紅の瞳
蝋燭の火のみを灯りとした、その部屋に集められた円卓を中心とした数人は共通の目的を持っていた。誰もが顔を覆い隠す仮面をしているのは、互いの正体を悟られぬ為。
今は亡き先代の魔王の生前から存在した、長い魔界の中でもより最深部に属する組織こそが彼等の正体だ。
その構成員の誰もが魔界において重大な役職についており、長い歴史を有した家の生まれであり、アレクセイの言葉を借りるならば、「老いぼれ」である。
「・・・・・・あのうつけ王子は変わらぬ様子かね?」
「今日もいつものように、家庭教師の授業から抜け出したそうだ。先代がこの話を知れば、お怒りになるだろう。……その先代も、愚かなあまり、命を落としたか。恐怖の象徴、魔界の抑止力であるべき魔王に相応しくない行いをするならば、当然の結末よ」
「カラス殿、それは言い過ぎですぞ。あのうつけ王子はヴェルサリウスの
この集まりの決まりとして、自らが身に付けている動物の仮面の動物の名前で呼び合うというのが絶対的な決まりとして存在し、互いの正体を詮索しないことと同様に鉄の掟となっていた。
そして、なによりも魔王には知られてはならないとの約束が交わされており、遠き日からの、魔界創生からの決まりであった。
最近のお決まりでお気に入りの会話である、ヴェルサリウスの遺児のアレクセイの素行の悪さに触れ、先代魔王夫妻の悪口を言うことでアレクセイも罵倒する。
それがカラスと呼ばれたものを含め、今、この場に居る鷲、コブラ、コウモリの仮面をつけた者の常套手段であった。
先代魔王の王妃であった女の美貌は、彼女の素質を差し引いても確かなもの。女好きであろう鷲が仮面の下で舌なめずりを隠さないと、掌に収まるヘレナ王妃の姿を記した動く写し絵の胸元に触れ、人差し指で押すようにすれば、写し絵のヘレナはその指を押し返そうとした。
魔界でも一部にしか流通していない、その王妃の隠し撮りともいえる絵は鷲の作品のひとつ。
リーダーらしきコウモリの仮面ははその様子を暫く見つめた後、頬を右手で突いて左手の人差し指で彼等の囲う円卓の上をとんとんと押しはじめた。
「・・・・・・それで、あのうつけに濡れ衣を着せるという計画は進んでいるのか?老いぼれ共。ただ貴様らの陰湿な言の葉を聞くために来たのではないのだ」
ラフスタイルのコウモリの仮面をつけた青年は仮面越しに窺える紅の瞳をぎらつかせ、怒りの色を滲ませる。コブラ、鷲、カラスの見解では、紅の瞳を持つ者は魔王の血筋であるので、王家に連なる者がコウモリとこの場で呼ばれる彼がそうなのではないかと推測していた。
ハーフパンツに網目のあるサンダル、飢えに一枚だけ上着を羽織るだけで強靭な肉体を見せ付けるようなスタイルのコウモリ。
彼の纏う魔力はこの場に居る誰よりも強く、この場の空気を震わせ、他の三者の肌に突き刺さるようなプレッシャーを与える。
「コ、コウモリ殿。手筈はすべて整っております。故、吉報をお待ちくだされ」
「ふん。ならば、このオレに聞かせてみよ。ヴェルサリウス・ベールの遺児、その中でも長子のほうは腐っても最強の魔王の息子の筈。ただ実力手段に出向いては、あのうつけの婚約者が黙ってはいないだろう。カラス。今回開催予定の参加者なのか?その、確か――」
「アラストール・テンペスタ。我らが魔族の名家である、テンペスタ家の出身だが、姉のジュジュ共々、妾腹の生まれ。次代の魔王を決める魔王戦争には参加できん」
コウモリに内心怯えているコブラの言葉を聞き、コウモリは歯応えのない奴よ、とつまらなさそうに息を吐いた。
カラスが右手を翳せば、現れるのはアラストール、ジュジュのテンペスタ姉弟の個人データ。出所は不明だが、カラスの情報収集能力はこの場においても一、二を争うほどのもので傲慢なコウモリもカラスの能力のことは高く評価している。
