夢破れた街
エリヴェーラによってアレクセイが連れて来られた大通りは、夢破れた街という名前の割には賑やかであった。
周囲には露天が立ち並び、武器や食物をはじめとする様々なものが売られており、とても訳アリの人々が暮らしているようには思えなかった。否、そういうカモフラージュが目的かもしれないが。
「どう?賑やかでしょう」
「とても夢破れた街、という名前が似合わないな。様々な品が並んでいるじゃないか。剣から上等な革表紙の書物まで様々だ。品揃えがいいように思えるな」
「なるほど、さすがはお坊ちゃんね。こんなところで革表紙の書物に目を向けるなんて。剣とかそういうものが役に立ちやすいんだけど」
ぱらぱら、とエリヴェーラはアレクセイの貴族のボンボンらしい見かたに拍手する。夢破れた街で必要な学と言えば、数を数えられることしか求められない。と言うのも、自分がだまされないようにと言うのがほとんどの理由を占めており、それ以外は血なまぐさいもので決まるからだ。
温室育ちとも捉えられるアレクセイの価値観はエリヴェーラら夢破れた街に住まう多くの住人たちとかなり異なっている。いいところ育ちなのだろう、とエリヴェーラはなにか意味を持ったように目を伏せる。
「剣も力だが、古きを知ることで明日を作ることができるじゃないか。少なくとも、俺はそう思うね」
アレクセイは冷たく言い放った。
「坊やらしいと言えば、坊やらしいけど。少なくとも、この街では
エリヴェーラの目は遠く、どこかに思いを馳せているようだった。アレクセイはそのまま、エリヴェーラに連れられて一軒の酒場に訪れる。
入り口に古びた木の椅子の上に置いてある看板から文字が薄れていることもあり、かなりの年季を感じさせる。
ここよ、とエリヴェーラが指し示すと、そのまま中へと入っていく。中からも外からも押して開くことができるタイプの小さな扉のようだが、左側の部分がなくなっている。
誰かが盗んで持っていってしまったのか、それとも、店主が修繕するのを面倒くさく思うような性格なのか。
魔王城に暮らしていたとき、父の生前も死後もどこか城内であったり城外であっても欠けていたり、破損している箇所があれば、すぐに使用人が修繕していたのを見て育ったアレクセイにとっては信じられなかった。
エリヴェーラに案内された酒場の店内、床を雑巾がけしているウェイトレスの姿もあるが、店内の客のほとんどがゴロツキか怪しい風貌の者がほとんどだ。
エリヴェーラが店内に入ると、一部がエリヴェーラとアレクセイのほうに視線を向ける。
胸元の開いた服装の女、それに見知らぬ男を連れているとなれば、どうしても注目されてしまいがちなのだろうか。
上等な生地で拵えたアレクセイの赤いコート、それに視線を送っている者も少なくなく、自分が女連れだから視線を集めているのかとアレクセイは感じていた。
エリヴェーラはそれらの視線を気にすることなく、カウンターのほうへと向かう。
マスターらしき人物はグラスをなにかの布で拭いており、その布の古さもさることながら、とても、そのグラスで飲み物を飲みたいと思わせないような不快感を与える汚れっぷりであった。
「マスター、坊やと私にいつもの」
「よう、エリー。……やけに身なりのいい餓鬼だな。坊主、どこから来た?」
マスターは、この街で店を構えるのにふさわしいくらい大柄で、体格が良かった。
魔界でアレクセイを罵り、殴った大猿の衛兵とどちらがでかいかと言われれば衛兵のほうだが、それでもマスターは顔の傷もあり、並々ならぬ威圧感を放っている。
カウンターにエリヴェーラとアレクセイが座ると、マスターはアレクセイを値踏みするように睨み付ける。
人間界の地理についてはアレクセイは全く知識がない。彼が重んじたのは魔界の歴史と知慧である。
ゆえに過去に人間界にヴェルサリウスと共に訪れた場所の名前なんて、川だとか森だとか単語を除いては全く覚えられなかった。
しかし、このまま怪しまれるのも面倒だと思ったアレクセイ、しばらく考えた後に故郷の名前を挙げた。
「魔界。魔界から来た」
「魔界だぁ?何言っているんだこいつは。……まあ、どこから来たのかわからねえような輩が溜まっていくのがこの夢破れた街だ。基本、この街では自己責任だ。てめぇの物はてめぇで管理しなきゃならねえ。俺も店のことがあるし、お前の面倒まで見切れねえよ、お坊ちゃん」
