第8話 ソードフィッシュ
#2028年12月20日 水曜日 11時45分
とある高校の講堂 天候 はれ 気温10度
二学期の終業式。講堂に全校生徒が集まり冬休みの生活や諸注意の後、校長先生のありがたいお話が……長かった。予定時間をかなり超えて、青春期における勉学の必要性と生涯学習について昭和時代の偉人やらの逸話を挟みつつ……とにかく長かった。
さらに、その後、講堂から教室に戻る渡り廊下で、バッタリ生徒会長と鉢合わせ。他の生徒の列に紛れてこっそり通り過ぎようとしたんだけど……
「沙加奈ちゃん書記長! 隠れても無駄ですわ」
凛とした声にセーラー服の後ろ襟をネコ掴みにされた。振り向くと、藤井先輩、つまり本校の生徒会長がにんまり笑顔で見下ろしている。
「さあ、沙加奈ちゃん書記長、生徒会のお仕事がまだ残っていますわ」
「そっ、その呼び方、やめて、恥ずかしいです」
他の生徒もくすくす笑っている。
「観念して生徒会室においでなさい。そうしないと、もっと、『沙加奈ちゃん書記長』って大きな声で言うぞぉ」
うわわっ! お願い、やめて!
そのまま生徒会室に引っ張り込まれて、雑用色々を片づけさせられた。議事録の整理、活動費の帳簿管理、何よりも生徒会に代々伝わる「紙エクセル」に邪魔された。隠しセルにリンクするの、禁止っ! フォントを白色にしてデータ隠すのも禁止! 数値を文字列にするの禁止!
とにかく頑張って片づけた。
あとは駅まで走って電車に飛び乗って……
「うわぁ、ちこく、遅刻っ!」
クリスマス直前、華やかにごった返した金山総合駅のコンコースを頑張って擦り抜けた。人混みが凄くて走るのはムリだったよ。
#2028年12月20日 水曜日 14時05分
名古屋市熱田区金山総合駅2階カフェレストラン 天候 はれ 気温10度
そんなこんなで、やっと、2階カフェレストランにたどり着いた。
天結びも乱れ気味な有様で、息を切らして駆けつけた私を待っていたのは――
輪華ねえさまとぬいぐるみのSakura。
いつも嬉しそうに微笑していて、会うだけで気持ちがほっこりする。そんな不思議な人。私にとっては、大切なことを教えてくれた人。生きる意味を分け与えてくれた人。本当の姉のように慕っているの。
その隣に寄り添っている知的な眼差しは、アイルランド系米国人でブラウニーさん。シカゴにあるシリウス・リンカー協会の本部から、日本支部の支援に来てくれた方で、いつも輪華ねえさまのそばにいる。役職はテクニカル・エバンジェリストというカッコイイもの。
見た目は物凄いイケメンなんだけど、声もハスキーなテノールで痺れるくらい。たけど、中身は大阪人がかなり入っている。学生時代に日本に留学してホームステイ先が大阪鶴橋だったとかで……お好み焼きが主食になっているらしい。いわゆるアヤシイ外国人枠のキャラ。
そして――
「兎守玲人です」
ダークグレイのスーツ姿の玲人さんが、騎士の如くに左手を胸にあててカッコよく私へ一礼。
憧れの人が三メートル以内にいる。私に話しかけてる。凄い。凄すぎる!
