うつけ王子

 魔王城の石造りの薄暗い廊下を歩く一人のメイド、氷のような冷たい固まった表情のフィドルは胸元に城内のメイドの頂点に君臨することを証明する証とも言えるバッジを身につけていた。

 魔王ヴェルサリウスがまだ王子であった頃、後に魔王の右腕となるレオンとの旅の最中、出会ったのが彼女である。

 美しい銀髪の美人、と言えば聞こえはいい。その実、彼女はほとんど笑うことがないのだ。

 特にとなれば、一層のこと彼女から笑顔を奪う。薄暗い印象の強い魔界に住まう魔族であれど、生涯の中で唯一の太陽と言ってもいい存在を失ってしまったのであれば尚のことだ。

 探しているのは現在の彼女が仕えている主と言える、魔王の寵愛を受けた王子の中でも長子にあたる者。

 うつけだ、魔王の座に相応しくないと言われようとも、彼女にはどうでもいいことだった。


「フィドル。誰かを探しているんですか?」


「グレイ王子。アレクセイ様を見かけませんでしたか?」


 そんな彼女に声をかけたのは、魔王ヴェルサリウスとヘレナ王妃の息子でアレクセイの弟に当たるグレイ。

 うつけ王子と先代魔王の家臣に当たる者達に揶揄されるアレクセイに対し、王族らしい気質、真摯な態度からアレクセイを差し置いて次代の魔王にという声が上がっている。

 ヘレナ王妃と同じ髪色をしているアレクセイに対し、グレイは父親のヴェルサリウスと同じ濡れ羽色の髪をしており、顔つきは母親に似て中性的な青年だ。

 脇に本を抱えており、城内にある図書室から持ち出してきたのだろう。勤勉なグレイの態度には家庭教師も教え甲斐があるということで張り切っている。


「兄さんが?またいなくなったんですか?」


「肯定です。またアレクセイ様は脱走なさったようで」


 アレクセイが家庭教師の授業を嫌い、抜け出すのは日常茶飯事だった。そんな奔放な振る舞いに父親の面影を見たからか、フィドルはアレクセイを呼ぶときはと付けることはほとんどない。


「兄さんってば、懲りないんだから…・・・。それで、フィドルはさっきから?」


「肯定です。レオン様も捜索に加わると仰っていました」


 レオンもまた兄の捜索を行なっていると聞き、グレイは苦笑いを浮かべた。


――本当に、奔放な兄さんだな。

 

 あの先代魔王の右腕を手を焼かせている、その事実がさらに王子アレクセイをうつけと呼ばせるのに時間がかからなかった。


「レオンも大変ですね・・・・・・。僕になにかできることはありますか?」


「否定です。グレイ王子の手は煩わせません。グレイ王子はご自分のお時間をお過ごしください」


「なら、そうさせてもらいますよ。兄さんに会ったら、伝えますね」


 感謝です、と小さく頭を下げるフィドル。

 機械的、棒読みのような口調は彼女に周囲が不気味な印象を与える。それでも、メイド長の座におさまっていられるのは、人並み以上の働きを一人で可能とするからか。

 どのような風評を立てられようとも彼女は魔王城のメイド長、その事実は依然変わりないのである。

 グレイが立ち去るまで小さく頭を下げたまま微動だにせず、姿勢を保つフィドルを見て立ち去った後、グレイは思わず呟く。



「――・・・・・・兄さん、あのときから変わったのに愛されてるな」



 

 場所は変わり、城内の吹き抜けのある庭。


 老いた獅子の頭部を持つ魔族の名はレオン。

 先代魔王ヴェルサリウスのかつての親友であり、空白の座にある魔王に変わり、代理に就任している男である。

 勇猛な印象を与える黄金色の鬣はすべて白いものへと変わっており、年齢のほかにストレスもあってか、白髪に変わった他、皺も増えた。

 完全な人型の魔族であれば外見の年齢の調節もできるが、レオンはそれらの調節のできない獣系の魔族である。

 しかし、その風貌と顔にある傷もあり、彼にかつての友であった魔王に仕えていた際には相応しい姿、老いてもなお、彼の姿は威風堂々とさせるものとなった。


「アレクセイ王子!隠れていても無駄ですよ!すぐに姿を現しなさい!」


 吹き抜けのある庭にいる為、人目を憚ることなく、レオンは探し人の名前を叫ぶ。

 他にある仕事をアレクセイのせいで若き日の頃よりも早く書類仕事を終わらせることができるようになったのは皮肉としか言いようがない。

 親子揃って、彼の頭痛の種になっている現実には、親友の言葉を何度も迷惑をかけられる度に思い出さずにはいられない。


――私に似てしまえば、あまり長く考えられん!そのときは私の息子を助けてやってくれよ?友よ。


 律儀にその言葉を守っている自分も自分だが、魔王ヴェルサリウス亡き今の魔王城は険悪な雰囲気に包まれている。

 二人のヴェルサリウスの嫡子がまだ幼い頃に夫の後を追うようにしてヘレナ王妃が病死し、誰かが最初に言った「あの身体の弱い王妃の生んだ王子も出来損ないなのだろう」と言った言葉をきっかけに全ての歯車が狂いはじめた。

