ヴェルサリウスの紋章
左腕にジュジュの腕が絡みつき、引き剥がさせまいとして右側にアラストールが立つ。動きにくいことこの上ないのだが、怪力を誇るアラストールに腕をもがれるよりはましかと耐えていた。
一方、ジュジュのほうはアレクセイと腕を組めてご満悦な様子でアレクセイを見上げながら、左手に触れている。
ご満悦な婚約者に対し、歩くたびに髪留めで留めた金髪を揺らしながら、アレクセイは溜息をつく。
「あら?どうしたのかしら、サ~ンダー?」
「ジュジュは、俺といて楽しいのか?」
見下ろすように鼻歌混じりな婚約者を見下ろす。彼女は大きな目を見開いて、目を細めてくすくす笑った。
「もちろんよ。サ~ンダーがいてくれるんだもの、とっても楽しいわ。ねえ、前にお話してくれた本、なんだっけ?」
「魔界史だな。それくらい覚えておけ、テンペスタでは大丈夫なのか?そんな様子で」
「おい、それはどういう意味だ。うつけ。……と言いたいが、姉さんは勉学に対する意欲がなさ過ぎる。こいつの言うとおりだ、少しは意識を持って励まないと。また面倒なことを言われるぞ。家庭教師に小言を言われたくないだろう?」
「うう、でも、サ~ンダーといるほうが楽しいし。ずっとおしゃべりしていたいの」
弟に諭されているジュジュはまるで妹のように見えた。身長差が大きく開いていることもあり、テンペスタ姉弟は彼らが思っている以上に兄弟としての立場は世間一般から見れば、間逆に見られることもあるのではないだろうか。
うつけ王子と優秀な王子と言う評判を貰っているアレクセイとグレイのベール兄弟の表向きの評価はさておき、実情は正反対だ。
能力を除けば、アレクセイは全てにおいてグレイに勝っているという自信があるが、実力差が兄とかなり開いていても笑うばかりで「兄さんは強いですから」と言うだけの弟のことが気に入らなかった。
もう少し食いついて来い。
この野郎とかかってこい。
それがアレクセイのグレイに抱く感情なのだが、全く変わる様子が見られないので言うのも無駄だと諦めた。
頑固なところがあると弟のことを評価しているアレクセイだが、アレクセイ自身のほうが頑固なところがあると本人が気づくはずはなく。
「ジュジュ、問題だ」
「わわ、なにかしら?」
ジュジュはアレクセイの真剣な眼差しにかしこまり、いつもと違う様子の婚約者の返答を待つ。
「種族に伝わる能力ではなく、時折、一つの個体が何かしらの能力を生まれ持ってくることがある。それは何か原因があるとされていると研究によって分かっているのだが、ジュジュはそれが何か分かるか?」
「それは、サ~ンダーも持っている力のことよね?アロイスのとは違うの?」
「姉さん。おれの力はテンペスタ家の血統のものの一芸特化だ。厳密には違うな。この場合だと、こいつの能力だけだ」
「えーっと、そうなると……」
アレクセイはジュジュとアラストールのやりとりに舌を巻いた。
――こいつは、俺のことだけは即答できるから突き放しきれないんだ。
フィドルともやり取りをしたが、アレクセイはジュジュが苦手だった。仮にもテンペスタ家の令嬢に教養がないといえば、またベール兄弟のうつけ王子が、と批判轟々なのは分かりきっているので言うことはなく自己完結しているが、内心ではアレクセイ自身は限定的とは言え、誰かのことを良く知っているというのは評価できることだった。
中途半端に他者の事を知らず、ただ勉学に没頭気味であった両親を喪って塞ぎこんでいたアレクセイを外に連れ出してくれた数少ない他者であったから。
「時間切れだ。正解は、『己の欲していたモノ』が能力となって現れる、だ。過去の何らかの精神的要因によって自分の中に起きた変化が時折、能力となって発現するケースがある。そのとき、能力を発現させた能力者は、過去に何らかの出来事に巻き込まれたという共通点があったそうだ」
「う、うん?さっぱりわからないんだけど……、もっと噛み砕いて教えて頂戴。分かりやすいように」
