私の王子様

 アロイスはジュジュと自分の為に用意された食事が載せられたトレイを載せたカートを押し、客室として用意された部屋に向かっていた。

 姉の婚約者であるアレクサンダー・ベールが魔界から裁きの結果、追放されたと知った姉の取り乱しぷりは並大抵のものではなかった。ようやく、落ち着いて眠ったのを見計らい、アロイスは姉の様子を見守り、厨房に食事を取りに行ったのである。

 魔王ヴェルサリウスに仕えていたメイド長のフィドルは姉と自分用に何か軽食が欲しい、と言えば、快く応じてくれた。

 幼少期からアレクセイとの付き合いがあるからか、アレクセイへの態度ほどではないが、フィドルの態度はテンペスタ姉弟に対しても柔らかいものであった。

 部屋の前へと到着すると、アロイスは扉をノックした。ジュジュ・テンペスタと言う女性は婚約者以外の前では奔放な態度を取る。惚れた男の前だからいいところを見せたいのだろうかと感じる弟であるが、そんな姉に対して素っ気無い態度を取るのは許せなかった。


「姉さん。おれだ。メイド長に頼み、軽食を作ってもらってきた。入ってもいいか?」


「……どうぞ。私は食べないわ、アレクサンダーがいなくなってしまったのに妻となる私がのんびりしていられないもの」


 姉は起きていないだろうと思っていたアロイス、しかし、彼女は目が覚めていたようだ。呼び方が彼女が奔放な素を見せていることをアロイスは知る一方、ジュジュのほうはベッドの上で体育座りになって壁にもたれながら、扉の方を見ようともせずに返事を返す。

 それから、何かを思い出したように立ち上がろうとするが、すぐにそれをやめて左手を上げて動かすような動作を取れば、扉が開いた。


「おはよう、姉さん。メイド長にパイを作ってもらったんだ。……といっても、あいつに食べさせてやる予定のだったらしいが。愛されてるよな、本当に。父親に救われたからって、あそこまで入れ込まないよ、主の息子に」


「フィドルも色々あるの。前にアレクサンダーが言っていたでしょう?フィドルは俺の姉のような存在だ、って。正直羨ましいわ、あの二人の関係。いくら婚約者だからって、あの二人の関係を邪魔できない。もう完成しちゃっているもの、幼馴染って最強ね」


 近くに置いてある照明を手に好き勝手にその形を変えると、お世辞にも美しいとはいえないヘドロのような色の不気味な模様の花瓶へと変化させた。

 それがジュジュのお気に入りの柄であることは知っていたが、今は気味悪いとはアロイスはいえなかった。

 勉学が苦手でテンペスタ家に伝わる能力を使いこなす特訓で彼女がモチベーションを持てた理由は、アレクサンダー・ベールに他ならなかった。

 アレクサンダーはよく魔界の歴史を知っている。それも、魔王城に住んでいるからと言うだけでおさめられないほどで、その読書量はアレクサンダーを気に入らないアロイスであっても感嘆するほど。

 彼は嫌々ながらもジュジュやアロイスに学んだことを教えてくれることがあった。塞ぎこんでいたとき、全くジュジュと自分のことを見ようとせず、悪いときは会うことさえしなかったのを思えば成長したものである。


「なあ、姉さんはさ。アイツの無実を信じてるのか?」


「もちろんよ。理由もなくアレクサンダーが殴るはずないでしょう?私よりも賢いんだもの、何か思惑があったに違いないわ。暴力的なら、既に貴方が止めているはずだし。力尽くでも何でもするじゃない、アロイスって」


 アロイスがテーブル近くにカートを運んできても、見向きもせずに花瓶を弄っているジュジュの口元は笑っていた。しかし、どこか疲れきっているようにも見える。

 ここのところ、ほとんど食事を摂っていないのが原因だろう。魔力を得られることができる魔界の食料品、世界を歪めるほどの現象を引き起こすことができる魔族にとっては、魔力の消耗が命の危機に繋がることもあり、どんな種族も必ず食事は摂るようにしていた。

 そうしたところが人間と変わらないのだとアレクセイはよく言っていたのだが、アレクセイの言葉なら覚えているであろう姉が食事を摂らないのは一大事である。


「……まあ、否定はしないな。おれは、姉さんに幸せになってもらいたいだけなんだ。テンペスタでのおれ達の扱いは悪い。だけど、姉さんはいつもおれを助けてくれた。だから、アイツとの婚約はおれ達にとっては幸せが舞い込んできたようなものなんだ。魔王の長子の妻になれば、将来は約束されていると」


「だけど、そう上手くは行かないのよね。わたしがアレクサンダーの婚約者になったのは、先代魔王様の死後。なにかあるんじゃないか、と睨んでるし、今回もサ~ンダーを良く思わない誰かが引き起こした陰謀なんじゃないかって」


 姉らしい言葉だと思った。どういう理屈かは知らないが、姉はあの本の虫にどういうわけか惹かれている。

 アロイスはアレクセイのことをよく思わない理由に姉に対する態度もあるが、それ以上に最初の本の虫振りが木に障ったのもあった。

 熱中しすぎるあまり、周囲の話が聞こえなくなるのはいかがなものかと言うのがアロイスの素直な感情である。

 ジュジュはどこまでもアレクセイのことを信じている、アレクセイが悪いとは微塵も疑っていない。


「それは考えすぎなんじゃないか?アイツは日頃からよくうつけと呼ばれていたのは姉さんも知っているはず。流石にやりすぎたんだよ、式典に魔王の長子が欠席を繰り返し、授業を抜け出すってのは。それじゃあ、自分から魔王になりたくないって言っているようなものじゃないか。今の魔界では、レオン殿がなんとか舵を取り、ベール兄弟を守ろうとしているが、それもいつまで持つか分からない。それに魔王戦争のこともある」


「だからこそ、私達がいるのよ。アレクサンダーを助けてあげなくっちゃ。きっと、サンダーは助けを求めているわ。魔界でもただでさえ、味方が少ないのに見知らぬ土地に行くと、それが分かりやすいと思うの。……どうせ、テンペスタには帰るつもりないし。私もベールになるし」


「父上達が婚約解消と言ったらどうするんだ?」


「そのときは、そのときよ」


 自信満々な様子の姉、アレクセイの話をしていたおかげもあって、少し元気が出てきたらしい。

 本の虫のアレクセイを活発な彼女が気に入ったのは、がアレクセイにあったのではないだろうか。

 似たような性格の者にメイド長のフィドルが思い出されるが、彼女が向ける眼差しは慈しむべき弟や妹へ向けられたもののそれに近いものではないだろうか。真意のところは定かではないが。

 姉はそういったところが放っておけないことと、たまに姉に構うくらいしかしないアレクセイを可愛く思って仕方がないのだろう。

 テンペスタ家では、からあまり良い待遇を受けていないこともあり、自分と姉は苦労してきた。

 頼れるのはお互いくらいしかいないという状況下、魔王を輩出したベール家との繋がりでも作っておくための道具とでも考えたのか、指名されたのはジュジュだった。

 そして、初めて出会ったときに本を読んでいたこと、人見知りではあるが、自分の好きなことを楽しそうに話すアレクサンダーのことを世話好きでお節介な彼女は気に入ってしまったらしい。

 そうした経緯もあり、ジュジュはよくアレクサンダーに会いに魔王城に通うようになった。そして、それに付き合わされるようになった。


「私の王子様を一人ぼっちにはさせない、魔界を出るのよ!」


 ジュジュ・テンペスタは、アグレッシブだった。


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