第5話

 夕食時。食堂は人でごった返していた。

 騒がしい食堂の最奥。窓際の席に座り、俺はシュヴァイネブラーテンを食べていた。付け合せはクヌーデル。ドイツ料理だ。

 隣にはどうしてかライラが座っていて、Cセットを食べていた。彼女の前に座るのはナオミで、彼女はフィッシュ・パイというイギリス料理を食べている。


 俺が一人で食事をしているところにライラがやってきて、ライラがいるところナオミありといった具合にナオミもやってきたのだった。

 けれど会話はライラとナオミだけで、俺は参加せずにいた。特に話したいこともなかったからだ。

 ときたまナオミに話を振られるが、適当な相槌を打つだけだった。

 そんな俺たちの座る四人がけのテーブルに、一人の少女がやってきた。ミナだった。


「こんばんは、レン少尉」

「ん、ああ」


 俺の返事を聞くと、夕食のプレートを持っているミナはナオミの方へと視線を移した。


「えーっと……。ナオミ少尉、ですよね?」

「そうよ」

「はじめまして! 本日付でレン少尉の部隊に着任しました、ミナといいます! よろしくお願いします!」

「ナオミよ、よろしくね。……それからこの子は」


 元気良く自己紹介したミナに、ナオミはニッコリと笑って応じた。

 それからナオミはライラへと視線を向けた。

 ライラはナオミの視線に気がついたようできょとんとした様子を見せる。そしてミナに視線を向け、ようやく理解したようだった。


 口の中いっぱいに詰め込んだ食べ物をゴクリと飲み込み、そうしてから口を開いた。


「……ライラ、だよ」

「ライラ、だね。ボクはミナ。よろしくね!」


 ミナの元気な声に、ライラは眠たげな顔でコクリと頷いた。


「あの、ご一緒しても?」


 ミナが俺とナオミを交互に見て、そんなふうに言った。

 俺が返事をする前に、ナオミが「もちろん」と答えてしまう。

 まあ別にいいのだが。


 ミナは嬉しそうに「ありがとうございます!」と言って、空いていたナオミの隣に腰を下ろした。つまり、俺の目の前に座った。

 ナオミはそんなミナに声をかける。


「あなたがレンの部隊の新しい子ね。元気がいい子、私は好きよ」

「ありがとうございます!」


 ナオミの言葉にミナは満面の笑顔で応える。

 そんなミナの頭を、ナオミは優しく撫でた。

 するとミナは驚いたようにナオミの顔を見た。


「どうしたの? あ、触られるの嫌だった?」

「いや、その……。こういうことされるの、初めてで……その、驚いてしまって」

「……そう」


 ナオミが寂しそうに笑った。

 ミナは偽物のイミテーション・子どもチルドレンだ。元気良い姿を見せてはいても、他のイミテーション・チルドレン同様、酷い目にあってきたのだろう。

 ミナの言葉にそれを想い、ナオミは悲しい気持ちになったのだと思う。だから寂しそうな笑顔を浮かべたのだろう。


「これから好きなだけ私が頭を撫でてあげるわ」

「え? でも、その……。照れくさいです」


 ミナは頬を赤く染めて、ナオミから視線を外してしまう。恥ずかしがっているようだが、満更でもないとでも言うような、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 俺はその彼女の表情を見て、なんだかどこにでもいる普通の子どもみたいだと思った。

 普通に生まれてきていれば、おそらくは可愛がられたに違いない。神様も酷なことをする。


 ……いや。イミテーション・チルドレンとして生まれさせたのは、災厄ホワイト・の白ディザスターなのかもしれないが。

 どっちにしろ酷い扱いを受けることに違いはない。

 ただホワイト・ディザスターに似ているというだけで、この世界では罪となるのだから。


 食事の時間は続く。

 他の三人より一足先に食事を終えた俺は、なにやら楽しげに会話をしているナオミとミナの様子を意味もなく見ていた。

 ふいに、そんな俺の袖が引っ張られた。見ると、ライラだった。


 眠たげで、感情の読みにくい緋色の瞳が俺を見ていた。

 疑問に思って「なんだ?」と聞くと、けれどライラは何も言わない。

 何かを考えているのか、それとも何も考えていないのか。呆然としているようにも見える。


「……嬉しい?」


 やがてライラは言葉を口にしたが、その言葉は真意のわからない問いかけだった。

 嬉しい? どうしてそんなことを聞くのだろうか。

 俺は嬉しいなんて感情、今は感じていない。寝ぼけているのだろうか。


「何の話だ。俺は別にそんなこと思ってないぞ」

「……そんな気がしただけ、です」

「気のせいだ」


 俺はコップに注がれたミネラルウォーターに口をつける。冷たい感覚が喉を潤した。

 ライラはそれ以上は何も言わず、空っぽになった食事のプレートを見つめていた。

 他人の心の中は見えない。だから俺にはライラが何を考えているのか、さっぱりとわからなかった。


「よお、レン」


 その声が聞こえてきたのは、そんな時だった。

 テーブルに手をついて俺を見る男。俺の隣の部屋に住み、俺と同じ少尉であるフェルディだった。

 フェルディはいつものにやけ面を浮かべている。


 彼の顔を見てあからさまに不機嫌になったのはナオミだ。

 ナオミはフェルディのことを嫌っている。それも当然のことだ。

 なにせフェルディはイミテーション・チルドレンを兵器としてだけでなく、自らの欲望を発散させるための道具としても扱っている。それは心優しいナオミにとって許せることではないだろうから。


