第3話

 心の中がモヤモヤとして気持ち悪い。

 どうしようもなくざわつく。

 気分が悪い。車に轢かれたせいで皮が剥がれて、生々しい肌色の肉を露わにされた高速道路に転がった猫の死体を見た時のような、あの最悪の気分。


 死体を見て嫌な気分にならない人間なんてそうはいない。

 だから。きっとこれは偽物のイミテーション・子どもチルドレンを殺したあとに残った死体を思い出して、だから気分が悪くなるのだ。そうとしか思えない。

 だって殺したことに後悔なんてしていないのだから。俺は、義務を果たしただけだ。ただそれだけだ。


「やはり本当だったか」


 ロベルトの声が届く。

 眼鏡の奥に覗く彼の瞳が笑っている気がした。

 どこか楽しげなその瞳を浮かべる顔を殴りたくなった。


「自分で後始末をしたことは褒めてやろう。だが、教育を失敗したことに変わりはない。次は失敗しないといいな」

「余計なお世話だ」


 ふん、と鼻を鳴らして、ロベルトはこちらに背中を向ける。


「私はここで失礼させてもらう。……行くぞ、リオ。リオ? 聞いているのか」

「あっ、は、はい!」


 呆然と俺を見ていたリオは、けれどロベルトに言葉をかけられて我に返った。

 慌てて返事をし、リオは歩き出したロベルトの背中を追い始める。

 どこかぎこちない歩き方に見えた。仲の良かったソラを殺した存在を知ってショックだったのだろう。


 遠ざかるロベルトとリオの会話が聞こえてくる。


「リオ。今回の罰は昨日と同じだ」

「……昨日と同じ」

「今回はもっと上手くこなすように」

「……はい」


 リオの声がさらに暗くなったように思えたのは、きっと気のせいではないのだろう。

 だってナオミもまたそれに気がついたようだったから。


「ロベルト。リオに変なことさせるんじゃないでしょうね」


 彼女は正義感を感じるような鋭い瞳でロベルトの背中を睨みつけると、責めるような口調で問いをかける。

 対してロベルトは振り返りもしなかった。


「だとしてもナオミ少尉。君には関係のないことだ」


 ただそう言って遠ざかっていく。

 ナオミがロベルトの名前を呼んで、殴りかかりそうな勢いで歩き出そうとする。

 俺はそんな彼女を呼び止めた。


「やめておけ」

「でも!」

「何をしたってロベルトは変わらない。あいつはああいう男だってわかっているだろ? 言うだけ無駄だ。……それに。もしお前があいつに殴りかかってみろ。問題になって、護りたいはずのライラの傍にいられなくなるかもしれない」

「それじゃあリオは放っておけって言うの?」

「昇進だって厳しくなるかもしれないぞ。お前、イミテーション・チルドレンの境遇を変えたいんじゃなかったのか?」

「……ッ」


 ナオミは悔しそうに拳を握りしめていた。

 そうしてロベルトたちが見えなくなるまで、彼女はロベルトの背中を睨み続けていた。

 やがてロベルトたちが見えなくなると、心を落ち着かせるためか長く息を吐きだした。


「落ち着いたか?」


 俺の問いかけに返事をせず、ナオミはただ黙ってロベルトたちが消えた先をじっと見つめていた。

 そんな彼女の顔を、ライラが不思議そうに見上げている。

 やがて視線はそのままに、ナオミはゆっくりと口を開いた。


「……ソラを撃った時、心は痛んだ?」


 視線は別に向いていたが、その問いかけが俺に向けられているものだということは、すぐにわかった。

 ソラを撃ち殺したのは他でもなく俺自身だったのだから。

 そういえばあの時、俺は何を思ったのだったか。考えてみて――。


「……さあ。よく憶えてない」


 俺はナオミにそう答えた。

 ナオミは小さく息を吸って吐いた。

 やがて「そう」と呟くように言って、ようやく彼女は視線をこちらに向けた。


「嫌だね、こんな世界」


 ナオミがポツリと口にした言葉に、けれど俺は何も返さなかった。

 返すべき言葉なんて、俺に吐けるわけもなかった。

 彼女と俺は、きっと考え方が違うのだから。


 空気は重く、押しつぶされるような静寂が支配していた。

 ライラが「お腹空いた」と呟いたのは、その時だった。

 それがきっかけでナオミの纏っていた雰囲気が和らいだ。


「ごめんね。お腹空いたわよね。ご飯、食べようか、ライラ」

「……食べる」


 ナオミがカウンターに向かって歩きだすと、ライラもそれについて歩きだす。

 と、一度歩きだした歩を止めて、ライラが俺のことをじっと見つめてきた。

 気になって「どうした?」と聞くと、彼女はふるふると首を振って、再びナオミを追って歩きだした。なんだったんだ?


