することは、容易に推測できる。より快適なゲーム環境を提供するため、ゲームサーバーは対戦参加機体のテレメトリーデータから各機体の未来位置を算出し、ドローンを先回りさせている。良い絵を撮るために、ゲーム運営側は努力を惜しまなかったのだが…… 裏目に出たといえるだろう。


 バトルセッションの間、少女は環状線の歩道を南へ、つまり港区方面へ走りながら、小さなオペラグラスでドローンを探していた。ドローンがいるところに、敵の機械騎士が存在する。

 つまるところ、ドローンを見つけてしまえば、敵の未来位置も戦術も解るといえる。

 もっとも、大人たちの間では、ドローンは見なかったことにする「お約束」が存在するのだが…… 少女には通じなかった。


 だからこそ、今回、この特異で迷惑な行動を行う謎の機体が、捜索の”対象”とされたのだ。


 一方、”対象”とされた側、赤錆びた機械騎士を駆る少女は、課金ユーザーを狩るという目的からも、一切、ドローンを使用していない。戦闘時に画像データをサーバーへ送る必要性はあるが、それは相手チームのドローンから得ていた。同一のバトルセッションにアクセスしているのだから、ゲームサーバーは共通であり、システムはルールの範囲内において公平だったのだ。


 少女と赤錆びた機械騎士は、困ったことに大人たちによる暗黙のルールの範疇外にあり、しかも迷惑なほどに強い。僅かな時間で遭遇した敵を撃破し、ポイントだけを奪って立ち去る。ゆえに、その存在は謎に包まれていた。

 姿を現したのは、今回が初めてだった。撃破されたとはいえ、五機もの機械騎士を集中投入した包囲作戦の成果といえるだろうか。


 市内女子高の制服姿から年齢は……十五歳か十六歳と推測された。見た目はかなり幼げで清楚な美少女だが、戦う意志を持つ者の瞳をしている。そして、少女の背後には、勝者となった赤錆に汚れた鋼鉄製の機械騎士が起立していた。


 声が湧いた。生き残った5号機のXRリンカー、撃墜された3機のXRリンカーたちも歩道橋へ走ってきたのだ。こちらも年齢的に足取りがふらついていた。最初に屠られた2号機のリンカーは、本当に国道1号線の歩道を走っていたのだから、息遣いが荒くなるのも当然だった。


 投了によるセッション・エンドを宣言したのは、生き残った5号機のXRリンカーだった。3号機をも失った時点で敗北は確定的であり、戦意を喪失したのだった。それに作戦目的は”対象”のXRリンカーの特定である。無意味に負け試合を続ける意味はないように思えた。


 少女は、歩道橋の階段を駆けあがってくる大人たちを、獲物となれ合うつもりはないとばかりに冷たく一瞥した。

 しかし、一方で、この無駄に凝って丁寧に作られたこの名刺には感じるものがあったらしい。

 世代が違えども、高度情報社会システムを応用した"ちゃんばら"の世界観を共有する、同好の士へ、年相応の柔らかい微笑みをくすりと揺らした。


「今宵は、お手合わせを頂き、ありがとうございました」


 少女は夜風の中で深く一礼した。



>> to be continued next sequence;

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