第2話
「ライラちゃん、大丈夫?」
そう言って、銀色の髪を肩甲骨辺りまで伸ばした少女は、さっと立ち上がってサイドテールの少女へと駆け寄った。
サイドテールの少女、ライラと呼ばれた少女は眠たそうな緋色の瞳で、ストレートの髪の少女を見つめる。
「……あー、リオちゃんだ」
眠たげな声で口にしたライラはもう一人の少女、リオと呼ばれた少女の手を借りて立ち上げる。
立ち上がったライラは、眠そうにフラフラと頭を揺らす。
全体的に眠そうな彼女の顔は無表情で、およそ感情というものを読み取ることができない。
「ライラちゃん。少尉の前だよ。挨拶しないと……、」
リオはライラの肩に手を置いて、ライラの顔を俺の方に向けた。
リオは不安そうに俺を見ている。挨拶しないと酷いことをされる。そう思っているのがありありと伝わってきた。
それも仕方のないことだ。なにせ彼女たちは
気に食わないと判断されれば酷いことをされる。
まだ幼い少女には耐え難い罰。それを平気で受けさせる周りの人間たち。
さぞ俺たちのことを怖がり、憎んでいることだろう。
だが彼女たちが迫害され、人権など与えられず、ただ道具として扱われる。それも仕方のないことだ。
彼女たちイミテーション・チルドレン。侵略者と同じものを持って生まれてきたために、忌み子や偽物の子どもと呼ばれる存在だ。
酷いことをされても仕方がないのだ。
そう、仕方がない。
「……少尉。おはよう? こんにちは?」
「おはようございます、だよ」
首を傾げるライラに、リオが隣から答えを教える。
ライラは得心がいったとばかりに「おー、おはようか」と頷いた。
そうしてからようやっと敬礼の姿勢をとった。フラフラとしていて危うげな敬礼だった。
「……おはよう、ございます。少尉」
俺は「ん」と言って軽く頷く。
彼女たちの名前を聞いて思い出したが、二人は同じ中隊の他小隊のイミテーション・チルドレンだ。
顔は見たことがある程度の記憶しかなかったが、名前は書類などでよく見るために憶えていた。
「なあ、お前」
ライラの姿を上から下へと眺めたあと、俺はリオに顔を向けて言った。
声をかけられたリオは焦りながら敬礼をして、俺をまっすぐに見つめていた。相変わらずその表情は硬く、顔色も悪かった。
彼女の隊の長はよほど彼女を酷い目にあわせているようだ。怯えようが凄まじい。
リオの上官は誰だっただろうか。書類に書いてあったはずだ。
そう考えて、それで思い出した。
リオの隊の長は腹黒眼鏡だ。いい性格をしている男だ。あいつなら納得だ。
「は、はい。なんでしょうか、少尉」
「そいつ……ライラとは仲がいいのか?」
「え? ……はい、そうですが」
「ライラは普段からこんな感じなのか? いつもこんなに眠そうで、フラフラしてるのか?」
「は、はい……、」
「そうか。なら相当に罰を受けているんだろうな」
俺はライラにもう一度目を向ける。
ライラの姿はリオとは対象的だった。
軍服はよれよれでダボダボ。髪はサイドテールに纏めているが、ところどころはねている。リオとは違い、そういうところには無頓着なのかもしれない。
彼女は相変わらずフラフラとして危なげで、今にも倒れてしまうように見えた。
ぼうっとしているようで、俺とリオの会話も耳に入ってはいないようだった。
普段からこんな様子では誰かにぶつかることもあるだろうし、話を聞いているのかと咎められることもあるだろう。
だとしたら罰を与えられることも多いはずだ。
別に心配なわけではないが、少しばかり同情はしてしまう。
「いえ、それが……、」
けれど、予想に反してリオは首を横に振った。
「なんだ?」
「その、ライラちゃんの隊長さんは」
リオがそう言いかけた時、彼女の後ろに人影が現れた。
そしてそいつはリオの言葉を引き継いだ。
「私よ。ライラの隊長は」
それは勝ち気そうな目をした女だった。
二十代前半の女は全体的にスレンダーな体型で、栗色の綺麗な髪を短めのポニーテールにしている。
俺はナオミという名のその女を知っていた。
「な、ナオミ少尉! おはようございます!」
振り向いてナオミの姿を見つけたリオが慌てて敬礼をする。
ナオミはそんな彼女の頭を優しく撫でた。
次いでとてとてと近づいてきたライラの頭も、「一緒に行こうって言ったでしょ」と声をかけながら撫でた。
