人魚姫

人魚にキスされた人は人魚みたいに泳げるようになるんだって

嘘みたいな本当の話。

まさか私がなるとは思いもしなかった。


人魚と共存している町として世界中で有名な魚町。


ここが私の生まれ育った町だ。

人魚は確かにいる。普通にいる。

外から来た人たちには珍しいみたいだけど、生まれた時からいる身としては人魚のどこがいいのかわからない。

確かに綺麗だけど。それだけじゃん?

人魚以外に何の取り柄もない田舎の町。

私はこの町が好きだ。

「なぎさー」

防波堤の向こう側から声が聞こえた。

あ、なぎさは私の名前。

木場凪沙、高校三年生女子よろしく。

防波堤の向こうからの声って大体誰か決まっている。

登れるところがないから海岸まで無視することにした。

相手もそれが分かっているみたいで声はしなくなった。

海岸まで来たら防波堤の向こうから私を呼んだ相手が見える。

人魚の男の子だ。

「なんで打ち上げられてるの」

人魚の男の子、名前はあおい。歳は私と同じ。

「打ち上げられてはないよ。自分でここに来たから」

あおいは柔らかく笑った。

青みがかった黒髪が光でキラキラしてる。

「今日はなに?」

靴と靴下を脱いで近くにしゃがむ。

波打ち際だから海水が足に少しかかって冷たくて気持ちがいい。

「何もないけど凪沙と遊びたかったから」

私を見上げてくる。遊びたかったのはいいけど…

「私学校帰りで制服だから一回家に帰っていい?」

補習で午前中は学校だったのだ。

それにあおいとの遊びは海遊びだから濡れてもいい服に着替えてこないと。

「いいよ、待ってるから」

あおいはそう言って私のおでこにキスした。

あおいに限らず人魚の子たちはみんなキス魔だ。

キスは挨拶なんだって。

手の甲とかおでことか頬によくしてる。

けれどどうしてか唇には絶対にしない。

されても困るんだけどね。

恋人であっても唇にキスはしないんだって。

特に人間には。

いわく、「人魚にキスされた人は人魚のようになる」からだそうで。

海の中で息できるなら便利そうだけど、人魚たちは頑なにそれを守っている。

私のクラスメイトに人魚が恋人な子がいる。

もうすぐ付き合い始めてから1年が経つのにキスはしたことがないって言ってた。

そういうものだ。



家でTシャツと短パンに着替えた。

中はもちろん水着である。

サンダルを履いて浮き輪を持ってまた海に行った。

私は泳げない。

小さい頃に溺れてから顔を水につけられなくなった。

海に行く時は浮き輪が必需品だし、学校の選択授業で水泳を選んだこともない。

でも、あおいと遊びたいから海には行く。

私はなんだかんだであおいのことが好きなのだ。

それが恋愛感情かはわからないけど。

「おまたせー」

「おつかれー」

サンダルを近くに脱ぎ捨て、浮き輪をかぶって海に入る。

胸下あたりの深さからあおいに引っ張ってもらって足がつかないほど深いところまで来た。

絶対に浮き輪から手は離さない。

ただプカプカ浮くだけの遊びは小学生の頃からの鉄板だ。

…ん?

なんか思い出しかけたけど…

なんだっけ?

