婚約者
アレクセイはレオンと別れた後、コートの両ポケットに手を突っ込んであてもなく彷徨っていた。その面持ちから表情は窺えない。先代魔王ヴェルサリウスの死後以降、変わったと言われる理由の一つである。
ふと、思い立ったようにある場所へと向かう。その場所とは、未だに荷物の撤去のされていない父親の部屋である。
アレクセイは手慰みに右手をポケットの中から出すと、人差し指で空気中に漂う魔力に触れる。
触れた指先をなぞるようにし、何かを唱えるように呟くと、人差し指がなぞった跡は点滅しはじめた。
「お見事です、アレクセイ様」
「見ていたのか、フィドル。いつからだ?」
「その赤いコートから右手を引き抜かれたところからです。鮮やかな動作でした。何か魔法を覚えられたのですか?」
その様子を見つめていたフィドルは頭を下げ、小さく拍手を行なった。アレクセイは髪を搔きながら、溜め息をついた。
フィドルは生まれたときから傍に居り、父との出会いは魔王の座を巡る後継者争いの中での旅路で出会ったのだという。
父は当時を振り返り、「手負いの獣のようだった。例えるなら、そう……、獰猛なデモロスのような……」と人間界における魔犬を意味するデモロスを例えに出し、懐かしそうに振り返っていた。
当時のアレクセイはその頃からすでに表情を感じさせなかったフィドルが獰猛、と聞き、そんなことはないと食って掛かったのを良く覚えている。
当時のアレクセイにとって、フィドルと言うのはヴェルサリウスの部下の中でも優しい姉のような存在だったのだ。
だからこそ、うつけ王子と呼ばれるようになった今のアレクセイにとっては彼女は苦手な存在である。
昔から自分の事を深く知っている彼女にはアレクセイはとてもではないが、敵う気がしなかったのだ。
数少ない味方でいてくれている者、とは頭では理解できているのだが……。それ以上に納得したくない自分がいた。
「そういうものではない。ただの手慰みだ」
「理解です。手慰み、ですか。鮮やかな魔力の扱い、動作にも無駄がない。流石でございます」
「……褒めるな、くすぐったい」
特に魔法を使ったわけでもないのに褒めるフィドルはまるで幼子でも相手にしているかのよう。
言葉とは裏腹に顔に表情はなく、機械的に拍手をしているように見えるのが容姿端麗な彼女の損をしている部分と言えようか。
歩き出しながら、自分に注がれる視線に気がつきながらも、アレクセイはフィドルのほうを自分から見ることはしない。
その目を合わせれば、目を離すことが出来そうにない気がしたからというのもあるが、なんとなく気恥ずかしかった。
「そういえば、アレクセイ様。近々、ご面会の予定がございます」
「面会?魔界のうつけ王子に会いたい物好きがいるのか?俺の悪名が届いているのは構わんが」
「そのように言うものではありません、アレクセイ様」
カカカ、と自嘲するアレクセイの口からは僅かに小さな炎が漏れた。獣人族や獣族、あるいは伝説のドラゴンのように炎のブレスを吐けるわけでもなく、アレクセイは自らの感情の起伏の一つに炎を漏らす癖がある。
アレクセイの自嘲にフィドルが付け加えるように諭すと、わかってるわかってるとフィドルの反撃の前に繰り返す。
「それで、どこの誰だ?俺に面会したい物好きと言うのは?」
残っている家族は弟のグレイだけ、魔王の座を巡る後継者争いの勝者としか父親のヴェルサリウスのことは知らないし、母親のヘレナも出自は不明だ。
他に血族がいても、これまで会ったことが一度もなかったので、アレクセイには思いつかなかった。
唯一、居るとすれば、一人だけ心当たりがあるのが一人いるが、特に何か儀礼がある日が近々に行なわれる予定がない。
流石に来ることはないだろう、とアレクセイは可能性を一つ切り捨てた。アレクセイの苦手なタイプの一人だったからだ。
「ジュジュ様です」
「丁重にお断りしろ。俺は別にアイツに会う理由がない。特に儀礼の日があるわけでもなし」
「疑問です。アレクセイ様は出席なさらないじゃありませんか。ジュジュ様はアレクセイ様を気になさっているのです。お会いになるくらいいいじゃありませんか」
即答でアレクセイが返したのは、アレクセイ自身の婚約者である。と言っても、アレクセイが幼かった頃に決められた話であり、ヴェルサリウスの死後に決まったことである。
これには王妃としてまだ存命中であったヘレナも反対しており、自分達がそうであったように息子にも自由な恋愛をして欲しいという願いがあった。
そのヘレナが病死した今となっては、反対派を押し潰すようにし、魔王の遺児の中でも問題児のアレクセイとジュジュを婚姻させることで厄介払いにしようとしている、というのがアレクセイの推測であった。
肝心のジュジュの経歴は、とある魔族の名家の生まれであり、その家の娘で他に何人か兄弟がいる。
容姿も申し分ないとされており、その血統は美貌で知られる妖精女王の遠縁であるという。教養もあるが、魔法や戦闘の類はあまり得意ではなく、その気性はやるときはやるが、穏やかなものであるとのこと。
一見すると良物件であること、とにかく、アレクセイのことを気にかけているので姉のように見守ってきたフィドルとしては仲を深めて欲しいのが本音。
「だけどな、あいつは……」
「あいつは?あいつはなにかしら?わたしのサ~ン、ダ~?」
「!」