「おはよう、リオちゃん。……でも私にはかしこまらなくてもいいって言ったでしょ。別に何もしないから」
「し、しかし」
リオがチラリと俺を見た。
相変わらず怖がっているような顔と目をしていた。
それを見たナオミが、俺を睨むように見てきた
「レン。あんた、まさか」
「何もしてない」
「……まあ、そうよね。レンは無駄なことするような男ではなかったわね」
「無意味なことはしない、そういう信条持っているからな。たぶん。……それはいいとして、そうか。そういえばお前がそいつの、ライラの上官だったな」
ナオミとは士官学校からの縁で配属された部隊まで同じという、約四年ほどの付き合いがある。
同じ歳ということで、士官学校時代はどうしてかよく絡んできた。今では、作戦行動以外ではたまに話す程度となってしまったが……。
彼女のことはよく知っている。もちろん、その性格も、だ。
だからナオミの顔を見た時、俺はリオの言おうとしたことを理解した。
リオは、ライラの上官がナオミで、だからライラは理不尽な罰を与えられない。そう言いたかったのだろう。
ナオミがライラを守っているのだと、そう言いたかったのだ。
なぜなら、ナオミはイミテーション・チルドレンを擁護する
思えば昔からそうだった。彼女は常にイミテーション・チルドレンの現状に不満を持っていたし、せめて軍の中でくらいもう少しマシな境遇にしてあげたいと口にしていた。
だから軍上層部を目指すために士官学校に入ったとも言っていた。
ただその信念を持っている限り、いけて少佐止まりだろうが……。
ナオミはそれを理解しているのだろうか?
もっとも、俺には関係のない話だ。
ナオミは目の届く位置にいる、たとえば自分の指揮する部隊に所属するイミテーション・チルドレンが酷いことをされないように、部隊内であろうと鋭く目を光らせているらしい。
彼女としては今できることをやろうという思いから、そういう行動をとっているのだろう。
だがその行為が他の人間にはよく思われていないようで、彼女に対する陰口を耳にすることが多い。
ナオミだってそのことには気がついているはずだ。彼女はそういうことを察しやすいタイプだ。
それでも続けているのは、きっと彼女が強く、それほどまでにイミテーション・チルドレンの現状に不満を抱いているのだろう。
どうしてそこまでやれるのか、俺にはよく理解できない。だってそんなことをしたって無意味としか思えない。
「……ナオミ。お前が甘やかせているから、ライラはそんな頼りない性格になったんだな」
「何よ、その言い方。まだ子どもなんだから、それでも構わないと思うけど。普通ならまだ大人に甘えられる年齢なのに、やっぱりおかしいわこんな世界」
「なんだ? 世界でも滅ぼす気か」
「そんなことやろうと思わないわよ」
ナオミは呆れたようにため息を吐き出した。
「馬鹿なこと、言わないでよね」
「でも、そんなことしそうな目に見えたぞ」
「そうだったかしら」
「ああ。正直、怖かった」
「嘘ばっかり。あんたが怖がることなんてあるの?」
「あるに決まっている。士官学校時代の教官とかな」
「それこそ嘘でしょ?」
「……さすが同輩。よくわかっているな」
「当然よ」
ナオミはそう言うと、急に表情を真面目なものへと変えた。
なにか真面目な話が俺にあるのだろうか。その真面目な顔で何か言いたげに俺をじっと見つめている。
俺は言葉を催促せず、ナオミが口を開くのを待った。
「……ねえ、レン。聞いた話なんだけど」
やがて口を開けたナオミの声は感情の乗っていないような、そんな平坦で落ち着いたものだった。
けれど、彼女の言葉はそこで止まってしまう。
どうも話しづらい内容のようだった。
となれば、そうか。きっとあのことについて話がしたいのだろう。
ナオミが何を言いたいのか、俺はなんとなく察しがついた。
彼女が気になるようなことなんて、きっとそれくらいだったから。
「おや、ここにいたのか。リオ」
ナオミにあの話をされるのはなんだか嫌だ。どう躱そうか悩んでいたところで、また違う声が聞こえてきた。
見ると食堂の出入り口に眼鏡を掛けた高身長の男が立っていた。
キザっぽそうな彼こそ、腹黒眼鏡ことリオの上官。ロベルト少尉だった。
「ろ、ロベルト少尉」