「どうしたの?」

あおいが覗き込んできた。

綺麗な顔だなぁ…

「なんでもないよ」

こういうことはたまにある。

何かを思い出しかけるけど思い出せない。

海で溺れた時のことを思い出そうとしているんだろうか。

考えてたら頭痛くなってきた…

「凪沙?具合悪いの?」

「ちょっと頭痛い」

「じゃあ戻ろう」

あおいの腕がお腹に巻きついた。

それからすごいスピードで岸に近づいているのを見ながら、いつの間にか寝てしまった。


目が覚めると白い天井が見えた。

まあ、そうだろうな。

点滴されてたらさらにそれっぽいんだけど、点滴はなかった。

「凪沙、大丈夫?」

お母さんがいた。

心配そうな顔をしている。

「うん、なんともないよ」

本当になんともなかったのでそう言った。

お母さんはあまり信じていないみたいだけど、頭痛は治まったし他に痛いところも違和感があるところもない。

至って普通だ。

「そういえばあおいは?」

人魚のあおいは水からあまり離れられないから、私を砂浜に寝かせた後大声で人を呼んだらしい。

そして人が来ると私が起きたら伝えて欲しいと伝言を一言残して海に戻った。

その伝言が、


「元気になったらまた海に来てだって」


「もう元気だから明日にでも行けるよ」

お母さんの睨みが怖い。

検査でも特に異常はなかったみたいで、そのまま帰っていいと言われた。

私は大丈夫だと思ったんだけど、お母さんが念の為に1日だけ休めと言うので明日は大人しくしておくことにした。

休めと言われた1日はすごく暇だった。

いや、勉強はしてたけどやっぱり少し遊びたかった。

友だちもメールはくれたけど皆忙しいみたいで来る子は少なかったし、来てもすぐに帰っちゃったし。

受験生だから仕方ないんだけどね。

早く明日にならないかな?

明日は補習もないから朝から海に行ってあおいと遊ぼう。

明日の分も勉強は片付けておいて、たくさん遊ぼう。

朝の9時に海へ行った。

かなり早いかなとは思ったけどあおいに元気だよって言おうと思ったから。

「あおいー?」

人魚は耳がいいはずだから聞こえているはずだけど、それにしては早いスピードであおいは出てきた。

「凪沙!大丈夫なの!?」

「大丈夫だけど、待ってたの?」

「本当に大丈夫なんだよな!?」

「大丈夫だってば。落ち着いて」

私の顔に手をあてて穴があくほどじっくり見てからようやくあおいは安心したように息を吐いた。

「よかった…」

それから抱きしめられた。

びっくりした。

すごくびっくりした。

こんなことされたの初めてだ。

「ちょ、ちょっと、あおい」

軽く背中をペちペち叩いた。

なんというか、すごく男だ。

私とは明らかに違う体格で、人魚は服らしい服を着ないから肌の感触がダイレクトに伝わってくる。

正直、すごく恥ずかしい。

おかしいな。そんなこと思ったことすらなかったのに。

「あおい、大丈夫だよ。わたしは元気だから」

「うん」

耳元で小さく聞こえた声は震えていた。

え、泣かせた?どうしよう…

なんで泣いてんだこの子は。

わたしのせいだね。心配かけすぎちゃった。

もしかしたら人魚姫みたいに泡になって消えちゃうとでも思ったのかな?