こめかみを人差し指で掻いていたとき、がばっとアレクセイの背後から抱きすくめる柔らかい感触。
突然の出来事に戸惑いを隠せない彼に対し、黒髪のウェーブロングの美少女は満面の笑みでアレクセイの背中に頬擦りをしている。幸せそうな彼女に対しアレクセイの顔は凍りついている。
――あら、フィドルそっくりの鉄仮面です。
フィドルは内心、そのまま押されていってしまわないかと期待で胸を膨らませていた。難しい眉を寄せた顔ばかり見かけるアレクセイ、そんな顔をフィドルは見たくなかった。
鉄面皮メイドの、鉄面皮メイドなりの主に対する気遣いであった。
「お前、いつ城内に入ってきた!?」
「名前でなく、二人称で呼んでくれるの?ふふ、将来が楽しみね。サ~ンダーは結構亭主関白なの?それでもいいわ、わたし、サ~ンダーの言うことなら何でも聞いてあげる。なにかある?帰れというのは無しよ?せっかく、何もない日にフィドルに連絡して霧状化してきたんだから。あら、ごきげんよう、フィドル?」
「ご機嫌麗しく、ジュジュお嬢様。お早い到着で」
「サ~ンダーに会えると思ったら、浮き足立っちゃったの!……でも、あまり嬉しくなさそう。サ~ンダーはわたしに来て欲しくなかったの?」
ジュジュがフィドルに気づくと、丁寧に動きやすくデザインしたドレスのスカートの裾を摘まみ、優雅な動作で挨拶をすると、フィドルもそれに倣う。アレクセイが特殊なだけであり、使用人とは会話はあまり重要なものではないのだ。
アレクセイはジュジュの「サ~ンダー」という間延びしたような呼び方が好きになれなかった。
アレクセイの本名はアレクサンダーと言うが、誰もがアレクセイと呼び、うつけ王子と陰口を叩く者達ですら、そのように呼ぶというのに。
女として高身長なフィドルと比べると背が低く、アレクセイと並んでみると容姿もあって絵になり、身長差もある。
もう少し身長が欲しいというのが本人の悩みだと聞くが、彼女の弟を思えば、あまり大きすぎずにいたことは望ましかった。
「そんなことはないだろう、姉さん。魔王ヴェルサリウスの嫡子がそのような口を叩くとは思えない。特にうつけ王子と呼ばれ、大層悪名高くなっているそうじゃあないか。これ以上、伝説を作るつもりか?」
「アラストール!貴方もそう思うのね!?そうよね、サ~ンダーは優しいもの!でもね、アロイス!喧嘩はだめよ?ええ、わたしが許さないわ。サ~ンダーは将来の夫でアロイスは弟ですもの」
大きな影が差す。
その影の主が放ったであろう、声はジュジュを姉さんと呼び、大人しく従った。
彼の名はアラストール・テンペスタ。ジュジュ同様、魔族の名家といえるテンペスタ家出身で、二振りの剣を武器に暴風染みた暴力で迫るのを得意とする、いわゆる超脳筋である。
黒髪に紅の瞳――特に魔族の中でも高位の種が持つ、鮮血のような目。姉によく似たような顔立ちをしていながらも、獣のような荒々しさを感じさせない不機嫌な表情の青年が顔を出した。
見上げるような体躯の偉丈夫、腰には二本の剣を差しており、その黒のカッターシャツは胸元を開けており、ペンダントをしている。
話すたびに見える鋭い犬歯のような牙、食いつかれれば、それこそデモロスのように離さないだろう。武人然とした戦闘を好むのであれば心配はないかもしれないが、ラフファイトを好むのであれば、あれこそ警戒すべきものとアレクセイの本能はアレクセイに語りかけた。
「そのつもりはない、姉さん。おれはこいつに宣戦布告に来たんだ。うつけ王子と呼ばれる、こいつにね」
「どういうつもりだ?仔犬?骨でも恵んで欲しいのか?ならば、投げてやるからとって来い」
ジュジュの言葉に従い、蔑称で自分を呼ぶアラストールにフィドルのメイド服の裾が揺れたことからフィドルの感情の昂ぶりを察し、アレクセイは手で制しながらも皮肉で返す。
身体的な特徴、姉に対する態度からの皮肉による返しはアラストールに刺さったようで青筋を浮かべていた。
姉が好きなアラストールと姉の好んでいるアレクセイはアレクセイの態度もあり、険悪な関係となっている。
城内への侵入はこれがはじめてだが、儀礼のある日にサボったアレクセイと出会うや否や喧嘩が始まるのが常で、それをいさめるのがジュジュの役割だったりする。
「今に見とけよ、うつけ王子。おれは魔王戦争の後継者候補として出席する。その中で合間見えたときは、お前を全力で潰すからな」
「アロイス!まだ諦めてなかったの?ねえ、聞いてよ、サ~ンダー。アロイスったら、魔王戦争に参加するって言うの!危ないのに!ねえ、サ~ンダー。止めてよ!」
アラストールの参戦を認めていなかったらしいジュジュはアレクセイに縋るように助けを求める。
「なんだと?それならちょうどいい。こいつも出るというのならば、俺も尚更出なければならない。こいつの態度を改めさせなければな。ジュジュ。よくやった」
「もう、サ~ンダーったら!」
止めてくれないことに戸惑いを感じながらも、アレクセイが名前を呼んでくれたことに対し、ジュジュの好感度はまた上がった。
フィドルは「お部屋の用意をいたします」と告げ、そさくさとその場を離れていった。
魔王の座に着く者を決める魔王戦争、そして、アレクセイの運命の歯車は回りはじめた。
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