ジュジュはアレクセイの正解を聞き、困ったような反応をする。アレクセイは面倒な獰猛な子犬が吠えるような幻聴がした。
「過去に何かがあったから、能力に目覚めたんだ。これでいいか、ジュジュ」
「うん、よく分かったわ!サ~ンダーは素敵な先生になれるわね!ジュジュ・テンペスタが太鼓判を押してあげる!……だから、今度、わたしに色々と教えて欲しいのだけど。ちゃんと勉強するから、ね?」
かなり噛み砕き、ようやく、理解できたらしいジュジュ。すぐに何かを思いついたのか、アレクセイの両手を握って見上げる。
若干、目が潤んでおり、アレは縁起なのだなと直感するアロイスだったが、後が怖かったので口にはしなかった。
断るだろう。
普段の突き放したような態度から察するに、うつけ王子のアレクサンダー・ベールはつっけんどんに返すのは予想できた。
「ジュジュに分かるのか怪しいところだがな。……しかし、噛み砕いて教えれば、理解も深まるか?」
「ふふ、約束よ?美味しいお菓子とお茶を用意してるわね。ねえ、最近、好きな本とかあるのかしら?わたしも読みたいわ」
思った以上に真面目な返答だったが、断らないのは以外だった。ここで断って自分がキレるところまで見えていたのだが、とアラストールは面食らってしまう。
「……最近読んでいる本か?確か、アレがあったはずだが。ちょっと待っていろ。……これは、なんだ?」
赤いコートの中をアレクセイが探っていると、出てきたのは首から通す為の鎖が通った懐中時計であった。
特にこれと言った装飾は見あたらず、目立つようなものを特筆するのであれば、秒針と長針のほかに更に時計の針が一本ある。既に針は停まっており、何かの紋章が裏側の面に刻まれている。その懐中時計に見覚えがあったのか、アレクセイは先ほどの様子から一転、真剣な面持ちになる。
「親父の懐中時計じゃないか。なくなったと思ったものがなぜ俺のポケットの中に?」
「誰かが中に間違えて入れたとか?その模様、見たことあるのだけれど」
「そんなはずはない。これは、俺の親父が昔持っていたものだ。俺がまだ餓鬼の頃に失くしたと言って騒いでいたが。……この模様か。これは、親父が魔王になった時に王家の家紋にすると吹聴して回っていたらしい」
その模様はヴェルサリウスの紋章から、「ヴェルマーク」と呼ばれており、片方の、右側の角の欠けた山羊を思わせるような頭部を表現した模様と言ったところか。
魔王ヴェルサリウスの意外な一面が発覚、にはならなかった。懐かしそうなアレクセイの手前、テンペスタ姉弟は口にこそ出さなかったものの、魔王ヴェルサリウスは変わり者だったからだ。
それでも、魔王城の城内をテンペスタ姉弟が走り回っていた際(走っていたのはジュジュだが)にぶつかったときも、他の魔族の権力者のように怒鳴り散らさなかったのは良く覚えている。
正直、面食らったものだ。魔王にぶつかったのだから、機嫌を損ねて殺されるとまで覚悟していたのだから。
だからだろうか、不思議とそういう特殊な過去があったとしても、素直に認めることができる。それ以降、ヴェルサリウスと会うたびに同じ年くらいの可愛い息子がいる、と何度も聞かされては。
「へえ、でも、見つかってよかったじゃない。今日と言う日に乾杯ね、サ~ンダー?」
やはり、ご満悦な様子のジュジュ。ぴったり密着している。
「おや、兄さんじゃないですか。ジュジュ嬢もアラストールも。ごきげんよう、何をなさっているので?……それより、兄さん。また授業を抜け出したそうではないですか。駄目じゃないですか、ちゃんと受けなくては」
「俺には簡単すぎるんだよ。いい加減分かれ」
「ですが、兄さん!貴方の立場は……!」
ひょっこりと顔を出したのは、グレイだった。
兄とその婚約者、さらに婚約者の弟に笑みを浮かべて挨拶をすると、思い出したように小言を言う。
アラストールはそんなベール兄弟の様子が自分達に通じるものがあると感じ、「……なにかいいたそうね?」と、姉に見透かされていた。顔に出ていたようだ。