「う、うさっ、宇佐美沙加奈です……よ、よろしくお願い……します。」
上擦った。意識したとたんに緊張した。私、自己紹介は苦手だったよ。
◇ ◇
宇佐美沙加奈を初めて間近で見た印象は、思った以上に小さくてかわいい! だった。
さすがは、俺にココアを吹かせただけのことはある。
輪華さんには良く懐いていて、セットで視界に収まると、本物の姉妹のようにさえ思えた。
屈託のない笑顔を弾けさせて、きゃいきゃいとはしゃぐ沙加奈を見ていると、俺までほっこりしそうになる。だが、忘れてはいけないことがある。
沙加奈は、シリウスリンカーだという事実だ。
#2028年12月20日 水曜日 9時45分
名古屋市中村区名駅とある貸し会議室 天候 はれ 気温8度
実は、輪華さんは、俺と沙加奈の待ち合わせ時間をずらしてメールしていた。大慌てで走って来たらしい沙加奈には悪いが、4時間以上も前に俺と輪華さんたちは内緒で会っていた。
テクニカル担当者を同伴し、ここ金山駅とは別に、名古屋駅周辺の貸し会議室を用意していたのだ。重要な商談や極秘の会議など向け、定員10名以下のセキュリティの高い個室が指定されていた。
守秘義務があるので、話せる範囲で掻い摘んで説明する。
シリウスリンカー協会からは、日本支部副支部長の輪華さん、米国本部から派遣されたテクニカルエバンジェリストのブラウニー氏、他に沙加奈に脳機能バイパス手術を行った執刀医、浜松医学博士の三名が参加。
俺たち仮想鋼鉄運営委員会からは、例によって「運営さん」と、日本法人CIO(
輪華さんからのメールで事前に知らされていたが、いざ、小会議室に入ると、俺は緊張した。
フリーランスのプログラマに過ぎない俺だけが、場違い感丸出しで絶望的に浮いている。
そして、最も威圧感を放っていたのが、浜松医学博士と紹介された白衣姿の老人だった。白髪で痩身、しかし眼光はかなり鋭い。
浜松医学博士の名前は、量子通信関係の専門雑誌に掲載された何本かの論文で知っていた。俺みたいなレベルのプログラマが会える相手ではないのは、確かだ。萎縮で縮みあがりそうな気持を、とにかく輪華さんが見ているという一点を希望に鼓舞した。
◇ ◇
難しい内容の会議なので、要約すると――
「沙加奈という少女は、脳機能バイパス技術において最大の難問である、量子プログラムコードを我々にもたらしてくれる救世主というべき存在なのです」
浜松医学博士の話を大雑把にまとめると、こうなる。
シリウスリンカー協会にとって、宇佐美沙加奈という少女は、ある種、特別な存在だったのだ。手元に配られた資料には、宇佐美沙加奈の名前は書かれていなかった。代わりにシステム内で特別に割り当てられたコード名が記載されていた。
脳機能バイパス技術の限界を斬り開く存在――
脳がどのようにプログラムされているのか、我々の技術ではそのコードを生身の人間の頭から取り出すことは不可能だ。SFにありがちな、頭に電極をぶっ刺すと意識や人格、記憶までもダウンロードできるなんていうのは、到底無理だといえる。
だが、脳機能バイパス手術を受けた者は、その手に入らないはずの記憶を必要としている。
つまり、脳はどのようにして手足や身体を駆動しているのか?
義手、義足、義眼に置き換えた身体を動かすため、生活の質的向上のため、動作記憶を必要としているのだ。もちろん、リハビリをすれば、動作記憶は確かに手に入る。
しかし、ゼロスタートから、異質で言うことを聞かない義手義足のステッピングモータと格闘するのは、真面目にメンタルが折れるほどにキツイらしい。サーバーを使っているのだから、先人のデータを流用したいと考えるのは、当然といえるだろう。
動作記憶っていうのは――まあ、説明するなら、こんな感じた。
ヒトの脳は様々な種類の記憶を保持している。
わかりやすい例が、テスト前に詰め込み学習をすることで取得を目指す短期記憶。
他に、日常のちょっとした場面で使うワーキングメモリー。例えば、電話をかけるとき、手紙を出す際に、電話番号や郵便番号を一瞬だけ頭に覚えているだろう。暗算でも使うあれだ。
それから長期記憶。出身母校の校歌なんてのもこれだろう。
そして、本題の動作に関わる記憶は、言語化されていないが、身体が覚えている記憶だ。よく言う「昔取った杵柄」ってやつのことだ。これは自転車に乗るとか、包丁でサンマを三枚におろすとか、あるいは習字で達筆だとか、本当に日常の様々な場面で必要となる。
困ったことに言語化されていない記憶なので、これを他人に説明したり、ましてやシステムにプログラムすることが大変に難しい。
例えば、未就園児に靴下の履き方を教えるようなものと言えばいいだろうか。