震えた声で彼の名前を口にしたのは、他でもなく彼の部下リオだった。
敬礼も忘れるほどに動揺しているようで、リオの顔がみるみるうちに真っ青になっていく。
彼女の足が恐怖からか震えていた。
「敬礼はどうした」
ロベルトの冷たい声がリオに突き刺さる。
彼女は震えながらも慌てて敬礼をした。
「も、申し訳ありません、ロベルト少尉」
「よろしい」
「あ、あのロベルト少尉。きょ、今日は外出して、帰りは遅くなると、お、おっしゃっていませんでしたか?」
「なに、用事がなくなってね。それがどうかしたのかね。……ふん、なるほど。この時間に食堂にいるということは」
「ゆ、許してください。どうしても眠たくて……、」
「言い訳はいらない。罰が必要のようだ」
「そ、そんな……、」
ロベルトの言葉に、リオは愕然とした表情を浮かべた。
絶望に染まった緋色の瞳が揺れている。
やはり。リオが俺たちに異様に怯えていたのは、この腹黒眼鏡が原因だったらしい。
「ちょっとロベルト。罰を与えることないじゃない。それに今日は休日なのよ? ちょっとくらい寝坊したっていいじゃない」
横から割り込んだナオミに、ロベルトは怪訝そうな顔でナオミを見た。
そこで、ようやくナオミの存在に気がついたような顔をした。
「おや、ナオミ少尉ではないか。……それにレン少尉も」
次いで、俺にも気がついたようでこっちを見た。
「休日に同じ中隊の少尉が三人も集まるとは、珍しいこともあったものだ。フェルディ少尉は……お楽しみ中かな」
「あの男また……ッ」
「いつものことではないか。何を今更。……それより罰を与える必要はないと言ったか、ナオミ少尉」
「そうよ。休日くらい息抜きは必要だわ」
「なるほど。それが君の教育方針か。それでそんなだらしななさそうな兵器となるわけだ」
「この子たちのこと、兵器なんて言わないで!」
「兵器に兵器と言って何が悪い。君こそ、イミテーション・チルドレンを人間だなどと、勘違いするのも大概にしたまえ」
「ロベルト! あんたそんなこと」
「とにかく、だ。こちらにはこちらの教育方針がある。口出ししないでもらいたい。……レン少尉もそう思うだろう?」
突然言葉をふってきたロベルトは、けれど同意を求めるような態度をすぐに変えた。
その目は冷ややかなものと変わる。相手を侮蔑するような、そんな腹黒眼鏡にはよくお似合いの視線だった。
この男が何を言いたいのか、俺にはすぐ察しがついた。
「そういえば、レン少尉は教育に失敗したのだったな。君の前のイミテーション・チルドレン。人間を殺めたな。そんなことをするような兵器に育てるとは……。聞くところによると、君が始末をつけたようだが、本当か?」
ロベルトの言葉に空気が重くなったのを感じた。
ナオミは深刻そうに俺を見つめ、リオは悪魔でも見たように恐怖を貼り付けたような顔で俺を見る。
ライラだけは相変わらず聞いていないようだったが、今この場にいるほとんどの人間が俺の言葉に注目している気がした。
先ほどナオミがしたかった話は、きっとこのことだろう。
イミテーション・チルドレンを擁護する彼女のことだ。気になって仕方がなかったのだろう。
ここで答えを言えば、ナオミは俺のことを恨むかもしれない。
「……レン少尉が、ソラちゃんを……?」
ふと、リオがポツリと呟くように言った。
ソラ。それは俺が指揮する小隊にいた、前任のイミテーション・チルドレンの名前。今朝夢に見た少女の名前だった。
リオが俺を怯えた瞳で見つめてくる。どうやらリオはソラとも仲が良かったようだ。
俺は向けられるリオの視線から目を逸らし、ロベルトへと視線を向けた。
別にナオミから憎まれたっていい。イミテーション・チルドレンに恨まれたってかまわない。
けれど答えるのは嫌で、だからできれば答えずにいたかった。
あのときのことを思い出すだけで気分が悪くなる。どうしようもないイライラを感じてしまうから、好んで語りたいことではない。
でも、きっとそれではこの場を終わらせることはできない。どうしてだかそんな気がした。
だから、俺は答えることにした。
「そうだ。ソラは俺が殺した」
俺はただそう答えた。
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