第6話

「少尉はどうして軍人になろうと思ったんですか?」


 中庭のベンチに座り、俺が缶コーヒーのタブを開けた時、ミナがそんなことを聞いてきた。

 隣りに座り両手をベンチにつけて、片足をブラブラさせているミナに目を向ける。

 彼女はどうしてか足元に目を向けていた。空を流れてきた雲が太陽を隠して、彼女の頭上に影を作った。


「……許せないから、だろうな」


 コーヒーを一口飲んで、それからそう答えた。


「許せない、ですか?」

「たぶん、な」

「え? それってどういう……、」

「正直、自分でも憶えてないんだ。ちゃんとした理由はあったはずなんだが、忘れてしまった。……なんとなくそうなんじゃないかっていう心当たりはある。ただ、いまいちしっくりこなくてな」

「だから、たぶんなんですね」

「ああ」


 高等学校に進学した頃だったか、国際軍士官学校のことを知った。

 その時、ふと昔のことを思い出した。そういうことは憶えている。

 家族に起きた不幸の思い出。それが軍人を目指したきっかけではあったはずだ。


 けれど、過去を思い出したからという理由だけではなかった。

 過去を思い出して、それから何かを考え、その考えたことが一番の理由だった。と思う。

 あの時、俺はいったい何をどう考えてたのだろうか。いまいちはっきりとしない。


 でもきっとそうだろうと思う事柄はある。

 俺の父と母を思い浮かべれば出てくる言葉。

 憎しみ。両親はその言葉を胸に抱いている。


 それは災厄ホワイト・の白ディザスターへの憎しみ。

 ホワイト・ディザスターは、俺たち家族にそれを抱かせるほどのことをしたのだ。

 だからそれが理由で、憎いから、許せないから。俺は軍人を目指した思うのだ。


 だが、それを偽物のイミテーション・子どもチルドレンであるミナに話しても問題がないか、つい考えてしまう。

 ミナを傷つけてしまう可能性が……。いや、俺は何を考えているんだ。

 どうでもいいだろう、そんなことは。彼女が傷つこうが知ったことではない。彼女自身が聞いてきた。だから答える。それだけだ。


「妹が生まれるはずだったんだ」


 なんとなく空へと視線を向けて、俺は口を開けた。


「だけど、生まれてきたのは人間じゃなかった」

「……それって、つまり」


 視界の外で、ミナのそんな言葉が聞こえてきた。

 彼女の表情はわからなかったが、その声はどこか暗い何かを伴っている気がした。

 それでなくともなんとなく彼女が心に抱いたものが何なのか、俺にはわかる。わかってしまう。


 ミナは俺が続けようとしている言葉を知っている。

 この言い方をすれば、だいたいの奴が察するだろう。

 人間ならば同情し。イミテーション・チルドレンならば傷つき、或いは怒りを覚える。そんなものだ。


「ああ。生まれてきたのはイミテーション・チルドレンだった。お前と同じ、な」


 イミテーション・チルドレンは、世界中から人間ではないと言われている。

 ホワイト・ディザスターが人間に生ませた兵器なのだと、そう忌み嫌われている。

 だから生まれてきたのは人間ではないと言っただけで、誰でもイミテーション・チルドレンだとわかるのだ。


「……なるほど。それで許せない、ですか」

「そうだ。両親はイミテーション・チルドレンを生ませたホワイト・ディザスターを憎んでいる。いつも憎いと言っている。……だからたぶん、俺もそれが理由で軍人になろうと思ったんだ」

「そう、ですか」


 俺はミナの方へは視線を向けず、ただ缶コーヒーを見つめた。

 なんとなく、ミナの表情は見たくないと思った。

 嫌な気分になりそうだ。


 黒く濁った液体が缶の中で揺れているのが覗けて見える。

 この液体のような黒い感情を、両親は持っているのだろうか。今のミナはどんな色の感情を持っているのだろうか。そして俺は?

 そんな意味もないことを考えてしまう。


「でも、ボクもそう思います。許せないって」


 そんな俺にミナの声が届いた。

 彼女の言葉の意味が一瞬わからなくて、思わず視線を向けてしまった。

 彼女はいつもよりは抑え込まれた笑顔で、俺を見つめていた。


 満面の笑みではない。だけど確かにミナは笑っていた。


「ボクもホワイト・ディザスターは許せないです。だからそこは少尉と同じでなんか嬉しいです! 同じ気持ちで戦えるのってなんかいいです!」

「……お前の感想はそれだけなのか?」

「そうですよ? どうしてです?」

「いや……、」


 こいつは……。

 どうしてこうも強く生きていられるのか。

 イミテーション・チルドレンであるはずなのに、どうして、そこまで前向きになれるんだ。


「……お前、どうして笑っていられるんだ」


 無意識だった。

 気がついたら俺はそんな言葉を吐き出していたのだ。

 思わず溢れてしまった言葉に、ミナはただ困ったように笑うだけだった。


「どうしてって言われても……。ボクはただ笑っていたいから笑っているだけですよ」

「お前は辛くないのか? 人間として扱われず、無視されて、酷いことをされて。悔しいとか辛いとか憎いだとか、悲しいとか苦しいとか。そう思わないのか? 思っていたら笑うことなんてできないだろ?」

