人間界へ
アレクセイが目を覚ましたとき、そこは魔界と違って魔力濃度が薄い場所と気づき、すぐにそこが人間界であると気づくことができた。
クロウに押さえつけられていた顔には特にこれと言って怪我はなく、獣人族の怪力によって掴れていた腕が痛むくらいか。
うつ伏せの状態から身を起こし、座り込んで辺りを見回してみる。薄暗い森の中と言うのはすぐに分かった。
すぐ隣で人の声がすることと、喧騒から近くに街があるらしいことが分かり、腰を上げてパンパンと汚れを落とす。
土誇りが舞い、自分が寝そべっていた場所が人間の手の加えられた場所であると気づき、街のほうへと向かって歩き出す。
しばらく歩き、やがて森を抜けると街の反対側にやってきていたのか、そこから数分行ったところだろうか、その位置から聞こえてくる声が森の中で耳にした人の声の正体だろうと予測する。
人気がほとんどないことから、ここは繁華街の裏に当たるところではないかと推測し、後継者戦争の候補者らしい魔力の流れを感じない。
魔族と人間は使用する魔法の使用方法が違うように、持っている魔力も違いがあり、それを探ることができれば、近くにいるのかと探知することができる。
アレクセイはコートについているフードを深く被り、両方のポケットに手を突っ込んで歩きはじめる。
人間界に来て早々、人間にこんなところで絡まれてはたまらないとアレクセイ自身が面倒臭がったこともある。
「よう、兄ちゃん。見たところ、身なりがいいみたいじゃねえか。とっとと金品差し出して命乞いすれば、見逃してやらなくもねえぜ?」
しかし、運が悪かった。
テンプレートのごろつきに囲まれ、アレクセイの肩を掴み、引き止める。
周囲のごろつき達は自分たちよりひ弱そうなアレクセイがどのような反応を取るのか、それを考えながら下卑た笑みを浮かべている。
「……」
アレクセイは肩を掴まれても尚、進もうとしていた。今のアレクセイは直前に見たもののせいか、すこぶる機嫌が悪かった。
ポケットの中で父親の遺品と言える古い時計を握っていなければ、今にも魔法をぶつけてしまうくらいには。
それでも、自制しているのはアレクセイが武器を持っていないものに対し、魔法を向けられないと言う理由からではない。
関わりたくなかったので立ち去りたかったことがほとんどの割合を占めていたが、魔力濃度の薄い人間界で魔力の無駄遣いをしたくなかった。
魔界から追放されたことにより、人間界に漂流したアレクセイ。魔界と異なる空気、何度か父に連れられ、「我々と変わらんが、違う文明を築いているだろう?」と意味深な言葉を投げかけられたのを鮮明に思い出せる。
後でフィドルに尋ねてみたところ、「お父様は魔族の長所をお教えになりたかったのでしょう」と頷いていたものの、あの父のやりたかったことなんて予想がつく。
それらしいことを息子に言いたかっただけにすぎず、深い意味なんてないのだと。
アレクセイの肩を掴んだごろつき、振り向かせて顔を拝もうとするも、力が弱いほうであると自認するアレクセイ、しかし、最低でも魔族は人間の数倍はある腕力、そんなアレクセイが力を込めれば振り返らせることは容易なことではない。
血管が浮き上がるほどに力を込めても、血が頭に上って顔を赤くしても、頑なに振り返ろうとしないアレクセイ、まるで石のように一歩も動かないのでごろつきはむきになった。
「こっちを見ろ、木偶の坊っ!」
動かないのならば、とごろつきのうちの一人、スキンヘッドの男がアレクセイの後頭部を殴りつける。
不意打ちによろよろとよろめきながらも、アレクセイは右手のひらを向ける。それこそ、アレクセイの武器であった。
「おいおい、どうするつもりだ?魔法使いのつもりってのかよ?あいにくだが、魔族でもない限り、詠唱なしで魔法を使うなんざ不可能だぜ!」
ごろつきの仲間がアレクセイを煽る。なるほど、人間界では、魔法を使う為に術式に当たる言葉を紡ぐことを詠唱と呼ぶのか、とアレクセイは感心した。
こんな風に他者に絡んでくる輩に知性の類を期待していなかったこともあり、魔界追放後に思わぬ新事実を発見できるとは思っていなかったからだ。
魔法使いのつもり、と聞いてアレクセイの口端が吊り上がる。
相手が人間の魔法使いと思い込んでいるのであれば、その人間の魔法使いとやらの振りをしてやろうではないか。
「――ファイア」
「なんだそりゃ?ロクに魔法も使えねえ魔法使いかよ?」
気に入るフレーズが浮かんでこず、適当に一つの単語を発する。
そのとき、アレクセイだけは感じることができていた。魔力が手のひらから勢い良く噴き出す事を―――!