魔界、と聞いてマスターは顔をしかめた。この夢破れた街に暮らして長い彼は、様々な理由を抱えた住人がこの店に訪れ、いろんな顔を長い間に見てきた。
その中でも赤いコートを着た青年、アレクセイの言っていることは今までの誰よりも頭がイカレていると感じた。
大方、お家騒動だかで毒を盛られ、家族に殺されかかったことをショックに思い、精神をやられてしまったのだろうと勝手に解釈をする。
魔界における王位継承について一悶着あったのは事実だったが、マスターの考えていることを知れば、アレクセイはとたんに彼を殺しにかかるだろう。
「なんだと?魔界と言うのは……」
「それより、マスター。早く作ってよ、腹減ったんだけど」
「我が妹ながら、我侭な奴だ」
マスターはやれやれ、と肩をすくめながら、食材を取り出し、小汚いグラスに麦色のなにかを注ぐ。
それから、思い出したように「冷やせ。氷」とアレクセイから見れば、センスのかけらもないような術式を唱え、氷をグラスに浮かべた。
もちろん、溢れるばかりに注ぎ込んだせいで氷を入れたことにより、グラスから液体がこぼれた。
「おい、液体が……って兄妹なのか!?」
「なんだ?おかしいか?エリーと俺は全く似てはいないが、血縁関係はある」
「こんなのだからね、うちの兄貴は。……それで、今日はウェイトレスしたほうがいい?」
グラスから液体がこぼれていることをアレクセイは指摘するが、それ以上にマスターとエリヴェーラが血縁関係があることの方が驚きだった。
確かに壁のほうを見てみると、幼いエリヴェーラと当時から既にごつかったのであろうマスターが顔を塗りつぶされた男性とともに写っている絵がある。
「いや、お前にやらせるくらいなら、あいつにやらせたほうがマシだ」
「エリヴェーラはそんなに酷いのか?」
「酷いも何も。坊主、口より先に手が出るウェイトレスをどう思う?」
「失格だ」
つまり、そういうことだとマスターはうなずき、グラスから液体を零れさせたまま、カウンターの上に二つグラスを置いた。
「坊や酷くない?せっかく私が奢るって言ってるのに。だって、身体に触るのよ?なら、ぶん殴ってもおかしくないわね?」
「脳筋にも程がある」
ジュジュの弟の子犬のようだ、とアレクセイは思った。あのアラストール・テンペスタでさえ、姉のサポートに回ろうとするなど知性らしいものを見せるのに、エリヴェーラという女性は猪突猛進タイプの様子。
アレクセイの言葉にこいつめ、とエリヴェーラがアレクセイの後頭部を叩いた。フィドルとは違う意味で姉貴分のようなところがあるのかもしれない。
拳を握り、イライラする、と表情を歪ませるエリヴェーラのこめかみには青筋が浮かんでいた。
先ほどの様子と偉く変わっているな、とアレクセイは思いながらグラスを口に運んだ。
口の中に広がる未知の感触、炭酸が口内を刺激し、苦味とある一定のまろやかさがある。
「知性の欠片もないのがな。見てくれがいいばっかりに。不埒な様子を見せれば、ブン殴っちまうようなのが妹にいると、果たして相手を見つけられるのかと不満になる。これじゃあ、ご先祖も泣いてんだろう」
「待ちなさいよ、兄貴。死人には関係ないでしょう!?」
「ほら、この言い草だ。坊主もなんかいってやれ言ってやれ」
先祖を死人、というエリヴェーラの言葉にアレクセイはカルチャーショックを受けた。
マスターが気にしていない様子から普段からエリヴェーラは同じような態度をとっているのだろうが、ここは人間界、魔界とは違うのか、と踏みとどまり、口にしようとするが、
「死人には関係ないはあんまりなんじゃないか?」
「勇者だろうがなんだろうが、そんなの関係ないでしょう?セイレンケッパクなのが先祖だったかもしれないけど、私と兄貴はそういなくちゃいけないわけないし。……あれ?坊や。どうしたの?」
とりあえず、なにか言おうとアレクセイは言った。しかし、エリヴェーラの爆弾発言に口の中に含んでいた飲み物を吐いてしまった。
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