第9話 カティ

 ちりんちりん

「ん?」

 ちりんちりん

 なんか音がする。

 鈴?

 耳を澄ます。何も聞こえない。

「幻聴か」

 私はまた心地よい眠りの世界に戻った。

 ちりんちりん

「ん?」

 確かに音がする。

「確かに音がする!」

 私は慌てて岩陰から飛び出した。寒さで体がバッキバキになっている。それでも無理矢理固まった体を動かし道の真ん中まで踊り出て辺りを見回す。

 そこにはやはり暗闇しかなかった。

「やっぱり、ただの空耳だったのか」

 また、重い体を引きずるように岩陰に戻った。

 ちりんちり~ん

「やっぱり音がする」

 私はもう一度飛び出した。そして、辺りをもう一度注意深く見渡した。

「あっ」

 遠くの方で何か小さな明かりが揺れている。

「誰かいる」

 足元からぞわぞわと興奮が這い上がってきた。

「誰かいる。誰かいる」

 脳内でアドレナリンがドバドバ出ているのが分かった。

「お~いお~い」

 私は暗闇で見えない事などお構いなしで慌てて手を振った。

 その小さな明かりは、ゆっくりと徐々に近づいて来た。それと共に、蹄の音も聞こえて来た。

「お~い、お~い」 

 生きる。生きるぞぉー。私は叫び続けた。

「ん?」

 ちょっと待てよ。あの人は声を掛けてもいい人なのか?辺りは完全な暗闇が広がっている。もしかして・・・、急に恐怖が湧き上がってきた。

 明かりは尚も近づき、少しずつ人影に変わり始める。

「ゴクッ」

 私は息を飲んだ。しかし、相手がどんな人間であろうが、どの道このままでは死ぬのだ。

 その時遂に人影の姿が現れた。

「あっ」

 それはラバを連れた小柄な少女だった。

「私、あの、あの」 

 喜びと安心と驚きと興奮で言葉が上手く出て来ない。そんな私を前に少女は落ち着いた動きでランタンを手に取り、持ち上げた。少女は微かに微笑んでいた。その落ち着いた笑みが私を瞬時に落ち着かせた。

「私、道に迷って・・」

「じゃあ、私のうちにくればいいよ」

 突然現れた珍客に、少女はこともなげにそう言って、微笑んだ。

「あの・・・」

 私の表情に少女は何かを察したのだろう、持っていたチーズの欠片と小さなパン、水をくれた。それを食べていると、今度は自分が羽織っていた、何のものかは分からない毛皮を肩に掛けてくれた。それは驚くほど温かかった。

 少女は私が食べ終わるのを待つと、黙って再び歩き出した。私も黙ってその後ろに続いた。小さなパンとチーズの欠片だったが、驚くほど私を元気にしてくれた。

 少女は真っ暗な地道を小さなランタン一つで静かにゆっくり落ち着いた調子ですらすらと歩いて行く。私は痛む右ひざを引きずるようにその少し後ろを歩いた。

 少女と出会ってから、五時間ほど歩いてやっと少女の村に着いた。もう深夜を回っていた。

「ちょっとって、どんだけ歩くんだ。死にかけたぞ」

 私はもう精も根も尽き果ててヘロヘロだった。

「現地人の感覚を舐めてたぜ」

 私はもう絶対に現地人のちょっとは信じないと決めた。

 しかし、私より数段小さな体の少女は、全く疲れている様子もなく相変わらず落ち着いた調子ですらすらと歩いている。

「現地人恐るべし・・・」

 いかに自分が軟弱な世界で生きていたかを実感した。

「カティお帰り。みんな起きて心配してたんだよ」

 少女の家に着くと、この子の母親らしき人がすぐに扉を開け出迎えた。

「ただいま。毛皮がなかなか売れなくて遅くなっちゃった」

 少女はその小さなかわいらしい声で落ち着いた調子で答えた。少女は町まで毛皮を売りに行っていたらしい。

「ムーを繋いでくる」

「あら、お客さん?」

「うん、道に迷ってたの」

 少女の母親は少女そっくりのその優しそうなつぶらな瞳を私に向けた。

「どうぞ中に入って」

「ありがとうございます」

 私は中に入った。

「わあ、ストーブ。あっ、囲炉裏」

 直ぐにその二つが私の目に飛び込んできた。

「あったか~い」

 中に入ると、心地よい温もりが私を包んだ。私は芯から冷え切っていた。

「お~、堪らん」

 私は直ぐにストーブに駆け寄り、しばし、火のありがたみを心の底から堪能し、それを全身で享受した。

「はあ~あ」

 私はしばし至福の時を満喫した。

 ふと私は我に返り、部屋の中を見渡すと、小さな子供からお年寄りまで家族全員が、私を珍獣を見るような目で食い入るように見つめていた。

「あ、ど、どうも」

 私は恐縮した。

「はい、これ食べて」

 カティと呼ばれた少女の母親が、囲炉裏の前に温かなシチューを置いた。

「わあー」

 私は遠慮する間もなくすっ飛んで行ってがっついた。

「うんまあ~い」

 私は思わず叫んでいた。何の肉かは分からないが、大ぶりの甘みのある肉がたくさん入った、その肉の脂だろうの濃厚に染み出たシチューだった。

「お代わりあるわよ」

「あっ、お願いします」

 あっという間に平らげた私はお皿を出した。

「ふぅ~」  

 何杯お代わりしたのか忘れるほど食べた後、人心地ついてふと我に返ると、家族全員がまだ私を珍獣を見るような目で食い入るように見続けていた。

「あ、ど、どうも」

 私はまた恐縮した。

「あ、カティごめんね。もうシチュー無くなっちゃったの」

 母親の声がして、その方を見ると入口のところにさっきの少女が戻って来ていた。

「うん」

「パンならあるよ」

「うん、パンだけでいい」

 少女は静かに私の隣に座ると、お茶を飲みながら母親がもってきたパンを小さくかじりだした。

「あっ、ごめんなさい」

「ううん」

「本当にごめんね。私がつがつ・・・」

「ううん、本当にいいの」

 少女はそう言って、私に向かって小さく微笑んだ。その笑顔が何とも可愛らしく、そして心の底からの謙虚だった。

「なんて純粋なやさしい子なんだろう」

 私はこの少女の純粋なやさしさに一人心を打たれていた。


「ここに寝て」

 カティの部屋に招かれた私は、カティの使っているベッドを勧められた。

「えっ、でも、ここあなたの・・・」

「ううん、いいの私は床で寝るわ」

 そう言って、カティは引きずってきた大きな毛皮を体にくるくると海苔巻きみたいに巻き付けるとそのまま床にゴロンと転がった。

「寒いでしょう」

「ううん、大丈夫だよ」

 カティの声色はどこまでもやさしかった。

「寝る時はランプの火を消してね」

「うん」

「今日は町まで行ったからとても疲れたわ」

 そう言ってカティは直ぐに小さな寝息を立て始めた。

「そう言えば私も今日はものすごく歩いたんだった」

 私は大きく欠伸をし、ベッド脇に吊るされたランプの火を吹き消した。再びベッドに横になり目をつぶると、限りない静けさと暗闇が私の五感を飲みこんでいった・・。私も直ぐに眠りの世界に入っていった。


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