「ボクはそういう感情を人間相手に抱きたくないんです。……ただ、それだけです。だから笑うんですよ」


 どうしてだろう。

 俺はミナの言葉に何かを感じている。

 温かいような明るような、そんな何か。


 一面暗い世界に一粒の光を見たような、そんな感覚。

 希望を抱いていると錯覚するような光。

 俺はその光に手を伸ばしたくなった。暗い部屋で幼子が不安に駆られたらあげく、優しい母親の手を掴みたくなるような。そんな感覚に近い。


 だから俺は心の中が黒く赤く染まるような、そんな気分の悪さを感じながら、それでも彼女の傍に居続けてみようと思い始めていた。

 そうしたら、もしかしたら望んでいた何かを手に入れることができるかもしれない。

 それはきっと幻想なんだとどこかで思っていながら、それでも手を伸ばそうとして、けれどやっぱり引っ込めた。


 イミテーション・チルドレンなんかに何かを求めることは、正しいことではないと気付いたからだ。

 この世界では間違っているとおもいだしたからだ。


 壊れかけの道具に縋ってはいけない。縋っては壊れてしまうから。

 そうすれば俺もきっと……。だから頼らない。ただ見ていようと、そう思った。

 それだけで世界はマシになる。


 そこでやっと白昼夢のような、思考の世界のような、そんな幻から目を覚ました。

 目の前にいるのは銀色の髪と緋色の瞳、そして色白の肌を持った、ただのイミテーション・チルドレンだった。

 ただ少し違うことは笑顔であるということ。俺を気分悪くする笑顔。


 けれど、どうしてか気分の悪さはやってこなかった。



 ◯



 ミナが来てから一週間ほど経った。その間、不思議と気分が悪くなることはなかった。

 そんなある休日の朝、俺は自分の部屋のドアがノックされる音で目を覚ました。

 朝から誰だと思いながらベッドから起きてドアへと向かう。そしてゆっくりとドアを開けた。


「おはようございます! レン少尉!」

「……おはよー、です」


 ドアの前に立っていたのは笑顔のミナと、それから眠たげな顔のライラだった。


「……何の用だ、お前ら」


 俺が後ろ頭を書きながら問うと、ミナが敬礼をしてから口を開く。


「お掃除に来ました!」

「は?」

「少尉と親睦を深めようと思いまして」

「それでどうして掃除なんだ」

「なんとなくです!」

「なんだ、それ」


 ミナの姿を改めて眺めてみる。

 頭巾にエプロン、そしてマスク。バケツに雑巾にモップを持っている。

 ライラも頭巾にエプロン、マスク姿。持っているのは箒とチリトリ。


 なるほど、確かに掃除をしに来た格好だ。

 もう一度視線をミナに向ける。


「……で、なんでライラもいるんだ?」

「ボクが少尉の部屋へ行くって言ったら、ライラも行くって言い出して」


 ミナの言葉にライラの方へと視線を向けると、ライラは頭を軽くフラフラとしながら俺を見つめていた。


「……レン少尉に会いに、来ました」


 ライラは感情の読めない口調でそう言った。

 会いに来たとは、つくづく懐かれているようだ。

 にしても、俺の部屋に掃除をしに来るとは不思議な奴らだ。


「悪いが必要はない」

「まあまあそう言わずに」

「お前ら、休日なんだぞ。自分の好きなことをしろ」

「こう見えても掃除が好きなんです!」

「だがな」

「お願いします! 掃除をさせてください!」


 どうすべきかと悩んでいると、ライラが無理矢理部屋に入ってきた。


「おい、ちょっとライラ。勝手に入るなよ」

「……大丈夫、大丈夫」

「何がだよ」


 どんどん部屋の奥に進んでいくライラを追っていく。

 すると後ろから「失礼しまーす」と言ってミナも入ってきてしまう。


「必要ないって言ってるだろ。二人とも入ってくるなよ」


 勝手に掃除を始めだしたミナを見て、無駄だと悟りながらぼやく。

 ゆっくり寝てようと思っていたのに、どうしてこうなるのか。

 ……まあいい。掃除をしてもらうぶんには問題があるわけじゃない。助かると言えば助かるしな。


「……はあ。俺もやるよ」


 結局、掃除は昼食前まで続いた。

 掃除の終わった部屋を眺めてみる。

 思っていたよりも綺麗になって、ミナが掃除を好きだという言葉に納得した。手際もよかったしな。


 部屋が綺麗になったからか、心の中がスッキリとして清々しい気分だった。

 こんなに気分が良くなるのなら、たまに徹底的に掃除をするのも悪くないかもしれない。


「気持ちが良いですよね! 掃除をしてよかったと思いませんか?」

「そうだな。よかったよ。……部屋の主よりも気持ち良さそうな奴がいるけどな」


 そう言ってベッドの方へと視線を向ける。

 そこにはライラがごろりと横になっていた。

 気持ちの良さそうな寝息が聞こえてくる。


「まったく、こいつは。仕方のない奴だ」


 思わず、少しだけ笑みがこぼれてしまう。