 それは、その言葉をアレクセイ王子が聞いていたことにあり、思えば、自分も幼少期から慕われていたのであれば、もう少し父親の死から立ち直れていない幼い兄弟の中でも長子に目を向けていたほうが良かったのかもしれない。

 しかし、次男のグレイが悲しんでいた為、そちらにかかりっきりだったのが問題だったのだろう。

 長男のアレクセイは、そういった感情を抑え、弟を連日のように本を読み聞かせして見せたり、なるべく一緒に時間をすごそうとしていた。

 そうした様子から当時の魔王の配下達はかつてのヴェルサリウスの面影を見出し、微笑ましく見守っていた。

 だが、最も目をかけるべきは、アレクセイだったのだ。父親が人間によって殺され、その後を追うようにして母親が病死し、その数日後にアレクセイはぐれてしまった。


「――・・・・・・五月蝿いな。そう叫ばなくてもいいだろうが」


 しばらく、レオンの声がエコーした後、不機嫌そうな声が返ってきた。声のするほうにレオンが目を向けると、木の上に片膝を立てて座っている赤いコートを羽織った青年がいる。

 魔王ヴェルサリウスの王子の長子、アレクセイである。母親に似た金髪を長く伸ばし、髪留めで結わえている姿はヴェルサリウスによく似た端正な顔立ちをしていることもあり、非常に絵になる。

 木の上から僅かな動作で降りたアレクセイ、無音で着地する様は鮮やかな動作であった。

 なにかを持ったまま、不機嫌な表情は変わらない。


「王子!また家庭教師の授業から抜け出しましたね!?何度言ったら分かるのです、王子の今の城内における立場は非常に危ういものなのですよ!」


「分かっている。おおよそ、半分以上が親父のことが気に入らなかった奴らの言葉なんだろう?ならば、気にする必要はない。俺は必ずや魔王となる。そいつらを捻じ伏せるような強き王に」


「しかし、その魔王になるのであれば、勉学の重要性はわかるはず!なぜ脱走なされた!?お父上は、先代は皆から慕われていた良き王であったのですよ!」


 レオンの説教がはじまると、アレクセイは面倒くさそうに頭を掻いて、持っていたもの――本を開く。

 それは、家庭教師に出されていた課題であり、一冊丸ごと課題として出されていたのだろうか、全て解いてあり、正解が書かれている。


「全問・・・・・・、正解・・・・・・」


「魔界の歴史だろう?こんなもの、。他は何だ?何をすれば、お前らは満足できる?『魔王となるには、後継者候補と戦う魔王戦争が伝統として存在する。この魔王戦争は魔王が在命中に開催できるほか、魔王の死後に必ず行なう必要がある』――……だったか?」


 そらでかつて、アレクセイの父親も参加していたバトルロワイヤルについてすらすら述べ、アレクセイは木を殴りつけた。

 樹齢は魔王城が建設された日から植えられている為、かなりのもので表面にある小さな傷の数がそれを物語っている。

 この吹き抜けにある木には幼少のアレクセイにとってはお気に入りの場所であり、もう、かつてとは見る影もないとレオンの中で影を落とした。


「そいつら全員、俺が倒せばいい。それで文句はないはずだ、老人どものな。俺を部屋の中で大人しくさせたいなら、退屈にならんようなカリキュラムを家庭教師に考えさせろ。それとも、課題の提出だけでも構わん。出すものを出して文句は言わせねえ」


 アレクセイは手のひらに魔力を収束させる。

 先代魔王の得意技であった、魔力を収束させ、太い光の束として放出するヴェルサリウス曰く、「魔王ビーム」。

 父親によく「魔王ビーム」の低出力ヴァージョンをせがむ様子は実に仲のいい親子に見え、ほほえましかったのに。

 アレクセイの持つ、ヴェルサリウス譲りの魔力量から放たれる「魔王ビーム」は普通の人間に向ければ、木っ端微塵に吹き飛ばす凄まじいもの。

 まるで欠伸のように天を貫く柱とするようにアレクセイは「魔王ビーム」を放出した。

 放出された後も、まだ魔力の残滓がその場に残り、どれほど大きな魔力を持っているのかと認識させる。


「そいつを家庭教師に見せろ。じゃあな」


 踵を返し、レオンが何か言う前にコートの裾を揺らしながら、アレクセイは立ち去る。

 その後、残されたレオンは古い大樹に起きたある変化に気がついた。


「――……!使い方さえ間違うことがなければ、アレクセイ王子。貴方の能力は紛れもない父親の血を引いていることを証明している。元・先代魔王の右腕である、このレオン。陰ながら貴方の勝利を祈っておりますぞ」


 大きな毛むくじゃらの手で触れる、先ほどアレクセイが大樹を殴りつけた表面の樹皮は


「ヴェルサリウス。お前の子はひょっとすると、なってしまうやもしれんな」


 今は亡き友人にレオンは語り掛ける。

 彼の息子の根にあるものが彼を思わせるものが根付いているのだと。しかし、その眠ったものにアレクセイが気がつくのにまだ時間はかかりそうだ。





魔王ちちおやを超える、伝説の魔王に」


 

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