背中 にじゅうさん
画廊から出てきた百合子と『背中』を見て、さゆみの足は考えるよりも先に駆けだした。画廊まであと少し、というところで斗真が駆けだして来て、百合子の前に立ちふさがった。すぐに刑事が出てきて、刑事はさゆみの前に両手を広げて立ちふさがる。
「はい、ストーップ。あんたはこれ以上、近づけません」
「何言ってるの! 彼がどうなってもいいの!?」
刑事はため息を吐いた。
「いいもなにも、本人が高坂百合子の弟だって言うんだから、しかたないさ」
「……見捨てるの?」
刑事はさゆみの腕を拘束しながら、振り返って斗真に声をかける。
「ほら、そこのにいさんも。どきなさい。善良な一般市民と、もめ事を起こしたら、いかんぞ」
斗真は、刑事の腕から抜け出そうともがいているさゆみを見て、慌てて駆け寄ってきた。
「柚月さん! 追ってください!」
百合子は大吾と並んで悠々と歩いていく。何事もなかったかのように、楽し気に。
「ダメだ。にいさん、追うなよ。軽犯罪法に触れる。見逃せなくなるからな」
「何を言っているの! あの人が危険なのがわからないの!?」
もがき続けるさゆみの肩を斗真が静かに押した。
「あの男は、自分で、高坂大吾と名乗ったんだ」
さゆみは目を見開いた。
「高坂……大吾って……」
「誰なんだ、高坂大吾って」
斗真の問いにとっさには答えられない。さゆみは百合子と共に消えた背中を、今はもう見えなくなった背中を目で追うように遠くを見つめる。遠い過去を見透かそうとするように。
「高坂百合子の、死んだ弟の名前……」
さゆみの声には力がなかった。落ち着いたのだろうと、刑事が力をゆるめた。その隙をついて、さゆみは腕をふりほどき、画廊に駆け込んだ。
「きゃあ!」
入り口で美和を突き飛ばしたが、止まらずに『背中』に駆け寄る。一番年若い『背中』を壁から剥ぎ取り、額装を壊さんばかりの勢いで取り外した。
『大吾 十歳』
確かに、絵の裏にはそう書いてある。
「何をするんですか!」
立ち上がった美和が叫ぶ。店内に駆け込んできた刑事が、さゆみから絵を取り上げる。斗真が、さゆみに駆け寄ろうとする美和の肩を押さえて止める。
さゆみは静かに美和に視線を移した。
「この絵の題名、あなた、知ってる?」
「題名……? 『背中 十歳』……」
「違うのよ。正しい題名は『大吾 十歳』」
美和は眉根を寄せて刑事を見る。刑事は絵の裏に書いてある題名をじっと見つめていたが、美和に見えるように裏返した。美和は名前を確認して動きを止めた。
「本当だ……。大吾って書いてある。お兄ちゃんと同じ名前……?」
「あなたのお兄さん? さっき、高坂百合子と一緒に出て行ったのは、あなたのお兄さんなの!?」
さゆみは恐ろしい剣幕で美和に問いかけた。
「そうです、兄の船木大吾です。それが、何か……。あ」
美和は両手で口をふさいで刑事を見上げた。刑事は嘘をついていたことを白状した美和を軽く睨んでから、美和に絵を渡した。
受け取った絵の裏側をじっと見つめて、美和は呟いた。
「すごい偶然……」
「ええ、本当に。こんな偶然があるなんて。百合子はとうとう見つけたのよ、弟を」
美和がさゆみを見つめる。さゆみが何を言っているのかわからない。斗真も似たような表情でさゆみの顔を覗きこんだ。
「どういうことだ、弟を見つけたっていうのは」
「高坂百合子はずっと探していたのよ、本当の弟のことを。死んだ弟を」
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