「何の用だ、フェルディ」

「いや、お前のところに新しくきたっていうイミテーション・チルドレンを見に来たんだよ。んで……、そいつか?」


 フェルディはミナに視線を向けた。それはまるで品定めでもするかのようだった。

 そんな男に、けれどミナは笑顔で頭を下げた。


「今日からレン少尉の下に配属されました、ミナといいます! よろしくお――」

「ふうん、あっそ。名前とかどうでもいいわ。……にしてもレン。これでようやく夜が寂しくなくなるな」


 ミナの言葉を興味なさげに遮ったフェルディは、もう一度俺へと視線を向けた。

 ミナは特に表情を変えることなく、ただ笑っていた。

 そんな彼女に「気にしちゃ駄目よ」とナオミが声をかけている。


「俺はお前と違う。お前みたいなことに、イミテーション・チルドレンを使うことはない」

「なんだよ、レン。つまんねえな。まさか、【偽善の女王様ナオミ】みたいなことを言うつもりじゃねえよな?」

「さあな。……それよりお前、睨まれてるぞ」


 フェルディは俺の視線を辿るようにして、ナオミへと目を向けた。

 そして「おっと、いたのか」などとわざとらしく口にした。

 フェルディはナオミの存在に気がついていて、けれどあえてナオミへの悪口に使われる偽善の女王様という呼び名を使ったのだ。


 フェルディにとってもナオミとはそういう相手なのだ。

 つまるところ、二人は互いに嫌い合う仲というわけだ。


「……フェルディ。ハナはどうしたの? 最近、食堂で見かけないのだけど」


 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるフェルディに、ナオミは低い声でそう問いかけをした。

 ハナとはフェルディ小隊のイミテーション・チルドレンで、昨日の朝、フェルディにレイプ紛いのことをされていた少女のことだ。


「ハナ? ああ、あいつなら自分の部屋でクソ不味いレーションでも食ってると思うぜ。少し前にそういう命令を出したし」

「……あんたって本当に」

「本当にイケメンってか? 照れるぜ」

「ぶっ殺すわよ」

「おーこわ」

「あんたなんて地獄に落ちればいいわ」

「俺ほどいい人間はいねえぞ? 天国行きに決まってんだろ」

「もういい。とっとと失せて」

「さすがイミテーション・チルドレンなんかに肩入れしている女だ。口が悪すぎだぜ。……言われた通りどっか行きますよっと」


 フェルディは「じゃあな」と言って歩き去っていった。

 ナオミがその背中を睨みつけていた。殺意が篭っているような気がした。

 相当に許せないのだろう。ロベルトよりも格段に。


「あの、今の人はフェルディ少尉ですよね?」


 ミナが聞いた。それに頷いて答えたのはナオミだった。

 それからナオミはため息を吐き出して口を開く。


「ええ、そうよ。でもあんな奴、覚える必要なんてないわ」

「でも、同じ第二一中隊ですよね?」

「それでも、よ。あいつと、それからロベルト。あの二人は最低な男。だから不用意に近づかない方がいいわ。何されるかわからないもの」

「……そう、なんですか」


 昨日のロベルトのことでも思い出したのか、ナオミは顔をしかめた。

 ミナはというと、そんなナオミの顔を見つめていた。

 楽しげな雰囲気はなくなっていた。


 ふいに、腕に重みを感じた。

 横に視線を向けてみると、ライラが俺の腕に頭をもたれさせていた。

 文句を言おうとして、ライラから寝息が聞こえてきて、それで仕方なく口を閉じた。


 ナオミに視線を向けてみる。

 彼女もライラの様子に気がついたようで、呆れたような笑みを浮かべていた。

 それはまるで母親が愛娘を見つめるような、そんな優しげな印象を受けた。


「もう、ライラったら」

「どうするんだ、これ」

「私がおぶっていくわ。……食器片付けてくるから、ちょっとだけライラを見ていてくれる? 起こさないように」

「わかった」


 やがて食器を片付けて戻ってきたナオミは、ライラを背中に背負った。

「おやすみ」と言って食堂を出て行くナオミを見送ったあと、ミナが食べ終わるのをなんとなく待って、それからミナと食堂を出た。

 建物の外に出て、寮の違う俺たちは別れた。


 今夜は満月だった。



 ◯



 翌日、午前のトレーニングの時間。

 屋外訓練場で俺たち、第三小隊は走り込みをしていた。

 白からの守護者ガーディアンを扱う戦場に立っているのにどうしこんなことをするのか。よくそう聞かれるが、どんな戦場になろうと体力作りは当分なくならないだろう。