 しばらくして遅めの朝食が載ったトレイを受け取ったライラは、けれどどうしてか俺の傍に近寄ってきた。

 ナオミが「ライラ?」と呼びかけるが反応はせず、まっすぐに俺の瞳を見つめてきた。

 緋色の瞳が俺の目に映る。


「……レン、少尉。お隣いいですか?」


 眠たそうな声で、ライラがそんなことを聞いてきた。

 俺はあっけにとられつつも頷く。

 どうして俺の隣に座ろうと思ったのだろうか? さっき俺がイミテーション・チルドレンを殺したという話を聞いていなかったのだろうか? ……たぶん、聞いてなかったのだろう。


 俺の同意を得たライラは早速俺の隣に座る。

 そしていそいそと食事を始めた。どうやら食べることが好きらしい。


「気に入られたみたいね」


 俺の前の席に座ったナオミがそんなことを言った。


「気に入られた? 俺が? どうして」

「さあ? 気に入った理由はわからないけど、ライラは気に入った人の近くにいたがるのよ。どうしてか、ね」

「……そうか」


 不思議なイミテーション・チルドレンだと、そう思った。



 ◯



 翌日、戦闘訓練前のこと。

 俺は大尉の執務室にいた。

 新任のイミテーション・チルドレンがようやく到着したらしく、その顔合わせのために執務室へと呼び出されたのだった。


「対災厄ホワイト・の白ディザスター兵器イミテーション・チルドレンのミナです! 本日付で第二一中隊第三小隊に配属されました! よろしくお願いします!」


 敬礼しながらそう挨拶をしたのは、初等学校高学年くらいの少女だった。

 短めの髪型で、後ろで下結びにしている。それは雀の尾羽根のように短い。

 はきはきとした元気の良さげな口調で、着任の挨拶ということで今は真面目な顔で敬礼をしているが、彼女は笑顔が似合いそうだ。一目で天真爛漫とわかる、そんな雰囲気のイミテーション・チルドレンだった。


「レン少尉だ」


 答礼を返しこちらも自己紹介する。

 その後は大尉からの話を聞き、ミナとともに敬礼をして執務室をあとにした。

 そのままミナを彼女の部屋へと案内することになった。


「ここがお前の部屋だ」


 そう言って部屋の扉を開けた。

 ミナは「案内ありがとうございます!」と言ってからその部屋へと足を踏み入れた。どこか楽しげな口調と動きだった。

 簡易ベッドと小さなクローゼット、パイプ椅子と小さな机。そして机の上に置かれた小さな棚。裸電球だけがぶら下がった狭い部屋だ。


 この部屋は前任のイミテーション・チルドレン、ソラが使っていた部屋で、彼女が使っていた軍服と戦闘服以外はそのままだった。

 というよりもイミテーション・チルドレンが持っている私物などほとんどないだろう。

 部屋を見回すミナをなんとなく見つめていると、ふと彼女が一点へ視線を集中させた。そして机の方へと近づき、棚から何かを取り出してこちらを向いた。


「これは?」


 ミナが持っていたのは一冊の絵本だった。

 表紙に羊と狼の絵が描かれていて、二匹はどうしてか笑顔だった。


「……そんな物もあったな。前任のイミテーション・チルドレンの私物だよ。それがどうもお気に入りだったらしい」

「どうやって手に入れたんでしょうか?」


 イミテーション・チルドレンは上官と一緒でなければ基地から出ることはできない。もっともイミテーション・チルドレンと出かけるような人間は少ないのだが。

 そして街に出たとしてもイミテーション・チルドレンは買い物ができない。これは規則でそうなっているわけではなく、街の人間がイミテーション・チルドレンに商品を売りたがらないからだ。