「うわッ、熱いッ!熱ツツツ!」
「こいつ、本当に魔法使いかよ!?」
「ファイア、ファイア、ファイヤー!」
「畜生、あいつはイカれてやがる!おい、置いて行くなー!?」
一人に発火し、一人が騒ぎ出すと、アレクセイは適当にファイアファイア、と唱える。
アレクセイの今回の炎のイメージは、「張り付く緑色の炎」。払おうにも払おうにも振り落とせず、緑色の炎が煌々としているさまを想像した。
さすがに格上の魔法を使える魔族のように絶対に消え去ることのない炎を魔法で使うことなんて、アレクセイにはできないのだが。
「お、覚えてやがれ!」
なんて、三下お決まりの捨て台詞を吐き捨てていったゴロツキ。残されたアレクセイ、再度、コートのポケットに手を突っ込んだとき、アレクセイの袖を引っ張る感触を感じる。
「ねえ」
こんな風に袖を引っ張るのは、幼い頃の弟のグレイか好感情を前面に出してくる婚約者のジュジュくらいしかいまい。
一体、なんのようだとアレクセイが振り返ると、蟲惑的な笑みを浮かべた女が立っていた。
銀髪は長いからか、ツーアップにし、異性の注目を集めるような胸元に開いた服装で特に胸元には視線が行くのではないだろうか。
ジュジュより少し高いくらいの身長の彼女はアレクセイのことを見つめ、その視線を離さない。
「なんだ?さっきのことを問い詰めるつもりか?絡まれたのは俺だ。自衛でやったに過ぎない。あの火だってすぐに消えるもの。脅かしてやっただけだ」
「そうじゃなくて、興味を持ったのよ。偏見だけど、魔法使いって陰気で閉じこもって本を読み漁ってる印象なんだけど、貴方ってそうでもないのね?有無を言わさずに燃やした」
陰気、部屋に閉じこもって本を読み漁る。
陰気のところは否定したいが、アレクセイ自身、魔界の魔王城にある本を読み漁ってきた。
なぜ、この女の魔法使いに対する偏見が当たっていることに苛立っているのだろうと不思議に思うも、フードをずらされ、アレクセイの顔が露わになる。
「わあ……、綺麗な金。どこかのお坊ちゃんなの?顔もいい……」
「答える必要はあるか?」
「もちろん。……いえ、今はいいわ」
束ねている髪、髪留めと赤いコートを着た青年が身分が高いのは窺えた。柔和に笑み、最後に漏れた言葉は本音なんだろうな、と顔も良いと聞いてアレクセイは思った。
「どういうことだ?」
「ここに来たってことは、理由があるんでしょう?そういうのが来る場所なのよ、ここは」
つん、と女はアレクセイの鼻を人差し指で押した。
それから、アレクセイの手を引っ張ろうとし、アレクセイは彼女を見つめ返す。どこに連れて行くつもりなのか、という視線に気づいたようで。
「酒場。食事は奢ってあげるわ、坊や。私はエリヴェーラ。ここに住んでる、元・戦士よ」
元、と言った女――エリヴェーラの言葉に首を傾げた。
「ぁ。ようこそ、夢破れた街へ。歓迎するわ」
エリヴェーラは口元を押さえる、つい、うっかり漏らしてしまったらしい。挑発すような彼女に珍しく、素が見えたようだった。本当はとてもお茶目なのかもしれない。
しかし、エリヴェーラは取り繕うことなく、堂々と言葉を続けた。戦士であったことから、精神面も堂々としているのだろうか。
「俺の名はアレクサンダー。アレクサンダー・ベール。坊やではない。ヴェルサリウス・ベール王が長子である」
「ヴェルサリウス……?どこかで聞いたような。じゃあ、坊や。そうじゃないことをせいぜい証明してちょうだいな」
「だから、俺は……!」
アレクセイが名前を名乗ると、エリヴェーラは楽しそうにくすくす笑い、アレクセイの手を引いて歩き出した。
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