「それぞれの家の長子でなくては参加できない魔王戦争。参加者の長子が死ねば、その家は次男、三男共に継ぐことは出来ず、実質、取り潰し。唯一の勝者を輩出した家のみが残り、その勝者は魔王としての力を振るい、敗者共を従えることができる。……口にするだけで笑いがこみ上げてきてならんわ。己の栄誉を得るか、死後を他者に譲り渡すか。しかも、その事実は魔王城の書にも記されておらん。前回の魔王戦争、ヴェルサリウスの奴はどのような反応であった?」
「あの若造、うろたえることだけはせなんだよ。腐っても根は魔族、本人が嫌おうとも逃れることは出来ん。そうまでするようであれば、付け入る隙もあったのだろうが……」
コウモリの言葉を受け取るようにコブラが返し、コブラは溜息をつきながら返した。らしくないと陰口を叩かれるヴェルサリウスを思い出す。己の性質と本能に苦悩しながらも、魔族らしいところがあるせいか、付け入る隙がないという矛盾。
反ヴェルサリウス派はヴェルサリウスの力が不安定になるときを狙い、ヴェルサリウスから魔王の座を奪うことを画策した。
しかし、その最後の最期までヴェルサリウスは誰にも隙を見せることがなかった。
それがかえってヴェルサリウスへの八つ当たりとして、アレクサンダー・ベール、ヴェルサリウスの長子への風当たりが強い理由である。
過去を思い出し、コブラが溜息をついていると、向けられる視線に気づく。薄暗い部屋の中でも目が利くほどに魔族の身体能力は発達しているので気にならないが、互いの詮索を禁じている集会の中、やましいことは一つや二つはあるはずで。
そうして腹に一物を抱えているからこそ、今日まで弱肉強食の魔界で生きてこられたといえる。
ただ、父親の業績による威光を頼って生きて来たベール兄弟とは違うのだから、とコブラは思っていた。
「いつ、オレが発言を許した?」
コウモリの目に殺気が宿る。
「あ……ッ、がァ……ッ!」
それは、一瞬だった。
コウモリによって心臓を掴まれたコブラ、自分の身体の中に異物が入り込んでいると理解できる。
頭では理解できているが、認識が追いつかないのは、コウモリの仮面越しに脳裏に想像できる笑みだろうか。
コウモリは、直接、なにかしらのものを繋いでいると理解するまで時間は掛かったのはコブラが前線を退いてから数百年と言った年月によるものだろうか。
「汝らはオレの言葉を聞く義務がある。しかし、オレに汝らの言葉を聞く義務なぞない。なぜならば、オレこそが――」
「まさか、貴様は――!」
コウモリは仮面を外した。
その顔立ちは、ベール兄弟、更に言うのであれば、先代魔王ヴェルサリウスに酷似している。
現れたのは赤い髪、紅の瞳と王家に連なる者というのが身体的特徴としてはっきり分かり、その威圧的な雰囲気もまた彼自身の存在を証明している。
コブラがなんとか威圧に押されまいと言葉を搾り出す。コウモリは、そのズラリと並んだ鋭い歯を見せ付けるようにし、哂った。
「――汝如きがオレの名を口にするな。オレの名を呼ぶことを赦す者はこの世で数少ない一握りの者のみ」
コブラの反応に気分を悪くしたのか、コブラの心臓を引き抜き、血飛沫を上げるのも構わず、その鮮血滴る心臓を食らう。
がつがつとまるで果実を食らうように一心不乱なコウモリの様子を見、鷹やカラスはなんら反応を見せなかった。
否、そこで反応を見せる者こそ、異常者としてコウモリに処断をされる者であるのは確かだろう。
「――コウモリ。グレイ・ベール王子の暗殺の用意は整っている」
「良き働きだ、カラス。――では、オレの他の有象無象の参加者共に証を贈れ」
カラスの言葉にコウモリは満足気に笑み、血を拭う。
「では、我が名、エンオウの名を下に宣言しよう」
カラスが術式を発動させ、証が出現し、それに触れると、エンオウは魔力のオーラを昂ぶらせる。
「さあ、魔王戦争ははじまっている」
エンオウの魔力が放出されたことにより、蝋燭の火は消え、部屋の内装もがらりと変化する。円卓があるのは変わらないが、まるで魔王城の広間のような広さのある部屋へと変化した。
「ヴェルサリウスの長子。呪われた血統を振り切ることは、汝にはできるか?」
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