 たとえば基地が攻撃を受けて、破壊される可能性を考えれば、体力作りだけでなくガーディアンを使わない戦闘訓練もする必要がある。

 人類が優勢の今、基地が攻撃を受ける可能性など、一パーセントほどもあるかどうかだと思うが、万が一ということもありえる。

 だからこういうこともしなければならない。イミテーション・チルドレンにとってはどっちにしろ必要ではあるが。


 運動神経も良く、元気が有り余っている様子のミナは誰よりも足が速かった。

 他のメンバーのやる気がないというのもあるが……。

 ミナは運動が好きなのだろう。トレーニングだというのに彼女はとても楽しげだった。


 ノルマは二十周。ミナは早々に走り終わり、ついで俺とアレックスが走り終わる。

 他の奴らは未だにノロノロ走っていた。やる気が無いのは仕方ない。

 あるかどうかもわからない有事のために、やる気を出して生身の訓練に臨むのは厳しいのだと思うから。


 何の意味もなくミナを見てみると、彼女は汗の流れる顔や首元を拭きながら、水分補給をしていた。

 ふいにミナが俺の視線に気付き、こちらを見る。


「少尉? なにか?」

「いや、特に用は……。お前、運動が好きなんだな」

「はい! 特に走るのはすごく好きです!」


 ミナは嬉しそうに答える。


「……そうか」

「少尉はどうです? 運動、好きですか?」

「俺はあんまり好きじゃない。疲れるしな。やらないでいいならやりたくはないが、まあやらないといけないからな」

「真面目なんですね」

「そう見えるか?」

「はい!」

「なら、それは勘違いだ」

「そうなんですか?」

「まあな」

「やらないといけないことは嫌でもやる。それってボクには真面目に思えます。だから少尉は真面目なんですよ」


 ニッコリと、ミナは眩しい笑顔を向けてきた。

 俺は……。俺はその笑顔を見つめ続けることができなくて、そっと目を逸らした。

 頭に浮かぶのは、前任のソラが一度だけみせた笑顔だった。


 ……気分が悪い。

 意味もなく、空で輝く太陽を睨みつけた。

 そんなことをしたって何も変わらなかった。只々、眩しいだけだった。



 ◯



 その日の夕方。

 将校室での仕事を終え、外で涼んでいた俺は駆け寄ってくる足音を聞いた。

 振り向いてみると、その音の主はミナだった。


「少尉、ここにいたんですね」


 俺の目の前で止まり、ミナは満面の笑みで敬礼をした。

 いちいち敬礼するなんて、どこかのリオみたいだと思った。

 ……そういえば、あれからリオを見ていない。ロベルトに何かされているのだろうか。


「俺に何か用か?」


 俺がそう尋ねると、ミナはふるふると首を横に振った。


「特に用というわけじゃないんです。ただお手伝いできることはないかなと、そう思いまして。それで探していたんですよ」

「手伝い? なんだってまた」

「少尉の部隊の一員として、お役に立ちたいなと。……何かないですか?」

「そうか……。残念ながら今のところはない」

「そう、ですか。わかりました! なら何かありましたら遠慮なく言ってください。ボクにできることなら精一杯やるので!」

「まあ、何かあったらな」

「はい!」


 ミナは嬉しそうに返事をした。

 つくづく変わったやつだなと思う。

 イミテーション・チルドレンで手伝えることはないかなどと、こんな笑顔で言う奴なんて初めて見た。


 言いつけられるのが普通で、自分から催促してくることだってない。

 何かやらされるんじゃないか。そう思ってビクビクしているのがイミテーション・チルドレンではなかったか。


「ところで、少尉。これからどこへ?」

「一仕事終わって、これから中庭で休憩でもしようと思っている」

「そうですか……。あの、ご一緒してもいいですか?」

「というと?」

「いや、少尉のことを知りたいと思いまして……。お話したいな、と」

「……別にかまわないが。どうして俺のことを知りたがる」

「せっかく少尉のところへ配属されたので、上官のことを知るべきだと思ったんです」

「……そうか。勝手にしろ」

「ありがとうございます!」


 やっぱり、ミナは変わっている。

 イミテーション・チルドレンが上官のことを知りたがるなんて、初めて聞いた。そんなことありえないと思っていたくらいだ。

 そんなことを思いながら、俺はミナとともに中庭のベンチへと向かった。

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