第6話 ショーマン

「今日はごちそうよ」

 そう言われて、夕食の時間、出てきたのはインスタントラーメンだった。子どもたちが羨ましそうに私の前の器を見る。

「ここではこれがごちそうなんだ」

 他の家族はここでの伝統的な食べ物なのだろう、ふわふわした饅頭のようなパンを食べている。

「私もそっちが食べたかったが・・」

 でも、私はこの気持ちをありがたくいただいた。インスタントラーメンは多分、町でしか買えない貴重品なのだろう。

「それにしても・・」

 それにしても、なんか男が多くてどうも居心地の悪い空間だった。やはり、家族構成のバランスがおかしい。その違和感にどうにもなじめなかった。

「ところでなんで、ここの家はみんな断崖絶壁に建っているんですか」

 私が疑問に思っていたことを質問すると、大人たちはみんな一斉に首を傾げた。

「そういえばそうね」

 村長も首を傾げる。疑問にすら思っていなかったらしい。

「昔からそうだったからな」

 村長の旦那の一人が言った。

「そうだ、ばあさんのばあさんの代から家はみんな崖の上に建っていた」

 もう一人の旦那が言った。

「それで問題なかったしな」

 さらにもう一人の旦那が言った。

「そうだ問題なかった」

 村長の旦那たちが順番に口々に言う。

 とりあえず結論としては、問題ない、ということで落ち着いたが、私の聞きたかった理由は分からずじまいだった。どうもこの辺の人たちは、五体投地の人たちもそうだったが、大らか過ぎて余り深く物事を考えないらしい。

 次の日、私は村の中を探索がてら、うろうろ散歩してみた。よくこんなところに村を作ったなというくらい、遠くには高くそびえるヒマラヤの山々、その下に広がる広大な草原と荒野、そんな人間の感覚からしたら無限に巨大な自然の中にポツンとある村だった。

「人間てすごいなぁ」

 人間の凄まじい生命力と適応力を私は感じた。

 村を囲むようにある畑の周りを歩いている時だった。

「あんたが旅人か?」

「えっ」

 畑で農作業をしていた真っ黒に日焼けしたおじいさんが、ものすごく驚いた目で私を見てきた。

「また外国の人か。こんな偏狭なところへ物好きな人も多いもんだ」

 おじいさんはなんだか驚きながら感心している。

「えっ、外国人?外国人は私だけでしょ?」

「いや、あんたで二人目だ」

「えっ、そうなの」

「ああ、金髪のでっかい外人さんが何年も前に来てこの村でずっと暮らしてる」

「そうだったんだ。でも会ったことないよ」

「ああ、外人さんはいつも山に行ってる」

 おじいさんは山の方を指さした。

「何しに?」

「・・・」

 そこでおじいさんは黙った。なぜそこで黙ったのかは分からなかった。そのことを不思議に思いながらも、なんか訊けない雰囲気に私も黙った。

 夕方、村はずれまで、子どもたちとぶらぶらと散歩している時だった。

「しょーまん、しょーまん」

 子どもたちが口々に草原の方を指差して急に叫び始めた。

「もしかしてあの人なのか」

 子どもたちが指差している方を見ると、誰か草原の向こうから人が歩いて来る。確かに金髪のでっかいおっさんだった。

「俺はショーマン、アメリカ人だ」

 私の目の前まで来ると、その金髪のでっかいおっさんは人懐っこい笑みを浮かべて、バカでかい厚みのある手を差し出した。見た目とは裏腹に邪鬼のないやさしい雰囲気を内奥から滲みだしていた。

「あ、どうも、メグです」

 私はその手を握った。熊みたいな手だった。

「メグか。中国人か?」

 ショーマンは妙に陽気だった。

「いえ、日本人です」

「おっ、日本人か。俺は日本にも行ったことがあるぞ」

「そうなの」

 ショーマンはものすごい臭い息を吐きながらうれしそうに言った。多分、風呂にも何日も入っていないに違いなく、体からも強烈な異臭がした。

「ちょっと、うちに来るか」

「うん」

 子どもたちを引き連れ、ぞろぞろとショーマンの後ろにくっついて、ショーマンの家に行った。ショーマンの家は村からちょっと離れたところに建っていた。大草原にぽつんと立つそれは、家というより小屋といった感じだった。