 この二つの理由から、イミテーション・チルドレンが物を手に入れるのは難しい。だからミナはどうやって手に入れたのか疑問に思ったのだろう。


 俺は言おうかどうか考え、隠す必要もないかと結論づける。


「気まぐれで街に連れ出した時、前任がその絵本に目を釘付けにしててな。どうしてそうしたのかは憶えていないが……いや、たぶんこれも気まぐれだ。気まぐれで買ってやったんだ」

「少尉が?」

「ああ」


 俺が頷くと、ミナは絵本に視線を落とした。

 幼い彼女の手が絵本の表紙を撫でた。

 ミナが何を思っているのか俺にはわからない。ただ、彼女の瞳は何かに思いを馳せているような、そんな優しげなものに見えた。


「少尉」


 やがて顔を上げたミナは、まっすぐに俺の瞳を見つめてきた。


「この絵本、どうするんですか?」

「処分しておく」

「処分するならボクにくれませんか?」

「別にかまわないが……どうしてだ?」

「なんとなく、です」

「なんだ、それ。好きにしろ」

「ありがとうございます!」


 何がそんなに嬉しいのか、ミナは太陽のような眩しい笑顔を浮かべてみせた。

 イミテーション・チルドレンが満面の笑顔を姿なんてほとんど見たことがない。最後に見たのはソラに絵本を買え与えた時だ。それ以来イミテーション・チルドレンの笑顔なんて見ていなかった。

 だがミナは部屋まで案内する道中も部屋に入った時も楽しげで、そしてこんな笑顔を浮かべる。ミナといればこの先、笑顔を何度も見せられる。そんな気がした。


「これからすぐに訓練を始める。戦闘服に着替えて第三訓練室に来い」

「わかりました! あ、でも場所が……、」

「そうだったな。渡すのを忘れていた」


 俺は軍服の胸ポケットから折りたたんだ地図を取り出して、ミナに手渡した。


「自室以外は案内はしない。それを見て自分で覚えろ」

「なるほど。わかりました!」

「急げよ」

「はい! ではあとでまたお会いしましょう、少尉」

「ああ」


 俺はミナの部屋をあとにした。



 ◯



 イミテーション・チルドレン専用の寄宿舎から出た俺は、そのまま第三訓練室に向かった。

 訓練室にはすでに俺の小隊メンバーが全員集まっていた。


「遅かったっすね、少尉」


 シュミレーション室に入ってきた俺に、軍曹のアレックスがそう声をかけてきた。

 俺は軍服の上着を脱ぎながら「ああ」と頷く。


「新任のイミテーション・チルドレンがようやく来たんだよ」

「やっとっすか」

「ああ。もうすぐここにくる。……準備はもうできてるのか?」

「ええ。あとはだけっす」

「そうか。ならイミテーション・チルドレンが来たらすぐに始めるぞ」

「了解っす」


 ミナがやってきたのはそれから五分後のことだった。

 息を切らせながら訓練室に入ってきたミナは、息を整えてから小隊メンバー全員に対して敬礼をした。

 余談だが、彼女はどうしてだか袖とズボンの裾を少しだけ捲っていた。


「対ホワイト・ディザスター兵器イミテーション・チルドレンのミナです! 本日付で第二一中隊第三小隊に配属されました! よろしくお願いします!」


 大尉の執務室で聞いたものと同じ言葉を告げたミナに、けれど誰も何も応えなかった。チラリと視線を向けただけだった。

 イミテーション・チルドレンへの対応などそんなものだ。何も不思議なことではない。


「ミナ。すぐに訓練を始める。隣の部屋へ入れ。部屋の中に訓練銃が置いてある」

「わかりました!」


 小隊メンバーに冷たくされたことを気にする様子も見せず、ミナは対爆ガラスで区切られた隣の部屋、シュミレーション室へと向かった。

 きっと自分の境遇についてしっかりと理解できているからだろう。

 それを見届けてから、俺は小隊メンバーに訓練開始を告げた。


 俺と小隊メンバーはそれぞれの【精神送メンタル・信機械トランスミッター】へと入った。

 これが人間と対ホワイト・ディザスター兵器である人型戦闘機、【白からの守護者ガーディアン】を繋ぐ装置。

 操縦者のその兵器で、俺たち人間はホワイト・ディザスターと戦っている。


 そして、戦闘訓練は始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る