そんな訳ないのに。わたしはここにいるのに。


倒れてから半年が経った。

あれから、時々頭痛がするけどそれ以外になんの変わりもなく普通に過ごしていた。

冬になって、みんなが進路を続々と決めていった。

もちろん、わたしも。

わたしは家から通える距離の大学に合格した。


「凪沙も春から大学生なんだね」

あおいはすごく嬉しそうだ。自分のことじゃないのに。

「そうだよ。人魚は学校らしい学校も仕事らしい仕事もないよね。いいなぁ」

学校は楽しいけど勉強は好きではないし、社会人になって仕事をするのも今からウンザリしてしまう。

「まあ、ないけど。だからこそかな、仕事してるのに憧れ?みたいなのあるんだ」

苦笑気味にあおいは言った。

「…わたしも人魚がよかったなぁ」

なんてことない、ふとした独り言だった。なんてねと笑おうとして、できなかった。

あまりにもあおいが怖い顔をしていたから。「あおい?」

おそるおそる声をかけた。

あおいは大きく息を吸って、ため息をつくように言った。

「言っていいことと悪いことがあるよ」

顔はやっぱり怖いままで、こんなあおいを見たのは初めてだった。

「ほ、本気じゃないよ」

目を見ることができないほどに怖い。あおいを怖いと思うなんて信じられない。

「本気じゃなくても、凪沙は人魚がいいとか言ったらダメ」

「…ごめんなさい」

なんとなく謝らないといけない事を言ってしまったのだと思った。普段だったら「なんでそんなに怒るの」と言っていたかもしれないけど、それすら言えなかった。

「ううん、俺も言いすぎた」

ふっと力が抜けた。またあおいが笑いかけてきた。

それだけなのにすごく安心したんだ。

わたしはここで知ることを拒んでしまっていたことに愚かにもまだ気がつかない。


大学生になってからもあおいとはしょっちゅう会っていたけど、大学の友達と遊ぶことがそこそこ増えた。

夏休みだし海に行こうかという話になって、わたしはあおいといつも会う浜辺をオススメした。

そして、そこにみんなで行く事になった。


「なぎさぁ!ここでいいの!?」

「いいよー!」

みんなで海に来た。男女半々の6人。

「ね、デートみたいじゃない?」

と、友達が言っていたけどわたしはそんなつもりは全くなく、あおいに大学の友達を紹介できるとワクワクしていた。

男の子達は同じサークルの1年生同士ってだけで、特になんとも思っていなかったし。

いつも通り、海に近づいてからあおいを呼んだ。

少ししてから出てきたあおいは、初めて会うわたしの友達とサークル仲間に驚いたようだ。

「うわー、人魚さんイケメンですね」

「人外って綺麗なのがデフォだよなー」

みんなが口々に感想を言って、あおいはイケメンだと言われて少し嬉しそうだった。褒められたら嬉しいよね。

わたしもあおいが褒められて嬉しかった。

あおいを見たあとはみんなすぐに各々遊びだした。

あおいも交えて深いところまで泳ぎに行っている子もいた。

わたしは変わらずに浮き輪に掴まってプカプカ浮いてた。

流されないようにだけ注意しないと。

すると、サークル仲間の男子がやってきた。

「凪沙ちゃん泳げないの?」

「そうなの、小さい頃から」

「オレが泳げるようにしてあげようか?」

いったい何を言っているんだこの人。

嫌そうな顔になるのを我慢しつつ「困ること今のとこないからいいかな」と断った。

「いずれ困るかもじゃん」

余計なお世話だよ。

「いや、本当にいいから」

逃げよう。そうしよう。

くるっと回ってから足を動かし始めた瞬間、浮き輪を取られた。

…え?

空が一瞬だけ見えて、すぐに顔に冷たい感触と視界がぼやけた。

離れたところであおいがわたしを呼ぶ声がした。

「凪沙!」

あおいの声が目の前でした。そうだった、あおいは人魚だ。

わたしはまだ水の中で、息ができなくて苦しい。

助けて。

あおいの腕を掴む。

何故かあおいは泣きそうな顔をした。

「凪沙、ごめんな」

あおいはそう言うとわたしの頬に両手を当てて、キスした。


どうやらわたしは小さい頃に溺れたことがあるらしい。

その時もあおいに助けてもらったということだ。

問題は助ける時に、わたしは息をしていなかったこと。

つまり、ほっとけば数分で死ぬ状態だったらしい。

あおいは他の手立てがなかったからキスしてわたしを蘇生させた。


人魚のキスは命を与える。


だから人魚たちは人間にはキスしないのだと、あおいは悲しそうに言った。

わたしは死んでいるのかと聞くと違うと言った。

生きている。ただ、生きていく上で守らなければならない事があると。


海に全身を沈めてはいけない。


破ったら、人魚になってしまう。陸で生きていけなくなる。人間として生きていきたいのなら、海は避けなければならないのだ。

わたしは守らなければならない事を不可抗力とはいえ破ってしまった。

そしてまたあおいにキスされた。

何を意味するのか、わたしもいまいちわかっていない。

ハッキリしていることはわたしは人魚にはなっていないことと、5年経った今でも生きていること。

あおいもいつもの海にいるよ。

また今から会いに行くんだ。



わたしの知っている人魚の話はこれでおしまい。

人魚にキスされた人は人魚になる。

本当だけど、嘘でもあるってちょっとずるい結末かな?

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