第4話 祈り
まず立つ。そして頭、胸の前で手を合わせ二回祈る。そして地面にダイブするかのように豪快に地べたに手足を伸ばし額を地面につけ全身で祈る。そして、立ち上がり、数歩歩き、再び立ち、最初の祈りに戻る。これをひたすら繰り返し進んでいく。
小さな女の子たちが私の両脇に付き、しっかりと指導とアドバイスをしてくれる。しかし、若干膀胱が炎症気味の体で必死にまねするが、やり慣れないというか、多分普通に生きていたら絶対しないであろう動きを繰り返すこの動きは、運動神経がどうとか依然にこれがなかなか体に馴染むまで時間が掛かる。
「ズルはだめよ」
小さい方の少女が言った。
「うん」
先に進みたいあまりついつい歩く歩幅と歩数が大きくなる。
「しっかりとお祈りをして進むのよ」
大きい方の少女が言った。
「うん」
分かってはいるのだが、油断するとどんどん置いて行かれるし、焦りも相まってどうしてもいい加減になってしまう。
ラバ馬車のじいさんはみんなと一緒に朝食を食べると、私を置いてさっさと行ってしまった。
「やっぱり一緒に行けばよかったか」
始めてからまだほとんど進んでいないのに早くも後悔の念が頭をよぎる。
「しかし、進まんなぁ~」
遅いとか遅くないとかいうレベルの話しではなかった。
「進んでいるという感覚が全くない」
これは見た目以上にハードだ。心身共に。しかし、両隣では、私よりも小さな子たちが一生懸命真剣に大地に祈りを捧げ、健気に進んでいく。
「これは思った以上にハードだぜ」
私は果てしなく伸びる遥か彼方の道の先を見つめた。相変わらずどこまでもどこまでも大自然はこれでもかこれでもかと広がっている。この広大な大自然を前に私という存在は圧倒的にどうしようもなくちっぽけだった。
それでも、だんだん同じ動作を繰り返していると、なんだかランナーズハイのような、五体投地ハイのような心境になってきて妙に楽しくなってきた。
「よ~し、いったるぜぇ~」
妙なテンションで私は大地にダイブした。
「なんかコツもつかんできたな」
なんとなく、やり方が分かってきたような気がした。
「ところで祈るって、みんないったい何を祈っているの」
ふと私は気になった。
「全ての生命の幸せを祈るのよ」
「えっ」
「生きとし生けるもの全てが幸せでありますようにって祈りながら進むの」
私はてっきり病気が治りますようにとか、何か夢が叶いますようにとかそういった類のものを想像していた。
「自分の幸せは願わないの」
「みんなが幸せになったら、ほっといたって私も幸せになれるわ」
小さい方の少女はこともなげに言った。
「みんなが幸せにならなければ自分も幸せになれないわ」
大きい方の少女が言った。
「う~ん」
なんて大きな視点で世界を見ているのだろう。私は感嘆せずにはいられなかった。
「お姉さんの幸せも祈るわ」
少女たちはそう言って私に微笑んだ。
「ありがとう」
私の中にほんのりとした心地よい温かさを感じた。
「私も祈るわ」
私も全ての生命の幸せを祈ってみた。隣りの二人の少女の幸せを祈ってみた。他の仲間の幸せを祈ってみた。今まで旅で出会った人たちの幸せを祈ってみた。なんだか不思議と自分の心にもやさしさが満ちて来るのを感じた。それはとても温かで心地の良いものだった。
「うっ」
「どうしたの?」
小さい方の少女が私を仰ぎ見た。
私の頭の中に元少年の顔が浮かんだ。
「ううん。なんでもない」
嫌なとても嫌ななんとも言えない感情が私の心を一瞬で暗く覆って締め付けた。私の中の温かな気持ちはそこで儚く消えた。
小さい方の少女が何かを察したのか、私の顔を心配そうに見上げていた。
丸一日へとへとになって、進んだのがわずか三キロほどだった。疲れた体でまたするするとテントの準備と夕食が出来ていく。今度は私も手伝った。みんな本当によく働く。小さい子たちまで常に大人たちを手伝い何か仕事をしている。
昨日同様、みんなで焚火を囲みながら夕食を食べる。バター茶が上手かった。疲れた体に染み入っていく。パンも最高にうまい。みんな黙々と食べる。みんな決して口数の多い人たちではないけれど、どこか静かなやさしさに溢れ、一緒にいると不思議と心地よかった。
夕食のパンをバター茶で流し込みながら、一日を振り返り、このことの繰り返しを後何回繰り返すのだろうと思いながら、また天上を埋め尽くす星々を首一杯に仰ぎ眺めた。
星は瞬き、風が吹き、太陽が照らす。時には雨も降るだろう。冬には雪も降るだろう。そのことがひたすら気が遠くなるほど繰り返し繰り返され、そしてその先に、その先の祈りの先に彼ら彼女らの求める何かが無かったとしても、この脈々と続いてきた悠久の大自然の中で人間のちっぽけな祈りと行動がそれそのものとしてそれはそれとしてそうあって、それはそれでやはりそれでいいのではないか、なんだかそんな気がした。
人々のために祈りながら、この悠久の世界を旅する。それはなんだかとっても幸せで贅沢な事なのかもしれない。そんなことをふと私は思った。
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