第16話 聖者

 佐伯さんに言われた通り道なき山道を五時間歩いて、聖者の家に着いてみると、ぼうぼうの荒れ地に、ボロボロの廃墟のような小屋があるだけだった。

「あれぇ?」

 聖者はおろか、全く人が生活しているように見えない。

「おかしいなぁ。道は一本道だし、間違えてはいないと思うんだけどなぁ・・」

 辺りをうろうろ歩いてみると、小川で洗濯をしているやせ細った小柄なじいさんがいた。小汚いじいさんだった。

「まさかこの人じゃないよなぁ」

 聖者にしてはあまりに小汚かった。

「すみません。サン・マンチュルさんをご存知ですか」

「私サン・マンチュルね」

 この人だった。

「お洗濯ですか」

「これ、アルバイトね。ハッハッハッハッ」

 偉大な聖者は洗濯のアルバイトをしていた。

「ちょっと待っててね。すぐ終わるよ。ハッハッハッ」

 サン・マンチュルは笑うとかわいかったが、歯が殆どなかった。

 どこに住んでるんだろう。まさかさっきの廃屋じゃないだろうな。お洗濯に夢中なサンマンチュルの隣りで、退屈な私は一人そんなことを考えていた。

「あそこよ」

 サンマンチュルは笑顔で廃屋を指さした。あの小屋は、思いっきりサンマンチュルの家だった。というかなんで、私の考えていることが分かったんだ?私はサンマンチュルを見つめた。

 洗濯の終わったサンマンチュルの後について、ボロボロの小屋に入ると、中はもっとボロボロだった。そこは完全な廃墟だった。

「・・・」

 そこは、完全に人の生活している、生活できる状態ではなかった。かろうじて雨がしのげるといったことぐらいしか望めず、壁に穴は空き放題で、風すらも防げそうになかった。

 食事とかどうしてるんだろう。私は思った。

「私何も食べないね」

「何も食べない?」

 何を言ってんだこのじいさん。というかなんで私の考えていることが分かったんだ。私が不審げな目で見つめると、サン・マンチュルはまたあの歯の無い口を開けて無邪気に笑った。その無邪気さはどこかカティを思わせた。

「あのなんだか、よく分からない男の人になんか聖者がいるとかなんとかで」

「分かってる。分かってる」

 やはり、ぼろぼろの囲炉裏を挟んで向かい合って座るサン・マンチュルはニコニコと私が説明しようとした口を制した。

「私は・・、あの・・」

「オーケー、オーケー、分かってる分かってる」

「いや・・、あの・・」

 私の言葉も聞かず、一人なぜか納得し、私の言いたいことを理解してしまったサン・マンチュルはすっくと立ち上がり、さっき入ってきたばかりだというのにまた小屋の外に、ひょこひょこと陽気に出て行ってしまった。私は座ったばかりでもう少し休みたかったが、仕方なく立ち上がり、訳も分からずサンマンチュルの背を追った。


「本当に大丈夫なのかこのじいさん」

 私はサンマンチュルの後ろをついて行きながら日本語で呟いた。

「大丈夫よ。大丈夫。大丈夫」

 なんで分かったんだ。

「ハッハッハッハッ」

 サンマンチュルは陽気に笑った。ここまで来たのだ。もう信じるしかない。

「さあ、ここに入るね」

 連れて来られたところは山奥にあるバカでかい洞窟だった。入口は板で覆われ、扉が一つ付いていた。

「ここで瞑想する。とてもいいね」

 サンマンチュルは入口の扉を開けた。ボコボコと岩に囲まれた中央の平たい岩の上にピンク色の座布団が一つちょこんと置かれていた。私は恐る恐る中に入った。

 バタンッ

「ええ!ええ?」

 入ると同時に、入口の扉が突然閉められた。中は一瞬で完全な真っ暗闇になった。

「何があっても絶対動いてはいけないね」

「えっ、いや、ちょっと、あの」

 真っ暗で目の前の自分の手すら見えなかった。

「絶対に動いてはいけないね。目も開けちゃダメね。何が起こっても瞑想を続けるよろし」

「あの、すみません。すみません」

 私は必死で扉に取りすがる。

「いいね、絶対に動いてはいけないよ。フフフフッ、じゃあね。バッハハ~イ」

 私の必死の声を無視してサン・マンチュルは陽気に去って行った。

「あの、あのぉ・・・」

 私は更に叫ぶが、サン・マンチュルの歩き去っていく足音は無情に遠のいていく。

「あの、あの・・」

 扉を必死に叩くが、最早外は何の物音もしなくなった。

「・・・」

 押せども叩けども扉はもちろん開かない。そもそも内側には取っ手すらも無かった。私は諦め、真っ暗闇の中を手さぐりでノロノロと座布団のあったところへ這って行った。

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