 バチンッ

 大きな石を積み上げてできた暖炉の中の薪が大きな音を立てて爆ぜた。

「木造なんだね」

 私は家の中を大きく見回す。

「ああ、俺が自分で建てた」

 私たちは暖炉の前にこれまたショーマンの手作りのロッキングチェアに二人で座った。

「これも俺が作ったんだ」

 暖炉を見て得意げにショーマンが言った。

「なんかいいですね。雰囲気があって」

 どこかちょっと歪に曲がっている感じはしたがそれも味わいだった。

「お嬢ちゃん飲むか?」

 ショーマンのバカでかい手には、いつの間にか小さなウイスキーの瓶が握られていた。

「うん」

 子どもたちはここに何度も来ているのか、すでにめいめい部屋のあちこちで適当に遊んでいる。

「うわっ」

 アルコール度数の高いウイスキーが、私の喉から食道を焼くように胃に向かって流れ落ちて行った。

「ハハハッ」

 顔をしかめる私を見て、ショーマンは笑った。

「ショーマンはここで何をしているの?」 

 私が訊いた。

「ビッグベアさ」

「ビッグベア?」

「そう、ここにしかいない熊の化け物さ。俺はそいつを追いかけている」

「そんなのがいるの」

「ああ、いる。俺は何度も見た」

「でも、村の人は何も言ってなかったよ」

「この村ではビッグベアの話は禁句なんだ」

「何で?」

「ビッグベアの話をすると、ビッグベアの祟りにあうと思っているんだ。この村の連中はあいつを特別な存在としてある種神聖視しているんだ」

「そうだったのか」

 それでショーマンが何をしているか訊いた時、あのおじいさんは黙ったのか。私はこの時、あのおじいさんが黙った言いが分かった。

「食うか」

 差し出されたのは、何かの干し肉だった。子どもたちは、どこから引っ張り出してきたのか、いつの間にかもう食べている。私はその肉の塊を手に取り、口にくわえ裂いた。

「うん、うまい」

 私の若い健康な歯が軋むくらい滅茶苦茶固かったが、それはうまかった。

「ビッグベアを追いかけてどうするの?」

 私はガムみたいな固い肉をくちゃくちゃやりながら訊いた。

「あいつを撮る」

「撮る?」

「ビッグベア――。あいつは生きている。あいつは本当に生きているんだ」

 ショーマンは怖いくらいに私を見つめた。その目は興奮と畏怖を含んだように、ランランと輝いていた。それはどこか私たちの知らない何か違う世界を見ているようだった。

「生きている?」

 私には何のことかさっぱり分からなかった。

「俺は戦場にいた」

「戦場⁉」

 話が突然戦場に飛んだ。私は驚く。

「俺は戦場カメラマンだった」

「そうなの!」

 見た目はごつかったが、戦場みたいな恐ろしいところなんかとはまったく結びつかなそうな気のよいでっかいおっさんにしか見えなかった。シューマンにはそんなやさしいオーラが漂っている。

「俺は若かった」

 ショーマンはグラスのウイスキーを揺らしながら見つめた。

「金もよかった。それに俺は愛国者だった。国を愛していたんだ。本気で。だから俺たちの国民的英雄の雄姿を撮りたかった。俺は野心も希望も正義も持ったエネルギーに溢れた若者だった」

「・・・」

「そう俺は若者だった」

 そこでショーマンは少し陰りのある目で暖炉の炎を見つめた。

「若さっていうのは時にバカと同義だ」

 そう自分で言ってショーマンは少し自嘲気味に笑った。暖炉の中ではのんびり炎が揺れ、周囲では子どもたちが無邪気にそれぞれ固い干し肉と格闘していた。

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