ちゃんと授業は受けなくちゃ駄目よ、とジュジュがアレクセイを諭せば、アレクセイは面倒臭そうにこめかみを人差し指の腹で掻く。
「……!おい、どけ!」
「はい?」
アレクセイはグレイを突き飛ばした。
「サンダー!?」
「うつけ!?気でも狂ったか!?」
思わず、普段の間延びした長子で名前を呼ばず、「サンダー」と呼んでしまったり、唖然とした反応を見せるテンペスタ姉弟。
石畳に突き飛ばされたグレイは何がなんだか分かっていないようだが、どこからか飛んできたのであろう黒い短剣をアレクセイは右手の人差し指と中指に挟んでいる。
「誰だ?誰がグレイを暗殺しようとしたッ!?城内に不届き者がいるぞッ!」
アレクセイは、誰よりも先に気づいていた。
グレイの心臓部に狙いを定めている暗殺者にジュジュとアラストールのテンペスタ姉弟、もちろん、弟のグレイ・ベールよりも早くに。
しかし、アレクサンダー・ベールは野生の勘のようなものは持ち合わせていないので、今回、気づくことが出来たのは全くの偶然であると言ってもいい。
「だ、大丈夫?サンダー!どうして、急に弟を……」
「はい、大丈夫です。ですが……」
ジュジュはグレイに駆け寄り、安否を確認する。幸い、その黒い短剣にはかすってもいない様子だ。
魔界の短剣には何かしらの毒が塗られているのが一般的であり、それにかすっていないのであれば、僥倖と言える。
しかし、グレイの顔は優れない。その視線は、自分が来た方向へと注がれている。
「うつけ、うつけと聞きますが、まさか本当に実の弟に手を出すとは。見損ないましたな、アレクセイ王子。いえ、アレクサンダー・ベール。この城内で、次の魔王に自身がなるべく、邪魔な弟を殺そうとは!」
その者は、人間界における古風なタキシードに身を包み、細い印象を与える男性であった。劇場の俳優のように大仰に両手を広げ、他の城内にいる者を呼び寄せるようにするのだから、タチが悪い。
彼は、魔界における権力者の一人であり、幼少期のまだ幼かった頃のアレクセイが苦手に感じていた――その生まれ持った能力からアレクセイを良く思わなかった者の一人、クロウだ。
「俺は不届き者がグレイの命を狙っているように見えたから、突き飛ばしただけだ」
「アレクサンダー・ベール。貴方が手に持っているのはなんですかな?おそらく、自身が正統な後継者であるという意味を込めたのでしょうが、貴方のお父上は生前、貴方を次代の魔王に推薦なさっていた。しかし!貴方を普段から悪く思うものは多い。反対にグレイ・ベール様は多くの支持を集めている。邪魔な弟を殺そう、と思い至ったわけだ」
「違う、俺は――」
「では、その紋章はなんだ」
クロウはアレクセイの元に歩いていき、その握っている手から短剣を抜き取ると、刻まれていた紋章を見せつける。
「このヴェルサリウスの紋章ともいえる、ヴェルマークを刻んだ短剣で弟を殺すことにより、自らを正統な後継者としようとしたわけだ!このような者に魔界は任せられん!誰か!誰か!」
クロウの声によってやってきた衛兵達がアレクセイを拘束する。その衛兵の誰もが屈強な魔族ばかりであり、多くの魔法を学んだアレクセイであっても拘束を解け切れない。
「そいつを牢に入れておけ!……テンペスタの客人、グレイ様。これで安心なされよ」
「分かりました。……おい、歩け!」
クロウの指示に従い、衛兵たちに連れて行かれる中、父親の所有物である針の止まった懐中時計、弟を狙って飛来した短剣に父親の紋章が刻まれていたことと、このあまりにも連続した出来事にアレクセイは舌打ちをした。
「嵌められた……!」
「サンダー!サンダー!サァァァァアンダー!」
現場には、数少ないアレクサンダー・ベールの味方の少女の声が木霊した。
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