誰もが無意識のうちにしていること。それゆえに、意識して説明しようとすると、言語化することがどんなに大変なのかを思い知らされるはずだ。
「沙加奈ちゃんは、世界で一番に脳機能バイパス技術と相性がいいんです」
輪華さんは、苦笑いに近い笑顔を揺らした。
「沙加奈ちゃんは――シリウスリンカーの中でもトップレベルに、深刻なダメージから生還した奇跡の塊みたいな子なんです」
その苦しみを知っている輪華さんの声が微かに濡れている。
「だから、沙加奈ちゃんで得られた動作記憶のデータは、シリウスリンカーみんなを救えるほどなんです」
つまりだ。
例えば、宇佐美沙加奈が仮想鋼鉄で辻斬りをやらかす。
そのためには、あの天結びのチビ少女は、全力で走って、階段や歩道橋を駆けあがって、飛び回ることになる。仮想機械騎士は、XRリンカーの周囲300メートル以内にしか展開できないルールになっている。高速でロボットを突撃させるには、XRリンカーであるプレイヤー自身が走る必要がある。仮想鋼鉄はお外で元気に遊ぶ、健康的なエレクトリックスポーツだ。
ましてや、必殺技である回転斬りを繰り出すためには、沙加奈自身も回転斬りの動作をすることになるのだ。
そう、仮想鋼鉄は大人もハマる痛いチャンバラ遊びだ。
沙加奈はリアルでは、太刀の代わりに、閉じた扇を振り回して剣舞している。
このすべての過程で沙加奈から病院の量子サーバーへデータが送られ、蓄積される。蓄積されたデータは、一般向けに調整された後、他の脳機能バイパス手術を受けた患者にも支援情報として展開される。サーバー内の他の患者へも沙加奈のデータが転送され、活用されているのだ。
さらには他の医療機関からも提供の依頼があれば、転送されていた。
シリウスリンク協会テクニカルエバンジェリストのブラウニー氏が、輪華さんの後を続けた。
「沙加奈さんから得られる動作記憶のデータはきわめて良質です。リアルでも、仮想世界でも元気に飛び回っているため、関節可動域のほぼ総てに効率的な動作記憶のデータがあります」
俺と「運営さん」が頷いた。
これは仮想鋼鉄の隠れた利点だろう。
拡張された仮想空間内で機械騎士、つまり人型ロボットをぶん回しているのだから。
誰しも自身の身体を全部使いきっているわけではない。社会人ともなればなおさらだ。理髪店主ならばハサミは芸術品だが、身体はおそらく残念なレベルで硬いはずだ。デスクワーカーもしかり。ブラインドタッチで文字起こしができても、走るとかはダメだろう。
スポーツマンでもそうだ。ルールや用具により使わない筋肉が存在する。例えばホームランバッターはバック宙はできないし、水泳選手も正拳突きはしない。
だが、仮想鋼鉄は違う。
現実世界では御法度の斬る、撃つ、殴る、蹴る、ぶっ壊す……なんでもありの仁義なき全身格闘技だ。現実世界ではできないこと、危険なことも、仮想機械騎士ならばやり放題だ。何せ設定上は全高19メートル、重量は40トンを超える。そして、慣性制御までついてる優れモノだ。
鋼鉄の巨大ロボ同士、ぶっ壊れるまで殴る蹴るのど突き合いもできるし、フィールド内の建物を情動のままに焼き払うのもありだ。
俺たち普通のXRリンカーは、手足に巻いたシグナルリングからモーションデータを取って遊んでいるが、沙加奈は大脳新皮質直結なのだ。
何より、失った脳機能を病院に安置された量子サーバーが代行している。沙加奈は、自身の頭ではなく、量子通信で繋がるサーバーの演算力を借りて自身の身体を動かしていた。もちろん、仮想機械騎士もだ。
脳から直接的に記憶をダウンロードすることはかなわない。しかし、沙加奈のようにサーバーを脳の代わりに使い、その過程でサーバーにデータを蓄積することなら、ありだ。こうして手に入れた動作記憶データを加工処理し、他の患者を支援するサーバーにインストールすることなら可能だった。そうして、沙加奈自身が知らないうちに、彼女の動作記憶データは、他の誰かをリハビリの辛さから救っていたのだ。
そのデータを生成する源、つまりは元気に体を動かして飛び回ること。
それが、沙加奈の場合は――仮想鋼鉄という強烈なエレクトリックスポーツだったのだ。
さらに言うと……
脳は、目で見た視覚、耳で聞いた聴覚、触って感じ取る皮膚感覚など、様々な情報を連携させて身体を動かしている。
わかりやすい例は球技だろうか。野球でもテニスでも卓球でも、わずかな距離から飛んでくるボールを正確に捉えて、意図した方向へ打ち返すのは、高度な処理を脳が行っているからだ。
サッカーやバスケットボールともなれば、両チームの選手の動きまで予測して、パスを出すとか、ドリブルで突破するとかを一瞬で判断しなければならない。