「……少尉が笑っているところ、初めて見ました」


 そう言ったのはミナだった。

 彼女の顔はどうしてかとても嬉しそうだった。


「そうか?」

「はい。失礼ですけど、笑わない人なのかなって、ずっと思ってました」

「そんなことはないさ」


 けれど、なるほど。

 言われて思い返してみると、確かにここ最近は笑えていなかった気がする。

 どうしてだろうか。どうして俺は笑えていなかったのだろうか。わからない。


 笑みがこぼれてしまった理由なら予想はつく。

 最近は気分が悪くなることもなかったし、それに掃除をすることで気分がスッキリとして、それで少しだけ力が抜けたのかもしれない。

 だから笑みがこぼれた。きっとそうだ。


「でも、良いと思います」

「何がだ?」

「笑うこと、です。笑っていればなんだか元気になれますし、笑っている間は嫌なことを忘れられます。それに、笑っていれば周りの人も笑顔にできる。そんなことももあると思うんです。笑ってさえいれば、きっと……。だから、笑うことは良いことです!」

「……そうだろうか」

「そうです。そうに決まってます! ……そうでなくちゃ、駄目ですよ」


 一瞬、ミナの表情が陰ったように見えた。

 けれど、瞬きの間にはもとの笑顔に戻っていた。

 もしかしたら気のせいかもしれない。


 隣の部屋から少女の泣き声が聞こえてきたのは、まさにその時だった。

 聞き覚えのある泣き声。

 きっとフェルディのせいだ。


 ミナが隣の部屋がある方向の壁へ視線を向ける。珍しくいつもの笑顔が消えていた。

 その泣き声で目を覚ましたのだろう。ごそりとライラもベッドから起き出す。

 壁を挟んですぐ隣の部屋だ。泣き声は大きく、気にならない方がおかしいだろう。


 だが、俺はあえて口にする。


「……気にするな」

「え、でも」


 ライラは相変わらずの無表情で何も言わず、ミナは困惑の表情で俺を見ながらそうこぼす。

 俺が黙って首を横に振ると、ミナは俺と壁とを交互に見比べ、やがて「わかりました」と小さく頷いた。その顔が暗くなっている。初めて見た、ミナの笑顔ではない表情だった。

 会話がごっそりと消え静かになる。隣の部屋の泣き声だけが聞こえて、けれどどうしてか静かだと感じた。その静寂を破ったのはライラだった。


 ライラはとてとてと俺の傍にやってきて、フラフラとしているせいか、俺にぶつかった。

 尻もちをついてぼうっと俺を見上げるライラに、俺は手を差し出した。


「大丈夫か?」

「……大丈夫、です」


 ライラが伸ばしてきた手を掴み、立ち上がらせる。

 立ち上がったライラは、けれど俺を未だに見つめていた。


「……お腹、空いた。……ご飯食べたい、です」


 ライラはお腹に両手を当ててそう言った。

 こいつは隣の部屋の泣き声を聞いて、それでもそんなことを言えるのか。

 泣き声で目を覚ましたものの、どういう状況か気にはしていないのだろうか。


 マイペースというか、なんというか……。

 本当に不思議な奴だ。


「そうだな。なら、掃除道具を片付けないとな」


 そうして俺たちは部屋を出た。

 フェルディの部屋の前を通る時、ミナが目をつぶって耳を閉じていたが、俺は知らないふりをした。



 ◯



 昼食時、ミナは笑っていた。

 まるでフェルディの部屋のことなどなかったかのような笑顔だった。あの暗く落ち込んだような表情はなりを潜めていた。

 その様子を見て、俺は掃除のあとにミナが言った言葉を思い出した。


 笑っている間は嫌なことを忘れられる。

 その言葉が本当なら、ミナは無理して笑っているのだろうか。

 無理してまで笑うことに意味なんてあるのだろうか。


 無理するくらいなら笑わないほうがいい。

 他のイミテーション・チルドレンのように笑わないほうがいい。

 むしろ笑わないほうがイミテーション・チルドレンらしい。


 よくよく考えてみると、そっちのほうがやっぱり気分が楽だ。

 イミテーション・チルドレンはそうあるべきなのだ。

 だから笑ってくれない方が……。


 ……本当に?

 本当にそうか?

 だとしたらこの胸のモヤモヤは一体なんだというのだろう。


 そこまで考えて、それから、考えるのをやめた。

 意味のないことだと気がついたからだ。

 イミテーション・チルドレンが考えていることなんてどうでもいい。そう思ったはずじゃないか。


 そう、そうだ。

 俺にはどうでもいいことだ。

 ミナがどんな表情を浮かべていようとも、俺には関係のない話なのだ。


 昼食を終えた頃にナオミがやってきて、俺はライラとミナを彼女に任せて食堂をあとにした。

 なんとなく、今日はもう一緒にいたくないと、そう思ってしまったから。

 久しぶりに気分が悪くなった。

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