日常生活なら何とかひとりでできる――そんなレベルのシリウスリンカーにとって、仮想機械騎士を率いて重課金ロボを斬り倒しまくりの沙加奈は、ありえないほどの奇跡と言えた。
沙加奈は……医療関係の話は、個人情報の最たるものなので詳しく言えないが、とある事故で自身の母親を含む多くの人を助けようとして、重傷を負っていた。
その沙加奈を救ったのが、この会合へもわざわざ新幹線で出向いてきた浜松医学博士だ。
「あの事故現場にはワシの孫娘もいた。彼女はどうしても救うべきだった」
ゆえに大きな声では言えないが、開発中で未認可の技術を諸々投入して、さすがのシリウスリンクでさえも救いきれないほどだった少女を生還させたのだ。
普通の医療機関だったら、看取ることしかできないレベルの重症だった少女は、浜松医学博士の尋常ではない熱意によって生還した。だが、それだけではなかった。
輪華さんが透明な笑顔を揺らす。
「沙加奈ちゃんが、凄く上手にシリウスリンクを使いこなしてくれたから、そのデータを他の患者さんにも流用できるの。そうすると、たくさんの人たちがリハビリが楽になるんです」
腹グロエグゼクティブ「運営さん」が頷いた。
「沙加奈さんは、当社サービスでもトップレベルのプレイヤーですから」
ここですかさず「うちの子」発言を入れるあたり、この中年、腹黒いぜ。
◇ ◇
ブラウニー氏が、パワーポイントで作られたスライドを捲った。
赤錆びた機械騎士XR001-C4RR "疾風"が、血祭りにあげた重課金ロボたちの可哀想な有様が画面に表示された。完全に場違い感満載で小さくならざるを得なかった俺に、ようやく話題が回って来たらしい。
「シリウスリンカーの心、あるいは意識がどこに存在するのか? これはとても難しい問題です。空にある星座のように、想うことで心をつなぐ技術とされていますから」
ブラウニー氏は、スライドを前に説明した。
「仮想鋼鉄システムにおいて量子通信及び量子サーバーにて伝送され処理されるデータは、高密度化されているとはいえ通常の二進数データです。しかし……」
スライドが捲られ、脳機能バイパス及びシリウスリンクの機構図が表示された。
「脳機能バイパスシステムでは、
さらにスライドが捲られた。
「従来型の脳機能バイパスシステム及びその上位レイアに展開するシリウスリンクシステムでは、
沙加奈に適用された進化型脳機能バスパスシステムの概念図が表示された。右端に、「取扱注意」と表示されていた。ブラウニー氏は困ったような苦笑いをした。
「沙加奈さんの場合、前頭前野にもシリウスリンクを適用しています。意識や自我にかかる部位とされ、現在の医療技術でもブラックボックスである前頭極第10野をもその対象としています」
誰ともなく、ため息が漏れた。
これが極秘会合の理由であり、沙加奈を名前ではなくコード名で呼び変えている「未認可技術が諸々~」の事情だった。
脳機能バイパスも、その上位レイアに展開されるシリウスリンクも、所詮は脳機能の末端をちょっと弄って、手足に繋いでいるに過ぎない。精神の座であるヒトの脳は、神聖不可侵であり、我々人間は魂をプログラムすることなどできない。
だが、頑張りすぎて瀕死の重傷を負った少女を救うため、未知の領域であることは承知で、量子サーバーによる支援を、彼らは行っているのだ。
なぜ、俺なんかがここへ招かれたのか、やっと、理解できた。
「沙加奈の心は――機械騎士XR001-C4RR "疾風"の中にも存在しているのですね」
俺は、俺自身でもこんなセリフはあり得ないと自覚していた。
正確に言うなら、仮想鋼鉄運営委員会日本法人の社屋8階にある東京データセンターの中だ。仮想化されたサーバー群の中に、沙加奈がいる地域を担当する「尾張東部・西三河サーバー」がある。ゲームシステムのデータ内に、少女の心の一部が保存されているなど……普通ならあり得ない。
輪華さんが俺を真っすぐに見つめていた。俺は、その理由をもう理解していた。
「沙加奈ちゃん、辻斬りはもう限界だと思います。優しい子だし、ゲーム内でも、本当は誰かを傷つけるなんて無理だと…… でもっ!」
俺は輪華さんの言葉、その後に続くセリフを笑顔で引き継いだ。
「本格的にスポーツとして、自身に合うレベルの相手を仲間に戦えるなら――」
輪華さんが頷いた。
会議テーブルに並ぶ双方の出席者もそれぞれに頷いている。
俺は最高にクールな営業スマイルをきめた。
「仮想鋼鉄は、楽しくて健康的な全身スポーツです」
>> to be continued next sequence;
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